2019年07月04日

「リーマンショック級」という縁起でもない言葉


■「税収が過去最高」なら急いで消費税を上げる必要はない

 日本記者クラブ主催の討論会において、与野党の党首達による討論会が行われ、安倍総理は以下のように話されたらしい。

>「安倍政権で税率をこれ以上引き上げることは全く考えていない」
>「今後10年間くらい(消費増税は)必要ない」

 消費税を10%に上げて、社会保障費問題が綺麗さっぱり全て解決するのならそれで良いのだが、実際はそういうわけにはいかないので、この意見はあまりにも場当たり的な発言に思えてしまう。穿った見方をすれば、安倍政権が10年後まで続いていないことを見越した上での逃げ口上にしか聞こえない。

 今後10年間、消費増税の必要が無く、11%以上に上げるつもりがないと言い切るのであれば、なぜ今の段階で10%に上げる必要があるのかという説明も明確にする必要があると思う。

>「アベノミクスの成果などで、税収が過去最高になった」

 2014年度に消費税を5%から8%に上げたことで、自動的に消費税収は5兆円以上は増えただろうし、同じく2014年度からは株式譲渡益課税も10%から20%になった(元に戻した)ので、その税収も2倍になっている。その他諸々の税金アップで、税収が上がらないわけがない。

 安倍総理も「成果などで」と保険をかけているので理解しておられるのだと思われるが、アベノミクスの成果は認めるにしても、それ以外の要因でも税収は増えているのに、なぜ消費税率を急いで上げる必要があるのか皆目検討が付かない。

■時期を誤った消費増税は「経済テロ行為」

 そもそも、アベノミクスによって景気が良くなったことで税収が増えたのであれば、本来、行うべきは減税でなければ辻褄が合わないことになる。景気が良くなっても、悪くなっても「増税」では、選択肢は永遠に「増税」しか無いことになってしまう。「増税」だけで「減税」が無いような政治なら、なんのために政治家が存在するのか分からなくなってしまう。

 税収を上げるためには景気を良くしなければならない。そして、景気が実体と掛け離れて良く成り過ぎれば、今度は税率を上げて、バブル景気の熱気を冷まさなければならない。時には刺激剤、時には緩衝材として使い分けるのが税率というものだろう。

 では、現在の日本の景気はバブル状態なのか?というと、とんでもない。実質的には未だデフレから抜け出せていない状態だ。そんな状況で消費意欲(=景気)を減退させる消費増税を行うなど正気の沙汰ではない。言葉は悪いかもしれないが、景気が悪い状態での消費増税は「経済テロ行為」に近いとさえ言える。

■リーマンショック級の神風は吹くか?

 なぜ、政治家が景気を良くしなければならないのかと言えば、1つの目的は税収を上げるためだ。人々が所得を得れば得るほどに税収は増加し、人々が消費活動を行えば行うほどに税収は増加する。(注:所得税と消費税が0%でなければの話)

 景気を良くするか、税率を上げるか、この2つしか選択肢はなく、どちらを実現できるかが政治家に問われる力量・手腕であって、前者を選択および実現できる政治家こそが有能な政治家だと言える。
 逆に、後者しか選択することができないのであれば、自ら無能な政治家だと認めているようなものだとも言える。
 安倍総理は当初、前者を選択したものの、未だ完全には実現には至っていない。そしてそんな状況で後者を選択しようとしているように見える。安倍総理本人にその気がなくても、多くの有権者にはそう見えてしまう。

 このままだと、本当にリーマンショック級の出来事でも起こらない限り、消費増税は行われそうな雲行きになってきつつある。リーマンショック級の神風が吹くことを願いたいところだが、そうなると、一部の国民には塗炭の苦しみが襲うことになってしまう。
 日本は「言霊 (ことだま)の国」と言われるが、「リーマンショック級」などという縁起でもない言葉を使用したことが大きな災難を招く切っ掛けとならないことを切に願う。


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posted by 自由人 at 21:09 | Comment(0) | 政治
2019年06月28日

「日本株式会社」の例え話【政治編】


■日本株式会社における政治家の立ち位置

 日本という国を「株式会社」に例えた話はよく耳にする。大抵は公務員とサラリーマンの関係を表したもので、総務部や経理部がお役所に該当し、営業部や技術部は民間企業に該当する例え話が一般的だ。
 この例え話は、営業職や技術職よりも事務職の方が給料が高いという本来とは逆の社会を皮肉った寓話としてよく使用される。

 しかし今回は、そういった一般的な例え話ではなくて、日本の政治というものを「株式会社」に例えてみればどうなるかを考えてみたいと思う。

 まず初めに、「日本株式会社の社長とは誰だろうか?

 こう尋ねると、ほとんどの人が「安倍総理」と答えるのではないかと思う。しかし、残念ながら、それは間違っている。

 日本株式会社における安倍総理の立ち位置は、おそらく「営業部長」程度だと思う。ちなみに麻生副総理は「営業次長」と言ったところかもしれない。

 民間企業では通常、「営業部長」の立場にある人物は会社の顔として営業活動することはあっても、会社の経営方針を直接的に決定することはできない。経営方針の決定権を有しているのは、取締役クラスになる。

 だから、安倍総理が「消費税の増税を待った方がよろしいのでは?」と取締役に意見することができたとしても、独断で決定する権限はないということになる。
 同じように、麻生副総理が「予定通り、消費税を上げます」と言っても、それは本人の直言ではなく、取締役達の意見を代弁しているようなものとも言える。

■日本株式会社の「見えない取締役」達

 では、日本株式会社を動かしている取締役とは誰なのか?と言うと、もちろん、官僚達である。日本の場合、選挙を通じて政権交代したとしても、変化するのは部長職以下であって、取締役達は変わらない。
 アメリカでは、政権が変わると政治家だけでなく数千人いる官僚も全て入れ替わることになっている(=猟官制)が、日本では官僚はメンバーチェンジせず、そのまま居残るシステムになっている。

 日本株式会社の株主は納税者である一般国民だが、経営陣がデタラメな経営を行ったとしても責められるのはいつも部長職以下で、取締役達は責任を追及されないような構造になっている。
 消費税の増税を影で決めているのが取締役でも、消費増税によって不景気になると責められるのは部長になる。
 
 取締役(官僚)の罪が全て部長以下(政治家)のせいになってしまうのは、ここ数年の出来事をつぶさに観察すれば、なんとなく分かるのではないかと思う。

 日本株式会社が100階建ての高層ビルだとすると、途中の階まではガラス張りのオープンな民間企業だが、途中から上の階はスモークガラスのクローズドなお役所になっている。
 株式会社であるにも拘らず、そのビルの高層階は株主(一般国民)とは無縁の世界で立ち入ることが出来ない空間となっている。そのベールに包まれた空間は、昔からこう呼ばれている、「官僚天国」と。
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posted by 自由人 at 23:22 | Comment(0) | 政治
2019年06月01日

「冗談狩り」という日本政治の病


■冗談も言えなくなっている日本の政治

 自民党の桜田義孝議員が、またまた問題発言をしたとのことで騒がれている。
 今度は一体、どんな発言をしたのかと実際の映像を観て確認してみると以下のように述べておられた。

>「結婚しなくたっていいっていう女の人が増えちゃったんですね。ここ(会場)にいる人は子どもを産める年齢の人が比較的少ないですが(会場笑)、自分達のお子さんやお孫さんには最低3人くらい産んでくれるようにね、お願いしていただきたいんですよ(笑)。

 この発言が「国会議員の恥」とまで言われているそうだが、私には、普通に笑いを取るために話された漫談にしか聞こえなかった。それとも、国会議員は講演の場で冗談を言ってはいけないという決まり事でもあるのだろうか?

 「最低3人くらい産んでくれるようにお願いしてくれなきゃ困りますよ!」と上から目線の命令口調で言えば問題かもしれないが、今回の発言は、笑いながら話されていることからも明らかなように、「子供を産め」と強制的に勧めているわけではない。3人くらい産まないと、少子化に歯止めがかからないという事実を柔らかく伝えたというだけの話だと思う。

 これで問題発言になるなら、一体、どう言えば問題にならないのだろうか?
 逆に以下のように言えば、どうなるのだろうか?

 「結婚しなくたっていいっていう女の人が増えちゃったんですね。ここにいる人は子どもを産める年齢の人が比較的少ないですが、自分達のお子さんやお孫さんにも、無理に子どもは産まなくてもいいとお願いしていただきたいんですよ(笑)。

 逆にこの発言の方が大問題になると思うのだが、今回の桜田議員の発言を批判している人々は、この発言なら問題ないということになるのだろうか?
 しかし、もしこれが本当に問題にならないというなら、政治家は日本の少子化を問題視してはいけないということになってしまうが、それでいいのだろうか?

■「冗談狩り」に勤しむ政治家達

 敵対する政治家が、どこで何を話したかを諜報機関の如く一言一句調査し、どこかに突っ込み所がないかを目を皿のようにして探している。そんな、かつてのシュタージ(東ドイツの秘密警察)のような真似事をするのが政治家の仕事なのだろうか?

 一般的な国民は、そういう重箱の隅を突いた揚げ足取りばかりで肝心なことが何も進まない政治(政争)にこそウンザリしていると思うのだが、なぜ、そのことに気が付かないのだろうか? それとも、そんなことは理解しているが、まともな政治よりも政争パフォーマンスをした方が国民は喜ぶとでも思っているのだろうか?
 
 しかし、先日の川崎市の無差別殺傷事件では、犯罪が起きたのは社会のせいだとして、「この社会をなんとかしなくてはならない」と言いつつ、やっていることが「言葉狩り」にすらなっていない「冗談狩り」では、唖然としてしまう。

 「人間同士の絆が希薄になった社会が犯罪を生む」と言うのであれば、むしろ、言いたいことを何も言えなくなるような「言論の不自由社会」を推し進めているかに見える現在の歪んだ政治(政争)や報道にも、その一因があると言えるのではないだろうか?


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posted by 自由人 at 07:32 | Comment(0) | 政治
2019年05月19日

「戦争」という言葉アレルギー


■「戦争」よりも「戦争」という言葉を嫌う国

 北方領土の返還問題で、日本維新の会の丸山穂高氏が「戦争」という言葉を用いたということで、総バッシングされている。自民党からは非難決議案、野党6党からは辞職勧告決議案を提出され、八方塞がり状態となっている。

 問題となったのは、既に何度も報道されている次の発言。

>「団長は戦争でこの島を取り返すことには賛成ですか? 反対ですか?

 しかし、酔っぱらった議員の口から出た一言で、まさかここまで大事になるとは意外と言うか、平和ぼけした日本らしいと言うか、ここまでくるともう政治家は「戦争」という言葉自体を禁句にした方がよいのではないか?とさえ思えてくる。

 「戦争」そのものを嫌うのではなく、「戦争」という言葉そのものを嫌うという意味で、現在の日本は「戦争」アレルギーではなく、「戦争」という言葉アレルギーになってしまっている。

■「野党主義」になっている日本の政治

 この状況を傍から眺めていると、「また始まったか…」というのが率直な感想であり、おそらく、丸山議員の語った言葉よりも、この異常なまでのバッシングにこそ恐怖感を抱いている人の方が多いのではないかと思える。
 その様はまるで「池に落ちた犬はたたけ」の如くであり、観ていて、あまり気分の良いものではない。

 今回の「戦争」発言を与党の総理大臣が行ったというなら問題になっても仕方がないと思えるが、戦争遂行能力を持たない野党の1議員が酒の席で述べただけなら、その言動を詫びた上で、議員を続けるべきかどうかを有権者の判断に委ねれば済む問題ではないかと思う。有権者が政治家として相応しくないと思えば選挙で投票しなければいいだけのことではないのだろうか。

 しかし現状を観ていると、まるで政治家を続ける判断をするのは、有権者ではなく、我々野党だと言わんばかり。これでは、民主主義ではなく、野党主義になってしまっている。
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posted by 自由人 at 15:59 | Comment(0) | 政治
2019年05月16日

『空母いぶき』インタビュー問題の違和感


■佐藤浩市氏インタビューの「僕らの世代」が意味するもの

 来週公開される大作映画『空母いぶき』に総理大臣役で出演している佐藤浩市氏のインタビューが大きな話題になり物議を醸している。
 原作における総理大臣のキャラ設定が、今回の実写映画化にあたり、ストレスに弱い総理大臣に変更されてしまったらしく、それが今回の騒ぎになった、そもそもの発端であるらしい。



 よく話題の映画が上映される直前に、タイミングよく出演キャストのスキャンダルネタ(交際発覚など)がリリースされるようなことがあるので、今回の話題も、穿った見方をすれば、映画公開前の壮大な宣伝になったとも受け取れてしまうのだが、それは扨措き、そのインタビューで佐藤浩市氏は次のように述べられたらしい。

>「(総理の役は)最初は絶対やりたくないと思いました。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残っているんですね。

 この台詞の中にある「僕らの世代」という言葉は、佐藤浩市氏の年齢から推察すると、「学生運動世代」ということになるのだろうか。体制側に反感を抱くことが当然の時代に生まれた世代なので、体制側の総理大臣を演じるのは抵抗があるということなのだろうか。
 あるいは、この映画は、中国(映画では架空の敵国)との戦闘を描いたものなので、そんな映画の総理大臣を演じると、今後の俳優活動にリスクが付いてまわる可能性があるということで、リスク回避のために、お断りを入れたということなのだろうか。

 そういった邪推も扨措き、ここで問題にしたいのは、佐藤浩市氏が語った「体制側」という言葉である。

■戦後日本の「体制側」における誤解

 「体制側」とは、「権力を握り現在の社会を支配している側」のことを意味している。
 おそらく、佐藤浩市氏は現在の自民党、ひいては安倍総理が体制側の人間と思っておられるのだと思われるが、これは少し誤解があるのではないかと思う。

 もし、安倍総理がバリバリの体制側の人間なら、消費税の増税も躊躇することなく行うだろうし、憲法の改正も遠慮することなく強引に行うだろう。
 しかし、実際はどうかというと、消費税は本音では上げたくないという姿勢が透けて見えるし、憲法も、反対派の批判が恐くて、なかなか実行にまで漕ぎ着けることができずにいるように見える。はたして、独裁体制として忌み嫌われる体制側に、そんな弱腰の指導者がいるものだろうか?

 本来、「体制側」というのは、現状の社会システムを、既得権益を守るがために頑として変えようとしない組織や勢力のことを指すのではないかと思う。
 そう考えると、憲法に限って言えば、憲法を変えることに反対している護憲派(護権派)こそが体制側とも言える。安倍総理は、ある意味、弱腰の改革派の側であって、バリバリの体制側とは言えないのではないだろうか。

 日本では、戦後の歴史的(思想的)な捻れによって、与党の政治家になったからといって、必ずしも体制側の人間とは言えない部分がある。
 強権的な体制側の総理であるならば、憲法の改正についても、消費増税の延期についても優柔不断な態度を見せる必要は無いように思われるのだが…。

 この映画に登場する総理大臣も、ストレスによる緊張で下痢をするという設定に脚色されたらしいので、おそらくは弱腰の総理大臣として描かれているのだろうと思う。
 緊張で下痢をする体制側の人間、そんな独裁者とは程遠い人物を演じることで抵抗感は少なくなったのだろうか。

 佐藤浩市氏は同インタビューで以下のようにも述べておられる。

>「僕はいつも言うんだけど、日本は常に「戦後」でなければいけないんです。戦争を起こしたという間違いは取り返しがつかない、だけど戦後であることは絶対に守っていかなきゃいけない。

 この映画に登場する総理大臣も、このような考えを持った指導者として描かれているのだとすれば、幸か不幸か、映画を観に行くタイプもガラッと変わってしまうのかもしれない。
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posted by 自由人 at 21:55 | Comment(0) | 政治
2019年04月19日

「消費増税中止」待望論


■火の無い所に「消費増税延期論」は出ない

 自民党の萩生田幹事長代行が、虎ノ門ニュース内で、消費税率の引き上げを延期する可能性があることを匂わす発言をしたことで物議を醸している。

 「火の無い所に煙は立たない」という諺通り、安倍総理の側近と言われる萩生田氏の発言は、まんざら出任せでもなさそうだが、与党はその火消しに躍起になり、野党は粗探しに必死になっているかに見える。

 既に耳にタコができるほどに聞かされた台詞だが、今回も例によって、次の言葉が一言一句変わることなく伝えられている。

 「リーマンショック級の出来事が起こらない限り、消費増税は予定通り行う

 「リーマンショック級の出来事」と言えば、その名の通り、世界的な金融ショックか、日本国内における大地震か大噴火位しか思い浮かばない。阿蘇山の大噴火か、富士山の大噴火か、あるいは、米朝戦争勃発による北朝鮮からのミサイル攻撃も含まれるかもしれないが、残り半年の間に、多くの日本人の生命が危ぶまれるような大災害か戦争が起こらない限り、消費増税は行うということになっている。

■消費増税はいつ行うべきなのか?

 しかし、最近の政府発表でも「景気は悪くなっている」と伝えられているのだから、そんな経済状態下で消費増税を行うこと自体がおかしいとは思わないのだろうか? 消費増税を行うことで「リーマンショック級の出来事」を呼び込むことになるとは考えないのだろうか?

 さすがに、消費増税を行って景気が良くなると言っているような酔狂な人は誰もいない。意見としては次の2つしかない。

 1、消費増税を行えば景気が悪くなるので、先送りした方がよい。

 2、消費増税を行えば景気が悪くなるが、財政再建のためには止むを得ない。


 結局、どちらに転んでも景気は悪くなるわけで、いつ行うのかという違いがあるだけだ。

 では、消費増税はいつ行うべきなのか?

 答えは、「景気が良過ぎる時」である。

■国民は「消費増税を中止します」を待ち望んでいる

 そんな時がこの先、来るかどうかは分からないが、景気が良すぎてバブル経済になっている時に、その過熱感を抑えるために消費増税を行うというのが理想的だと言える。
 逆に言えば、そういう時でも無ければ、消費増税は行うべきではないとも言える。

 では、消費税が5%から8%に上がった時は、バブル景気だったのか?というと、もちろん、そんなことはない。まだ、少し景気が良く成りかけていた助走段階だったに過ぎない。そんな時に消費増税を行ってしまったので、景気は腰折れし、再度、景気が悪くなってしまったというのが現在の状況だ。

 多分、そんなことは百も承知だと思われるが、それでも、そんな過ちを再び繰り返そうとしているのが、現在の政府だ。
 そんな政府の要人から「崖に向かってみんなを連れて行くわけにはいかない、また違う展開はある」という心ある台詞が出たことは吉報だと言える。

 今後、「消費増税を中止します」と言っても、「裏切った」などと言う国民は、ほぼ皆無だろうと思う。むしろ、「よくぞ言った」と誉め称える人がほとんどだろうから、誰にも遠慮することなく「消費増税を中止します」と言っていただきたいと思う。また、そうであってこそ、「景気が良過ぎる時」が訪れる可能性が出てくるのである。

【関連記事】
消費税を上げるとなぜ景気が悪くなるのか?

「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」という奇妙な論理

「消費不況」の最中に「消費増税」を約束する危険性



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posted by 自由人 at 23:30 | Comment(0) | 政治
2019年04月09日

「安倍政治」に対抗できる手段とは?


■「安倍政治に対抗できるのは…」という台詞

 今日、横目でテレビ番組を観ていると、『衆議院議員大阪12区補欠選挙』候補者の演説シーンが映されていた。
 その演説シーンを聞いていると、次のような台詞が耳に入ってきた。

 「安倍政治に対抗できるのは…

 何も考えずに聞いていると、つい馬耳東風で聞き流してしまいそうな台詞だが、よくよく考えてみると、これは非常に可笑しな台詞だと言える。

 「対抗する」などと言われると、なにやら、与党や安倍政治を「叩き潰す」というようなニュアンスが伝わってくるのだが、何かおかしくないだろうか?
 「安倍政治」という言葉を「与党」や「自民党」に置き換えても同じことが言えると思うが、有権者が野党(他党)に望んでいるのは、与党を叩き潰すことでも打ち負かすことでもなく、より正しい政治によって、国(国民の生活)をより良くすることだろう。そのためには現実的な「対抗策」を述べなければ意味がない。

 もちろん、安倍政治にも功罪は有る。しかし、「功」の部分が一切なくて、全てが「罪」だと言うのでは、明らかに無理がある。
 安倍政治によって、少なからず以前よりも景気が良くなり、株価や求人倍率が上がると同時に失業率も下がり、近隣諸国の外交リスクも低下したことは「功」の部分として認めなければいけない。それを認めた上で、「消費増税を行うのは間違いだ」と言うのであれば、まともな有権者は、その政治家を応援することができるのだが、そんな当たり前のことができない。

 他人(他党)に対し、認めるべきは認め、否定するべきは否定するという、人間(政治家)として、ごく当たり前のことができていないので、まともな有権者からは、そっぽを向かれることになる。
 良い部分は残した上で、悪い部分を変える(=バージョンアップ)というスタンスではなくて、全てを変える(=フォーマット)というスタンスを採るので、危なっかしいイメージを持たれてしまう。

■「対抗」するために必要なことは何か?

 そもそも、「対抗する」などという言葉は、真逆の思想の持ち主から発せられる敵対的台詞であり、端から相手を独裁者とでも決め付けていなければ出てこない台詞である。

 例えば、「中国の覇権主義に対抗する」とか「北朝鮮の威嚇行為に対抗する」と言うなら日本の政治家が言う台詞としては真っ当だと言えるが、同じ自国内で、「安倍政治に対抗する」とか「安倍政治を打倒する」などと言われても、「えっ、何を言ってるの?」という感じで、まるで現実味が感じられないという人は多いと思う。この数多の一般人の感覚が解らないということであれば、非常に滑稽だと思う。

 現在の自民党は、第一次安倍内閣時よりも、かなり左寄りにシフトしている。アメリカで言うなら、完全に民主党の立ち位置に近い。そんな自民党に対抗するのが更なる左寄り政党では、「対抗」になっていない。

 もし本当に「安倍政治に対抗する」と言うのであれば、自民党よりも右寄りでなければおかしいことになる。これもアメリカで言うなら、共和党的なスタンスでなければ「対抗」にはならない。

 単純化すると、「左翼→リベラル→保守→右翼」となるが、現状は、リベラルに対抗している左翼という構図になっている。これでは勝てるはずがない。

 リベラルに対抗できるのは保守でなければいけない。もっとも、自民党はリベラルでも、安倍総理個人として見れば保守の括りに入るので、それ以上の右となると逆に有権者の支持を得るのは難しくなる。この辺が、良くも悪くも現在の自民党の強さの秘密なのだろうと思われる。

(注記)ここで述べた「リベラル」とは、無論、「自由主義者」のことではありません。



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posted by 自由人 at 22:03 | Comment(0) | 政治