2019年12月01日

「ジャパンライフ」を招待したことは罪なのか?


■「ジャパンライフ」の商品広告を新聞に掲載していた新聞社

 「桜を見る会」にマルチ商法の反社会勢力「ジャパンライフ」が招待されていたことが判明したことによって、野党4党および一部のマスコミが激しく追及していたが、ここにきて、多くの新聞社が「ジャパンライフ」の商品広告を新聞に掲載していたことが判明した。

 マスコミにとって不都合が事実が判明したことで、今後はマスコミの批判も潮が引いていくようにフェードアウトしていくことになるのかもしれない。

 この件で言えることは、何年も前のことを遡ってまで責任を追及することは無理があるの一言に尽きるということ。その時点で詐欺が発覚していたのならともかく、詐欺が公に判明していなかったことまで責任を追及することは法的にも御法度な行為だと言える。

■「罪が発覚する前」と「罪が発覚した後」は別物

 ジャパンライフの詐欺が発覚する前に新聞社がジャパンライフの商品広告を載せようが、安倍総理が「桜を見る会」に招待しようが、それは罪とは言えない。その会社が詐欺を働いていたことに気がつかなかったというだけのことであり、見る目が甘かったと認めればそれで済む話である。
 
 ジャパンライフを「桜を見る会」に招待していたことで安倍総理が責任をとって辞任しなければならないということであれば、同じ理屈でジャパンライフの商品を新聞に載せていた新聞社も店を畳まなければならないということになる。本当にそれで良いのか?と言えば、良いわけがないだろう。

 日本では、ある会社の社員が犯罪行為を起こせば、その会社の上司や社長にまで責任を追及するという悪い習慣があるが、今回の件もそれに近い構図だと言える。

 その昔、マスコミは、犯罪集団と判明する前のオウム真理教をテレビのバラエティ番組などに出演させて持ち上げていたことがある。これなどは、ジャパンライフの商品広告を新聞に掲載することよりもはるかに罪深い行為だと思えるが、それでも罪は問われておらず、責任も追及されていないだろう。

 「罪が発覚する前」と「罪が発覚した後」では対応が変わる、ジャパンライフの場合もこれと同じだ。ジャパンライフの罪が発覚した後に「桜を見る会」に招待していたというなら大問題だが、罪が発覚する前に招待していただけなら、それほど大きな問題ではない。
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posted by 自由人 at 11:43 | Comment(0) | 政治
2019年11月17日

「桜を見る会」狂奏曲を憂う


■100年以上の歴史がある「桜を見る会」

 テレビ・新聞・ネットニュースと、この1週間、メディアは「桜を見る会」批判1色となった。今週からは「桜を見る会」という言葉が「沢尻エリカ」に置き換わってしまったようだが…。

 「桜を見る会」は、歴史ある行事であるらしく、昔は現在の園遊会のように皇室主催で行われていた。当時の呼び名は「観桜会」といい、「観菊会」というものも行われていた。
 「観桜会」と「観菊会」は戦争(日中戦争)を機に中止となり、戦後(独立後)、「観桜会」は吉田 茂総理が主催となり「桜を見る会」として復活した。
 「観菊会」の方も戦後、「菊を観る会」として復活したが、主催者は総理大臣ではなく、環境大臣となっている。

 その後、60年以上に渡り開催されてきたが、今回の騒動で来年は中止になる運びとなってしまった。
 ちなみに、この60数年間で「桜を見る会」を主催したのは、歴代の自民党総理大臣だが、2010年には民主党の総理大臣だった鳩山由紀夫氏が主催している。

 「桜を見る会」が現在も皇室主催で行われていれば、おそらく…と言うか、絶対に今回のような批判は起こらなかったと思われる。主催者が安倍総理ということで、これだけ大きな批判に繋がったのだろうと思う。

■スケールが小さ過ぎる「桜を見る会」批判

 個人的には、「桜を見る会」も「菊を観る会」も絶対に必要なものだとは思えないが、100年以上も続いてきたものをあっさりと中止にしてしまう野党側の姿勢も与党側の姿勢も釈然としないものがある。

 野党でも、今後、与党になれば「桜を見る会」を開催する立場になるというのに、なぜ中止にまで追い込む必要があるのだろうか?
 それとも野党は今後も与党になる可能性が無いという判断から、やぶれかぶれになっての事業仕分け的な批判なのだろうか?

 安倍総理にしても、あっさりと「来年は中止にします」と引き下がってしまったが、本当にそれで良かったのだろうか? 「臭い物に蓋」ならぬ、「五月蝿い反安倍野党に蓋」で良かったのだろうか?

 「桜を見る会」は税金の無駄遣いということで批判されているようだが、正直なところ、あまりにもスケールが小さいなと愕然としてしまう。
 国会で国民の税金を使用して、そんなことを批判している暇があるのであれば、消費増税による消費の落ち込みでも批判した方が野党らしい活動だと言える。

 国民の生活を第一に考える野党であれば、「桜を見る会」における数千万円程度の税金の無駄遣いよりも、億円単位の消費の落ち込みをこそ嘆かなければいけない。
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posted by 自由人 at 09:02 | Comment(0) | 政治
2019年10月29日

政治家の身の丈に合わない「言葉狩り」


■政治家の条件は「失言しないこと」か?

 萩生田文部科学相がテレビ番組内の発言で、「自分の身の丈に合わせて」と発言したことで物議を醸している。

 より正確に言えば、以下のような発言だったらしい。

>「裕福な家庭の子どもが(試験の)回数を受けてウォーミングアップできるというようなことがあるかもしれないが、自分の身の丈に合わせて2回をきちんと選んで頑張ってもらえれば…」

 萩生田氏はその後の釈明会見の場で、「自分の身の丈」という言葉を「自分の都合」と置き換えている。

 「裕福な家庭」という言葉を前置きしてしまったことにより、「自分の身の丈」という言葉が「=貧しい家庭」を意味することになってしまったので、萩生田氏の発言が言葉の選択ミスだったことは否めない。しかし、ただそれだけのことだと思う。

 この程度の失言で、「釈明だけでは済まない」などと憤る理由は何なのだろうか? 普通の良識ある人間であれば、釈明するまでもなく、ただの言葉の綾だと思うだけで、どうでもいいと思う人がほとんどだと思われる。

 しかし、日本ではいつから、政治家の条件というものが、「失言しないこと」になってしまったのだろうか? 一体、誰が一言も失言しない政治家を求めているというのだろうか?

 国民は、失言しない政治家のために税金を支払っているわけではない。失言をしなければいいということなら何もしゃべらなければいいわけで、そんな受け身な姿勢の政治家に何を期待すればいいというのだろうか?

■政治家は身の丈に合った発言をするべき

 「政治家は国民を映す鏡」とも言われるが、本来、政治家というものは、国民の見本となるべき存在であり、普通の人間ができないような大きな仕事をする能力や気概があるからこそ、その期待から国民は税金を支払っているのである。言わば、政治家に対する投資のようなものだ。
 その政治家のやっていることが、小学生にでもできるような言葉狩りでは、税金の無駄遣いとしか思えない。

 小学生が学級会議で挙手して、
 「先生、萩生田君が「身の丈」という言葉を使って貧乏な人を差別しました

 ちょうどこんな感じかもしれないが、こんな批判を聞いても、まともな教師なら理由を聞くだけで怒らないだろう。こんな発言に本気になって目くじらを立てて「謝るだけでは許さない。停学だ!、退学だ!」と言う教師がいれば、それこそ問題かもしれない。
 ところが、そんな教師が現実に存在している。どこに? 野党の中に。

 彼らこそ、小学生よりも遥かに高い政治家としての己の身の丈を自覚し、大人の発言を心掛けるべきである。
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posted by 自由人 at 19:39 | Comment(0) | 政治
2019年10月14日

政争の具に利用される「台風19号」


■台風19号が生んだ「言葉刈り」

 「史上最強の台風」と予報されていた台風19号が日本列島を通過した。現状、40名の被害者(死亡者)を出したと伝えられている。
 今回の台風19号は、かつて5000人近い死者を出した「伊勢湾台風」の再来と言われ、60年ぶりの大型台風になると予報されていたので、その事前の被害予想からすれば、被害は小さかったとは言える。
 しかし、その言い方を少し間違えたことで、またぞろ「言葉狩り」が発生してしまったようだ。

 自民党の二階幹事長が、今回の台風被害について以下のようにコメントしたことで批判されている。

 「予測に比べると、まずまずで収まったという感じだ。

 今回の二階氏の発言を正当なものだと擁護するつもりはないのだが、かといって、「人命軽視だ!」とする批判に素直に同意するのは、あまりにも短絡的過ぎるような気もする。

 二階氏の発言の是非はともかく、台風の被害規模が想定よりもずっと低かったことは事実である。その伝え方を間違ってしまったというのが二階氏のミスであり、人命を軽視しているかどうかまでは、この台詞だけでは判らない。

■台風19号を政争の具にする愚かさ

 台風が上陸する3日も前からあれだけ大々的に命の危機を訴えていたマスコミ報道を観ていた人なら、誰もが「思っていたより被害が少なかった」と思ったと思う。

 では、二階氏はどう言うべきだったのか?

 「予測に比べると、幸いにも被害は少なかったという感じだ。

 こう言えば良かったのだろうか? 答えはノーだろう。おそらく、こう言っていたとしても、「被害が少なかったとは何事か!」と批判されていたと思う。

 では、どう言えば、批判されずに済んだのか?

 「被害は予測以下でしたが、人命が失われたことには違いがありませんので残念です。

 無難にこう言っていれば、おそらくバッシングは免れたと思う。しかし、毎度毎度、ヘタなコメントをすることで政治家の命を擦り減らす危険性が伴うのであれば、もういっそのこと、ノーコメントにすればよいのではないかと思う。

 それでも、「人が死んでいるのにノーコメントとは何事か!」と批判されるのだろうけれど…。

 冗談は於いておいて、多くの被害者が出ている台風被害を政争の具にするのは止めていただきたい。言葉遣い云々よりも、他人の不幸を政争の具にすることの方が大きな問題であり、被害者に対する冒涜だと言える。
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posted by 自由人 at 16:06 | Comment(0) | 政治
2019年07月30日

NHKはリブートされるか?


■NHKリブートの実現性

 参議院選挙が行われる前、テレビ画面に「N国」という文字が出た時、会社の人からこう尋ねられた。

 「N国って何?

 世間の認識はこんなものなのかな…と思いつつ、それとなく「NHKは不用だと言っている党です」と応えた。
 つい最近まで「N国党」は、何かの冗談か、ただの泡沫政党としか思われていなかったのかもしれない。
 しかしながら、現在、その「NHKから国民を守る党」に注目が集っている。日本維新の会を除名された丸山穂高氏が入党を決意したかと思えば、今度は元みんなの党の代表であった渡辺喜美氏が共闘することが判明し、新たに「みんなの党」が結成されるらしい。その勢いに、ふと「梁山泊」という言葉が頭に浮かんだ。

 「自民党をぶっ壊す!」と言って人気を集めた小泉純一郎氏

 「大阪市(役所)をぶっ壊す!」と言って人気を集めた橋下 徹氏

そして、

 「NHKをぶっ壊す!」と言って人気を集めている立花孝志氏

 もちろん、実際にぶっ壊すわけではなくて、現状の時代遅れなシステムのみをリブートするという意味だろうけれど、誰にもできなかったNHKの改革(スクランブル放送化)を実現できるのであれば喜ばしい。

 ただ、なんでもかんでも「改革」「改革」と言って、無駄を省けば良しとする政策は、民主党の事業仕分け政策でも判明した通り、行き過ぎると逆に景気の悪化を招く危険性があるので、あくまでもNHK改革という目的のみに専念していただきたいと思う。

■戦後システムリブートの困難性

 しかし、国民のほぼ全員が不自然だと思っている現在のNHKの受信料システムを、国民の意向を全く考慮せずに頑として護り続けているNHKという組織は、誤解を恐れずに言えば、ある意味、現在の香港人が言うところの中国共産党のような存在だと言えるのかもしれない。
 全くレベルが違うとは言え、日本人にとってのNHKは、香港人にとっての中国共産党の如く、目の前に立ちはだかる融通の利かない巨大組織だと言えるのかもしれない。

 なぜ、公共放送局たるものが、そこまで融通の利かない硬直した独善的な組織に成り上がってしまったのかは諸説あるが、これも戦後の占領政策時から引き摺っているシステムの1つであることに違いはないと思う。

 その日本の戦後システムをほんの少しでも弄ろうとすると、どこからともなく逆風が吹き荒び、嵐のようなバッシングに遭遇する可能性があることは否定できない。
 戦後システムのリブートは総理大臣ですらなかなか実現できない大仕事であるので、はたして「NHKから国民を守る党」にどこまでの仕事(改革)ができるのかは未だ不明としか言い様がないが、この時代の民意というものを上手く味方に付けて、1つの目的を成し遂げていただきたいと思う。

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posted by 自由人 at 20:41 | Comment(0) | 政治
2019年07月25日

「参議院選挙」投票率50%未満が意味するもの


■自民党から逃げた票の受け皿の必要性

 参議院選挙期間中、人々の話題は専ら「京都アニメーション放火事件」と「吉本興業闇営業問題」の方に移り、その影響も手伝ってか、投票率は過去2番目に低い結果となったらしい(投票率は48.8%)。

 今回の参議院選挙では「れいわ新撰組」から当選者が出たことや「立憲民主党」が議席を伸ばす等のニュースが報道されていたが、その原因は結局のところ「消費増税」に反発する人々の票が自民党から逃げたことで、野党票が伸びたというだけのことなのだろうと思う。
 「NHKから国民を守る党」からも当選者が出たが、これも自民党ではNHKの改革は不可能ということで票が逃げた格好なのかもしれない。

 本来であれば、自民党から逃げた票の受け皿となって第1党になるような政党が出てこないことを嘆かなければならない。少し票を伸ばした程度のことで喜んでいること自体がオメデタイとも言える。

■二大政党制の一翼を担う条件

 しかしながら、自民党より左寄りの政党では対抗馬には成り得ない。自民党よりも思想的に右寄りの健全な政党でなければ、二大政党制にはならない。

 国政を任せるべき政治家の条件として最も重要なことは“国を良くしたい”という純粋な目的を持った愛国者でなければならない。
 経済政策的に左右に分かれるのは構わないが、「愛国者」と「非愛国者」というような思想的に分かれた二大政党制などは世界中どこの国にも存在しない。そんな国は世界中探しても日本しか見当たらない。国を良くすることよりも、他党(与党)を蹴落とすことが最終目標になっているような政党では二大政党制の一翼を担うことができないことは、よく考えれば誰にでも解ることだと思う。

■浮動票が動かない限り日本は変わらない

 しかし、投票率が有権者の半分にも満たないというのは、どうなのだろうか?

 例えば、現在の香港で中国共産党の政策に賛成か反対かというような選挙が行われれば、間違いなく、ほぼ全員が投票することになるだろう。自分達の生活、延いては命にまで関わってくるという逼迫感があれば、国民の義務以前に、個人の権利を主張することが当然の行為となるはずだ。

 ところが日本では、消費税が上がってもどうでもいいというような、ある意味、諦観のようなものさえ感じられる。
 あるいは、消費税が2%上がる程度なら何の問題もないという楽観主義のなせる業だろうか? そのくせ、老後の2000万円問題では、あれだけ大きな騒ぎになっていたわけだから、開いた口が塞がらない。

 今回の参議院選挙で判明したことは、毎度のことながら、50%を超える未投票の浮動票が動かない限り日本は変わらないということ、これに尽きると思う。
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posted by 自由人 at 21:15 | Comment(0) | 政治
2019年07月04日

「リーマンショック級」という縁起でもない言葉


■「税収が過去最高」なら急いで消費税を上げる必要はない

 日本記者クラブ主催の討論会において、与野党の党首達による討論会が行われ、安倍総理は以下のように話されたらしい。

>「安倍政権で税率をこれ以上引き上げることは全く考えていない」
>「今後10年間くらい(消費増税は)必要ない」

 消費税を10%に上げて、社会保障費問題が綺麗さっぱり全て解決するのならそれで良いのだが、実際はそういうわけにはいかないので、この意見はあまりにも場当たり的な発言に思えてしまう。穿った見方をすれば、安倍政権が10年後まで続いていないことを見越した上での逃げ口上にしか聞こえない。

 今後10年間、消費増税の必要が無く、11%以上に上げるつもりがないと言い切るのであれば、なぜ今の段階で10%に上げる必要があるのかという説明も明確にする必要があると思う。

>「アベノミクスの成果などで、税収が過去最高になった」

 2014年度に消費税を5%から8%に上げたことで、自動的に消費税収は5兆円以上は増えただろうし、同じく2014年度からは株式譲渡益課税も10%から20%になった(元に戻した)ので、その税収も2倍になっている。その他諸々の税金アップで、税収が上がらないわけがない。

 安倍総理も「成果などで」と保険をかけているので理解しておられるのだと思われるが、アベノミクスの成果は認めるにしても、それ以外の要因でも税収は増えているのに、なぜ消費税率を急いで上げる必要があるのか皆目検討が付かない。

■時期を誤った消費増税は「経済テロ行為」

 そもそも、アベノミクスによって景気が良くなったことで税収が増えたのであれば、本来、行うべきは減税でなければ辻褄が合わないことになる。景気が良くなっても、悪くなっても「増税」では、選択肢は永遠に「増税」しか無いことになってしまう。「増税」だけで「減税」が無いような政治なら、なんのために政治家が存在するのか分からなくなってしまう。

 税収を上げるためには景気を良くしなければならない。そして、景気が実体と掛け離れて良く成り過ぎれば、今度は税率を上げて、バブル景気の熱気を冷まさなければならない。時には刺激剤、時には緩衝材として使い分けるのが税率というものだろう。

 では、現在の日本の景気はバブル状態なのか?というと、とんでもない。実質的には未だデフレから抜け出せていない状態だ。そんな状況で消費意欲(=景気)を減退させる消費増税を行うなど正気の沙汰ではない。言葉は悪いかもしれないが、景気が悪い状態での消費増税は「経済テロ行為」に近いとさえ言える。

■リーマンショック級の神風は吹くか?

 なぜ、政治家が景気を良くしなければならないのかと言えば、1つの目的は税収を上げるためだ。人々が所得を得れば得るほどに税収は増加し、人々が消費活動を行えば行うほどに税収は増加する。(注:所得税と消費税が0%でなければの話)

 景気を良くするか、税率を上げるか、この2つしか選択肢はなく、どちらを実現できるかが政治家に問われる力量・手腕であって、前者を選択および実現できる政治家こそが有能な政治家だと言える。
 逆に、後者しか選択することができないのであれば、自ら無能な政治家だと認めているようなものだとも言える。
 安倍総理は当初、前者を選択したものの、未だ完全には実現には至っていない。そしてそんな状況で後者を選択しようとしているように見える。安倍総理本人にその気がなくても、多くの有権者にはそう見えてしまう。

 このままだと、本当にリーマンショック級の出来事でも起こらない限り、消費増税は行われそうな雲行きになってきつつある。リーマンショック級の神風が吹くことを願いたいところだが、そうなると、一部の国民には塗炭の苦しみが襲うことになってしまう。
 日本は「言霊 (ことだま)の国」と言われるが、「リーマンショック級」などという縁起でもない言葉を使用したことが大きな災難を招く切っ掛けとならないことを切に願う。


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posted by 自由人 at 21:09 | Comment(0) | 政治
2019年06月28日

「日本株式会社」の例え話【政治編】


■日本株式会社における政治家の立ち位置

 日本という国を「株式会社」に例えた話はよく耳にする。大抵は公務員とサラリーマンの関係を表したもので、総務部や経理部がお役所に該当し、営業部や技術部は民間企業に該当する例え話が一般的だ。
 この例え話は、営業職や技術職よりも事務職の方が給料が高いという本来とは逆の社会を皮肉った寓話としてよく使用される。

 しかし今回は、そういった一般的な例え話ではなくて、日本の政治というものを「株式会社」に例えてみればどうなるかを考えてみたいと思う。

 まず初めに、「日本株式会社の社長とは誰だろうか?

 こう尋ねると、ほとんどの人が「安倍総理」と答えるのではないかと思う。しかし、残念ながら、それは間違っている。

 日本株式会社における安倍総理の立ち位置は、おそらく「営業部長」程度だと思う。ちなみに麻生副総理は「営業次長」と言ったところかもしれない。

 民間企業では通常、「営業部長」の立場にある人物は会社の顔として営業活動することはあっても、会社の経営方針を直接的に決定することはできない。経営方針の決定権を有しているのは、取締役クラスになる。

 だから、安倍総理が「消費税の増税を待った方がよろしいのでは?」と取締役に意見することができたとしても、独断で決定する権限はないということになる。
 同じように、麻生副総理が「予定通り、消費税を上げます」と言っても、それは本人の直言ではなく、取締役達の意見を代弁しているようなものとも言える。

■日本株式会社の「見えない取締役」達

 では、日本株式会社を動かしている取締役とは誰なのか?と言うと、もちろん、官僚達である。日本の場合、選挙を通じて政権交代したとしても、変化するのは部長職以下であって、取締役達は変わらない。
 アメリカでは、政権が変わると政治家だけでなく数千人いる官僚も全て入れ替わることになっている(=猟官制)が、日本では官僚はメンバーチェンジせず、そのまま居残るシステムになっている。

 日本株式会社の株主は納税者である一般国民だが、経営陣がデタラメな経営を行ったとしても責められるのはいつも部長職以下で、取締役達は責任を追及されないような構造になっている。
 消費税の増税を影で決めているのが取締役でも、消費増税によって不景気になると責められるのは部長になる。
 
 取締役(官僚)の罪が全て部長以下(政治家)のせいになってしまうのは、ここ数年の出来事をつぶさに観察すれば、なんとなく分かるのではないかと思う。

 日本株式会社が100階建ての高層ビルだとすると、途中の階まではガラス張りのオープンな民間企業だが、途中から上の階はスモークガラスのクローズドなお役所になっている。
 株式会社であるにも拘らず、そのビルの高層階は株主(一般国民)とは無縁の世界で立ち入ることが出来ない空間となっている。そのベールに包まれた空間は、昔からこう呼ばれている、「官僚天国」と。
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posted by 自由人 at 23:22 | Comment(0) | 政治
2019年06月01日

「冗談狩り」という日本政治の病


■冗談も言えなくなっている日本の政治

 自民党の桜田義孝議員が、またまた問題発言をしたとのことで騒がれている。
 今度は一体、どんな発言をしたのかと実際の映像を観て確認してみると以下のように述べておられた。

>「結婚しなくたっていいっていう女の人が増えちゃったんですね。ここ(会場)にいる人は子どもを産める年齢の人が比較的少ないですが(会場笑)、自分達のお子さんやお孫さんには最低3人くらい産んでくれるようにね、お願いしていただきたいんですよ(笑)。

 この発言が「国会議員の恥」とまで言われているそうだが、私には、普通に笑いを取るために話された漫談にしか聞こえなかった。それとも、国会議員は講演の場で冗談を言ってはいけないという決まり事でもあるのだろうか?

 「最低3人くらい産んでくれるようにお願いしてくれなきゃ困りますよ!」と上から目線の命令口調で言えば問題かもしれないが、今回の発言は、笑いながら話されていることからも明らかなように、「子供を産め」と強制的に勧めているわけではない。3人くらい産まないと、少子化に歯止めがかからないという事実を柔らかく伝えたというだけの話だと思う。

 これで問題発言になるなら、一体、どう言えば問題にならないのだろうか?
 逆に以下のように言えば、どうなるのだろうか?

 「結婚しなくたっていいっていう女の人が増えちゃったんですね。ここにいる人は子どもを産める年齢の人が比較的少ないですが、自分達のお子さんやお孫さんにも、無理に子どもは産まなくてもいいとお願いしていただきたいんですよ(笑)。

 逆にこの発言の方が大問題になると思うのだが、今回の桜田議員の発言を批判している人々は、この発言なら問題ないということになるのだろうか?
 しかし、もしこれが本当に問題にならないというなら、政治家は日本の少子化を問題視してはいけないということになってしまうが、それでいいのだろうか?

■「冗談狩り」に勤しむ政治家達

 敵対する政治家が、どこで何を話したかを諜報機関の如く一言一句調査し、どこかに突っ込み所がないかを目を皿のようにして探している。そんな、かつてのシュタージ(東ドイツの秘密警察)のような真似事をするのが政治家の仕事なのだろうか?

 一般的な国民は、そういう重箱の隅を突いた揚げ足取りばかりで肝心なことが何も進まない政治(政争)にこそウンザリしていると思うのだが、なぜ、そのことに気が付かないのだろうか? それとも、そんなことは理解しているが、まともな政治よりも政争パフォーマンスをした方が国民は喜ぶとでも思っているのだろうか?
 
 しかし、先日の川崎市の無差別殺傷事件では、犯罪が起きたのは社会のせいだとして、「この社会をなんとかしなくてはならない」と言いつつ、やっていることが「言葉狩り」にすらなっていない「冗談狩り」では、唖然としてしまう。

 「人間同士の絆が希薄になった社会が犯罪を生む」と言うのであれば、むしろ、言いたいことを何も言えなくなるような「言論の不自由社会」を推し進めているかに見える現在の歪んだ政治(政争)や報道にも、その一因があると言えるのではないだろうか?


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posted by 自由人 at 07:32 | Comment(0) | 政治
2019年05月19日

「戦争」という言葉アレルギー


■「戦争」よりも「戦争」という言葉を嫌う国

 北方領土の返還問題で、日本維新の会の丸山穂高氏が「戦争」という言葉を用いたということで、総バッシングされている。自民党からは非難決議案、野党6党からは辞職勧告決議案を提出され、八方塞がり状態となっている。

 問題となったのは、既に何度も報道されている次の発言。

>「団長は戦争でこの島を取り返すことには賛成ですか? 反対ですか?

 しかし、酔っぱらった議員の口から出た一言で、まさかここまで大事になるとは意外と言うか、平和ぼけした日本らしいと言うか、ここまでくるともう政治家は「戦争」という言葉自体を禁句にした方がよいのではないか?とさえ思えてくる。

 「戦争」そのものを嫌うのではなく、「戦争」という言葉そのものを嫌うという意味で、現在の日本は「戦争」アレルギーではなく、「戦争」という言葉アレルギーになってしまっている。

■「野党主義」になっている日本の政治

 この状況を傍から眺めていると、「また始まったか…」というのが率直な感想であり、おそらく、丸山議員の語った言葉よりも、この異常なまでのバッシングにこそ恐怖感を抱いている人の方が多いのではないかと思える。
 その様はまるで「池に落ちた犬はたたけ」の如くであり、観ていて、あまり気分の良いものではない。

 今回の「戦争」発言を与党の総理大臣が行ったというなら問題になっても仕方がないと思えるが、戦争遂行能力を持たない野党の1議員が酒の席で述べただけなら、その言動を詫びた上で、議員を続けるべきかどうかを有権者の判断に委ねれば済む問題ではないかと思う。有権者が政治家として相応しくないと思えば選挙で投票しなければいいだけのことではないのだろうか。

 しかし現状を観ていると、まるで政治家を続ける判断をするのは、有権者ではなく、我々野党だと言わんばかり。これでは、民主主義ではなく、野党主義になってしまっている。
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posted by 自由人 at 15:59 | Comment(0) | 政治