2021年11月12日

「10万円相当給付」は分断を招く愚策


■「所得制限」を設けるという愚策

 衆議院選挙が終われば2度目の特別給付金が支給されるだろうことは多くの識者が予想していたが、まさか、18歳以下に限定されるとは想定の範囲外の出来事だったようだ。おまけに所得制限も設けられており、年収が960万円(月収80万円)以下の世帯に限定されるらしい。

 自民党と公明党の折衷案という形で今回の給付金支給が決定されたそうだが、960万円にすれば、9割以上の世帯が対象となるので、「大きな分断は招かない」ということらしい。

 「所得制限」を設けたかったのは公明党ではなくて、実は自民党の方だったらしいが、公明党の山口那津男代表は以下のように述べたと報道されている。

 >「960万円の所得制限ですと、対象世帯(全世帯)のほぼ9割が対象になりますので、大きな分断を招かない。

( )内は筆者注記

 この理屈がよく解らない。例えば、年収500万円で「所得制限」を設ければ、多くの人が対象から外れるので「分断」を生むという理屈なのだろうか?
 なぜ、年収960万円以上の世帯の子供に給付金を配れば「分断」を招いてしまうという理屈になるのだろうか? 普通に考えると、最も「分断」を生まない方策は、「所得制限」などを設けずに万人に一律支給することだと思えるのだが。

■「世帯年収」を暗に公表するという愚策

 年収というもので国民を色分けしようとしている時点で、余計に「分断」を招いているように見えるのは気のせいだろうか? そんなことをすれば、誰が年収960万円以上の世帯なのかを公表することになり、返って「分断」を招くと考えるのが普通の感覚ではないだろうか?

 日本では一昔前まで「長者番付」というものが公表されていた。それが非公表になった背景には個人情報保護の観点があったのかもしれないが、当時は税金を多く納めた人が表彰されるという、現代人が見れば悪趣味とも言えるような長者番付表が新聞にデカデカと公表されていた。

 こういったものは、金持ちに対する嫉妬を招くという意味で公表されなくなったのではなかったのだろうか? そう考えるなら、年収1000万円世帯を暗に公表するような今回の給付金制度は、明らかに嫉妬を招く制度になる可能性を秘めており、その嫉妬感情というものが「分断」を齎すだろうことは火を見るより明らかだと思われる。「あいつの家は年収1000万円以上だ」ということでいじめに遭う子供も増えるかもしれない。

■「年齢制限」を設けるという愚策

 そもそも、政府が「分断」というものに拘り忌避するのであれば、「所得制限」だけでなく「年齢制限」も廃止することが望ましい。国民の税金が原資と言うのであれば、18歳以下だけに給付するというのは不公平であり筋が通らない。コロナ禍によって貧困化しているのは18歳以下だけではないので、誰が考えても無理筋だと言える。

 今回の給付金制度が貧困対策であろうと経済刺激策であろうと、18歳以下に拘る理由というものが全く理解できない。現金が5万円、商品券が5万円ということからも、経済刺激策という側面が有ることは否定できないだろう。

 商品券を配ることを否定する向きもあるが、個人的には必ず消費される商品券を配ることは、それほど悪い政策だとは思わない。しかし、経済刺激策として商品券を配るのであれば、国民全員に対して配らなければ、効果が薄れることになる。

 しかし、いずれにしても10万円というのは安過ぎると思えるが、その点を追及している人はあまりいない。「所得制限」や「年齢制限」に目が行って、「支給金額」そのものが盲点になってしまっているかのようだ。

 現状を考えると、国民全員に100万円分の商品券を配るぐらいが丁度良いと思われる。それぐらいしないと、ここまで落ち込んだ景気はなかなか元には戻らない。

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posted by 自由人 at 18:40 | Comment(0) | 政治
2021年10月27日

政府が目指すべき「新しい資本主義」とは?


■「新しい資本主義」は「資本主義」と「社会主義」のドッキング?
 
 「成長と分配の好循環」をどのように実現するかを議論するための有識者会議「新しい資本主義実現会議」が開かれたらしい。

 岸田首相は会合の場で以下のように述べたとされる。

 「成長と分配の好循環が重要との認識、そうした目標の実現に向けて官と民がともに役割を果たし、あらゆる政策を総動員していく必要があることが共有できた。

 あまりにも抽象的な意見であり、これだけでは具体的な政策内容が全く見えてこないというのが率直な感想だが、「成長」と「分配」の両立を目指すということは、単純に「資本主義」と「社会主義」をドッキングさせたような社会を目指すということになるのだろうか。

 しかし、「成長」と「分配」を一緒くたに考える必要があるのだろうか?

■既に再分配制度が実現している日本

 現在の日本は、イギリスやドイツや中国と同様に最高税率45%という累進課税制度を適用している。所得が多くなればなるほどに重税となるわけだから、十分に再分配制度が実現しているかのようにも見える。

 しかし、それはあくまでも税金をどれだけ納めているかという見えない指標であり、実際に目に見える形で所得の再分配が行われているわけではない。どれだけ多くの税金を納めた人でも、全く税金を納めていない人でも、国のサービスは変わらないという平等システムが暗に構築されているだけに過ぎない。

 それゆえに、多くの人は、“分配されている”という実感が伴わない。誰かが支払った多額の税金のお蔭で行政サービスをタダ同然で受けられているという認識が持てなくなっている。

 棚上げになった件の「金融所得課税」の強化も同様で、「金融所得課税」を上げたところで、政府は税収が増えたという実感が伴うかもしれないが、庶民はその税収がどう使われているのかをトレースすることができないので、全く実感が湧かない。あるいは、全く恩恵が無いということも有り得るかもしれない。

 これを実感のあるものにするためには、税収の使用可視化が必要になってくるが、そうなると、完全な監視社会となり、プライバシーもへったくれも無くなってしまうことになる。それ以前に、税収の使用可視化などは政府が最も嫌がることだと思われるので、実現できるとも思えない。

■「成長」のみで「新しい資本主義」は実現される

 「成長」と「分配」という言葉からは、2つはセットで実施されるものと思われがちだが、本来は別個の概念である。それぞれの言葉に「社会」という言葉を付けると分かり易いかもしれない。

 「成長社会」と「分配社会」にすると、この2つは別個の概念であることが分かる。

 「成長社会」であれば、わざわざ「分配社会」にしなくても、自動的に分配が行われる。

 ここで重要なポイントは、「分配社会」というものは「成長社会」ではなく「非成長社会」にドッキングさせるものだということ。「非成長社会(衰退社会)」であるからこそ、「分配社会」が必要になるのであって、「成長社会」であれば、人為的に「分配社会」にする必要性はそれほど無いということ。

 昔から、「自由」と「平等」は両立できないと言われる。なぜなら、その2つは両立できない別個の概念であるから。
 「自由な社会」であれば「平等な社会」は実現できない。「不自由な社会」であるからこそ「平等な社会」が実現できる。「自由な社会」で実現できるのは「平等な社会」ではなくて「公平な社会」のみ。

 「成長」と「分配」も、ある意味、「自由」と「平等」のようなものかもしれない。
 その両立を目指す必要はなく、本丸の「成長」さえ実現できれば、半自動的に万民の「所得向上」が実現されるので、「分配」という副次的行為は必ずしも必要では無くなるとも言える。

 政府が目指すべきは「経済成長」一択。それができれば、30年間成長してこなかった日本の「新しい資本主義」は実現される。

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posted by 自由人 at 20:05 | Comment(0) | 政治
2021年10月11日

「資本主義」よりも「庶民感覚」を理解していない岸田首相


■株式投資を行っている人の大部分は富裕層ではない

 自民党の岸田氏は、総裁選の場で「金融所得課税」の強化を訴えたせいか、岸田新首相が誕生してもご祝儀相場とはならず、株価は大きく下がった。岸田氏の発言だけが株価の下がった原因ではないとはいえ、株式投資におけるキャピタルゲイン税率を現行の20%から30%に上げるなどと言えば、株式市場に良い影響を与えるはずもなく、ヘタを打ったなという感想しかない。

 楽天の三木谷氏も「岸田新政権の発表は、新資本主義ではなく新社会主義にしか聞こえない」「全く資本主義が理解できていない」と痛烈に批判されているが、資本主義や社会主義以前に、庶民感覚とのズレに問題があるのではないかと思われる。

 岸田首相は、未だに株式投資を行っている人を“金持ち”だと思っておられるのかもしれないが、もしそうであれば、全く間違った認識だと言える。
 大体、本当の富裕層と呼ばれる人達は、わざわざリスクのある株式投資などに大金を注ぎ込まないだろうし、そんな人がいるとすれば、単なる遊びで行っているだけだろう。

 現在、株式投資を行っている人の多くは、普通に会社で働いてもコロナ禍とデフレ下で給料が上がらず、収入が足りないと思っているので、株式投資でなんとか穴埋めしたいと思っている人がほとんどだろうと思う。要するに、副業的な認識で株式投資を行っている人が多いということ。

■政府に対する庶民のささやかな反抗こそが「株式投資」

 富裕層は特に株式投資に精を出す必要はないし、貧困層は元々、株式投資に興味を抱かない傾向にある。株式投資に興味を抱いている層は主に中間層であり、その中間層が経済的な事情で株式投資に興味を持たざるを得なくなっているという現状を理解する必要がある。

 デフレ下における狂気の消費増税とか、デフレ下における緊縮財政とか、日本経済(庶民の生活)を悪化させることしか考えていないかのような経済音痴政策ばかりを連発する政府に対するささやかな反抗こそが、庶民の株式市場への参加だということを知る必要がある。

 金融政策だけでなく、まともな財政政策を講じて、庶民が株式投資など行わなくともよいような真っ当な経済にすることが政治家に要求されているにも拘らず、その穴埋めのための庶民のささやかな副業の邪魔立てをするような真似をすれば、バッシングされるのは自明の理であり当然の帰結だと言える。

 自民党は、「一時的にプライマリーバランスの黒字化を凍結する」とも発表しているが、現状、プライマリーバランスなどは半永久的に廃止すると述べても構わない。プライマリーバランスや消費増税論などは、本当にデフレを脱却して景気が本当に良くなり過ぎてから考えればいいことであり、現在の経済状況下でそんな言葉が出てくること自体が可笑しいのである。



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posted by 自由人 at 00:09 | Comment(0) | 政治
2021年10月02日

河野太郎氏が総理に選ばれる目は初めから無かった


■最悪の結果は免れた自民党総裁選

 9月29日に自民党総裁選が行われ、記念すべき100代目の内閣総理大臣には岸田文雄氏が選ばれる運びとなった。

 マスコミの事前報道では河野太郎氏が圧倒的にリードしているという印象だったが、ネットの保守界隈では高市早苗氏が圧倒的な人気を誇っていた。

 しかし、いざフタを開けてみると、高市早苗氏は善戦したものの、河野太郎氏はマスコミの予想とは裏腹に全く票数が伸びなかった。

 多くの国民は河野太郎氏が総理大臣になると思っていたのかもしれないが、個人的な希望としては、高市早苗→岸田文雄→野田聖子→河野太郎という順番だったので、最悪の結果は免れたという感想しかない。

■岸田氏が良い意味で期待を裏切ってくれることを期待

 岸田文雄氏の特技は「人の話をしっかり聞くこと」であるらしいが、イメージ的には河野太郎氏とは全く真逆とも言える。ネットに出回っている河野氏の素の姿(態度)を観ていると、あまりにも高圧的であり、独裁者気質が見て取れる。

 また、総裁選前にリークされた河野一族と某中国企業の関係もあり、そんな爆弾問題を抱えたまま総理大臣に選ばれてしまうと、次の選挙で自民党の大きな障害になりかねないとの判断もあり、党内では“河野だけは避けたい”という思惑も働いたのかもしれない。

 聞くところによれば、岸田陣営と高市陣営は協力して河野氏に対抗する体制が組まれていたということらしいので、河野太郎氏が総理に選出される可能性は初めから無かったのかもしれない。

 岸田氏は「数十兆円規模の経済対策(財政出動)を行う」と耳障りの良いことを述べられてはいるが、最終的には増税を行う姿勢も崩していないようなので、正直、あまり期待できないが、記念すべき100代目の総理大臣として、予想外の御活躍(減税等)をして、良い意味で期待を裏切ってくれることを期待したい。

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posted by 自由人 at 10:33 | Comment(0) | 政治
2021年09月22日

「レジ袋の有料化」と「レジ袋の減少化」が生んだ本末転倒な事態


■失敗の原因は二兎を追った「偽善政策」

 昨年(2020年)の7月にレジ袋が有料化され早1年2ヶ月が経過したが、途中経過として意外な…と言うよりも予想通りの結果が出たと報道されている。その予想通りの結果とは何か? もちろん、万引きの増加である。

 これまでの常識では、スーパーに買い物に行く時は、小さなハンドバッグやショルダーバッグを持って入店することは有り得たが、口が開いた大きなカバンを持って入るようなことは御法度だった。

 スーパーの万引きGメンは、商品が入る大きなカバンを持っているような人をマークして目を光らせているのが普通だった。
 しかし、誰もがマイバッグ持参を余儀無くされると、「万引きします」と言わんばかりの口の開いた大きなカバンを持って堂々と入店する人が急増し、万引きGメンの目も届かなくなってしまった。

 その隙を狙って、万引きに励む人が出てくるだろうことは容易に想像が付くことだった。

 このような問題が発生するだろうことは目に見えていたが、その根本的な理由は、「レジ袋の有料化」と「レジ袋の減少化」という二兎を追ったことにある。「経済政策」と「環境政策」を両立しようとしたことがそもそもの原因である。一言で言うなら、「偽善政策」になってしまったことが災いしたということでもある。

■悪夢のような政治が続く理由

 「レジ袋の有料化」だけを実施していれば、マイバッグを持ち歩く必要はなく、買い物する度にレジ袋代を請求されるだけで済んでいた。しかし、「レジ袋の有料化」を実施する主たる目的を「環境問題」にすり替えてしまったために、マイバッグを持参するというオプションを追加せざるを得なくなり、余分なお金を支払いたくない人々は、マイバッグを持参することを厳しく励行するようになった。

 その結果として、「レジ袋の有料化」で入った微々たる金額よりも、「万引き」で出ていく金額の方が大きくなるという皮肉な事態を招いてしまった。スーパー側の視点で観れば、数円を得るために数百円を失うといった感覚だろうか。
 悪いのはスーパーではなく政治家の方だが、まさに「偽善政策の失敗、ここに極まれり」と言ったところだろうか。

 しかしながら、どんなに本末転倒な政策であったとしても、この政策が見直されて中止になるようなことはまず有り得ないと思う。
 以前にも少し指摘したことだが、世界のグローバル支配者層が勝手に決めた偽善政策に振り回されているのが日本の政治家の姿でもあるので、単に政治家を責めるだけでは何の解決にもならないと思う。

 そういう政治的な裏事情を多くの国民が理解するようにならなければ、日本の政治は誰が総理大臣になろうと、いつまで経ってもこんな調子だろうと思う。

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posted by 自由人 at 21:39 | Comment(0) | 政治