2022年05月25日

「ワクチン接種者」を「ワクチン未接種者」としてカウントしていた厚生労働省


■堂々と不正行為を行う厚生労働省

 昨年(2021年)の超過死亡数は67,745人だったが、今年(2022年)の1月から3月までの3ヶ月間の超過死亡数は38,630人となり、このペースで進むと、2022年度の超過死亡数は10万人を大きく超える可能性が高くなってきた。

 厚生労働省はこの超過死亡数については沈黙している。同省は「ワクチン接種者」と「ワクチン未接種者」のどちらがコロナに感染しやすいのかという統計を取るために、それぞれのカウントを行っていることになっていたが、医者がワクチン接種者に確認した報告書に接種した日付が記入されていなかった場合は、ワクチンを2回接種した人であっても「ワクチン未接種者」としてカウントしていたことが判明した。
 注目すべきは、統計に誤りがあったということではなく、意図的にデータを改竄していたことが判明したということ。

 接種日不明の「ワクチン接種者」を「ワクチン未接種者」として扱った場合、「ワクチン未接種者」のコロナ感染率の方が高くなっていた。しかし、その不明分を除くと逆に「ワクチン接種者」の方が感染率が高い場合(主に中年層)があることが判明した。

 ただ、ここで注意するべきは、不明分とはいえ、ワクチンを接種していることに変わりはないわけだから、本来であれば、カウント除外するのではなく、「ワクチン接種者」に分類しなければおかしいということ。
 もし、不明分を「ワクチン接種者」として再カウントすると、圧倒的に「ワクチン接種者」の方が感染率が高くなってしまうので、官僚らしく上手いこと誤魔化したのだろうと推察する。

 面白いニコニコ動画を見つけたので参考までに。

 ランボー怒りの厚労省データ改ざん(豚ゴリラさん)

■国家を超えた権力者からの命令で動かされている政府

 公の政府機関が堂々とこういう詐欺行為を行っているのを見せつけられると、暗澹たる気分になる。詐欺と言うより犯罪に近いと思えるが、全くと言っていいほどお咎め無し。

 なぜ、こんな信じ難い不正が行われていても大して問題にもならないのかと言うと、このコロナ騒動を演出している存在が国家や法律以上の存在であるからだと思われる。そうでも考えないと辻褄が合わないし、逆にそう考えると、全ての疑問点が1本の線となってクッキリと輪郭が浮かび上がってくる。

 国家や法律というものは、一般庶民を縛るために有るものであり、真の支配者層を縛ることはできないということ。
 ちなみに、「憲法は国家権力を縛るためにある」というのも疑わしくなってきた。国家内の権力者であれば縛ることができるが、国家を超えた権力者がいるなら縛ることはできない。

 日本の政治家や官僚は、この国家を超えた権力者達の計画を知ってか知らずか、その謀略の陰に隠れて利権を貪っているような状態。ほとんどの国民は、そういった実態を知らないため、悪夢のような衆愚政治が行われ、自分自身がその主人公になっていることにも気付かない。

 しかし、厚生労働省が統計詐欺を行ってまでワクチンを接種させなければならない理由とは何なのだろうか? 単なる利権やお金儲けだけでそこまでする必要が有るとは到底思えない。先述した超過死亡数を考えると、殺人行為と批判されてもおかしくない。

 いずれにしても、現在の政府は、国家を超えた権力者からの命令で動かされていることはほぼ間違いなさそうだ。

 もしそうでないなら、現在の政府は救いようのない盆暗政府ということになってしまう。



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posted by 自由人 at 23:38 | Comment(0) | コロナ問題
2022年05月22日

「マンデラエフェクト」は「アセンション」の前兆なのか?


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■「アセンション」は「アホンション」なのか?

 私は定期的に古本屋に足を運び、読むべき本を物色しに行く。古本屋で行うことは、ズラ〜ッと並んでいる本のタイトルを目で追っていき、気になるタイトルの本があると手に取って目次を見て購入するかどうかを決めている。別に珍しいことではなく、誰もがそうだと思う。

 本のタイトルというのは、基本的に著者が決めるものではなく、編集者が決めるものらしい。それほど本のタイトルはマーケティング的に重要なものなのだろう。1冊の本の中身を一言で表すわけだから、そのタイトル次第で販売数が大きく変わってくることも十分に有り得る。この辺は、ブログ記事のタイトルにも言えることで、センセーショナルなタイトルほど閲覧数が伸びる傾向にある。

 さて、本題に入ろう。10年程前に古本屋で本のタイトルを隅から隅まで眺めていると、ある見慣れない単語が何度も目に入ってくることに気が付いた。その言葉は「アセンション」というもので、当時は、何のことか分からず、また怪しげなオカルト系の書物の類いかと思い、目には止まるものの手に取るところまではいかなかった。

 うつみんこと、内海 聡氏などは、「アセンション」のことを「アホンション」と揶揄していることも最近知ったが、どうもこの「アセンション」というのは、個人的に有り得るのではないか?と思うようになった。

 なぜそう思うに至ったのかと言うと、マンデラエフェクトを実体験してしまったことが大きい。当初、この現象が何を意味しているのか全く解らなかったが、マンデラエフェクトは、実は軽いアセンション(の前兆)のようなものではないか?と考えるようにもなった。

■「世界の二極化」と「アセンション」

 マンデラエフェクトの大きな特徴は、ある時(朝、目覚めた時?)に、周囲の環境が少し変わっているというもので、直ぐには分からないのだが、そのうち微妙に世界が変わっていることに気付くことになる。その中には、死亡していた人が生きているという俄には信じ難い現象も含まれている。

 「アセンション」というのは、3次元から5次元へと移行することらしく、ある日を境に、次元の高低によって自分の周りの環境が激変することを意味している。マクロ的には、世界の二極化を意味し、ある日を境に、世界が大きく分かれてしまうということらしい。

 当時の私なら、そんなことを聞いても内海氏と同じように「アホンション」扱いしていたかもしれないが、現在では少し見方が変化した。

 世界が分かれるということは、ある日を境に、これまで存在していた人が目の前からいなくなることを意味している。その場合、死亡していなくなるのではなく、初めから存在していなかったという風に変化することになる。常識的には、そんなSF映画のようなことは有り得ないという結論になると思う。以前の私もそうだった。

 しかし、マンデラエフェクトでは、実はスケールが小さいながらもそういうことが実際に起こっている。先に述べたように、死亡していなくなったはずの人が存在している。その逆(生きていた人が死んでいる)もあるかもしれない。

■「アセンション」は「最後の審判」なのか?

 注目すべきは、マンデラエフェクトを認識できる人は、そういう摩訶不思議な現象を第三者の立場で客観的に見ることができるが、マンデラエフェクトを認識できない人の場合は、自らが気付かないうちに世界が変わっているということになる。つまり、本人が意識していない間に世界が変わっている(分かれている)ということになるので、自分自身がどちらの世界に存在するのか分からないということ。無論、何が変化したのかも分からない。

 マンデラエフェクトの規模が最大限に大きくなると、ある日を境に世界が大きく変わるということも有り得るかもしれない。世界の構造自体が大部分の人々の記憶とともに変わってしまうということが有り得るのであれば、「アセンション」も起こり得ると考えざるを得なくなる。

 コロナ禍を中心に世界の二極化が鮮明になっていることは知る人ぞ知るところであり、その二極を分ける条件というものも鮮明になってきつつある。その条件は、興味深いことに「アセンション」できる人の条件と重なっているかに思える。

 アセンションする人の特徴というのをググってみると、以下のようなものらしい。

 1、物事に真摯に向き合っている人
 2、変化を受け止められる人
 3、心がきれいな人
 4、向上心を持ち前向きな人
 5、欲を出さずシンプルに生活している人

【参考サイト】アセンションとは?アセンションの意味と兆候をわかりやすく解説

 図らずも、上記の5つの条件は、マンデラエフェクトを認識できる人とも重なっているようにも思える。もしかすると「アセンション」とは「最後の審判」の別名なのかもしれない。

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posted by 自由人 at 14:16 | Comment(0) | マンデラエフェクト
2022年05月21日

なぜ今頃になって「マスク不要論」が浮上してきたのか?


■周回遅れのマスク議論

 後藤厚生労働大臣は記者会見の場で、次のような見解を示した。

 「屋外では、周囲との距離が十分とれなくても、会話が少なければ、必ずしもマスク着用の必要はない

 こんなことは疾うの昔に分かり切っていたことだと思われるので、何を今更感が拭えない。

 他国では、周囲の距離や会話の有無に関係なくマスクをしている人を探す方が苦労するという状況下であるにも拘らず、相変わらず、日本だけは異質であり、今頃になって、ようやくマスク着用の条件を考え直すという周回遅れな議論が行われている。

 スーパーのレジ等に並ぶ場合も、2mの距離(ソーシャル・ディスタンス)を取ることを強要されるが、レジから出ると、2mの距離などお構い無しに買い物袋に商品を詰め込む人々が犇めき合っている。もちろん、レジに並ぶ前も同様で、買い物をしている最中も2mの距離など誰も意識していない。レジに並ぶ時だけ建前として距離を取っているだけで、危険なウイルスが蔓延しているなどという認識を持って生活しているような人はほとんどいないかに見える。

 話は変わって、今年のゴールデンウィークに、日帰りで人里離れた某寺院を訪問した。無論、ノーマスクで過ごした。
 その寺の数百段ある石段を運動がてらに登ってみたが、マスクをせずに登っても息切れして何度も休憩しなくては登れなかった。
 しかし、他の多くの人は、そんな長い石段でも御丁寧に不織布マスクを付けてゼイゼイ言いながら登っていた。中には高齢者もおり、熱中症か酸素不足で卒倒するのではないかと本気で心配してしまうほどだった。

 その苦行僧のような姿を観て、正直、なんて馬鹿真面目な人達なんだろうか…と哀れみを感じた。人里離れた山奥にまで危険なウイルスが蔓延していると信じ込んでいるのであれば、立派なカルト教(コロナ教)信者であり、ここまでくると、もはや救いようがないな…と感じた。

■マスクが不要になればシェディング被害が拡大する?

 そんな世間の可笑しさを知ってか知らずか、今回の後藤厚生労働大臣の見解にコロナ教の人々はどう感じ入るのだろうか? 彼らにとって厚生労働大臣は、コロナ教幹部のようなものだろうから、少しはマスクの必要性(TPO)を考えるようになっていくのだろうか?

 しかし、なぜ今頃になって、政府が重たい腰を上げつつあるのか少々、疑わしい部分もある。

 最近、よく感じるのは、ワクチン接種者から異臭がすること。一般的には「シェディング臭」と言われているらしいが、昨年まで全く体臭が無かった人まで同じ臭いがする。まさか全員が同じ香水を付けているわけではないだろうから、明らかにワクチンが原因の異臭だと言える。

 その「シェディング臭」はマスクを付けることで少し緩和(防御)できるが、マスクを外すとかなりキツい臭いがする。ワクチン接種者はワキガや加齢臭と同様、自分の臭いは感じないようだが、「シェディング臭」はその名が示す通り“伝播”するものなので、ワクチン未接種者までシェディングの影響で体調が悪くなるとの報告も上がっている。

 そう考えると、「シェディング臭」が酷くなった現状では、むしろ人前ではマスクを付けることがシェディング被害を抑える効果が有るかもしれない。効果の有無に拘らず、あの異臭は生理的にも受け付けないという人が多そうなので、マスクを付ける必要がなくても、別の理由で付けざるを得ないということになるかもしれない。

 そんな状況で今回の「マスク不要論」。政府が意図しているかどうかは不明だが、これでは、シェディング被害が増加する可能性も否定できない。

 よく言われるように、参議院選挙が近付いてきたので少しでも印象を良くするためだけの布石とも考えられるが、マスクを外すことによって、ワクチンのシェディング被害が増加することになれば本末転倒ということになってしまいかねない。



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posted by 自由人 at 13:00 | Comment(0) | コロナ問題