2019年07月15日

「NYダウ平均」と「日経平均株価」の差が意味するもの


■27000ドルを突破したニューヨークダウ

 26000ドルを超えた辺りで2回下落に転じた(所謂、ダブルトップ)ニューヨークダウは、3度目のトライで遂に27000ドル台に上抜けた。
 それに引き換え、日経平均株価は一時は24000円まで上昇した(これもダブルトップ)ものの、現在は22000円を超えられずに低迷している。

 通貨単位が違うとはいえ、この2年間のチャートを比較してみると、ニューヨークダウと日経平均株価の差は2000程度で推移していたが、ここにきて大きな差(5000)が開いた格好になっている。(下記チャート図参照)

NYDOW&NIKKEI201907.png

(ヤフーファイナンスより転用)

 日経平均チャートは、アメリカのコバンザメの如く、ニューヨークダウを後追いする形となっているが、今年の春頃から後追いできずに停滞していることが分かる。

 今月の参議院選挙が終了すれば、再度、後追いする形となるのかもしれないが、今回は消費増税問題が重くのしかかっているため、そう簡単にはいかないかもしれない。

■日経平均株価はニューヨークダウを後追いできるか?

 世界中どこの国でも、消費増税などを掲げているような政党は選挙で苦戦するのが定石だと思われるが、そうはなっていないところに日本の政治の病がある。トンデモない愚策を掲げても選挙に圧勝してしまうという現在の状況は決して素直に喜べるものではない。

 2年前に「トランプ大統領在任中にニューヨークダウは3万ドルに向かう」というブログ記事を書いてみたが、このまま行くと、在任中どころか、近い内にニューヨークダウが3万ドルを突破したというニュースを目にすることになるかもしれない。
 しかし、日本の株式市場はコバンザメとして後追いすることができるのかは分からない。
 経済を理解した大統領の一声で、利上げを止めるという判断が即座にできる国の経済は強い。

 日本も消費増税を中止できれば、あるいは日経平均3万円も有り得るかもしれないが、その望みは日に日に薄くなってきつつある。
 日経平均株価が日本の景気を実際に表しているわけではないにしても、かつてのバブル期の最高値である38,915円を超えていかない限り、消費増税などを考えることは時期尚早もいいところで、人間心理が景気に連動しているということが解らない経済音痴政策以外の何ものでもない。

 国を動かしている人々には、「NYダウ平均」と「日経平均株価」の開きが何を意味するのかということを、もっと真剣に考えていただきたいものだ。

【追記】2019.7.15

(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>日経平均株価(N225)は幾度にも及ぶ裁量的な構成銘柄の入れ替えで連続性を失っており、2019年にあってバブル期の値と比較するのは滑稽の一語です。

 だから、「通貨単位が違う」「日経平均株価が日本の景気を実際に表しているわけではない」と書いています。話を解り易くするためにNYダウと日経平均を利用しているということをご理解ください。

>日本では日立を日経平均から除外するようなもので
>それぐらい新しい企業が伸びているということだ

 新しい企業はダウではなく、大半はナスダックです。

>おっ、政権批判。
>珍しい。

 政権批判と言うよりも、野党批判であり、官僚批判でもあります。

>株はほとんど未経験者なので大したことは言えないですけど。
>今回の消費税の場合、こういうのって「織り込み済み」っていうんですよね。それでこの程度の動きなら問題ないようにも思えますけど。

 もし折り込み済みであれば、15%下げたことになります。折り込み済みでNYダウより5000低いのであれば、NYダウが3万ドルになっても日経平均は25000円なので、3万円超えは難しいということです。
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posted by 自由人 at 13:44 | Comment(1) | 経済
2019年06月25日

「国家」の無い社会は有り得るか?


■国家を無くすことは不可能に近い

 BLOGOSのコメント欄を読んでいると、よく「自由人なのに、リベラルを批判するのはおかしい」とか、「自由人なのに、国家を肯定するのはおかしい」というような意見を目にする。

 ペンネームの「自由人」の意味は、BLOGOSのプロフィール欄を見ていただければ判る通り、「自由に考える」と書いてあるのだが、スマホでの閲覧は小さな文字なので目に入らないのかもしれない。
 「自由に考える人」が必ずしも「リベラリスト」である必要はないだろうし、「リバタリアン」である必要もないと思うのだが、意図してか、意図せずしてか、批判の矛先はいつも「自由」というキーワードに結び付いてしまうようだ。

 私もほんの一時期「リバタリアン」というものに少し惹かれたことはあったものの、現在は全く興味がなくなった。と言うか、国家を無くして個人だけで成り立つ社会というのは不可能に近いと思うに至った。

 おそらく、世の中の「リバタリアン」と言われる人々は、個人の才能だけで生きていけると思えるほどに優秀で仕事ができる人が多いのだろうと思うが、本当に国家を無くして生活できるのかをよくよく考えてみると、かなり無理があると思う。むしろ、国家というものがあるがゆえに、そのような自由過ぎる発想が出てくるのではないかとさえ思える。

■警察のいないアナーキー社会

 例えば、あなたに若い娘がいたとして、その娘が近所の暴力団に誘拐され、暴力団事務所に監禁されている場合をシミュレーションしてみよう。

 その場合、あなたがどういう行動に出るかと言えば、普通は警察に相談するだろう。単身で暴力団事務所に殴り込みに入るような漫画の主人公のような人はともかくとして、普通は「娘が暴力団に誘拐されたのでなんとかしてください」と警察に懇願するのではないだろうか。
 そして、警察官が暴力団事務所に乗り込んで、娘を奪い返してくれれば、「助かった…」ということになるだろう。

 しかし、もし国家というものが無くて、警察という組織も無ければどうなるだろうか?
 民間の警察や用心棒やパトロールはいるかもしれないが、そういった人々が本当に暴力団の事務所に乗り込んでくれる保証があるだろうか?
 多額のお金を支払えば、命の危険を冒してでも乗り込んでくれる人はいるかもしれないが、法的にその暴力団を拘束する権利も逮捕する権利も持たないのであれば、一時的に解決できたとしても、またいつ何時、暴力団に狙われるか分からない。そんなアナーキーな社会では、安心して眠ることもできないだろう。

■国家は頼りになる最強の暴力団

 ところが、国家権力をバックにした警察であれば、暴力団を拘束する権利も逮捕する権利も有しており、民間の警察と違って、多額のお金を請求されることもない。この絶対的な安心感は、どこからくるのかと言えば、偏に「国家権力」という最強の暴力団が用心棒になっているところにある。

 「国家とは人間の富を略奪する無敵の暴力団である」というのは、経済学者の故竹内靖雄氏の言葉だが、見方によってはこれほど頼りになるものはない。
【参考文献】『国家と神の資本論』(竹内靖雄著)

 ただし、「最強の暴力団」というだけあって、その組織自体が腐敗すれば、ホッブスが言った通り、手の付けられない無敵の怪獣になってしまうので、暴走しないように常に監視する必要はある。如何に頼りになる番犬でも、狂犬病ウイルスに感染すると飼い主まで傷付ける最凶に恐ろしい化け物に変化してしまう。

 上記は、あくまでも譬え話だが、トータル的に見れば、普通に生活している善良な一般人にとっては国家の存在はプラスになる場合が多いと思う。

 少し話は逸れるが、北朝鮮に誘拐(拉致)された人々(拉致被害者)を奪い返すことができないのも、ここで言うところの国家権力の役割を果たすものが存在していないからとも考えられる。それはつまり「軍隊」だ。
 日本は敗戦後の諸事情によって、自国の国防を他国(アメリカ)にアウトソース(外注)しているという世界でも稀な国だが、自前の「軍隊」を持たないアナーキーな国家だからこそ、拉致問題が発生したとも言える。

 法を犯す悪人(泥棒・暴力団・テロリストetc.)にとっては国家権力はこの上なく邪魔な存在かもしれないが、善良な一般人には国家権力は必要だと思う。
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2019年06月11日

「携帯違約金」まで下げる必要があるのか?


■「違約金を下げよ」というお達し

 少し前に「スマホの利用料金を4割下げよ」と言ったかと思えば、今度は「2年縛りの途中解除違約金を上限1000円にせよ」というお達しが出たらしい。
 スマホ利用料金を4割下げるだけでは、まだまだ足りないということなのだろうか。しかも、期限が今秋までということで、まるで消費増税の前に行わなければ意味が無いと言わんばかりだ。

 現在の途中解除違約金は9500円となっているが、この料金には、顧客の囲い込みという目的の他にも、諸経費等が含まれているのではないのだろうか? 大手携帯キャリアからすれば「2年間程度は同一機種を使用していただかないと採算が合わない」という意味で設定されている料金ではなかったのだろうか?

 まさか、単に客を逃がさないためだけに設定された料金ではないと思うのだが、今回の政府(総務省)の発表では、1000円に引き下げても誰も困らないというように受け取れてしまう。

■デフレ促進政策になる危険性

 昔、携帯電話(ガラケー)のみを使用していた時代は、携帯を買い替えてもほとんどお金がかからなかった(実際は基本料金に入っていた)ので、誰もが1〜2年サイクルで携帯を買い換えていたと記憶しているが、スマホが主流になってからは、そんなに頻繁に買い換えたりしないのではないだろうか? 2年縛りで困る(我慢できない)というようなヘビーなユーザーが一体どれだけいるのだろうか?

 政府(総務省)からすれば、単純に、違約金が1000円になれば、多くの人が別のキャリアに移動しやすくなるので、競争が促進されて更にスマホ利用料金が下がるという思惑があるのだろうけれど、政府が目標とすべきなのは、消費量の増大(=景気を良くすること)であって、商品価格を引き下げる(=デフレを進める)ことではない。単に商品価格を下げるだけであれば、デフレ促進政策になってしまう可能性がある。
 競争が促進されて消費量が増えればよいのだが、消費量が増えずに商品が安値化するだけでは、デフレがさらに加速することになってしまう。

 こう言うと、決まって、「携帯料金が下がれば、浮いたお金で他のモノが消費されるようになる」という理想論を言う人がいるのだが、何も消費せずに貯金してしまえば元も子もなくなる。そして、案外、そういう人は多いと思う。スマホには惜しみなくお金を遣うが、それ以外のものにはあまりお金を遣わないという人は大勢いる。

 現状、2年以内で頻繁に解約するような消費者はあまりいないと思われるので、違約金が急落しても、乗り換えはそれほど進まず、経済に与える影響も軽微だと思われるが、民間企業ばかりに仁義なき過剰な競争原理を持ち込むのであれば、少しはNHK受信料の値引きにも精を出していただきたいものだ。



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2019年06月08日

「追加関税」というブラフで勝利するアメリカ


■「無期限延期」となったメキシコへの追加関税

 メキシコからアメリカへの不法移民問題が一向に改善に向かわないとして、トランプ大統領はメキシコからの輸入品に5%の追加関税をかけると言っていた。しかし、3日間の協議の末に、両国間で合意に至ったため、追加関税措置は「無期限延期」となった。

 必要以上に大騒ぎしていたマスコミ報道とは裏腹に、大方の予想通り、メキシコ政府が折れた形となった。
 アメリカのリベラル(似非リベラル)は、「移民を受け入れないトランプ大統領は非人道的だ」として批判している。しかし、当然のことながら、移民には「合法的な移民」と「不法移民」という2種類が存在している。
 トランプ大統領が拒否しているのは後者の不法移民だけであり、合法的な移民まで拒否しているわけではない。
 しかし、日米ともにマスコミ報道では「不法」という言葉は強調せずに「移民が可哀想」というイメージ報道が為されるきらいがあるので、多くの人が「トランプは酷い!」と騙されることになる。

■不法移民を拒否するのは国として当たり前の行為

 国として不法移民を認めるわけにはいかないというのは当たり前の話である。例えば、北朝鮮からの脱北者が際限無く日本海を渡って日本に入ってくればどうなるかをシミュレーションすれば、よく解ると思う。
 幸い、日本は地続きの国が無いため、そのような問題は他人事で済んでいるが、海を隔てずに国の境界線しかない地続きの国が有れば、そうはいかない。国境には常にパトロールが常駐しなければいけなくなる。

 日本でも、飛行機や船で合法的に入国してくる外国人は多数おり、どこの国の誰であっても拒否させずに入国することができる。しかし、不法移民として入国することは許されていない。こんなことは国家の常識であって、アメリカがメキシコからの不法移民を拒否するのは当然の話なのである。

■トランプ大統領の脅迫外交は成功する

 メキシコからの不法移民が存在するということは、自らが生まれた(住んでいる)国を抜け出したいと思うほどに、メキシコが悪い国だと思われているということでもある。彼らは「脱北者」ならぬ「脱墨者」だと言える。国民から逃げ出したいと思われる国こそが悪いのであって、密入国される国(アメリカ)が悪いわけではない。

 そんなことは、当然、メキシコ政府も理解していることなので、不法移民問題では、メキシコ側に負い目がある。その痛い所を鋭く突いたのが、今回のトランプ大統領の脅迫外交だった。関税合戦になって困るのはメキシコ側なので、普通に考えても不法移民対策で合意するしか手は無い。

 中国政府も現状では関税合戦する強気な姿勢を見せているが、いずれ折れる(妥協案を提示する)ことになると思う。無論、トランプ政権が継続し続けるという条件付きで。

 しかし不思議なのは、日本から移民として他国へ抜け出したいという人がほぼ皆無なところだ。日頃から、あれだけ「日本が悪い」「政府が悪い」と宣っている人々の誰一人として日本を捨てて、アメリカや中国に移民として出て行かないのはなぜなのだろう?
 「日本が悪い」と言いつつも、内心では日本が住み易いと思っているのか、それとも、海外に出て行ってまで「○○国が悪い」と言う勇気が無いのかは不明だが、これも不思議の国ニッポンの謎の1つだと言える。


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2019年06月04日

「食料品値上げ」で軽減税率は無意味化する


■無意味化する「軽減税率」

 6月1日から、食料品などが一斉値上げされた。代表的な例を挙げると、日清の即席麺が4〜8%も値上げされたらしい。ちなみに、2015年1月にも5〜8%値上げされている。
 カップヌードルに限って言えば、2015年1月に170円から180円に値上げされ、2019年6月には193円となり、この4年間で13.5%値上げされたことになる。

 次の消費増税では、食料品等には軽減税率が設けられて消費税8%のままに据え置かれることになっているが、その影で食料品の税抜価格が消費増税分以上に値上げされている。ということは、軽減税率が無意味化しているということでもある。

 例えば、1000円の商品を例に考えてみると、

 ◆消費税が10%になった場合

  1000円×1.10=1100円(税収100円)

 ◆1000円の商品が1100円になった場合

  1100円×1.10=1210円(税収110円)

 商品価格が1割上がると、単純に考えても、税収自体が1.1倍になる。つまり、消費税が11%の時と同じ税収になるわけだ。

 ★消費税11%の場合

  1000円×1.11=1110円(税収110円)

■「泣きっ面に蜂」政策になっている消費増税

 商品価格がどんどんと安くなっていくデフレ社会では、消費税収も下がっていくことになるが、商品価格がどんどんと上がっていくインフレ社会になれば、消費税収も自動的に増えていくことになる。

 税抜価格が値上げされれば、それだけ消費税収も上がるわけだから、実質的に増税されているのと変わらない。家計収入がそれ以上に上がっているならともかく、これだけ米中貿易戦争やら、ファーウェイショックやらと先行き懸念が騒がれていると、企業も、おいそれとは給料を上げるわけにはいかないだろう。

 こんな状況では、増税ではなく、むしろ、減税を行うことが望ましいのではないだろうか?
 食料品が4%以上も値上げされるのであれば、消費税は逆に引き下げることが望ましい。消費税0というのは流石に無理があるが、個人的には「消費税8%は失敗(時期尚早)だった」と認めて、現行の半額である4%程度にするのがベターだと思う。

 商品価格が上がると自動的に税収は増加する。わざわざ増税しなくても税収は増えるのである。
 そんな状況下で、更にまだ消費税を上乗せするというのだから、消費者にとっては、踏んだり蹴ったりであり、まさに、「泣きっ面に蜂」政策だと言える。
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posted by 自由人 at 20:52 | Comment(0) | 経済
2019年05月25日

「リーマンショック級」の消費増税


■自傷行為としての「消費増税」

 大幅な減税政策によって景気の良いアメリカと、景気が悪い状況でも消費増税を実施しようとする日本、同じ土俵に立っている先進国同士で、どうしてこうも違うのだろうか。

 これまでの消費増税の実施は、以下のようになっている。

 1989年 消費税3%
       竹下内閣(自民党)で決定し、竹下内閣(自民党)が実施

 1997年 消費税5%
       村山内閣(社会党)で決定し、橋本内閣(自民党)が実施

 2014年 消費税8%
       野田内閣(民主党)で決定し、安倍内閣(自民党)が実施

 2019年 消費税10%
       野田内閣(民主党)で決定し、安倍内閣(自民党)が実施予定


 こうやって見ると、自民党は貧乏くじを引かされた格好となっているが、さすがに今回の消費税10%はインパクトが大きく、自民党にとってはヘタをすると党の存続にも影響を与えかねない自傷行為とも成り得る。

 なんせ、消費税を上げると景気が悪くなることが100%決定しているようなものなので、余程の景気刺激策を打たない限り、景気が良くなることは有り得ない。軽減税率で1%分の増税を相殺するというような姑息な政策では、ほとんど効き目は無いと思える。

 そもそも、前回の消費増税時は、アベノミクスによって、ある程度は景気が良くなったと言われていた時代だった。そんな時であったからこそ、消費税を上げることにも正当性を感じる人もいたのではないかと思う。実際は、あまりにも時期尚早な判断だったと思うが、そう思わなかった有識者も大勢いた。

 しかし今回は、明らかに景気が悪化している状況での消費増税となるので、全く正当性が感じられないことは素人目にも判ると思う。

■増税を許す“前提条件”の変化

 「(景気が良い状態であれば)リーマンショック級の出来事が起こらない限り、消費税を上げる。

 それが、暗黙の約束事だったと思う。つまりは、以下の「and条件」だ。

 【景気が良い】and【リーマンショック級の出来事が起こらない】

 しかし、現状では次のようになっており、「and条件」ではなく「or条件」のようになっている。

 「(景気が悪い状態でも)リーマンショック級の出来事が起こらない限り、消費税を上げる。

 【景気が良い】or【リーマンショック級の出来事が起こらない】

 これは、あまりにも不自然ではないだろうか? なぜ、景気が悪い状態で、さらに景気が悪くなる増税政策を実施しなければならないのだろうか?
 社会保障に財源が必要だと言っても、増税によって景気が大幅に落ち込めば、その財源すら失われることになり、増税とのダブルパンチを喰らい全く無意味な政策になってしまう。

■支離滅裂で本末転倒な「消費増税」

 景気が良い状態であれば、増税を行っても、もしかすると、景気はそれほど悪くならないかもしれない。「リーマンショック級」以前に、景気が良いことが、唯一の増税を受け入れる前提条件ではなかったのだろうか?

 その前提条件が崩れてしまったのであれば、以下のように言うべきだと思う。

 「景気が悪い状態なので、リーマンショック級の出来事が起こらなくとも、消費税を上げることはできません。

 増税を行っても景気が良くなるという“希望”が全く無いのであれば、先に景気を良くすることが必要なのではないのだろうか? 景気を良くするためにはどうすればいいのか? アメリカのトランプ大統領は景気を良くするために大幅な減税を行い、結果を出している。本来なら、それを見習うのが日本が選択するべき道ではないのだろうか?

 多くの国民にとっては、今年の消費増税こそが「リーマンショック級」の出来事だと言える。

 景気が良かろうが悪かろうが「リーマンショック級」の出来事が起こらなければ「リーマンショック級」の消費増税を行い、その結果は確実な不景気。これでは支離滅裂であり、本末転倒と言わざるを得ない。


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posted by 自由人 at 23:21 | Comment(0) | 経済
2019年04月16日

スマホ料金が安くなれば中古スマホ屋が儲かる


■スマホ利用料金が安くなる代償

 政府の鳴り物入りで始まったスマホ利用料金の大幅値下げが遂に開始されたようで、NTTドコモが新料金プラン(「ギガホ」と「ギガライト」)を他社に先駆けて発表した。シンプルなようで複雑な料金体系になっているものの、組み合わせの仕方によっては最大で4割安くなるそうで、一応は、政府の意向に沿った格好となったようだ。

 しかし、今回の値引きと引き換えに、ユーザーに対する過剰なまでのサービスは徐々に打ち切られるようになっていく可能性は高いと思われる。あるいは逆に、これまで無償サービスだったメンテナンス等が有料化されることで帳尻を合わせていくことも考えられる。

 大手キャリア3社が、料金を4割も引き下げても全く困らないほどに濡れ手に粟で大儲けしていたというなら話は別だが、おそらくそんなことはないだろうから、これだけ大きく料金を引き下げれば、スマホ本体を値上げするか、人件費を削るか、人的サービス料金を引き上げるしか手はないのではないかと思う。しかし、スマホ本体の値上げは消費者離れを引き起こす危険性があるので、目に見える商品価格よりも目に見えない人件費を弄る方向で調整が進むのではないかと思われる。

■「安価な料金」と「トラブル無償対応」は両立できない

 スマホ利用料金が安くなれば、これまでスマホを敬遠していた人達も、これみよがしに大勢、大手スマホショップに駆けつけるかもしれないが、その行為は大きな誤算に繋がる可能性がある。

 「えっ、既に格安スマホがあるので、大手キャリアの客はそれほど増えないでしょ」という声が聞こえてきそうだが、ほとんど自力で設定することが要求される格安スマホは、ある程度、コンピューターの知識が無いと使用するのは恐い・心配という機械音痴な人(主に年輩者)は大勢いる。そういった人々は、未だガラケーのみを使用しているか、多少料金が高くてもトラブった時に面倒をみてくれる大手キャリアのスマホを使用している。

 そういった人々が求めているのは、「料金が安価」で「トラブル対応をしてくれる」という日本流の至れり尽くせりのサービスだが、本来、この2つは両立が難しいサービスであり、どちらか一方しか選択できないものでもある。
 実際、「料金が安価」でトラブルは自己責任というのが格安スマホであり、料金は高いが「トラブル対応をしてくれる」というのが大手キャリアの現行サービスであることは言うまでもない。

■サービス料金が騰がると中古スマホが売れる

 スマホ料金を格安スマホ並みに引き下げて、これまでのような過剰なサービスを継続していくことは流石に無理が有り過ぎると思われるので、常識的に考えても人的サービスはカットされて行かざるを得ないと思う。

 これまではトラブルが発生すれば、ほとんど無償で対応してくれていた大手キャリアはもうアテにできなくなる。
 最安値コースに飛びついた機械音痴ユーザー達は、そのうちスマホがトラブった時に、これまでのような手厚いサービスを受けられないということに気が付くだろう。自分で調べて直そうと努力できる人はまだよいが、端から自分で直す気がない人が取るべき手段は、おそらく「スマホ本体の買い替え」となっていくだろう。

 しかし、その場合、新品スマホばかり買い換えていては、結局、これまで以上に出費が嵩むことになるので、予め、初期化されて直ぐに使用できる安価な中古スマホが一層注目されることになるだろう。故障しても使い勝手が解っている同一機種の中古スマホなら、すぐに使用できるという利点もある。機械音痴ユーザー達には、この部分が大きな魅力と映ることだろう。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」「スマホ料金が安くなれば中古スマホ屋が儲かる」というのは、そういう理屈の上に成り立っている。
 これまで通り、大手キャリアで修理してもらうという手もあるが、その場合は今までよりも高額になる。

 スマホ利用料金は安くなっても、スマホ修理費用やメンテナンス料金は高くなる。トータルコスト的にどちらが高くなるかという綱引き計算が行われ、中古スマホを購入するという人は増えていくことだろう。

 「スマホ料金が安くなれば中古スマホ屋が儲かり、新品スマホが売れなくなり、更に景気が悪くなる」にならなければよいのだが…。



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posted by 自由人 at 21:16 | Comment(0) | 経済
2019年04月12日

「共産主義者」はどこに存在しているのか?


■「結果の平等」を求める「共産主義者」

 冷戦後の現代において、「共産主義者」と聞いて、良いイメージを思い浮かべる人はあまりいないと思う。

 「共産主義」とは一般的に「資産・生産手段などを、その社会全体で共有すること」になっているが、もっと言えば、「生産手段」だけでなく「消費手段」をも社会で共有するという思想である。
 「共産主義」と「社会主義」の違いは、「生産手段」を共有するところまでは同じだが、「消費手段」を共有するかしないかという違いがある。
【参考文献】『マルキシズムとは何か』(河合栄治郎著)

 この「生産手段」と「消費手段」を言葉を変えて言うなら、それぞれ「機会の平等」と「結果の平等」ということができるかもしれない。
 「社会主義」は、生じた結果の違いはある程度認めるが、「共産主義」は生じた結果の違いを認めない。
 つまり、「社会主義」は「機会の平等」だけを求め、「共産主義」は「機会の平等」だけでなく「結果の平等」まで求めるという違いがある。

 「共産主義者」が「格差」というものを異常なまでに嫌うのは、「結果の平等」を求める思想なので、当然と言えば当然のことではあるのだが、はたして、本当に「結果の平等」を実践している「共産主義者」がいるのだろうか?

■「結果の平等」を実践していない「平等主義者」

 「結果の平等」を追い求めるのであれば、労働における対価は全て一律平等でなければならないことになる。
 例えば、年収200万円、年収400万円、年収600万円という3人の共産主義者がいたとしよう。

 共産主義者A…年収200万円
 共産主義者B…年収400万円
 共産主義者C…年収600万円

 この場合、年収600万円の共産主義者Cは、共産主義者Aに200万円を譲らなければいけなくなるが、はたして、そんな共産主義者を、あなたは見たことがあるだろうか?
 「私は平均年収以上稼いでいるので、平均以上儲けた分は寄付します」と言っている人を見たことがあるだろうか?

 おそらくは、誰もいないのではないかと思う。「600万円の内、1割の60万円は寄付します」というような人ならいるかもしれないが、本当に「結果の平等」を実践しているようなバリバリの平等主義者は寡聞にして知らない。
 あるいは、資本主義下にいる共産主義者であれば、「結果の平等」は実践しなくてもよいという決まり事でもあるのだろうか?

■生粋の「共産主義者」は存在していない

 しかしながら、「共に繁栄する」という意味での「共産主義者」なら存在するかもしれない。

 例えば、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグなどのアメリカの大富豪達は、資産の何割かを寄付している。これは慈善事業としての側面と、「金持ちが天国に入るのは駱駝(らくだ)が針の穴を通るより難しい」というようなキリスト教的な戒めも関係しているが、どんな理由があろうとも、寄付行為であることに違いはない。
 仮に「共に繁栄する」という思想を共産主義と呼ぶのなら、「結果の平等」を実践できない名ばかり共産主義者よりも、むしろ、彼ら大富豪達の方が「共産主義者」に近いとも言える。

 「結果の不平等=格差」を認めた上での「共産主義者」は存在し得ても、「結果の不平等」を認めず、且つ「結果の平等」を実践しているという生粋の「共産主義者」は実際には存在していないと言っても決して言い過ぎではないと思う。

 最近は、「共産主義者がリベラルを詐称している」というようなことがよく問題視されているが、「リベラル」という言葉の後ろに隠れて目立たなくなっている「共産主義者」という言葉自体が詐称になっていないかどうかも併せて考える必要があるのかもしれない。



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posted by 自由人 at 22:35 | Comment(0) | 経済