2020年01月19日

逃亡者心理で考える「ゴーン夫妻“脱日”事件」


■多重構造になっているゴーン氏逃亡事件

 カルロス・ゴーン氏の妻キャロル氏は、レバノンの首都ベイルートにおける取材で以下のように述べたらしい。

 「日本とはもう終わっている

 まるで、北朝鮮から脱北した人間が言う台詞のようだが、ゴーン夫妻にとっては、まさしく“脱日”したという心境なのかもしれない。

 ゴーン氏逃亡事件において、海外ではゴーン氏に同情している人が多いが、逆に日本では批判的な人が多い。なぜこれほどまでに、日本の内と外では意見に温度差が生まれるのだろうか?

 まず第一に、この事件は、表面的には単なる脱走事件に見えているが、実のところは多重構造になっているので、事件をどこで切り分けているかによって全く見方が変わってくるということが考えられる。
 逃亡したという結果だけを見て「法律を破った」と批判している人もいれば、逃亡した原因は「単に有罪から逃れるためだ」と批判している人もいる。一方で、逃亡したのは「日本の人質司法に問題がある」と言っている人もいれば、「陰謀から逃れるためだ」と言う人もいる。

 「結果だけを見る人」と「原因と結果を見る人」と「原因のみを見る人」、これだけでも3通りの意見が出てくることになる。

■ゴーン氏の逃亡劇を「正当防衛」として考えると…

 私はゴーン氏の逃亡劇を見て、ゴーン氏をモンテ・クリスト伯に例えたが、その後、フランスのマスメディアも「現代のモンテ・クリスト伯」と評している。「モンテ・クリスト伯」はフランスの小説でもあるので、そう考える人が出てくるだろうことは容易に想像がついた。
 モンテ・クリスト(巌窟王)は、無実の罪で幽閉された人間が主人公のドラマだが、ゴーン氏を無実であるかのように論じると、またぞろ、「ゴーンは無実ではない」とか「ゴーンの言うことを鵜呑みにしている」というような反論が返ってきそうなので、今回は「有罪」か「無罪」かは於いといて、「誘拐」と「正当防衛」という視点で考えてみたいと思う。

 もし、日本人であるあなたが、ある犯罪組織に誘拐および監禁された場合、何を考えるだろうか? 誰もが、そこから一刻も早く抜け出したいと考えると思う。しかし抜け出すためには、見張り役の人物を倒さなければいけないという選択を迫られた場合、どうするだろうか?

 多くの人は、そんなことをすると法的に殺人になってしまう可能性があると躊躇すると思う。しかし、その見張りを倒さない限り、あなたは一生、監禁されたままということになる。まさに究極の選択だが、これが欧米人ではどうだろうか?

 外国の映画などを観ていると、自分の命の危険がある場合は、相手を傷付けたり殺しても罪に問われない(所謂、正当防衛)ことが日本以上に徹底されているという印象を受けることがある。「これ、日本でならNGだよね」というようなシーンが多々出てくるので、「えっ、これでいいの!?」と思ったことがある人も多いのではないかと思う。

■法律と人間の命(人権)のどちらが重要か?

 民主国家で拳銃の所持が許されている国があるのも、個人の命を守るための正当防衛であれば発砲しても罪に問われないという認識が常態化しているためであり、この辺のところの認識が日本とは全く違っている。それはある意味、法律よりも人間の命(人権)の方が大事だという民主国家の基本が徹底されている証拠でもある。

 ゴーン氏が罪を犯したかどうかはともかくとして、この事件がもし、クーデター紛いの国策捜査であった場合、有罪になる確率は100%ということになる。
 その状況に置かれた人間の心理状態というものを考えると、その心境はまさに拉致監禁された人間と同じ状態であり、法律を破って逃げることも正当防衛という認識で実行したものと考えられる。

 もう1度、お断りしておくと、ここでは有罪(良い)か無罪(悪い)かは考えない。考えるのは、あくまでも、ある状況下に置かれた人間の心理状態である。

 「そんなものは関係がない!」という反論が返ってくるかもしれないが、人間の罪というものを考える上で、これは無視できない問題だ。その部分を無視した意見は、法律と人間の命(人権)のどちらが重要かという、民主国家における最も重要な概念を無視した意見だということも併せて考える必要がある。


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posted by 自由人 at 22:54 | Comment(0) | 国際問題
2020年01月01日

「巌窟王」のようなカルロス・ゴーン


■2019年最後の「脱走劇」

 昨年は、警察や検察からの脱走劇というものが何度も巷を賑わせていたが、最後の最後で保釈中のカルロス・ゴーン氏が国外逃亡するという大事件が発生した。報道ではゴーン氏の妻キャロル氏が企てたということになっているようだ。

 逃亡したゴーン氏は次のように語っているらしい。

>日本の司法制度は、国際法・条約下における自国の法的義務を著しく無視しており、有罪が前提で差別が横行し基本的人権が否定されています。私は正義から逃げたわけではありません。不正と政治的な迫害から逃れたのです。

 確かに日本の司法は「人質司法」とも呼ばれ、「推定無罪」の原則を無視した前近代的な司法制度が問題となっていたので、ゴーン氏の発言もあながち無視できない部分がある。テレビに映るキャロル氏の悲壮感を観ていても、なんとなくその心中(逃げたいという気持ち)は察することができた。

■疑うことを忘れた純粋な正義

 ゴーン夫妻にとっては、まるで、独裁国家の独房にでも入れられたかのような感覚だったのだろうと思う。

 確実な証拠も上がっていない状況で、(逮捕されること=)犯罪者というレッテルを貼られ、有罪・無罪に関係なく、罪を認めるまで延々と拘束される。これまで味方だと思っていた人々がこぞって敵に回り、国民のほとんどが魔女刈りの使徒のように、イメージだけで他人を裁きにかかる。普段、良識があるかのような発言をしている人でさえ、疑うことを放棄した純粋な正義を振りかざしてくる。

 「推定有罪」を避けるためには2つの疑いが必要になってくるが、日本では1つの疑いに比重がかけられ過ぎているように思える。
 疑うということには「ゴーン氏は有罪かもしれない」と「ゴーン氏は無罪かもしれない」という2つの疑いがあり、そのバランスが均衡していることが「推定無罪」の前提だが、後者は綺麗さっぱり忘れて、前者のみが圧倒的重圧として容疑者の身にかかってくる。この辺はライブドア事件の頃のホリエモンと同じ構図だと言える。

■ゴーン氏はモンテ・クリスト伯となるか?

 このままゴーン氏が司法の場で係争を続けても、何年も何十年も罪を認めるまで延々と裁判が繰り返されることになっただろうから、誤解を恐れずに言えば、保釈金(15億円)を置き土産として自由の身になったということなのかもしれない。ゴーン氏にとっては「お金」よりも「自由」の方が重要だったということなのだろう。

 ゴーン氏は次のようにも語っているらしい。

>やっと、メディアのみなさんと自由にコミュニケーションを取ることができます。来週から始められることを、楽しみにしております。

 日本を出たゴーン氏の心境は、監獄島から命からがら脱獄し自由を得たエドモン・ダンテスのような心境なのかもしれない。
 アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』に登場するエドモン・ダンテスは、脱獄後、巨万の富を得て、モンテ・クリスト伯爵と名乗り自らを陥れた者たちに復讐するという物語だ。

 ゴーン氏の言葉、「来週から(何を)始められる」のかが気になる。

 現実が小説のようにならなければよいのだが…。


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posted by 自由人 at 11:02 | Comment(0) | 国際問題
2019年12月14日

『絶海の孤島』の社会学


■「日本は世界で最も成功した社会主義国」

 かつて、ソ連のゴルバチョフ書記長は日本を訪れた時に次のような言葉を述べたという。

 「日本は世界で最も成功した社会主義国だ

 言葉のニュアンスは若干違うかもしれないが、要は、日本は理想的な社会主義国家だということを述べられたらしい。

 「日本人と話すと共産主義が伝染る」という中国人のブラックジョークもあるぐらいなので、さもありなんと言ったところだが、ゴルバチョフ書記長が日本に旅行して直ぐさま直観的に「この国は社会主義国家だ」と解るわけはないので、日本に来る前からゴルバチョフ書記長の頭の中には「日本は社会主義国家」という認識があったということになる。

■戦争当時、社会主義に傾倒していたアメリカ

 日本は戦時経済体制が社会主義だったので、戦後もそのまま延長して社会主義になったという説もあるが、これは少し違うということがソ連が崩壊した後で判ってきた。
 日本は戦後、占領軍(GHQ)の占領政策によって、軍国主義から民主主義に変わったという説もあるが、これも全く違っている。

 1920年代の大不況によってアメリカ国内では「資本主義はもうダメだ」という悲観論が蔓延り、あろうことか、ソ連の社会主義(共産主義)に憧れを抱いている人が数多くいた。
 太平洋戦争(大東亜戦争)当時、アメリカは自由主義ではなく、社会主義に傾倒していたため、日本の占領政策には自由主義的な思想ではなく、社会主義的な思想を注入することになってしまった。

 その後、アメリカは1950年頃の朝鮮戦争を機に、この間違いに気付いたものの既に時遅しで、日本は戦後、社会主義の実験島として歴史を刻んでいくことになった。
【参考文献】日本人としてこれだけは知っておきたいこと(中西輝政著)

 立地的に絶海の孤島として存在していた日本は、思想的にも絶海の孤島となり、日本でしか通用しないルールが数多く創り出された。そのせいもあってか、本当の自由主義も民主主義も理解しないガラパゴス化した評論家や思想家が数多く輩出することになった。

■「中国に必要なのは、かつての日本的な精神」

 本来であれば、戦後、日本はアカ化して崩壊する予定だったのかもしれないが、精神性の高い日本人の気質が幸いして、アカ化は免れ、間違いに気付いたアメリカの庇護の元、奇跡的な経済発展を遂げる幸運に恵まれた。

 「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」という言葉の裏には、「なぜ、日本は社会主義でも成功することができ、ソ連は行き詰まってしまったのか?」という問いかけが潜んでいる。
 ソ連に無くて、日本に有ったもの、ソ連の労働者にはなく、日本の労働者が持っていたもの、それは高度な倫理観に基づいた勤勉の精神であり、資本主義の精神だった。

 ゴルバチョフ書記長は、戦後、日本が歩まざるを得なかった歴史と日本人の精神性を理解されていたのだろうと思う。
 もし、ゴルバチョフ書記長が現代の中国に訪れた場合、彼はこう言うかもしれない。

 「中国に必要なのは、かつての日本的な精神である

 倫理観を持たない社会主義国家は滅びる。それは、戦後の日本を研究すれば自ずと理解できることだと思う。
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posted by 自由人 at 23:42 | Comment(0) | 国際問題
2019年11月29日

トランプ大統領と対極に位置するフランシスコ教皇


■難民受け入れ発言で炎上したローマ教皇

 今週は38年ぶりに来日したローマ教皇の話題で持ち切りとなったが、いくつかの発言が問題視される結果となってしまった。
 中でも「日本は難民を受け入れよ」という発言が大きな話題となり、日本のメディアだけでなくワシントンポストまでもがその発言を取り上げ、「日本のネット上で炎上している」と伝えられた。

 ローマ教皇は、以前にも本国イタリアで難民受け入れ発言を行い炎上したことがある。バチカンを擁するイタリアは地理的にもアフリカ等からの難民が最も多く押し寄せる国でもあるので、無制限の難民の受け入れには強い抵抗感を抱いている国民も多い。
 ヨーロッパの移民問題については以下の本に詳しい。
 

 そんな裏事情もあるので、他の国も我が国(イタリア)のように難民・移民を受け入れるべきだと世界各地を周っておられるのかもしれない。

 ローマ教皇はトランプ大統領に対しても移民問題で対立してきたことは有名だ。しかし、アメリカは毎年70万人もの移民を受け入れている。一方で昨年(2018年)に逮捕された不法移民の数は50万人を超え、今年(2019年)は100万人を超えるとも言われている。

 アメリカ政府が受け入れを拒否しているのは主として不法移民に対してなのだが、「(合法も不法も関係なく)移民を受け入れなさい」と言うのでは、やはり無理があると思う。同じ法律を共有することが法治国家の前提であるので、それができなくなれば、まともな国民生活は成り立たなくなってしまう。

■「地獄への道は(無制限の)善意で舗装されている」

 宗教者としての立場からすれば、「誰彼構わずに受け入れなさい」と言うのは、ある意味、仕方がないことなのかもしれないが、理想と現実の乖離(ギャップ)があまりにも大き過ぎるため、現実が見えていないという意味で炎上してしまったということなのだろう。

 ローマ教皇と同じカトリック、聖ベルナールの「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざはあまりにも有名だが、法律を無視した移民受け入れという善意の施しは、その国に住む国民全てを地獄へと誘う可能性を有している。
 「富める者は貧しき者に無制限に富を分け与えなさい」という言葉は一見(一聴)、素晴らしく愛に満ちた言葉だと受け入れがちだが、無制限の善意は、悪意を持った行動をも覆い隠すことになり全ての者を貧者に変えてしまう危険性を秘めている。

 ローマ教皇は、その言葉の端々からグローバリストという印象を受ける。行き過ぎたグローバリズムがアメリカを疲弊させたとしてグローバリストと闘っているトランプ大統領とはある意味で対極に位置する存在だとも言える。

 キリストの有名な言葉「(汝の)隣人を愛せよ」は、移民問題における「全ての者を受け入れよ」と拡大解釈されて然るべきものなのだろうか?

 現代のローマ教皇が説く善意のグローバリズム、果たしてカトリックの頂点にいるイエス・キリストが現代に生きていれば、現代の行き過ぎたグローバリズムを良しとするのだろうか?
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posted by 自由人 at 22:44 | Comment(1) | 国際問題
2019年11月22日

GSOMIAチキンレースに敗れた韓国


■男を下げた文在寅大統領

 韓国政府がGSOMIA失効に待ったをかけた。一時は本当に破棄するのではないか?と騒がれたが、結局、このチキンレースは最後には韓国側が逃げた格好となった。チキンレース風に喩えるなら、崖から飛び降りる寸前に急停止したようなものかもしれない。

 文在寅氏は反日政策の勢い余って「GSOMIA破棄!」と拳を振り上げたものの、間髪入れずにアメリカから注意を促されることになった。
 アメリカの鶴の一声で直ぐさまGSOMIA破棄を撤回するとなれば韓国世論も自身のプライドも許さないので、最後の最後まで引っ張ったというところだろうか。

 「日本が譲歩すればGSOMIA破棄を取り消す、しかし、日本が譲歩しなければ我々は本当にGSOMIAを破棄してしまうぞ、どうする?!」と凄んでみたものの、日本側が全く取り合わなかったため、内心はガクガクブルブル状態でこの日を迎えたのかもしれない。

 この出来事で1つだけハッキリ言えることは、「文在寅大統領は男を下げた」ということ。無論、韓国国内だけでなく日本でも「男を下げた」ことになる。自らが言い出し始めたチキンレースに敗れたのだから自明の理だ。

■チキンレースに敗れた者が辿る道

 幸か不幸か、日韓のGSOMIAはこのまま世論を上手く交わしながらフェードインしていくことになり、元の鞘に収まることになるだろう。そのうち、何事も無かったかのような素振りに変わっていくのかもしれない。

 しかしその代わりに、文在寅氏の反日政策は「本気」ではなく「ポーズ」でしかなかったということが徐々に認識されていくことになり、韓国国民の信用を失っていくことになるだろう。

 偽りの民主主義(愚民主義)を維持する上で最も重要なことは、国民に嘘がバレないことであり、一旦、国民の側に疑いの目が生じると、その綻びは徐々に広がっていくことになる。
 その綻びを覆い隠すために、時の大統領は更に大きな権力の行使によって影に追いやられてしまうことになる。
 文在寅氏も、これまで幾人かの韓国大統領が歩んできた同じ道を歩むことになるのかもしれない。チキンレースに敗れた者が辿る茨の道を…。

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posted by 自由人 at 23:03 | Comment(1) | 国際問題
2019年09月21日

「汚染水問題」に言及する韓国の悲愴


■「汚染水問題」は伝家の宝刀にはならない

 韓国政府はオーストリアのウィーンで開催された「国際原子力機関総会」の場で、原発事故による福島での汚染水問題に言及し、「汚染水問題は未だ解決していない」として日本を批判した。

 既に沈静化していた汚染水問題を今頃になって批判するというのは、如何にも韓国政府らしいが、裏を返せば、それだけ追い込まれている証左でもあるのだろう。とにかくネタは何でもいいので、国際的に日本を貶めてやろうという姿勢が垣間見える。

 しかしながら、原発事故直後であれば、多くの人が耳を傾けたかもしれないが、既に8年も経過した出来事を今更になって吹聴しても白々しいと思う人がほとんどであり、そのようなデマに対して真剣に耳を傾ける人はあまりいないのではないかと思われる。
 日本のことにあまり興味が無い外国人をターゲットにしているところは狡猾だが、少なくとも日本でそんな話を鵜呑みにする人はほとんどいないだろうと思う。

■「息を吸うように嘘を受け入れる日本」からの脱皮

 今夏の「ホワイト国」問題によって、韓国政府の民主国家とは思えないような異質性が表面化した現在、日本の識者だけでなく一般庶民の間でも、ある変化が起きつつある。
 その変化とは、これまでのように「息を吸うように嘘を受け入れる日本」ではなくなってきつつあるということだ。

 韓国政府の言うことを何でもかんでも素直に聞き入れるのではなく、一歩引き下がって冷静に考える兆候が出てきたことは実に健全なことだと思う。

 これまで韓国贔屓だった言論人も、徐々に韓国を批判する方向に舵を切り直している兆候も見られる。これまで反日的な言論に与していた言論人が、時代の変化を本能的に感じ取り、やや右寄りの思想に傾いてきつつあることも実に良い傾向とも言える。

 なお、ここで言う「右寄り」とは、左に傾き過ぎた言論が中道に少しだけ近付いたという意味であり、「ネトウヨ」と呼ぶような概念とは全く違うということをお断りしておきたいと思う。

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posted by 自由人 at 12:09 | Comment(0) | 国際問題
2019年09月13日

「打ち上げ花火」と化した北朝鮮ミサイル


■「ミサイルも百発打てば当然になる」

 令和の時代になってから、北朝鮮から何発のミサイルが発射されたのか? そんな回数を正確にカウントすることが虚しくなる程に、もはや、北朝鮮のミサイル発射は恒例の「打ち上げ花火」と化しつつある。

 「北朝鮮がミサイルを発射しました

 「北朝鮮が打ち上げ花火を上げました

 恐ろしいことに、日本国内において、この2つの言葉はニュアンス的にはほとんど変わらなくなってきている。

 先日も「北朝鮮が2発のミサイルを発射しました」というニュースがあったばかりだが、多くの人は内心こう思ったはずだ。

 「あ、そう。

 韓国が「嘘も百回言えば真実になる」なら、北朝鮮は「ミサイルも百発打てば当然になる」といったところだが、その言葉の意味を身を持って証明しているのが現在の日本人だとも言える。

■北朝鮮ミサイルの「報道しない自由」

 北朝鮮がミサイルを発射する度に、政府からは「遺憾」だの「断じて容認できない」だのという言葉が発せられるが、実際には「容認しまくり」というのが否定できない哀しい現実だ。

 全てがアメリカ頼みの政府の姿勢にも違和感を感じる国民はほとんどおらず、むしろ当然のこととして受け入れている人の方が圧倒的多数を占めているという有り様だ。

 このような茶番劇を延々と繰り返すのなら、もう北朝鮮のミサイルは無視して報道しない方がよいのかもしれない。それも「報道しない自由」に該当するのかもしれないが、北朝鮮の煽り行為で日本が神経質になるだけのことであるなら、いっそのこと無視した方が精神衛生上も好ましいのではないかとさえ思えてしまう。

■もし、ミサイルが日本に着弾すればどうなるか?

 シミュレーションとして考えると、もし仮に、北朝鮮からのミサイルが誤って日本に着弾してしまっても、日本は「断じて容認できない」という負け犬の遠吠えをあげるだけで何もすることができずに泣き寝入りするのではないか?と思うことがある。

 こう言うと、「そんなことになると国際世論が黙っていない」と言う人がいるかもしれないが、よくよく考えてみると、元々、北朝鮮は性善たる信用を築いている国ではなく、人道的にも国際世論からは非難され続けている国である。そんな国がミサイルを誤射して隣の島国国家にミサイルが着弾したところで、国際世論がどれだけ変わるというのだろうか?

 そもそも、ミサイルが日本に着弾すれば、仲裁役として北朝鮮に反撃してくれる国があるのだろうか?
 あるとすればアメリカだけだと思われるが、いかにアメリカとて、本当に軍事的な制裁を加えるところまでいくかは分からない。

 当のミサイルで被害を受けた国(日本)が何もしないのに、どうして他国であるアメリカが“同盟”を結んでいるという理由だけで、日本のために命を賭けて北朝鮮と戦うと思えるのだろうか?

 北朝鮮と韓国が統合国家になる可能性も囁かれている昨今、“アメリカが何とかしてくれる”という身勝手な思い込みは、大きなリスクになるという厳しい現実にも目を向ける必要がある。

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posted by 自由人 at 23:00 | Comment(0) | 国際問題
2019年09月03日

韓国政府が犯した最大のミス


■お互いに言いたいことを言うのが友好国

 日本に対して「親日」「反日」という言葉があるように、最近では韓国に対して「嫌韓」だけでなく「断韓」という言葉まで飛び出し、日韓問題の話題には事欠かない日々が続いている。

 これまで他の東アジア諸国に対して平身低頭な謝罪外交ばかり行ってきた日本が少し強気な態度に出ると、プライドが逆撫でされるのか、その反抗的な態度を戒めようとする人々がどこからともなく現れる。

 国と国の関係とは本来、対等の立場が理想であるわけだから、お互いに言いたいことを言い、意見の合わない部分はどこかで妥協するという姿勢が望ましい。
 友好国の関係とは本来、そういうものだろう。どちらか一方が強気で、もう一方が弱気というような主従関係であるなら、それは見せかけの友好国だ。あるいは、どちらも言いたいことを言わない関係であっても同様、それも真の友好国とは言えない。

 このことは友人関係に置き換えて考えればよく解ると思う。考えが合わずに口喧嘩をして、お互いに悪口を言い合う時があったとしても、その後に妥協という名の和解をすれば、両者の絆はより深まるはずだ。それができないというのであれば、距離を置くしかない。

■文在寅政権の痛恨のミスとは?

 今回、日本でも珍しく表立って韓国批判が起こっているのは、韓国政府の責任であり、文在寅政権の痛恨のミスである。そのミスとは何であるか?
 それは、現在進行形で発生している事件についてバレバレの嘘をついてしまったことである。

 既に過ぎ去った昔の出来事については、その事実を調べようとしない知的好奇心の低い(受動的な)人々に嘘は通用しても、現在ただいま発生している出来事については、余程の鈍感な人を除き、嘘は通用しないという当たり前のことを見落としてしまったこと、それが最大のミスなのである。

 日本はマスメディア報道が少し左に偏っているとはいえ、幸いにも中国のような情報遮断国家ではないので、日々のテレビ報道を観ていれば、余程の鈍感な人でない限り、ある程度の事件の経緯が分かる。況して、日々、ネットで情報を漁っているような人であるなら尚更だ。文在寅大統領が嘘をついていることは中・高生でも分かると思う。

 韓国の失敗は、掟破りのプロパガンダを行ってしまったこと、これに尽きる。中共が香港デモの制裁に二の足を踏んでいるのも、同じく現在進行形の事件であるため、嘘で塗り固めることは容易ではないからだ。
 ネット社会で嘘をつき通すことはできないという現実が中共には見えているが文在寅政権には見えなかったのかもしれない。

 韓国政府が救われる道は「嘘を認めること」、基本的にこれしかないと思うが、日本に対して謝罪するなどということは死を選ぶことと同義なのかもしれない。友好国にあるまじき、そのプライドの高さが最大のネックだと言える。

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posted by 自由人 at 23:00 | Comment(0) | 国際問題
2019年08月31日

「息をする(吐く)ように嘘をつく」は本当だった


■「大陸」>「半島」>「島」の序列関係

 韓国の文在寅政権の暴走が止まらない。このままだと令和元年は、(偽りの)日韓関係に亀裂が生じ始めた年として記録されることになりそうだ。
 最近よく、「戦後最悪の日韓関係」という言葉を耳にするようになったが、実のところ、そういった関係はいつでも起こり得た。日本が韓国に抵抗する(楯突く)姿勢を見せれば、いつでもこう成り得た、それが今だったというだけの話に過ぎない。

 「息をする(吐く)ように嘘をつく」という言葉があるが、現在の文在寅大統領の日本への批判演説等を聴いていると、まったくその通りだな…と呆れてしまう。おそらく、ほとんどの日本人は同じような感想を抱いているのではないかと思う。

 さすがに現在の文在寅大統領を擁護しようなどとするのは無謀であることが皆解っているのか、筋金入りの反日左翼以外はダンマリを決め込んでいる。
 文在寅大統領の話している言葉は解らないが、その立ち居振る舞いからは明らかに日本を蔑んでいる姿勢が垣間見える。「子分が親分に反抗するとは何事か!」というような、まるで儒教的な徒弟関係でもあるかのような錯覚さえ覚える。


 日本に住んでいる人は、日本が島国であることをほとんど意識せずに暮らしているが、島国でない国から見ると、我々日本人は気付かないうちに地政学的な差別を受けているのかもしれない。
 中国は「大陸」、韓国は「半島」、日本は「」という地政学的な見えない序列が存在するのかもしれない。その序列の前では、道理も法律も通用しなくなるという具合に。

■危険水域に足を踏み入れている韓国

 ともあれ、今回の日韓関係の悪化を招いたのは明らかに国際的な法律を守ろうとしない韓国政府に原因があるわけで、約束を反故にしたことを棚に上げて、一方的に日本を責め立てる韓国政府は、日本だけでなく、世界中から顰蹙を買っている。
 多くの人々は次のように思っているのではないかと思う。

 「もしかして韓国は、道理も法律も通用しない国ではないか?

 「もしかして韓国は、北朝鮮と同じような国なのではないか?

 韓国は大統領ですらも整形手術をしていることで有名な国だが、国家としても近代国家風な整形をして、本当の素顔を隠していると思われ始めているのかもしれない。

 日韓関係の悪化は全て「身から出た錆」である。
 韓国がこの先も、「約束は守る」「自らの間違いは素直に認める」という人間としての当たり前の基本すら通用しない国であり続けるということであれば、もはや救いようがない危険水域に足を踏み入れているということを知る必要がある。

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posted by 自由人 at 09:27 | Comment(0) | 国際問題
2019年08月24日

アメリカの敵国になってしまった韓国


■韓国の「GSOMIA破棄」が意味するもの

 テレビ、新聞、ネットメディアでも韓国がGSOMIA(ジーソミア)を破棄したというニュースで持ち切りとなっている。
 アメリカ・日本・韓国の3カ国間における軍事協定が存在する意味は、対北朝鮮・対中国という反共を目的とした軍事協定に他ならない。その軍事協定を韓国が破棄するということは、韓国が日米との自由主義協定を捨て去ることを意味している。

 日韓におけるGSOMIA【軍事情報に関する包括的保全協定】は3年前の2016年11月23日に結ばれた。協定は1年ごとに自動更新されることになっており、更新しない場合は3ヶ月前に申し出なければならないが、奇しくも昨日8月23日はその更新を決める締め切り日に当たる日だった。

 この図ったかのようなタイミングの良さは、韓国にとっては、まさに渡りに船で、日本の輸出規制のせいでGSOMIAを破棄しなければならなくなったと嘯くことが1つの目的なのだろうと思われる。

■使用期限が付いた「反日」というカード

 もともと、文在寅氏は左翼革命家として南北朝鮮を統一するという目的を持った人物である。しかし、マクロ経済の理解が乏しいせいか、左翼的な経済政策が失敗し、米朝問題では存在感を示せずに蚊帳の外に置かれ、日韓問題でも、行き過ぎた反日政策が仇となり、もはや切り札としての「反日」というカードには使用期限が付いてしまっていた。この八方塞がりの状況を打破しない限り、文在寅氏は、かつてのその他多くの韓国大統領達と同じような末路を辿ることが薄らと見え隠れしていた。

 そのためか、やぶれかぶれとなり、自国のゴールにオウンゴールするという奇策を講じた。一見すると、狂ったかのような行動にも見えるが、当のご本人は案外、本気(マジ)なのかもしれない。

■文在寅大統領が韓国を滅ぼす可能性

 韓国が「GSOMIAを破棄したのは日本のせいだ」とアメリカに吹聴することで日米間の信頼に亀裂を生じせしめ、その隙に北朝鮮に擦り寄ることを計画しているのかもしれないが、そんな子供騙しの計画であるなら、成功する可能性は限りなく0に近い。そのような幼稚な策に騙されるほど世界の目は節穴ではない。

 このままいくと、近い将来、軍事的関係としては、(アメリカ+日本+台湾)vs(中国+北朝鮮+韓国)という構図になっていくのかもしれない。
 韓国はアメリカにとっては地政学的にも「反共の砦」として機能するべき国だったが、今後は共産主義陣営に呑み込まれていく運命を自ら選択してしまったと言えそうだ。

 もし、そういう状況となって米朝戦争でも勃発すれば悲惨な結果を招くことになるかもしれない。歴史的には文在寅大統領が韓国を滅ぼしたということになる可能性がある。

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posted by 自由人 at 08:36 | Comment(0) | 国際問題