2022年10月11日

『フェイク・ニューズメディアの真っ赤な嘘』を読んで。


■コロナ茶番に気付かないシープル

 日本国内ではコロナ茶番に気付かない人が依然として圧倒的多数を占めているが、アメリカやロシアなどでは、既に数十%の人々がコロナ茶番に気付いているとも言われている。

 少し前にあったイギリスのエリザベス女王の国葬では、誰もマスクをしていなかったことも記憶に新しいが、あの光景をテレビで観ても、日本では何も感じなかった人が多かったらしい。

 テレビニュースのアナウンサーがどれだけデタラメなことを伝えていても全て鵜呑みにする人であっても、テレビに映る外国の光景は、自分には関係の無い別世界の出来事という感じで目にも入らないし、記憶にも残らず、矛盾も感じないのかもしれない。シープルの知覚能力というのは、支配者層にとっては、どこまでも都合良くできているらしい。

 前置きはこの辺にして本題に入ろう。タイトルの通り、『フェイク・ニューズメディアの真っ赤な嘘』(西森マリー著)という本を読んでみた。

 著者の西森マリー氏は、裏社会の情報にも精通されており、ディープステイトについての本も書かれている。西森氏の場合、「ディープステート」を「ディープステト」、「フェイク・ニュース」を「フェイク・ニュー」と、他の論者とは少し言葉を変えて差別化を図っておられるのかもしれないが、特徴的なのは、ディープステイトはカバールの手下(実行部隊)として捉えているところだろうか。本書にも以下のように書かれている。

中世以降の世界は、カバール(ヨーロッパの王族、ヴァチカン、ロスチャイルドなどの中世から続く銀行家集団)と、カバールの手下であるディープステイト(NATO、国連、政治家、官僚、司法関係者、諜報・報道機関)の見えざる手によって支配されてきました。カバールはディープステイトを使って戦争、革命、疫病、飢餓、天災と見せかけた人災を起こして世界を大混乱に陥れ、その度に“民衆を助ける”振りをして、自分に都合のいい解決策を一般人に与え、権力を掌握し、民衆を統治し続けてきました。
(途中省略)
この実態に民衆が気づいたら、全世界で暴動が起きて、カバールとディープステイトの悪党どもが皆殺しにされるでしょう。
フェイク・ニューズ(=大手メディアの報道)は、この事実から民衆の目をそらし、世論操作をするためのサイオプ(心理操作作戦)の道具です。


 本書は主としてアメリカの大手メディアの数々の「フェイク・ニューズ」を扱った本なので、延々と語られるフェイク・ニュースの数々に気が滅入ってしまいそうになるが、コロナについて書かれた7章は圧巻だった。これを読めば、目が覚める日本人も多そうだが、残念ながら、コロナ茶番に気付かないシープルは、このての本は「陰謀論」と決め付けて読まないのが難儀なところ。

 著者も、こう書かれている。

コロナウイルスは人々を恐怖のどん底に陥れて、シープル(権威に盲従する羊人間)の数を激増させました。


 コロナウイルスがシープルを激増させたというよりも、シープルが圧倒的多数だったことが表面化したと言った方が正解だと思う。コロナウイルスはシープルだった人々(の一部)の目を覚ます役割をしたとも言えるが、不名誉ながら、日本はそのシープルの割合が世界一多かったということも証明されてしまった。戦後、日本人にかけられた魔法(洗脳)は、それほどまでに過酷で根深かったということなのだろう。

 まだまだ書き足りないが、あまり内容に触れ過ぎてもいけないので、最後に、気になったところを一部だけ、紹介させていただこうと思う。

カバールは、民衆はバカだから簡単に騙せると高をくくっています。
ニワトリの卵を使ったインフルエンザのワクチン支給後に鳥インフルエンザが流行り、豚の細胞を使ったインフルエンザのワクチン支給後に豚インフルエンザが蔓延し、サルの糞・細胞を使ったコロナ・ワクチン支給の後に、サル痘が発生 − このワンパターンのカバールの手口に、私たちが気づかないと思っているのです。HIVも使っているので、エイズ患者出現も時間の問題でしょう。




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posted by 自由に考える人 at 22:10 | Comment(1) | 読書
2022年09月18日

『この国の終わり』を読んで。


■現代の知識人達がトンチンカンな理由とは?

 シルバーウィークということもあり、読書する本を探しに古本屋に出かけた。本を物色していると、『この国の終わり』(林 秀彦著)という少し分厚めの本が目に入ってきた。手に取って目次をパラパラ…と見てみると、興味深いキャプションが多かったので購入して読んでみた。

 著者の林 秀彦氏は、既に故人であり2010年に亡くなられている。本書は2006年に出版された本だが、今の時代にピッタリ当て嵌まる内容が書かれており、まるで、予言書のようにも感じられた。

 おそらく、2006年(16年前)当時に私がこの本を読んでも、陰謀論の類いの本だと誤解し、理解も共感もできなかっただろうと思う。本当の危機が迫っている現代であるからこそ、本書の内容を理解し共感しえたのだろうと思う。

 林氏は以下のように述べている。

「芸術的センスと力のみが、直観力と真実への洞察力を生み出し、再創造を可能にさせる。なぜなら、芸術は真実を発見するために人間に与えられた唯一の力だからだ。芸術的能力を持たない学者、政治家、評論家を信じては断じてならない。彼ら・彼女らは、意図もなく真実を見失い、糊塗する名人たちである。そして日本の著名人、オピニオン・リーダーと呼ばれる識者の大半には、芸術センスの「ゲ」の字もない。」

「客観は単なる客観で、そこには真偽や正否の余地が残る。だが、対象になりきれば、それは主観としての真実が見える。消去しても消去しても、消去し切れない主観的な残滓がある。そのいくばくかの残滓こそ、真実なのである。それを掻き集め、できる限り大きな、不動物をリクリエートする。それは力になる。洞察の力である。」


 詳細は本書に譲るとして、現代の知識人と呼ばれている人々が、なぜこうもトンチンカンなことばかり述べているのか?という最近の個人的な疑問に対して1つの解答が提示されており、久しぶりに本物の知識人(著者に言わせれば、知性人)が書いた本に出会い、蒙を啓かれた思いがした。

 惜しむらくは、著者が東日本大震災を経験せずに亡くなられたことだろうか。もっと欲を言えば、現在のコロナ禍も経験した上での著書も読んでみたかった。



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posted by 自由に考える人 at 16:12 | Comment(0) | 読書
2022年09月09日

『99.9%隠された歴史』を読んで。


■「陰謀論」 vs 「真相論」

 以前は「陰謀論」を敬遠していた(医療系陰謀論は別)私でも、最近は「陰謀学」を学ぶようになり、我ながら、その心境の変化に驚いている。
 ただ、陰謀論には「正しい陰謀論」と「間違った陰謀論」があり、それを正しく分別することが陰謀学を学ぶ上では非常に重要になる。

 一例を挙げると、かつてオバマ大統領が誕生した時、「オバマこそ支配者層を葬る救世主だ」と言っていた陰謀論者達がいたが、こういうタイプは、完全に的外れなことを述べていたことになる。
 オバマが言った「チェンジ」という言葉を、都合良く「支配者層から民主主義を取り戻す」と超訳したのだろうけれど、共産主義者オバマの「チェンジ」は、アメリカの更なる社会主義化を意味していたものであり、オバマ自身が支配者層(ディープステート)の一員だった。

 さて、前置きはこの辺にして本題に入ろう。タイトルの通り、『99.9%隠された歴史』(レックス・スミス著)という本を読んでみた。
 著者のレックス・スミス氏は日本在住のイギリス人であり、「フラットアースジャパン」の管理人でもある。

 レックス・スミス氏は、2016年に「フラットアース論」というものが有ることを知り、論破してやろうと6ヶ月間調べていくうちに、逆に球体地球の矛盾点ばかりが判ってしまい、晴れてフラットアーサーになったという人物。使い方が適切かどうか分からないが、所謂、「ミイラ取りがミイラになった」ということを実体験された人物ということになるのだろうか。

■「マンデラ・エフェクトは嘘である」は間違い

 本書は、陰謀(真相)論系書物の集大成的なものとなっており、読み物としては面白く、知的好奇心をくすぐる内容となっている。

 ただ、納得できるものも有ったが、納得できないものもあり、個人的には素直に支持できるとは言えないどっちつかずの内容だった。

 フラットアースについては、納得できる箇所も多かったが、「宇宙は無い」とか「次元は無い」とか「マンデラ・エフェクトは嘘」とか、断定されているのは少々、強引だなと感じた。

 しかし、レックス・スミス氏は以下のようにも述べられている。

真相論は、フラットアースなど物理的現象や観測で直接確認できるもの以外は、基本的に私の「意見」と「考察」という立ち位置になります。死後の世界などは特に、実際に死なないと何が起きるかわからないし、死んでもわからないかもしれないため、断言など一切いたしません。
ご納得いただけないトピックでも、こういう意見や論理的帰結もあるのかということで、同じ真相を追う奴隷階級の真相論者として大目に見ていただけたらと思います。


 と書かれているので、お言葉に甘えて、個人的に思うところを正直に書かせてもらおうと思う。

 まず、フラットアースで宇宙は無いというのは、地球の外には何も無いという意味なのだろうか? もしそうであるなら、全くの無の空間ということになってしまうが、さすがにこれは素直に頷けない。

 宇宙は人間が行けない空間や異次元だというなら、まだ納得もできるが、全くの無などということが三次元世界で有り得るのだろうか?
 多次元宇宙の中に三次元空間としての地球がポッカリと浮かんでいるというようなイメージなら思い浮かべることができるが、全くの無というのは受け入れるのが難しい。

  レックス・スミス氏は「宇宙」も「次元」も無いと言われているので、人間が立ち入ることができない空間さえも無いと言っていることになる。

 そして、「マンデラ・エフェクトは嘘である」とも言われているが、これについては明らかに間違っているので指摘しておきたいと思う。

 私自身、「マンデラ・エフェクト」を実体験しているので、「マンデラ・エフェクトは100%有る」と断言することができる。これは、「意見」や「考察」のような推論や願望論ではない。信じるか信じないという信仰レベルの話でもなく、実際に体験した事実なので、誰にも否定できない。臨死体験と同様、誰にでも追体験できるようなものではないため、大多数の人には解らないだけ。

  レックス・スミス氏は「次元が無いので、マンデラ・エフェクトも無い」と述べておられるが、残念ながら、「マンデラ・エフェクト」は本当のことなので、多次元世界もパラレルワールドも存在し、時空を超えた3次元以上の世界は有ると言わざるを得ない。

 レックス・スミス氏の言葉を借りると、同じ真相を追う奴隷階級の真相論者としての率直な意見を書かせていただいた。あしからず。



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posted by 自由に考える人 at 23:56 | Comment(0) | 読書
2019年12月29日

『トランプ「超・保守改革」』を読んで。


■「フライト93選挙」の意味

 来年(2020年)はアメリカ大統領選があり、トランプ大統領が再選するかどうかに世界中の注目が集まっている。
 そんな中、来年の大統領選を占う書籍もチラホラと出版されつつあるようだが、以前から目を付けていた『トランプ「超・保守改革」』(早川俊行著)という本を読んでみた。

 本書は、来年の大統領選の予想をするというような軽薄な内容の書物ではなく、アメリカの実情を知るには打ってつけの書物であり、日本ではあまりお目にかかれない赤裸裸なアメリカの実情が書かれている。前書きを読むだけで、知的好奇心を刺激される内容だが、内容の方もノンフィクションとして非常に興味深く読むことができた。

 2年前(2017年)に行われた「アメリカ大統領選」は、当時、アメリカ同時多発テロでハイジャックされた飛行機名に準えて「フライト93選挙」と呼ばれた。同タイトルの論文(エッセー)には次のように書かれていたらしい。

 >「コックピットに突入せよ。さもなければ死ぬ。いずれにせよ死ぬかもしれない。コックピットに入っても、操縦方法が分からないからだ。だが、飛行機を着陸させることに成功するかもしれない。その保証はない。一つだけ確かなことがある。やらなければ、間違いなく死ぬ、ということだ

■毒(トランプ)をもって毒(左翼勢力)を制する

 上記のエッセーを超訳すると、以下のようになるだろうか。

 「左翼勢力にハイジャックされた政治を止めなければアメリカは終わる。仮にトランプが大統領になったとしても正しい政治を行わなければアメリカは終わるかもしれない。しかし、トランプが大統領になれば死を免れるかもしれない。一つだけ確かなことがある。それは、このまま黙って傍観していると間違いなくアメリカは終わるということだ

 日本のマスメディアでは一切報道されなかったので、当時のアメリカ大統領選がこのような切羽詰まった状況にあったことなど夢想だにしていなかった人がほとんどだろうと思う。
 アメリカのメディアは元より、日本のメディアでもトランプが大統領になると言っていた人は数える程しかいなかったので、そのバックグラウンド的な実情を知っていた人など皆無に近いと思われる。

 ハイジャックされた飛行機をテロリストから奪還するためには、闘争心と決断力と行動力こそが求められる。その全てを兼ね備えているかに見えたトランプ氏に一縷の望みをかけてアメリカ国民は彼に投票した。
 1932年のルーズベルト政権から84年間の長きにわたり左翼勢力に乗っ取られた“アメリカ”を奪い返すために、国民はトランプ氏に賭けた。その目的は、毒(トランプ)をもって毒(左翼勢力)を制することだった。

■「グローバル化」と「グローバリズム」は異なる

 米民主党が不法移民の受け入れに肯定的なのは、移民票を獲得するためというのは目からウロコだった。
 トランプ大統領はグローバル化に反対しているとよく言われるが、彼が否定しているのはグローバリズムというイデオロギーであって、グローバル化ではない。

 では、グローバリズムというイデオロギーとは何か?

 「それは、国家が主権の一部を国家の上位に立つ超国家機構に移譲し、その国際機構が政策決定や問題解決に当たる「グローバル・ガバナンス」を目指すという考え方だ。」(「 」内 原文ママ)

 では、それの何が問題なのか?

 それは、「民意を反映しない組織に主権を移譲して統治させるのは、明らかに非民主的だからである。…(中略)…国家の主権は政府ではなく国民にあるというのが、米国の建国の理念である。」(「 」内 原文ママ)

 アメリカの独立宣言には、すべての人が有する「生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利」は「創造主」から与えられたものだと明記されている。しかし左翼勢力の主張の基盤になっているものは「創造主」ではなく、何をやってもその人間の自由だという世俗的ヒューマニズムである。と書かれている。

■「トランプ革命」の正体

 「リベラリズム」というものが、厳格な宗教戒律からの脱皮を意味する言葉である通り、現代のリベラルという存在も、自分より上の上位概念というものがスッポリ抜け落ちている人が多い…と言うよりも全員が見事なまでに無神論者となっている。これも「宗教は阿片」と言ったマルクスの影響なのだろうけれど、他人が見ていなければ好き勝手し放題で構わないという放埒の自由を信奉する日本の似非リベラルにも通底するものがある。
 現代のアメリカには自虐思想が蔓延しているそうだが、自虐思想と似非リベラル思想は決して無関係ではない。

 トランプ大統領の行っていることは、100年前に起こったロシア革命の裏返しでもある。1億人以上の犠牲者を出した暗黒の20世紀を終わらせるために、全世界規模のアカ狩り(リベラル狩り)を行っているというのがトランプ革命の正体なのだろう。

 本書の副題「神と自由を取り戻す!」とは、左翼勢力によって消されようとしている神と、その神から与えられた本当の自由を取り戻すということを意味しているのだろうと思う。

 杞憂ながらも、トランプ大統領の再選を心より願わずにはいられない。



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posted by 自由に考える人 at 20:25 | Comment(0) | 読書
2019年05月12日

『左翼老人』を読んで。


■「左翼」が多く成り過ぎた国

 自国の憲法が時の経過とともに形骸化し、その時代にそぐわないと判断されれば、躊躇することなく憲法の内容を更新する。それが世界共通の常識でもあるが、その中にあって日本だけが、いつまで経っても憲法を更新できずにいる。

 自国で作った憲法であるならまだしも、占領軍によって作られた敗戦時の憲法を有り難がり、神様から啓示された聖書でも崇めるが如く、一言一句変えてはならないという教条主義に陥っている人もいれば、単に既得権益を護りたいというだけの人もいる。そして、ただ、空気に流されているだけの人も大勢いるかに見える。

 憲法に限った話ではないが、一般人の感覚からすれば、日本には未だに温存されていることに矛盾を感じざるを得ないようなシステムや制度が多々あるように思われる。それらが、なぜいつまで経っても変えることができないのかは、偏に、日本には「左翼」が多く成り過ぎたからだとも言える。

 先日、『左翼老人』(森口 朗著)という新書を購入して読んでみた。「左翼」という言葉をズバリ使用している本というのも最近では珍しくなくなったが、著者は、思想的な左翼の位置付けをこう書かれている。

 右翼⇔左翼//左派⇔中道⇔右派

 この位置付けでは、右翼と左翼は思想的に行き来が可能だが、左派・中道・右派とは混じり得ないということになっている。

■公職追放によって誕生した「左翼老人」

 本書には、なるほどな…と思える指摘が数多くあった。以下に何カ所か抜粋させていただくと、

 >政府や自治体の政権を有する人々は、左翼老人の活動と票により倒れることを恐れて毅然とした対応が取れないのです。国会で真面目な審議をするよりも政府の足を引っ張る方が左翼老人は喜ぶので、野党はそれにおもねっているのです。

 >この頃(昭和の時代)は、今では考えられないことですが、「教養人は左翼政党を支持し、無学な者が自民党を支持する」という空気が日本を支配していました。今でも比較的教養のある中高年が、ついつい左翼政党に肩入れしてしまうのは、この時代の後遺症です。
※( )内は筆者追記

 >デモクラシーが機能するためには議論と妥協が不可欠です。なぜなら、絶対的な正義はないことがデモクラシーの前提だからです。しかし、左翼は政治を議論ではなく闘争と捉えているので妥協は敗北でしかありません。

 >高校の政治経済だけでなく大学の教育でさえも資本主義と共産主義が対立的なものと教えています。しかし、資本主義と共産主義は決して対立的なものではありません。なぜなら、資本主義は人類の歴史の中で徐々に形成された現在の経済の仕組みであるのに対して、共産主義はマルクスの思想とそれを信じた人々が創った人工国家の理念の中にしか存在しない、つまりこの世に一度も存在したことのない妄想だからです。

 現代の民主主義というものが多数決で成り立っている以上、政治家や評論家もまた、数に支配されてしまう傾向にある。特にそういった職業を生業としている人々は、正しいことを言っても評価されず、間違ったことを言えば評価されるということで、自らの思想を偽らなければ商売が成り立たないという哀しい現実を背負うことになる。

 こういった倒錯した社会は、敗戦後に行われたGHQの公職追放によって誕生したとも言える。まともなことを言う人々が追放され、代わりにデタラメなことを言う人々が重宝された時代、この時代こそが現在の日本の悲劇を産んでしまった元凶(原型)であり、その誤った時代の思想を信じ込んでしまった人々が、著者の言う「左翼老人」ということなのだろうと思う。





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posted by 自由に考える人 at 13:56 | Comment(0) | 読書