2019年07月13日

「日本的経営は世界の非常識」


■「電波怪獣」竹村健一氏の死去

 今週は日本の芸能界を牽引してきたジャニーズ事務所のジャニー喜多川氏が死去されたことで大きな話題となっていたが、その陰に隠れた形で、日本の言論界を牽引してきた竹村健一氏が死去されたというニュースが出ていた。

 最近はジャニー喜多川氏同様、竹村健一氏もメディアには全くと言っていいほど姿を見せていなかったが、昔は「電波怪獣」と言われただけあって、数多くのメディアに出演されていた。建前ばかりのテレビ界にあって、1人本音を語り、異彩を放つ憎めないキャラクターだった。

 私が竹村健一氏の本を初めて読んだのは学生時代だったと記憶しているが、難しい事柄を平易な文章で説明する文体は読み易く、その後、多くの本を読ませていただいた。ちなみに、竹村氏の場合、口述筆記で有名だったので、文章自体は別人が書いていたのかもしれない。

■「日本の常識は世界の非常識」

 竹村氏が残した有名な言葉に以下のようなものがある。

 「日本の常識は世界の非常識

 戦後、他国とは物理的に隔絶された島国環境にあった我が国では、戦勝国による思想統制の影響によって、戦前の常識は悉く否定されることになり、日本独自の文化というものが多々生まれた。

 最近では「常識を疑え」と言っている識者も大勢いるが、大抵の人は、生まれた環境に既に根付いた常識を疑おうとはしない。どんな不条理な常識であっても空気のように受け入れる人が大勢を占めているので、「日本の常識は世界の非常識」のままであることが多い。

 「憲法9条があるから戦争は起こらない」という日本の常識も、そのまま鵜呑みにしている人も少なくない。
 あるいは、「謝罪は美徳」というような日本の常識も、世界(特にアジア)では通用しない。

■「日本的経営は素晴らしい」という常識

 少し毛色を変えると、「日本的経営は素晴らしい」というのも、日本でしか通用しない常識だとも言える。
 日本では昔から「和をもって尊しとなす」と言われ続けてきたので、その言葉に結び付けて「日本的経営は素晴らしい」とする向きがある。しかし、これは少し曲解されている部分があると思う。
 
 日本では、仕事のできる人間が仕事のできない人間を延々とカバーすることをもって「日本的経営は素晴らしい」と思われているフシがある。
 「仕事のできる人間は文句を言わず、仕事のできない人間の分まで仕事をして、給料もなるべく平等に分けることが尊い」という風に受け止められているような気もする。

 健常者が病人や障害者の分をカバーするのは当然のことだと思うが、単に仕事をしない人間、やる気のない人間の分までカバーしなければならないとなると、「共産主義的経営は素晴らしい」になってしまう。

 共産主義には「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る(分配される)」というような考え方があるが、「日本的経営」には、この言葉を実践していると思われる部分がある。
 「仕事をしない人間は能力に応じて働き、必要なだけの報酬を得ることができる」というような仕事をしない労働者の楽園思想が「日本的経営」に入り込んでしまっている。

 聖徳太子が言った「和をもって尊しとなす」とは、世界の常識と成り得る言葉だと思われるが、日本では少し屈折した意味合いで認識・利用されているところがある。

 公平性に重きを置く欧米社会では、仕事のできる人と仕事ができない人には公平な差が開くことは常識として受け入れられている。
 しかし、平等性に重きを置く日本社会では、仕事のできる人と仕事ができない人をなるべく平等に扱うことが尊しとされる。これぞまさに「日本の常識は世界の非常識」の見本だと言えるのかもしれない。


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posted by 自由人 at 07:49 | Comment(0) | コラム
2019年07月06日

世界遺産『百舌鳥・古市古墳群』の盲点


■同じ風景に見える「古墳」の難点

 ユネスコの世界遺産委員会は、7月6日に大阪の「百舌鳥・古市古墳群」を正式に23件目の世界文化遺産に登録することを決定した。

 これは日本および大阪の地元の人々にとっては喜ばしいニュースであり、日本の古墳が世界文化遺産に登録されることには疑問を差し挟む余地はない。しかし、少し気掛かりなのが、世界中から訪れるであろう観光客にとっては少し問題かな…と思える部分がある。

 実際に現地に行ったことがある人なら解ると思うが、古墳というものは上空から見下ろさない限り、古墳には見えないという難点がある。
 古墳の外堀は泥沼のような池になっており、古墳の中には法律的にも物理的にも立ち入ることができないという縛りがある。
 ゆえに、観光客が訪れて写真を撮影するにも、アングル的には、横から観た森かジャングルのような風景しか撮ることができないので、通常の世界遺産とは少し趣きが違うと感じる人が多いのではないかと思う。

 実際に、私自身も堺市の『仁徳天皇陵』の周囲を徒歩で1周したことがあるが、見える風景はほとんど変わらなかった。

■観光客にとっては「三重難」の古墳

 テレビや雑誌で紹介される時は、ヘリコプターから撮影された上空写真が用いられるので、どこか神秘的なものを感じることができるのだが、横から観ただけでは、鬱蒼とした森か低い山という感じにしか見えないのが残念なところだ。この辺は、「群盲象を撫でる」が如くで、横から観ただけでは古墳の実体は掴めない。
 今はドローンなどもあるので、(宮内庁が禁止していなければ)一般人でも上空から観た写真は撮影することができるのかもしれないが、肉眼では直接的に古墳の形を見ることはできない。

 ピラミッド、万里の長城、自由の女神像、富士山などと違って、古墳というものは全景を見ることができず、全景を写真に収めることもできず、立ち入ることもできないという観光客にとっては三重苦(三重難)のような謎めいた遺産でもある。

 上空から見下ろして撮影できるような建物は景観を損ねるという意味でも建造できないと思うので、観光客向けにドローン撮影でもできるようなサービスを付加した方が良いかもしれない。


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posted by 自由人 at 22:58 | Comment(0) | コラム
2019年05月27日

「風邪薬」の正体とは?


■風邪を治す特効薬は存在しない

 このところの寒暖差の激しい異常気象のせいもあるのか、久しぶりに風邪をひいてしまった。熱は微熱で少し咳が出る程度なので、いつも通り、会社に行き、病院にも行っていない。
 一応、市販の風邪薬を飲んではいるものの、効いているのか効いていないのか判らない程度の軽い風邪といったところだろうか。

 ブログが書けないほどの風邪ではないので、この機会に風邪についての豆知識でも書いておこうと思う。

 まず初めに、風邪を治す特効薬というものは世の中に存在していない。

 こう言うと、「えっ?!」と驚く人がいるかもしれない。

 病院に行って処方される風邪薬も、市販の風邪薬も、残念ながら、風邪のウイルスを退治する薬ではなくて、風邪の症状を和らげるという意味での薬である。

 咳を止める薬、熱を冷ます薬、鼻水を抑える薬など、風邪の諸症状を抑えるのが、現在の風邪薬の役割であって、風邪のウイルスを退治することはできない。その証拠に、風邪の特効薬が発明されれば、ノーベル賞ものの快挙だとも言われている。

 「俺はいつも風邪薬を飲んで風邪を治しているぞ!」と反論する人がいるかもしれないが、残念ながら、風邪を直接的に治す薬が無いことは医者も認めている厳然たる医科学的事実である。

 では、風邪はなぜ治るのかと言うと、風邪をひいた本人の自己免疫力が風邪を治している。これも厳然たる事実である。

 発熱というものは、風邪のウイルスと戦うために、身体が自ら体温を上げている状態であり、ウイルスが熱を出しているわけではない。人間の免疫力は体温が上がることで活発化するため、身体の免疫細胞がウイルスとの臨戦態勢になっていることを意味している。
 こんなことは誰もが知っているであろう初歩的な医療事実だが、中には知らないという人もいるかもしれないので、念のため、書かせていただいた。

■風邪をひいたら風呂に入ってはいけないのか?

 昔から、「風邪をひいている時は風呂に入ってはいけない」と言われることがある。私も子供の頃から何度も言い聞かされたが、個人的には、これも疑わしいと思っている。

 高齢者や乳幼児であれば、高熱がある時は(体力を奪われるので)風呂に入ってはいけないと言うなら理解もできるのだが、体温を上げることが風邪のウイルスと戦うために必要なことだと考えれば、通常は風呂に入って身体を少し温めた方が風邪の治りも早くなるのではないかと思う。

 解熱剤というのも、40度近い熱があるならともかく、37〜38度程度の熱なら、無理に熱を下げない方が風邪の治りも早くなると思われるし、実際にそう言っている医者も大勢いる。
 無論、こちらも高齢者や乳幼児であれば話は別だが、普通の健常者であれば、熱を出し切った方が治りも早いと思う。私自身、風邪を引いて熱が出ても風呂に入り、解熱剤は飲まないようにしている。

■「風邪をひいたら、1に睡眠、2に○○○」の意味

 さらに付け加えると、風邪に抗生物質(抗菌薬)は効かない。
 これも知っている人が大半だと思っていたが、私の周りでは知らない人の方が多いようだ。
 「風邪に抗生物質は効かない」という真実を言うと、《何を馬鹿なことを言っているのか…》と怪訝そうな目で見られることが多いので、この場を借りて、書いておこうと思う。

 風邪を引いて病院に行くと、風邪薬だけでなく、抗生物質まで処方されることがある。以前、私もこれに対し何の疑問も抱くことなく飲んでいたことがある。
 今でも、病院で「抗生物質をもらったからもう大丈夫だ」と安心して帰路に着く人がいると聞くが、残念ながら、抗生物質は風邪のウイルスには効かない。これも厳然たる事実である。

 黄色ブドウ球菌などに感染した扁桃炎等なら抗生物質は有効な治療手段と成り得るが、風邪のウイルスは細菌ではない。抗生物質が効くのは細菌のみであり、ウイルスには無効だ。

 おそらく、風邪ではなく、細菌が原因の肺炎だった場合などを考慮して、保険として抗生物質が処方されているのだと思われるが、普通の風邪には抗生物質は効かない。ここでは省略するが、抗生物質には様々な副作用があるため、軽い風邪程度で頻繁に飲むのは考えものだ。

 「風邪をひいたら、1に睡眠、2に○○○(薬の名前)」と言われる。

 このキャッチフレーズからも分かる通り、薬よりも睡眠の方が重要だということは、結局、風邪は自分自身の免疫力を高めて治すしかなく、風邪薬は、その助けをしてくれる補助的な存在でしかないということでもある。


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posted by 自由人 at 22:24 | Comment(0) | コラム
2019年05月07日

天皇の存在理由(レーゾンデートル)とは?


■条件次第では「万世一系は虚構」でも構わない

 前回の記事で、「万世一系は虚構」とのコメントを頂いた。BLOGOSの転載記事にも似たようなコメントが見られたので、この件で少し補足記事を書いておこうと思う。

 それ以前に、「天照大神は女性なので、女系では?」という意見があったが、原初は男性でも女性でも構わない。それが男女差別ではない証拠だとも言える(むしろ女性優位とも言える)ので、これについてはこれ以上は書かない。

 本題の「万世一系は虚構」の方を述べると、これは確かにその可能性は有ると思う。血縁に繋がりが有るという説に嘘が無いことを信じたいが、それは残念ながら判らない。
 実際、現代に生きている人間でも自分自身の血縁がどこでどうなっているかなんて分からない。先祖代々などと言っていても、諸々の事情で先祖の血は入っていないというようなケースは多々ある。

 そういったことが天皇家には無かったと信じたいところだが、残念ながらそれは誰にも証明できない。ついでに言うなら、有ったということも誰にも証明できない。

 しかし、歴史的な文献であっても、はたしてどこまで真実かは分からない。文献というものは如何なる大著であったとしても、ドライブレコーダーや隠しカメラのように24時間の出来事が全て記録されているわけではない。
 評伝や自伝でも、読者の知ることができるのはほんの一部でしかない。その人物が心の中で何を考えていたか、全てを知ることは不可能であることは、よく考えれば解ることだと思う。血縁が100%正しいと証明できないのと同様に、文献も100%正しいとは証明できない。

■最も重要なことは、天皇の「威厳」

 「それでは、天皇の血筋を証明できないではないか!」と言う人がいるかもしれない。その通り、しかし、それでいいと思う。大体、血筋だけで人間が決まるというなら、それこそ差別だということになってしまいかねない。

 では、何が重要なのかと言うと、最終的には「国民に対して威厳を保てるかどうか」ということ。
 天皇=日本教に必要不可欠なのは、目に見えない高貴で崇高な価値であり、そういったものが観念的に理解できない人には、「血縁」という方便を用いる必要が有るので、「男系」に拘らなければならなくなっているということだろうと思う。

 万人が天皇という存在を受け入れるためには、目に見える形としての「男系」が必要になっているというだけで、仮に「血縁」が無かったことが科学的に証明されれば天皇を辞めなければならないのかと言えば、そんなことはない。国民に対して威厳を保てている天皇であれば、辞める必要は無い。

 重要なことは、天皇の存在が見えない規範となって国民を律する存在と成り得るかどうか。そこがキーポイントになる。

 GHQが天皇制を廃止することをなぜ恐れたのか? その理由を考えれば、天皇の存在理由(レーゾンデートル)が見えてくる。それは「血縁」でもなければ「男系」でもない、天皇の「威厳」、それこそが日本人にとって最も重要な価値の1つだった。しかして、そのことを万人が理解するためには、「男系」である必要があるということ。



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posted by 自由人 at 23:47 | Comment(0) | コラム
2019年05月05日

天皇問題を考える10連休


■「象徴天皇制」の意味するところ

 天皇陛下の退位と皇太子殿下の即位による10連休の必要性については賛否が分かれるようだが、それでもこの10連休は目出たい休日ということで、各地で令和記念感謝祭なども催されてお祭り騒ぎとなっている。

 一方で、天皇という存在について改めて考え直す機運も高まっており、昨今話題になっている「男系・女系」天皇問題や、「象徴天皇制」が記載された憲法論にまで話題は広がっている。

 日本国憲法の第1条には、次のように書かれている。

 『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 GHQによって起草されたとされる現在の日本国憲法には、天皇が象徴となり、しかもその地位は、国民の総意に基づくとされた。

 この一文には、本来、一国の君主であったはずの天皇の地位が、国民の意思次第で奪われてしまう可能性があることをも示唆しているのだが、そういった話はあまり聞こえてこない。

■「天皇制」という言葉の意味するところ

 「天皇制」という言葉自体が左翼用語と言われるのは、かつてのソ連(コミンテルン)が作り出した言葉であるためで、日本の「天皇制」を打倒することがスターリンの目的であったとされる。

 GHQは諸々の事情から天皇制は残すことを決定したが、華族制は廃止した。そのせいもあって、現在の跡継ぎ問題が表面化していると思われるのだが、こういった話も全くといっていいほど聞こえてこない。
 聞こえてくるのは、男系か女系かという結果論のみで、そういった問題を生んだ原因論は、知ってか知らずか全く無視されているかのようだ。

 北朝鮮等の独裁国家の元首と違って、日本の天皇というのは、天皇が命令するまでもなく、自然と国民が天皇を敬うという意味で、まるで違う。

 戦前・戦中、アメリカは日本の天皇を、現在の北朝鮮の元首のように思っていたフシがあったとされているが、実際に占領軍となって進駐してみると、それが間違った認識であったことを知った。実際は戦前からそのことを理解していたという説もあるが、いずれにしても、日本の天皇は日本国民にとって特別な存在だということを知ったことで、天皇制だけは残すことになった。

■「三種の神器」が意味するところ

 今回の生前退位では「三種の神器」という言葉が何度も伝えられていたが、これは「八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣」のことであり、大昔に天照大神から授かったものとされている。「草薙剣」というのは、漫画やゲームにもよく登場するアイテムなので、知っている人も多いのではないかと思う。

 天皇の皇位継承とは、この「三種の神器」を受け継ぐ儀式のことであり、それが天照大神の時代から連綿と続けられてきたことこそが日本が世界に誇るべき伝統であり、国民が天皇に何か神聖なものを感じるのは、そういった神話の世界からの繋がりがあるためだと言える。

 要するに、現天皇は天照大神の直系の子孫というバックグラウンドが有るということ。それが宗教というものにあまり縁の無い多くの日本人の心の拠り所となってきた。ある意味、キリスト教以上の歴史を持つ天皇という存在が、日本人の良心を統べる日本教の御本尊になってきたという背景を見落としてはいけない。人間天皇の背景にいる天照大神という存在を国民は無意識的に崇拝してきたというのが天皇の歴史でもあった。
 皇居に集った国民の「バンザイ」という声は、その伝統が継承されたことに対する喜びを表現したものとも言える。

 そして、天皇が男系でなければいけないという理由も、まさにそこに有るのだが、こういった話もあまり聞かれない。

 誤解を避けるために一応お断りしておくと、その理由とは、国民が天皇を天照大神の直系の子孫であると認識するには男系であった方が良いという意味である。

 現代では、保守系の識者が「天皇は男系でなければいけない」などと言うと、「男女差別だ!」という批判が返ってくることになる。

 そういった批判も解らないこともないが、神話の時代から伝承されてきた天皇という特別な存在と、現代の男女問題とを同列に考えるのは、少々、無理があるのではないかと思う。



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posted by 自由人 at 00:19 | Comment(1) | コラム