■「保守」の定義とは?
「保守」という使い古された言葉がある。日本では主として政治家や思想家の立ち位置を示す言葉として使用されているが、日本人は今、この言葉の意味を再考する又と無い機会を与えられているのかもしれない。
「保守」という言葉の説明としてWikipediaでは以下のように書かれている。
【従来からの伝統・習慣・制度・考え方を維持し、社会的や政治的な改革・革命・革新に反対する思想のこと】
この文面からも解る通り、その国の伝統を護り、革命思想から国体を護ること、それが「保守」の定義ということになっている。
思想的なことが解らないという人向けに言うなら、「保守点検」という言葉を使用した方がイメージするのが容易かもしれない。電化製品などの「保守点検」や「保守契約」というものを考えると、その目的は、少しでも長く同じ製品を使い続けるための手段と言うこともできる。
昔から使用し続けている制度を1日でも長く守り続けることを目的とした言動や行動、それが「保守」ということになる。
■「保守」が護るべきものとは?
では、その「昔」とは、いつのことを指すのかと言えば、現在の日本の場合は「戦前」ということになる。戦争が始まる前の日本の制度を護持すること、それが本来の「保守」ということになる。
ところが、現在の日本における「保守」言論人を見ていると、戦後の制度を維持することが目的になっているような人が大勢いる。彼らは「戦後、日本は民主主義国家になったので、その自由な制度を守らなければならない」と思っているかのようですらある。
しかし、これは根本的に間違っている。戦後の日本は民主主義国家になったのではなく、植民地的社会主義国家になり、戦前よりも不自由な制度が設けられたというのが正しい認識であるからだ。
GHQは戦争が始まる前から日本を社会主義国家にするという目的を持っていた。GHQによって戦後に行われたことは「保守」が最も嫌う「革命」だった。当時、「保守」と言われる人々が全て公職追放になったことがそれが事実であることを如実に物語っている。社会主義革命を行う上で「保守」は邪魔者以外の何者でもなかったからである。
■「リベラル左翼」と「リベラル保守」
現在の「保守」言論人の大部分は、GHQの存在を認め、GHQが行ったことを批判している。
しかし、そのGHQを操っていたDS(ディープステート)については、その存在を頑に認めず、中には陰謀論扱いにしている人もいる。
彼らの頭にあるのは、GHQは既に存在しないが、GHQが過去に行ったことは見直す必要が有るというもので、図らずも、その姿勢自体が「左翼」と同様、過去の呪縛から全く抜け出せていないことを物語っている。
日本の「保守」と「左翼」の大きな違いはGHQの存在を認めているか認めていないかだけであり、戦後の日本についての認識はほとんど変わらない。戦後の「左翼」と戦後の「保守」の違いを言葉で分けるとすれば、「リベラル左翼」と「リベラル保守」ということになる。
驚くべきことに、戦後の日本には真の「保守」と呼べるような人は全くと言っていいほど存在しなかったのである。もっと言えば、実は「陰謀論者」として隅に追い遣られた人の一部に真の「保守」は存在していたのである。
真の「保守」とは、GHQだけでなく、そのGHQを影で操っていた存在を知り、彼らによって大きく変えられてしまった日本を元に戻すこと。それが解らない言論人は「保守」ではなく、「保守」の仮面を被った「リベラル」だったのである。「リベラル」とは、与えられた自由を本当の自由と履き違えている人々の総称でもある。
現代になって、ようやく、隠されたベールの向こうから、誰にも見える形で姿を現したDS(ディープステート)達、彼らの長年にわたる陰謀を知り、その真実を白日の下に晒すこと。それが、戦前に「保守」と言われた人々が中心的に行っていた啓蒙活動だった。そう考えると、現在の日本における「保守」の9割以上は偽者だったということになる。
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