2021年11月03日

MMTの要諦「水の量を調整することで景気を操ることができる」


■「お金を分ける」と「お金を奪う」と「お金を増やす」

 政治家の言う「分配」という言葉からは単純に「お金を分ける」というイメージが連想される。
 多くの政治家が述べていることは、「お金を分ける」か「お金を奪う」ばかりで、「お金を増やす」という発想が無いように見える。

 「お金を分ける」「お金を奪う」という言葉が出てくる背景には“お金の量は限られている”という思考が透けて見えるが、はたして本当にお金は限られたものなのだろうか?

 お金というものは、よく「人間の血液」に喩えられることがあるが、今回は、「水槽の水」に喩えて考えてみたいと思う。

 日本人全てが巨大な1つの水槽の中で生きている魚のようなものだとすると、景気が悪い状態というのは、水槽の水が足りなくなっている時に該当する。
 水の量を増やせないという考えでは、「お金(水)を分ける」とか「お金(水)を奪う」という発想しか生まれてこないことになる。
 しかし、水槽の水の量を増やせば、「水を分ける」必要も「水を奪う」必要も無くなる。

 こう言うと、「そんなことをすれば、ハイパーインフレ(水槽の水が溢れる)になる!」と言う人が出てくることになるのだが、そもそもこの架空の水槽は物理的な容量が決まっているものではないので、多少の水を増やした程度では景気が良くなる(魚が活発になる)だけであり、直ぐさま水槽の水が溢れることは無い。
 万が一、水槽の水が溢れそうになれば、水を抜けば(増税をすれば)いいだけのことである。

■政治家の仕事は「水槽の水の量を調整すること」

 金融緩和というのは、水槽の外に水を用意し、「これだけ水槽に入れる水が有りますよ」と言っているだけの行為でしかないので、それだけでは景気は良くならない。景気を良くするためには、実際に水槽の中にジャブジャブと水を注がなければならない。その行為を「財政出動」と言う。

 政治家が本来目標とすべきは、「みんなで水を分ける」ことでも「金持ちから水を奪う」ことでもなく、「水の量を調整することで水槽の中の魚が生活しやすい環境を作ること」でなければいけない。

 魚は、水不足でアップアップしている状態でも、自分自身で水の量を増やすことはできない。水を増やすことができるのは、魚の飼い主である政治家にしかできない。

 その政治家が“水槽の水は増やしてはいけない”と固く思い込んでいるような無能であれば、魚は酸素不足の淀んだ環境で過ごさなければいけなくなる。飼い主が水を与えてくれないので、同胞で酸素の奪い合いをするという地獄のような環境で暮らすことを余儀無くされる。

 MMT(現代金融理論)を「お金のバラマキだ」と批判する向きもあるが、MMTの要諦は「お金をバラまけ」ではなく「お金(水槽の水)を増やせ」と言っているだけに過ぎない。もっと言えば、「水の量を調整することで景気を操ることができる」というシンプルな理論でしかない。

 一匹一匹の魚にとって「水」というものは貴重な限られた資源に映るかもしれないが、水槽を管理する飼い主にとっての「水」は無料(タダ)のようなものである。その「水」を水槽に入れ過ぎないように(インフレにならないように)すれば、何の問題も発生しないのである。



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posted by 自由人 at 11:27 | Comment(0) | 経済
2021年10月31日

日本の「中間層」が没落した理由


■急激な「グローバル化」が「中間層」を没落させた

 衆議院選挙報道で各政党の街頭演説が行われていたので、少しだけ横目でテレビを観ていると、自民党の岸田首相が以下のようなことを述べられていた。

 「経済成長と分配の両方が大事だと言っているのは自民党だけです

 左翼政党が「分配」ばかりに目を向けているというのは、その通りだと思う。しかし、「経済成長」というお題目を唱えているだけでは、あまり大差が無いような気もする。
 岸田首相がよく言われている日本の「中間層」が没落した原因にまで言及しない限り、「中間層」の復活(=経済成長)は有り得ないのではないかと思う。

 では、日本の「中間層」が没落した原因とは何だろうか?
 それは、もちろん、急激な「グローバル化」である。

 急激なグローバル化がなぜ悪なのか?というと、物価(人件費)の安い国に仕事が流れ、一部の産業が空洞化することにある。一国の中で様々な産業が根付かない社会、それがグローバル社会の特徴でもある。グローバル化の悪弊には以下のようなものがある。

 ●国際分業化を進めると物価の高い国の国民はまともに働いても報われなくなる
 ●物価の高い国の国民は才能が有っても価格競争の前にひれ伏してしまう
 ●製造業が成り立たなくなり、金融業に流れていかざるを得なくなる


 日本の「中間層」が没落した原因は、あまりにも急激なグローバル化の進展のため、国内における多くの製造業が成り立たなくなったことにある。1円でも安価な労働力を求めて、本来、才能も素質も有る日本の労働者が1円の差で仕事を失ってしまうという汲々たる現実を味わい、やる気を削いでしまったことにある。

 しかし多くの人々は、経済に疎いため、そういった悲劇の原因がグローバル化にあることに気付かず、それが世界の流れなのだから仕方が無いと諦観した。労働に携わっている当の本人達に原因が解らなければ、そこから抜け出すことはできないし、政治家に対しても何を期待していいのかすら解らない。

■日本の「中間層」が没落したメカニズム

 「近代経済学の創始者」と言われるデヴィッド・リカードが説いたとされる「比較優位説」は、一見すると合理的な理論に映るが、実体はグローバリストに都合の良いお金儲け理論であり、万人に幸福を齎すような理論とは言えない。

 イギリスを例に出すまでもなく、製造業を失った国々は、実体労働を伴わない金融業にシフトしていかざるを得なくなる。その結果、労働よりも金儲けが優先されるようになっていく。

 「働くことは良いことだ」と言っても、肝心の精を出すべき仕事がなければ、身体ではなく、お金を動かすことで生計を立てることが最も合理的だという判断に行き着いてしまう。

 実体経済とマネー経済では、お金儲けの基準が大きく変化する。物を製造・販売して得られる利益などはたかがしれているが、金融商品を売買して得られる利益は、物を売買して得られる利益とは比べ物にならない場合がある。

 例えば、メルカリで物を売って得られる利益と、メルカリ株を売買して得られる利益を比較した場合、その顕著さは明らかだ。
 株は売買して必ず利益が得られるものではないにしても、上手く売買すれば、労せずして1日(1時間)で、何万円もの利益が出せる。しかし、メルカリで1日中、商品を出品して売れたとしても、手元に残る利益はたかが知れている。販売する商品の元値にもよるとはいえ、労働して得られる利益と、お金を動かして得られる利益は、明らかにケタが違ってくる。

 グローバル化によって製造業が衰退してしまった国の国民の一部は、金融の方に流れることになり、金融で成り上がった者と、製造業から抜け出せない者の差が大きくなる。それが、日本の格差拡大のメカニズムでもあり、中間層が没落した大きな原因でもある。

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posted by 自由人 at 10:50 | Comment(0) | 経済
2021年10月19日

「プライマリーバランス」を黒字化する方法は1つだけ


■「プライマリーバランスの黒字化」と「プライマリーバランスの赤字化」
 
 衆議院選挙における各党の演説に少し耳を傾けてみると、「プライマリーバランス」について意見を述べている人もいるようだ。曰く「プライマリーバランスの黒字化」が云云かんぬん…と。

 「プライマリーバランス」というのは、国家における財政収支のことを意味しており、全ての支出を税収の範囲内で収めることをもって「プライマリーバランスの黒字化」、税収で足りない場合は「プライマリーバランスの赤字化」と言われている。

 毎年、赤字収支となっている「プライマリーバランス」をプラス収支(=黒字化)にすることは国家としての理想の姿ではあるのだろうけれど、そんな国家がどこに有るのだろうか?という疑問は拭えない。

 国家の赤字経営状態を見て「国家が財政破綻する!」と危機感を演出しているような人もいるが、本当に日本国家の財政が企業のように破綻する可能性があるのだろうか?

■「家計の収入」と「国家の税収」

 よく言われるように、「家計の収入」と「国家の税収」というものは全く次元の違う代物であり、同じ土俵の上で比べること自体が間違っている。

 家計の収入が足りなければ、誰かから借金しなければ生活が維持できなくなってしまうが、国家の税収が足りない場合は、国民から借金すればいいだけのことであり、貸し方は国家の成員である国民であるわけだから、借金返済が不可能になることは基本的に有り得ない。

 国民が「借金は慌てて返さなくてもいいですよ」と言えば、それで済むことであり、なんの問題もない。そもそも、国家の借金が増えるということは、国民の持ち金が増えることを意味しているので、国民が「借金を早く返してください」という道理がない。

 デフレ不況の最中、国家が黒字になるということは、国民が赤字になるということなので、国家が財政破綻を免れても、国民の生活(日本経済)が崩壊する危険性が生まれることになる。どちらが国民にとってプラスかは考えるまでもない。

■現代のお金は物理的な物ではない

 「プライマリーバランス」を黒字化する方法が有るとすれば、その手段は1つしかない。それはズバリ“景気を良くすること”だけ。国民の多くがお金に余裕が生まれると、放っておいても税収は上がり、「プライマリーバランス」はプラスに転じる。

 しかし、この国の「プライマリーバランス」論者達は、国民のお金を国家に吸い上げることが「プライマリーバランス」をプラスに転じる手段だと思い込んでいるフシがある。消費不況下に消費増税を勧めるなどは、その最たるものだと言える。

 良いか悪いかはともかくとして、現代のお金というものは、物理的に制限の有るものではなくなっている。悪く言えば、ただの紙切れ、良く言えば、単なる情報に過ぎない。
 現在、国民の総金融資産は2000兆円とも言われているが、その全てが現金として存在しているわけではない。その一事だけで、お金は物理的な物ではないことを如実に証明している。

 現代は、物理的にお金を刷らなければお金が使用できないという時代ではなくて、借り手さえいれば、銀行を介していくらでも無尽蔵に増やせるもの、それが現代のお金の正体でもある。
 もっとも、悪名高い「BIS規制」というものが有るため、実際は無尽蔵とまではいかないのだが…。

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posted by 自由人 at 22:21 | Comment(1) | 経済
2021年10月10日

ガソリン価格によって消費税率が変わるシステムの必要性


■ガリソン価格の4割以上が税金

 原油の先物価格が急騰しているせいで、ガソリン価格もどんどん値上がりしている。

 ガソリン価格というものは不況期に最安値を付けるものであり、リーマンショック時には1リットル100円程度まで下がったことがある。直近40年で見ると、ガソリン価格は1リットル100円〜180円の間で推移しているので、140円辺りが中間値ということになり、150円を超えると問題視されるようになる傾向がある。

 最近は、どこのガソリンスタンドに行っても、軒並み1リットル150円を超えており、ここ数年における最高値を更新している。昨年はコロナ不況の影響で1リットル120円台まで下がったことがあるので、単純に計算すると2割以上価格が上昇していることになる。7年前には一時、160円台になったことがあるが、そろそろ、「ガソリンが高過ぎる!」というブーイングが出始める頃合いかもしれない。

 ちなみに、ガソリン1リットル150円の場合の税金の内訳は以下のようになっている。

 ガソリン税(53.8円)+石油税(2.8円)×消費税10%(5.7円)=62.3円

 税率を計算すると、

 62.3円÷150円=0.415(41.5%)

 ガリソン価格の4割以上が税金ということになるわけだが、ここで注目するべきは、2重課税になっているように見えるところだろうか。

■ガソリンには消費税の軽減税率が適用されるべき

 本来、税金というからには、ガソリンの本体価格(標準価格)に対して課税されるべきものであるはずだが、ガソリンの場合、ガソリン税や石油税に対しても消費税が上乗せされている。

 ガソリンが2重課税になっている理由は、ガソリン税と石油税はガソリンスタンドではなく、石油元売会社が納める税金だからという事情があるらしいので、これは仕方がないのかもしれない。

 ただ、ガソリンは明らかに生活必需品であるので、最低でも消費税の軽減税率は適用されるべきではないかと思う。少なくとも、生活必需品としては新聞よりもガソリンの方が上だろう。

 原油の先物価格などは、原油の有無に関係なく意図的に上下されられているのが実際のところだろうけれど、今後も、世界情勢の動向に振り回されることしかできない日本のような国は、リスクを回避するためにも、原油価格(ガソリンの本体価格)によってガソリンの消費税率が変わるという柔軟な税制を組むことがが望まれる。

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posted by 自由人 at 10:59 | Comment(0) | 経済
2021年09月03日

「紙の本」と「電子書籍」は、どちらがお得か?


■「電子書籍」が「紙の本」に絶対に勝てないこと

 随分と前から、「紙の本」と「電子書籍」は、どちらがお得か?という話をよく耳にする。

 こういった比較をしている人は、大抵、「電子書籍」の方がお得だという結論に傾いてしまうのだが、どうも「便利さ」と「お得さ」を混同しているような気がする。

 「電子書籍」は、場所を取らないこと、劣化しないこと、文字を拡大できること、テキスト検索ができる等の利便性を持った媒体ではあるが、あくまでもそれは「便利さ」という意味での話であり、「お得さ」が成立しているわけではない。

 こう言うと、「電子書籍は紙の本よりも安価でしょ」と思った人がいるかもしれない。

 しかし、それは新品(電子書籍は必ず新品)で本を購入した場合の一時的な比較でしかない。

 「電子書籍」が「紙の本」に絶対に勝てないことは、ズバリ、他人に売ることができないことである。
 「電子書籍」は基本的に“希少価値”とは無縁の代物であるので、「紙の本」のように価値が変動することもない。注文があればコピーはいくらでも可能なので、コストがかからない分、価格も変動しない。バーゲンセールで激安で販売することはできるが、決められた価格以上で販売されることは有り得ない。

■「電子書籍」と「紙の本」の違いは、「不動資産」と「流動資産」

 一方で、「紙の本」は、新品で購入した価格が「電子書籍」より少し高くても、読み終えて本棚にコレクションするつもりがない場合は、中古本として売ることができる。

 例えば、私の場合、最近は新品で本を購入し、読み終えると、大抵の本はメルカリに出品して売ることにしている。

 少し人気のある本なら、1500円(税込1650円)の単行本の場合、1200円以上で即日売れる場合が多いので、手数料1割と送料を差し引いても、900円程度は返金される計算になる。

 「電子書籍」が「紙の本」より少し安くても、読んだ後に売ることができない不動資産だと考えると、売ることができる「紙の本」よりも結果的に高くなってしまう。売ることができれば、「電子書籍」と「紙の本」の販売価格の差額は十分に埋まってしまうので、出版後すぐに新刊で購入するメリットは大きい。
 本を消耗品だと考えると、自由に売り買いできる「紙の本」の方が圧倒的に自由度が高いと言える。

 また、先程述べたように、「紙の本」は「電子書籍」とは違って物理的な制限があるため、希少価値というものが発生することがあり、買った値段以上で売れる場合も有る。そう考えると、「紙の本」を保有することは、少額ながらも資産を保有していることにもなるということ。

 「電子書籍」の場合、どれだけ多数の「電子書籍」を保有していたとしても、全く売ることができないという意味では、あくまでも個人のコレクションでしかなく「紙の本」のような売買可能な流動資産とは成り得ない。

 「電子書籍」は利益率が高いという意味で販売側に大きなメリットが有る媒体であり、「紙の本」はユーザー側にメリットが生まれる可能性を持った媒体だと言える。

 多くの人にとってお得なのはどちらか? 答えは言うまでもない。

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posted by 自由人 at 23:55 | Comment(0) | 経済