2020年06月15日

『カエルの楽園2020』で表現された日本のコロナ政治


■『カエルの楽園2020』を読んで。

 以前、ブログで書評を書いた『カエルの楽園』の続編『カエルの楽園2020』(百田尚樹著)が発売されたので、早速、購入して読んでみた。
【関連記事】『カエルの楽園』化している日本の政治

 今回は、前著のようなハードカバーの単行本ではなく、いきなり文庫本で売られていた。なんでも、5月6日から数日間限定でネットで無料公開されていたらしいが、私は知らなかったので、文庫本で初めて読むことになった。

 百田氏は本書を2週間で書かれたそうで、警世の書としての真面目な側面はあるものの、半分は楽しみながら書かれたのではないかとも思えた。ストーリーの都合で、前著に出てきたキャラクターも総出演しており、新たなキャラクターも大勢登場する。そのキャラクターが誰をモデルにしているか判った時には思わずニンマリさせられる。基本的には新型コロナウイルス問題を基調としており、この数ヶ月間の日本の出来事をカエルの世界に喩えて表現されている。

 最終章は、バッドエンディングリアルエンディンググッドエンディングと3パターンのエンディングが用意されている。
 ファクターXのお蔭でコロナ第1波におけるバッドエンディングは現状、回避されたと思われるが、個人的にはグッドエンディングのようにならないかと願っている。

 本書のメインキャラの1匹、ハンドレッドの以下の台詞が印象的だった。

 「いいか、よく聞け。元老みたいな仕事は誰でもできる。どんなバ○でもやれるんだ。わしでもできる。しかし、それは何も起こらない平和な状態でのことだ。もし、今回のように今まで経験したこともない事態に直面したら−その時こそ、元老の真価が問われるんだ
【「バ○」の○部分以外は原文ママ】

 昭和天皇は、マッカーサーと初めて対峙された時に、「自分の命と引き換えに国民の命を助けてほしい」と言われたそうだが、こういった危機の時代には、政治家にもそれぐらいの気概と信念を持っていただきたい。

■寓話は「言論の自由」が無い国での啓蒙手段

 百田氏も書かれていたが、寓話は、「言論の自由」が無い国で喩え話として用いられる。中国のような独裁国家では、名指しで書記長などを否定すると、国家反逆罪で逮捕され、ヘタをすると死刑になってしまう危険性が有るので、具体的な名前を使用せずに、動物や昆虫の名前を利用して権力者を風刺する。「プーさん」というキャラも、ある意味、寓話的なキャラクターだと言えるのかもしれない。

 一応、「言論の自由」が有る日本で、敢えて寓話スタイルを採られた理由は、「高学歴で知識も教養もある人間の台詞をカエルに置き換えて言わせてみると、その滑稽さや愚かさや間抜けぶりが見えるようになる」ということらしい。

 確かに、テレビに出てくる学者や評論家を見ていても、そんな風に思えるようなことが多々ある。スーツとネクタイをして語っていると、どこか信用できそうで、いかにも正しいことを言っているように見える人でも、普段着(スウェット等)を着せて同じ台詞を言っている姿を想像すると、ただのオッサンの戯言のように聞こえる人もいる。

■寓話にすると余計に解らなくなる人々の存在

 先に、日本には「言論の自由」が有ると書いたが、日本国内には自粛警察よろしく、善意で「言論の自由」を阻害しようとする人々がいる。国が「言論の自由」を保障していても、正義のヒーローを気取って無意識的に「言論の自由」を認めないようにしている人々が存在している。そういった人々の目を搔い潜るために寓話スタイルを採って社会を啓蒙するという手段も考えられる。

 独裁者(全体主義者)気質の人というのは、他人の話を聞かず、融通が利かない人が多いせいか、譬え話や皮肉があまり理解できないという人が多い。中には、あまりにも純粋過ぎて、アクの強い譬え話や皮肉を受け付けないという人もいるのかもしれない。

 そう考えると、本書は、皮肉なことに一番読んで理解してほしいタイプの人には正しく伝わらないのかもしれない。寓話にすれば解りやすいと言う人がほとんどだと思うが、寓話を端から受け付けないという人も一定数いると思われるので、その層の理解を得るのは至難の業になってしまう。

 とはいえ、大部分の人々には楽しく一気に読める名作だと思われるので、是非、多くの人に読んでいただきたいと思う。


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posted by 自由人 at 22:31 | Comment(0) | 読書
2019年12月29日

『トランプ「超・保守改革」』を読んで。


■「フライト93選挙」の意味

 来年(2020年)はアメリカ大統領選があり、トランプ大統領が再選するかどうかに世界中の注目が集まっている。
 そんな中、来年の大統領選を占う書籍もチラホラと出版されつつあるようだが、以前から目を付けていた『トランプ「超・保守改革」』(早川俊行著)という本を読んでみた。

 本書は、来年の大統領選の予想をするというような軽薄な内容の書物ではなく、アメリカの実情を知るには打ってつけの書物であり、日本ではあまりお目にかかれない赤裸裸なアメリカの実情が書かれている。前書きを読むだけで、知的好奇心を刺激される内容だが、内容の方もノンフィクションとして非常に興味深く読むことができた。

 2年前(2017年)に行われた「アメリカ大統領選」は、当時、アメリカ同時多発テロでハイジャックされた飛行機名に準えて「フライト93選挙」と呼ばれた。同タイトルの論文(エッセー)には次のように書かれていたらしい。

 >「コックピットに突入せよ。さもなければ死ぬ。いずれにせよ死ぬかもしれない。コックピットに入っても、操縦方法が分からないからだ。だが、飛行機を着陸させることに成功するかもしれない。その保証はない。一つだけ確かなことがある。やらなければ、間違いなく死ぬ、ということだ

■毒(トランプ)をもって毒(左翼勢力)を制する

 上記のエッセーを超訳すると、以下のようになるだろうか。

 「左翼勢力にハイジャックされた政治を止めなければアメリカは終わる。仮にトランプが大統領になったとしても正しい政治を行わなければアメリカは終わるかもしれない。しかし、トランプが大統領になれば死を免れるかもしれない。一つだけ確かなことがある。それは、このまま黙って傍観していると間違いなくアメリカは終わるということだ

 日本のマスメディアでは一切報道されなかったので、当時のアメリカ大統領選がこのような切羽詰まった状況にあったことなど夢想だにしていなかった人がほとんどだろうと思う。
 アメリカのメディアは元より、日本のメディアでもトランプが大統領になると言っていた人は数える程しかいなかったので、そのバックグラウンド的な実情を知っていた人など皆無に近いと思われる。

 ハイジャックされた飛行機をテロリストから奪還するためには、闘争心と決断力と行動力こそが求められる。その全てを兼ね備えているかに見えたトランプ氏に一縷の望みをかけてアメリカ国民は彼に投票した。
 1932年のルーズベルト政権から84年間の長きにわたり左翼勢力に乗っ取られた“アメリカ”を奪い返すために、国民はトランプ氏に賭けた。その目的は、毒(トランプ)をもって毒(左翼勢力)を制することだった。

■「グローバル化」と「グローバリズム」は異なる

 米民主党が不法移民の受け入れに肯定的なのは、移民票を獲得するためというのは目からウロコだった。
 トランプ大統領はグローバル化に反対しているとよく言われるが、彼が否定しているのはグローバリズムというイデオロギーであって、グローバル化ではない。

 では、グローバリズムというイデオロギーとは何か?

 「それは、国家が主権の一部を国家の上位に立つ超国家機構に移譲し、その国際機構が政策決定や問題解決に当たる「グローバル・ガバナンス」を目指すという考え方だ。」(「 」内 原文ママ)

 では、それの何が問題なのか?

 それは、「民意を反映しない組織に主権を移譲して統治させるのは、明らかに非民主的だからである。…(中略)…国家の主権は政府ではなく国民にあるというのが、米国の建国の理念である。」(「 」内 原文ママ)

 アメリカの独立宣言には、すべての人が有する「生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利」は「創造主」から与えられたものだと明記されている。しかし左翼勢力の主張の基盤になっているものは「創造主」ではなく、何をやってもその人間の自由だという世俗的ヒューマニズムである。と書かれている。

■「トランプ革命」の正体

 「リベラリズム」というものが、厳格な宗教戒律からの脱皮を意味する言葉である通り、現代のリベラルという存在も、自分より上の上位概念というものがスッポリ抜け落ちている人が多い…と言うよりも全員が見事なまでに無神論者となっている。これも「宗教は阿片」と言ったマルクスの影響なのだろうけれど、他人が見ていなければ好き勝手し放題で構わないという放埒の自由を信奉する日本の似非リベラルにも通底するものがある。
 現代のアメリカには自虐思想が蔓延しているそうだが、自虐思想と似非リベラル思想は決して無関係ではない。

 トランプ大統領の行っていることは、100年前に起こったロシア革命の裏返しでもある。1億人以上の犠牲者を出した暗黒の20世紀を終わらせるために、全世界規模のアカ狩り(リベラル狩り)を行っているというのがトランプ革命の正体なのだろう。

 本書の副題「神と自由を取り戻す!」とは、左翼勢力によって消されようとしている神と、その神から与えられた本当の自由を取り戻すということを意味しているのだろうと思う。

 杞憂ながらも、トランプ大統領の再選を心より願わずにはいられない。



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posted by 自由人 at 20:25 | Comment(0) | 読書
2019年05月12日

『左翼老人』を読んで。


■「左翼」が多く成り過ぎた国

 自国の憲法が時の経過とともに形骸化し、その時代にそぐわないと判断されれば、躊躇することなく憲法の内容を更新する。それが世界共通の常識でもあるが、その中にあって日本だけが、いつまで経っても憲法を更新できずにいる。

 自国で作った憲法であるならまだしも、占領軍によって作られた敗戦時の憲法を有り難がり、神様から啓示された聖書でも崇めるが如く、一言一句変えてはならないという教条主義に陥っている人もいれば、単に既得権益を護りたいというだけの人もいる。そして、ただ、空気に流されているだけの人も大勢いるかに見える。

 憲法に限った話ではないが、一般人の感覚からすれば、日本には未だに温存されていることに矛盾を感じざるを得ないようなシステムや制度が多々あるように思われる。それらが、なぜいつまで経っても変えることができないのかは、偏に、日本には「左翼」が多く成り過ぎたからだとも言える。

 先日、『左翼老人』(森口 朗著)という新書を購入して読んでみた。「左翼」という言葉をズバリ使用している本というのも最近では珍しくなくなったが、著者は、思想的な左翼の位置付けをこう書かれている。

 右翼⇔左翼//左派⇔中道⇔右派

 この位置付けでは、右翼と左翼は思想的に行き来が可能だが、左派・中道・右派とは混じり得ないということになっている。

■公職追放によって誕生した「左翼老人」

 本書には、なるほどな…と思える指摘が数多くあった。以下に何カ所か抜粋させていただくと、

 >政府や自治体の政権を有する人々は、左翼老人の活動と票により倒れることを恐れて毅然とした対応が取れないのです。国会で真面目な審議をするよりも政府の足を引っ張る方が左翼老人は喜ぶので、野党はそれにおもねっているのです。

 >この頃(昭和の時代)は、今では考えられないことですが、「教養人は左翼政党を支持し、無学な者が自民党を支持する」という空気が日本を支配していました。今でも比較的教養のある中高年が、ついつい左翼政党に肩入れしてしまうのは、この時代の後遺症です。
※( )内は筆者追記

 >デモクラシーが機能するためには議論と妥協が不可欠です。なぜなら、絶対的な正義はないことがデモクラシーの前提だからです。しかし、左翼は政治を議論ではなく闘争と捉えているので妥協は敗北でしかありません。

 >高校の政治経済だけでなく大学の教育でさえも資本主義と共産主義が対立的なものと教えています。しかし、資本主義と共産主義は決して対立的なものではありません。なぜなら、資本主義は人類の歴史の中で徐々に形成された現在の経済の仕組みであるのに対して、共産主義はマルクスの思想とそれを信じた人々が創った人工国家の理念の中にしか存在しない、つまりこの世に一度も存在したことのない妄想だからです。

 現代の民主主義というものが多数決で成り立っている以上、政治家や評論家もまた、数に支配されてしまう傾向にある。特にそういった職業を生業としている人々は、正しいことを言っても評価されず、間違ったことを言えば評価されるということで、自らの思想を偽らなければ商売が成り立たないという哀しい現実を背負うことになる。

 こういった倒錯した社会は、敗戦後に行われたGHQの公職追放によって誕生したとも言える。まともなことを言う人々が追放され、代わりにデタラメなことを言う人々が重宝された時代、この時代こそが現在の日本の悲劇を産んでしまった元凶(原型)であり、その誤った時代の思想を信じ込んでしまった人々が、著者の言う「左翼老人」ということなのだろうと思う。





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posted by 自由人 at 13:56 | Comment(0) | 読書