2022年07月31日

日本における「保守」の9割以上は偽者だった


■「保守」の定義とは?

 「保守」という使い古された言葉がある。日本では主として政治家や思想家の立ち位置を示す言葉として使用されているが、日本人は今、この言葉の意味を再考する又と無い機会を与えられているのかもしれない。

 「保守」という言葉の説明としてWikipediaでは以下のように書かれている。

従来からの伝統・習慣・制度・考え方を維持し、社会的や政治的な改革・革命・革新に反対する思想のこと

 この文面からも解る通り、その国の伝統を護り、革命思想から国体を護ること、それが「保守」の定義ということになっている。

 思想的なことが解らないという人向けに言うなら、「保守点検」という言葉を使用した方がイメージするのが容易かもしれない。電化製品などの「保守点検」や「保守契約」というものを考えると、その目的は、少しでも長く同じ製品を使い続けるための手段と言うこともできる。

 昔から使用し続けている制度を1日でも長く守り続けることを目的とした言動や行動、それが「保守」ということになる。

■「保守」が護るべきものとは?

 では、その「昔」とは、いつのことを指すのかと言えば、現在の日本の場合は「戦前」ということになる。戦争が始まる前の日本の制度を護持すること、それが本来の「保守」ということになる。

 ところが、現在の日本における「保守」言論人を見ていると、戦後の制度を維持することが目的になっているような人が大勢いる。彼らは「戦後、日本は民主主義国家になったので、その自由な制度を守らなければならない」と思っているかのようですらある。

 しかし、これは根本的に間違っている。戦後の日本は民主主義国家になったのではなく、植民地的社会主義国家になり、戦前よりも不自由な制度が設けられたというのが正しい認識であるからだ。

 GHQは戦争が始まる前から日本を社会主義国家にするという目的を持っていた。GHQによって戦後に行われたことは「保守」が最も嫌う「革命」だった。当時、「保守」と言われる人々が全て公職追放になったことがそれが事実であることを如実に物語っている。社会主義革命を行う上で「保守」は邪魔者以外の何者でもなかったからである。

■「リベラル左翼」と「リベラル保守」

 現在の「保守」言論人の大部分は、GHQの存在を認め、GHQが行ったことを批判している。
 しかし、そのGHQを操っていたDS(ディープステート)については、その存在を頑に認めず、中には陰謀論扱いにしている人もいる。

 彼らの頭にあるのは、GHQは既に存在しないが、GHQが過去に行ったことは見直す必要が有るというもので、図らずも、その姿勢自体が「左翼」と同様、過去の呪縛から全く抜け出せていないことを物語っている。

 日本の「保守」と「左翼」の大きな違いはGHQの存在を認めているか認めていないかだけであり、戦後の日本についての認識はほとんど変わらない。戦後の「左翼」と戦後の「保守」の違いを言葉で分けるとすれば、「リベラル左翼」と「リベラル保守」ということになる。
 驚くべきことに、戦後の日本には真の「保守」と呼べるような人は全くと言っていいほど存在しなかったのである。もっと言えば、実は「陰謀論者」として隅に追い遣られた人の一部に真の「保守」は存在していたのである。

 真の「保守」とは、GHQだけでなく、そのGHQを影で操っていた存在を知り、彼らによって大きく変えられてしまった日本を元に戻すこと。それが解らない言論人は「保守」ではなく、「保守」の仮面を被った「リベラル」だったのである。「リベラル」とは、与えられた自由を本当の自由と履き違えている人々の総称でもある。

 現代になって、ようやく、隠されたベールの向こうから、誰にも見える形で姿を現したDS(ディープステート)達、彼らの長年にわたる陰謀を知り、その真実を白日の下に晒すこと。それが、戦前に「保守」と言われた人々が中心的に行っていた啓蒙活動だった。そう考えると、現在の日本における「保守」の9割以上は偽者だったということになる。

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posted by 自由に考える人 at 09:20 | Comment(0) | 思想
2022年04月25日

『マトリックス』のエージェントになってしまった「戦後の保守」


■3重のマトリックス世界

 話題の映画『マトリックス/レザレクションズ』をようやく観た。世間の評価はそれほど高くなかったので、あまり期待はしていなかったものの、案の定、無難なシナリオであり、1作目を超える作品ではなかった。
 ただ、それでも現在の世界情勢を風刺したかのような演出は健在であり、「シープル」という言葉なども皮肉が効いていた。


 1作目の『マトリックス』を映画館で観た時は衝撃的だったが、同じ監督がシリーズ化しても、あの衝撃を超える作品は作れそうにない。
 1作目の何が衝撃的だったのかと言うと、「この世界は虚構」というテーマを前面に出して精神世界を描いたところにあり、「マトリックス」という言葉は、20年経った現在では市民権を得て「虚構世界」を意味する代名詞と化している。


 この3次元物質世界というのは、ある意味「マトリックス」のようなものであるのだが、その階下にある目に見える3次元社会の中には、別の意味での「マトリックス」社会が存在している。前者は目に見えない神秘の「マトリックス」だが、後者は人間が作ったものなので見える人には見える。しかし、その存在が意図的に隠されているため、ある一定の前提知識が無ければ、ほとんどの人には見えなくなっている。正確には「見える」と言うよりも「認識できる」と言った方が正しいのかもしれないが。

 戦後、思想的な絶海の孤島になった日本の場合は、更に日本独自のもう1つの「マトリックス」が存在しているので、日本人の場合は、都合、3重の「マトリックス」に覆われているようなものだとも言える。

■「戦前の保守」と「戦後の保守」は全くの別物

 この「マトリックス」をどこまで認識・把握できているかによって、その人物の思想は大きく違ってくる。

 「大○領選」「コ○ナ」「ウク○イナ」、この3つの禁句を含む事件は、2つ目の「マトリックス」をある程度理解している人であれば、難なくその構造を知ることができるが、日本の保守と言われている面々は、日本独自の「マトリックス」しか理解していないせいか、てんで検討外れな認識に留まっている。

 3つの「マトリックス」の第1階層が「日本マトリックス」、第2階層が「世界マトリックス」、そして第3階層が「3次元マトリックス」となる。

 日本独自の「マトリックス」とは、第2階層の「世界マトリックス」を創った支配者層が作り出したローカル「マトリックス」なので、その「日本マトリックス」に気付いたとしても、同時に「世界マトリックス」までは気付けないように仕組まれている。

 認識力が低いために1段上にある「マトリックス」に気付かないだけなのか、あるいは、第2階層の「世界マトリックス」に気付かれないようにするためのエージェント(スミス)※のような役割を担っているのか、そのどちらかだろう。

※『マトリックス』に登場する黒いスーツを着たキャラクター

 現在のマスコミは黒服の「エージェント」そのまんまだが、保守と名乗る者までが「エージェント」になってしまっているというのが現在の日本の屈折した状況。

 一応、映画『マトリックス』を観ていない人向けに説明しておくと、「エージェント」の役割は、人々に「マトリックス」の存在に気付かれないようにすること。

 戦前の保守論客達は、戦後に生まれた「日本マトリックス」は知る由もないが、「世界マトリックス」のことは十分に理解していた。それゆえに戦争に巻き込まれることに繋がったとも言える。

 「戦前の保守」と「戦後の保守」は全くの別物と思った方がよいのかもしれない。「戦前の保守」は巨悪を認識していたが、「戦後の保守」は小悪しか見えていない人が多い。

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posted by 自由に考える人 at 21:59 | Comment(0) | 思想
2022年04月15日

なぜ、日本の保守は一枚岩ではないのか?


■「共産主義者」と「グローバリスト」の共通点

 この度のウクライナ問題によって、日本の保守と言われる層が一枚岩でないことが、これ以上ない形で明らかになってしまった感があるが、今回は、なぜ、そうなってしまったのかを少し考えてみたいと思う。

 何年か前に『日本の敵』という馬渕睦夫氏の本を読んだことがある。その本の対談相手は「保守の重鎮」と言われた故渡部昇一氏だった。その本の中で、渡部氏は平成25年に読んだ書物の中で最も印象深かったものが馬渕氏の『国難の正体』という本だと語り、以下のように述べられていた。

共産主義革命を推し進めようとしていた勢力と、グローバル化という究極の資本主義を推し進めようとしている勢力とが、同根であることは一般的には信じ難いこととして受け取られるであろう。しかし、根本的な共通点があるのである。共産主義者もグローバル推進者も「国境」という存在が嫌いなのだ。」(原文ママ)

 「保守の重鎮」「知の巨人」と言われた渡部昇一氏ですら、晩年までグローバリズムの本質を正しく理解されていなかったフシがある。渡部氏を含め、日本の大部分の保守は親米保守なので、基本的にアメリカを善としているため、どうしてもグローバリズムの正体を見過ごしがちになる。

 なぜアメリカを善としているかと言うと“アメリカ=自由”“アメリカ=民主主義”というシンプル過ぎる思い込みが大元にあり、戦後の日本の高度成長期にはアメリカに倣えば経済成長できるという錯覚が何の疑問もなく常識として定着してしまったことに原因を求めることができる。

 彼ら保守が最終的に行き着いた認識は、先の戦争は左翼のスパイが画策したものだったというものだが、更にその先に存在するグローバリスト(大左翼)の存在にまで触れているような保守論客は残念ながらほとんどいない。

■「グローバリズム」と「反グローバリズム」の違いを理解していない似非保守

 冷戦時、東西陣営は「西の資本主義」と「東の社会主義」というステレオタイプな認識が常態化していた。その構図はベルリンの壁の崩壊とソ連の崩壊によって崩れたかに見えたが、崩れたかのように見えて水面下では大きな変化が起こっていた。21世紀になると東西陣営の図式は「西の社会主義」と「東の保守主義」に変化していった。つまり、「グローバリズム」と「反グローバリズム」である。日本は戦前、「反グローバリズム」の中心国だったが、敗戦後は復興期を越えた辺りから、意識することなく「グローバリズム」の波に飲み込まれていった。

 西側諸国は「自由」や「民主主義」を標榜しているが、その実、本質的には全く自由などなく、民主主義的でもない。アメリカはある勢力によって人工的に作られた人工国家であり、「自由」や「民主主義」は表向きの掛け看板に過ぎない。

 ついでに言うと「国家」というものもフィクションでしかない。ホッブスは「国家権力」を「無敵の魔人」に喩えたとされるが、その魔人をも超えた化け物(比喩)が魔人を動かしているような状態。
 国家権力以上の力を持った勢力が国家の行方を全て計画して運営されている。そういう意味では、「超」が付くほどの社会主義国家だとも言える。

 「グローバリズム」と「反グローバリズム」の違いを理解していない似非保守は、「グローバリズムを礼賛するのが保守」という奇妙奇天烈な歪んだ思想を長年信奉してきたため、「反グローバリズム」こそが真の保守だということが理解できない。と言うよりも、「反グローバリズム」の立場に立つと、これまで正しいと思ってきた自らの思想が根底から崩れてしまうために、そのことを認められないという人が多いのかもしれない。

 この辺は、経済学者がMMT(現代貨幣理論)を素直に認められない事情とよく似ている。これまで絶対に間違いないと信じてきたことが間違いだったとは、立場のある人に限ってなかなか認められないのは人情というものなのだろう。

 というわけで、現在のウクライナ問題について語っているほとんどの「保守」言論人は、大きな勘違いをしている。「グローバリズム」と「反グローバリズム」の違いが解らないタイプか、自らの間違いを認めることができないタイプのどちらかだと言える。

 

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posted by 自由に考える人 at 22:41 | Comment(0) | 思想
2021年06月21日

「左翼グローバリスト」の存在に気付かない「保守」と「リベラル」


■「保守」と「リベラル」の対立はプロレス

 最近の世間の論説を見ていると、コロナワクチン推進派が右寄りで、コロナワクチン否定派が左寄りというようなことを述べている人をよく見かける。

 しかしこれは単なる思い込みであり、実際はコロナワクチン推進派の左寄りもいれば、コロナワクチン否定派の右寄りもいる。

 強いて言うなら、コロナワクチンを盲目的に推進しているのは、左翼グローバリストに組する人間であり、右寄りか左寄りかというのはあまり関係がない。

 21世紀の現代では、「右翼」や「左翼」という言葉、「右寄り」とか「左寄り」という認識は、もはや時代遅れになりつつある。20世紀における「右翼」や「左翼」という存在は、より大きな視点で観れば、ただのプロレスに過ぎなかったという認識を持たなければいけない。

 日本国内における「保守」と「リベラル」の対立というのも、9割方はただのプロレスに過ぎず、本当の権力者は両者の姿を高所から眺めている存在でもある。彼らは、思想的な対立を煽ることで漁父の利を得ることを得意としており、孫子の兵法に則り「戦わずして勝つ」を大衆に気付かれることなく陰で実践している。それが本当の権力者達の姿でもある。

■真の敵は「左翼グローバリスト」

 現代思想の略図を簡単に書くと以下のようになっている。

 20210621.png

 この図を見れば分かる通り、敵対するべきは横軸ではなく縦軸であり、本来であれば、保守とリベラルは手を結んで、左翼グローバリストと対峙しなければいけない。しかし、上下の関係には気付くことなく、いつまで経っても右コーナーと左コーナーのプロレスごっこに終始している。

 戦前戦中の真の保守勢力は、一丸となって、この左翼グローバリスト達から日本国を護ることを目的としていた。マスコミも戦争を煽り過ぎたとはいえ、保守勢力として左翼グローバリストを批判し国を護るという気概だけは持っていたが、今や、見事なまでに左翼グローバリスト達のマリオネットと化してしまった。

 大部分の保守もリベラルも、左翼グローバリスト達が書いた脚本通りに踊らされているような状態であり、この狡猾な演出家達が張り巡らせた蜘蛛の糸に捕えられ、そこから一歩も抜け出すことができなくなっている。

 現在のあまりにも異常なコロナ騒ぎを契機として、多くの国民が長い惰眠から目を覚ますことを期待したい。
 
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posted by 自由に考える人 at 23:48 | Comment(0) | 思想
2020年02月08日

映画『ジョーカー』の「KILL THE RICH」という言葉


■暴力革命を肯定する『ジョーカー』

 バットマンの宿敵ジョーカーの誕生を描いた映画『ジョーカー』を観てみた。
 世間での評判が滅法高かったので期待して観てみたが、残念ながら、その期待は大きく裏切られることになってしまった。
 一言で言えば「病んでいる」、その一言に尽きるような映画だった。映画館で観ずにDVDで観る判断をしたのは個人的には正解だった。

 犯罪都市「ゴッサムシティ」を描いた映画でもあるので、フィクションとして病んでいるのは仕方がないとしても、あまりにも露骨過ぎる演出が鼻に付き、ゲンナリしてしまった。

 コメディアンになって人々を楽しませることを夢見ていた少年アーサーは脳に障害(急に笑うという障害)を抱えていた。それが原因とは言えないが、彼は大人になっても世間から冷たく扱われて、やがて荒んだ心を持つようになっていく…という物語。

 本作はジョーカーの疎外感と、そこから生じる精神の変化を描いた作品なので、「エンタメドラマ」と言うよりは「社会派ドラマ」という位置付けになるのかもしれないが、単に現代の人間社会の生き辛さを描いた作品ではなく、人間社会で疎外感を感じた人間は何をしても構わない、暴力によって社会の秩序を破壊しても構わないという、暴力革命を肯定および煽動するかのような内容の作品だった。

■マルクス思想に通じる『ジョーカー』

 犯罪心理学の世界では、「被害者意識が人種差別を生む」と言われることがあるが、本作の場合も、被害者意識(疎外感)というものを前面に出して描いており、その思想的なスケベ根性が透けて見えてしまうような扇情的な作品だった。

 本作には、以下のような台詞が出てくる。

 「KILL THE RICH」(金持ちを殺せ)

 現在のハリウッドがリベラル化していることは有名な話で、これまでにも何度かブログ記事で指摘してきたが、ここまで露骨な台詞を台本に持ってくると、左派リベラルを通り越して、まるで極左共産主義礼賛ムービーと受け取れなくもない。

 本作に登場するジョーカーは、どこか、共産主義を生み出したマルクスに似ている。世間に対する強烈な疎外感と嫉妬心を抱え、成功者や金持ちを憎み、暴力革命によってブルジョア(金持ち)を打倒するという嫉妬の学問を創り出し、将来的にマルクスが望む・望まないに関係なく、同じ疎外感(嫉妬心)を持った人々を洗脳する学問として利用されるに至った。
 
 あくまでも個人的な感想ではあるが、本作に登場する「KILL THE RICH」という言葉には、そのマルクス思想の影響が色濃く出ているように思われた。ハリウッドの共産主義化、それが本作を観た正直な感想だった。


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posted by 自由に考える人 at 18:44 | Comment(0) | 思想