■「レジ袋はどうしますか?」のオンパレード
全国のショップでレジ袋の有料化が開始され、早くも半月が経過しようとしている。
食料品店、衣料品店、雑貨店、書店、コンビニ、全てのレジで「ブックカバーはどうしますか?」と同じようなトーンで「レジ袋はどうしますか?」と尋ねられたが全て丁重にお断りした。私の場合、ショルダーバッグに折りたたみができるビニールバッグを入れて持ち歩いているので、それをレジ袋代わりに使用している。
ちょうどこんな感じのもの。
レンタルDVD店でもレジ袋が有料になっていたが、返却する時に袋が無ければ困るのでレジ袋を買う羽目になってしまった。この辺は想定外の盲点だったが、レジ袋を使用せざると得ないケースが有ることに不自然さを覚えた。
しかし、なぜか弁当屋ではレジ袋がサービスになっていた。カバンに入れると横向きになって困るだろうから、レジ袋もセット販売(レジ袋込み料金)ということなのだろうか?
■あまりにも中途半端なレジ袋の有料化
この2週間で都合10回以上、各店のレジを利用して思ったことは、「あまりにも中途半端な制度だな」ということ。
何が中途半端なのかと言うと、レジ袋の削減を目指した制度であるはずなのに、お金を出せば簡単にレジ袋が買えて使用できてしまうところ。実際に多くの人が躊躇することなくレジ袋を購入していた。
環境問題が原因でレジ袋を削減しなければいけないということなら、余程の例外は除くとしても、基本的にはレジ袋は買えないようにしなければいけないのではないのだろうか? それなのに現状は、お金さえ払えば、いくらでもレジ袋は使い放題という制度になっている。
ある程度、高額な商品になると「レジ袋込みでいいです」と言うようなショップもあるのかもしれないが、それだと、環境問題云々は関係が無いということになってしまう。
どの店のレジに並んでいても環境問題云々は一切語られず、ただ単に「レジ袋を買いますか? それとも買いませんか?」と言っているようにしか聞こえなかった。「今度からレジ袋の代わりのマイバッグを持参してください」と言うような店員がいてもよさそうなものだが、そういう店員は全く見かけなかった。
これでは消費者に、レジ袋の料金を徴収することが目的であるかのような誤解を与えてしまうのではないだろうか。
■「マイバッグ持参」という新しい生活様式
以前、この問題で、プラスチック製のストローが刺さったままのウミガメがテレビで紹介されていた。そういう可哀想なシーンを見せられると、「プラスチックは悪だ!」と義憤に駆られる人も大勢いるのではないかと思う。しかし、なぜかその解決策は、「プラスチック製のストローの使用量を減少させなければならない」となる。
プラスチック製のストローが減少すれば、ウミガメの悲劇も減少するという理屈なのだろうけれど、本当の問題は、プラスチック製のストローの量ではなく、プラスチック製のストローをポイ捨てする人がいることではないだろうか。つまりは、人間のモラルやマナーの問題だ。
プラスチック製のストローの使用量がどれだけ増えたとしても、使い終わったストローをきちんとゴミ箱に捨てる習慣が守られていれば、そのストローは焼却されて灰になるだけであり、ストローのまま海に流れたりはしない。
学校の教室で可哀想なウミガメの映像を見て、
教師A「可哀想なウミガメさんを救うためには、ストローの使用量を減らさなければなりません」
教師B「可哀想なウミガメさんを救うためには、ストローのポイ捨てはしないようにしましょう」
教師Aと教師B、どちらの意見が正しいのだろうか?
レジ袋もストローと同じであり、ポイ捨てしなければ海を汚す有害なゴミにはならない。
レジ袋を有料化すれば、レジ袋の総使用量が減少して、海を汚す有害なゴミも減少するという理屈には、「ポイ捨て」という概念が見落とされているのではないかと思える。
環境省と経済産業省の鳴り物入りで始まったとされる「レジ袋有料化」。これまでのレジ袋の使用を止め、買い物にはマイバッグを持参する。この件は新型コロナウイルス問題とは無関係ではあるが、全く新しい生活様式を我々に強要しているかに見える。それは、マスクの着用と同様、マイバッグの着用を義務付けられているかのようですらある。
この新しい生活様式に我々は本当に慣れ親しむことができるのだろうか?
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