2020年12月11日

「35円値下げ」になったNHK受信料の妥当性


■NHK受信料の値下げに言及する政府
 
 2020年10月からNHKの受信料が月額1260円から1225円となり、35円値下げになった。しかし、それでは足りないということで、武田総務相は先月、以下のように述べた。

 「コロナ禍において、家計の負担を減らす受信料の値下げにまず着手するのが公共放送としてのあるべき姿だ

 この発言から一月が経過しても、NHKは重たい腰を上げようとはしないので、武田総務相は更に以下のように捲し立てたらしい。

 「コロナ禍で早期にやらずにいつやるのか。家計の負担を軽減するため、国民の受信料で成り立つ公共放送が何をすべきかしっかり考えてほしい

 実際のところ、NHK受信料を数十円とか数百円下げたところで、コロナ禍における国民生活が大きく改善されるとも思えないが、「携帯電話料金よりもNHK受信料を値下げするべき」という多くの国民からの意見を無視するわけにもいかなくなったのかもしれない。

 先日も、高橋洋一氏が「公共放送分に見合う受信料は毎月200〜300円程度」と言って話題になっていたが、仮にNHKが国営放送になった場合、税金として支払う適正料金もその程度なのかもしれない。

■国民が求めているのは「料金の引き下げ」ではなく「制度の公平性」

 赤字経営の民放と違い黒字経営で潰れる心配のないNHKが受信料を引き下げることは歓迎するべきことなのかもしれないが、大部分の国民がNHKに求めているのは、料金の引き下げではなく、制度の公平性であり、公共放送という立場に胡座をかいて、番組を観ない人からも有無を言わさずに視聴料を徴収するという不条理極まりない受信料制度をこそ見直して欲しいと願っている。

 例えば、朝から晩まで四六時中、NHKの番組ばかり観ているような人であれば月額3000円にしても構わない。しかし、NHKの番組を全く観ない人が、なぜ同じ料金を支払わなければならないのか?というのが本音だと思う。要するに、定額制ではなく従量制にしてほしいということ。

 通常、定額で見放題のサブスクリプションサービスの契約というのは、そのサービスを利用することが前提であり、全くサービスに依存していない人であれば、どれだけ安価なサブスクサービスであっても契約するような人はいない。映画やドラマを一切観ないような人であれば、たとえ月額100円でもネットフリックス等には加入しないだろう。

 ところが、NHKの場合、全くサービスを必要としていない人からも同じようにサブスク料金を徴収している。そういう出鱈目な制度を改めてほしいというのが国民の願いなのである。

■DVD販売で利益を上げるNHK

 ところで、NHKではオリジナルのテレビドラマが製作されている。少し古いが、例えば、以下のようなドラマがある。

   

 こういったテレビドラマはテレビで放送されるだけでなく、放送終了後にはDVDとして販売、またはレンタルされていたりする。受信料として集金したお金で製作しているテレビドラマであるなら、そのDVDを販売することによって得られた利益はどうなるのだろうか? 最近、DVDレンタル店で、ふと、そういう素朴な疑問を抱いた。

 もし、NHKが赤字経営であり、DVDを販売することによって赤字を埋めているということなら理解もできるが、元々、巨額の利益を経常した上で、DVDを製作・販売することで更に利益を上げているということなら、その利益は受信料を支払っている視聴者に還元されるべきものではないのだろうか? つまり、受信料に反映(=値下げ)するべきではないのだろうか?

 公共放送局としてのNHKに対して、毎月定額の受信料を支払っている視聴者は、言わば、NHKの長期永年株主のようなものであり、株主から集めた資金で番組を製作して利益が得られたのであれば、必要以上の利益は自社にプールするのではなく、株主に配当として還元するべきという意見があってもおかしくないと思う。

 視聴者からの受信料によって製作した番組を営利目的で副次利用して更なる利益を上げることが、公共放送局の仕事なのだろうか? それだけ商魂逞しければ、民営化しても十分にやっていけるのではないかと思われるのだが…。

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posted by 自由人 at 22:33 | Comment(0) | 社会問題
2020年10月16日

NHKは「公共放送局」or「秘密警察」?


■個人情報の管理を望むNHK

 総務省の有識者会議に於いて、NHKは以下のように述べたらしい。

家庭や事業所でテレビを設置した場合は、NHKへの届け出を義務化し、受信契約を結んでいない世帯の居住者の氏名、および、転居があった場合は転居先などの個人情報を公的機関などに照会できるようにする仕組みの導入を要望する

 昔、大手家電量販店でテレビを購入した時、NHK用として住所や氏名等を書かされた記憶があるので、今回の要望は、小売店やネットでテレビを購入した場合の届け出漏れを無くすように要望したということなのだろうか?

 転居した人の転居先を公的機関(役所)で照会できるようにするというのは、良く言えば「探偵」や「警察」、悪く言えば「借金取り」や「ストーカー」のようなイメージが浮かんでしまう。

 しかし、現代のような個人情報の流出に神経質になっている時代に、このような要望を出すことは、少々、無理が有るのではないかと思われる。政府ではなく、公共放送局が個人情報を管理・把握したいと言うのは、少し不自然ではないかと思う。

■秘密警察のような公共放送局

 車メーカーが、車やバイクなどを購入した顧客の個人情報を管理・把握しておきたいと言うなら理解はできる。それは保障という意味でも必要だと思われるので、誰も個人情報の提供を否定したりはしないだろう。リコールやメンテナンスを受けるという意味でも必要だからだ。

 あるいは、電機メーカーが大画面テレビを購入した顧客の個人情報を管理・把握しておきたいと言うなら、それも故障した時の保障に必要になるだろうから誰も否定はしない。

 ところが、NHKの場合は、何の保障も無いのに、テレビを購入した人の個人情報を管理・把握しておきたいと言う。テレビにNHK放送が映らなくなったからといって、NHKが無償で修理してくれるわけでもない。
 テレビにNHK放送の受信装置を内蔵しているので、テレビを購入した人は自動的にNHKの視聴者になるという理由で個人情報の提出を求める。これでは、公共放送局というより秘密警察のようだ。

■NHK放送を動画配信サービスとして考えると…

 受信料を支払わずに無料で観る人が許せないのであれば、NHK放送が受信できないテレビを販売すればいいと思うのだが、なぜ、日本ではNHK放送が受信できないテレビが販売されていないのだろうか?

 テレビ本体を購入すると、動画配信サービス(NetflixやAmazon Prime Video)が1年間無料とかいうサービスなら有ってもよさそうだが、テレビ本体と有料のNHKの永続加入がセット販売というような融通の利かないシステムが有り得るとすれば、世の中にNHK以外のテレビ放送局が無い場合、つまり、他に選択肢が無い場合に限られる。国営放送しか無いような国なら、そういうシステムがあってもおかしくないが、幸い、日本はそんな国ではない。

 NHK放送を観放題のサブスクリプションサービス(動画配信サービス)として考えると、月額1300円程度なので、Netflixと同程度ということになる。
 しかし、動画配信サービスに加入するなら、最低でも1ヶ月間に映画10本(20時間程度)は観なければ割に合わない。

 コロナ禍でNHKニュースを観る時間が以前よりも増えたという人は多いかもしれないが、サブスクサービスと考えると、コストパフォーマンスが良いと思っている人がどれだけいるのだろうか?
 ちなみに私もNHK受信料を真面目に支払っているが、全く割に合わない(コスパが悪い)と思うので、選択の自由が有るなら絶対に契約しないと思う。

 有識者会議で受信料制度の在り方を検討するのであれば、いい加減に、この誰が考えても可笑しいシステムの見直しをこそ検討していただきたい。政府はNHKの要望よりも大部分の国民の要望にこそ耳を傾けるべきだ。



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posted by 自由人 at 23:11 | Comment(0) | 社会問題
2020年09月10日

思想統制化するハリウッドのアカデミー賞


■リベラルに私物化されるハリウッド

 「アカデミー賞」を主催する映画芸術科学アカデミーは、2024年度から、アカデミー賞の受賞条件として、新たな基準を設けると発表した。

 その「新たな基準」というのは以下のようなもの

 ●主人公または主要キャストにアジア人、ヒスパニック系、黒人、中東出身者、
  ネイティブ・アメリカン、ハワイ先住民などの人種または民族的少数派の
  俳優を少なくとも1人は起用する。


 あるいは

 ●脇役の30%は「女性」「人種/民族的少数派」「LGBTQ」「障害者」のうち
  2つのグループの俳優を起用しなければならない。


 そして

 ●製作スタッフに少なくとも2人は、「女性」「人種/民族的少数派」「LGBTQ」
 「障害者」のいずれかを起用する。


■「赤デミー賞」と化したアカデミー賞

 この発表以前からハリウッドがリベラル勢力に乗っ取られているという噂話は尽きなかったが、ここまであからさまな発表をされると、「やっぱりな…」という感想しか出てこない。

 長年、ハリウッド映画を観続けてきた者としては、非常に残念な発表だった。これでアカデミー賞は名実共に「赤デミー賞」になってしまい、もはや、何の魅力も無くなってしまった。

 ポリコレ的に思想統制されたような映画しかアカデミー賞を受賞できないとなると、才能があっても映画監督に成りたいと思うような人は少なくなっていくかもしれない。今後は、人々に感動を与える才能を持った映画監督ではなく、人々を思想統制することに生き甲斐を感じるような全体主義気質の映画監督ばかりが出てくるようになるかもしれない。

 それはまさに、戦後、日本で行われた「公職追放」のようなものであり、これからのハリウッドの映画監督は保守的な人はいなくなり、左翼的な人ばかりになるかもしれない。

■「黒人ばかりのアカデミー賞」となる日

 先日、マーベル映画『ブラックパンサー』で主人公を演じた黒人俳優のチャドウィック・ボーズマン氏が亡くなったというショッキングな報道があった。
 『ブラックパンサー』は、異例のオール黒人キャストで撮影され大ヒットした映画だったが、白人から黒人へのキャスト移行はもう随分と前から始まっている。

 『ロッキー』シリーズの『クリード2』では、主人公のロッキーが「お前の時代だ」と言って、かつての宿敵アポロの息子に主役の座をバトンタッチ。

 『アベンジャーズ/エンドゲーム』ではキャプテン・アメリカが「ヴィブラニウムの盾」を黒人のファルコン(アンソニー・マッキー)に手渡し「世代交代」を表すシーンがあった。

 普通に観ていると感動的と思えるシーンも、穿った見方をすれば、「白人から黒人への移行」という思想がパッケージングされていることが感じ取れる。疑い深い大人が観ると、あざといと思えるシーンも、純真な子供が観るとストレートに影響され、それが当たり前の認識として育っていくことになる。世界中で何千万人、何億人と観られる映画は、良くも悪くも最高の思想教育映画になってしまう。

 数年前に「白人ばかりのアカデミー賞」と揶揄されたアカデミー賞が、昨年は「黒人ばかりのアカデミー賞」となりかけていた。
 アメリカの黒人比率は13%と言われているので、本当に「黒人ばかりのアカデミー賞」となれば、完全な逆差別ということになってしまう。

 エンタメ業界にまでプロパガンダを持ち込むのは、いい加減に止めていただきたい。

【関連記事】
 「黒人ばかりのアカデミー賞」の違和感

 ハリウッド化する『007』【ボンドウーマンの是非】

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posted by 自由人 at 22:39 | Comment(0) | 社会問題
2020年09月08日

新型コロナウイルスのリスクを教えてくれた「台風10号」


■「人間は2つのことを同時には考えられない」

 よく言われるように、人間は2つのことを同時には考えられない。より正確に言うと、最も優先順位が高いものに意識が集中すれば、それ以外のことは然程、気にならなくなるという習性を持っている。
 悩み事で頭が一杯になっている時は、別のこと(例:仕事)に集中すれば、その間だけは悩み事を忘れることができる。

 先週早々に、気象庁が台風10号の危険性を「100年に1度の台風」と大々的に伝えていたので、台風10号の進路上にある地域に住んでいる人々は人生最大級の危機感を抱くことになり、これまでコロナ禍で自宅に閉じ篭っていた人々(主に老齢者)までが、外出(避難)を余儀無くされた。

 台風10号から逃げるために、県内の頑丈なホテルに逃げ込んだ人もいれば、県外に避難旅行する人まで現れるという具合。(無論、どちらもGoToトラベル制度を利用)

 この時点で彼らの頭の中にあったコロナに対する恐怖は、一時的にどこかへ吹き飛んでしまったのではないかと想像する。台風のことで頭が一杯になり、コロナのことを考えている余裕がなくなったかのような心理状態に陥ったのではないだろうか。

■「台風10号」がコントロールした人間心理

 逃げ遅れると死に直結するかのような巨大台風が眼前に迫っているという報道の前では、交通事故に遭遇して死亡するリスクよりも低いコロナ感染による死亡リスクは無きに等しくなった。皮肉なことに、コロナの危険性を圧倒的に超えた巨大台風の前では、コロナの存在は無きに等しい程に小さくなった。

 彼らは、台風10号が過ぎ去った後に、こう思ったかもしれない。

 「コロナに怯えて家に閉じ篭っていた自分はなんだったのだろうか?

 先週の日本における重大ニュースは、

 1、台風10号
 2、自民党総裁選
 3、新型コロナウイルス


 こういう序列になっており、これまでメインニュースだったコロナ関連は完全にサブニュース扱いだった。その報道姿勢に呼応、または示し合わすかのように、コロナ感染者数は減少の一途を辿っており、8月には全国の1日の感染者(PCR陽性者)数は1000人を超えていたが、現在は300人程度になっている。
 
 為政者(官僚や政治家)が問題を起こした時に、目くらましのように芸能人のスキャンダルネタが暴露されると言われることがある。その真偽の方はともかくとして、こういった話が出る背景には、「人間は2つのことを同時には考えられない」という習性を利用した誤魔化しの心理操作が有ることを物語っている。

 今回、出現した台風10号は、幸いにも、危惧されていた程の被害は生じなかったが、一時的に国民の目をコロナから台風に向ける役割を果たし、コロナ恐怖症を吹き飛ばす役割を演じてくれたと言える。
 
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posted by 自由人 at 20:32 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月31日

安倍総理の辞意表明で隅に追いやられた「コロナニュース」


■安倍総理の辞意表明が齎したコロナパニックの抑制

 安倍総理が辞意を表明したことで大きく変わったことがある。それは、マスコミが最優先して伝えるニュースが新型コロナウイルス関係ではなくなったこと。

 国民の最大感心事がコロナではなく安倍総理辞任の方に一斉に向かったため、マスコミ報道もそれに準じてコロナ問題を隅に追いやり、自民党の時期総裁選問題に移行した。このことは、安倍総理辞意表明の予期せぬ功績だったと言える。皮肉なことに、安倍総理の辞意表明が、日本のコロナパニックを抑え込む最大の手段に成り得たと言える。

 そして、この現象をもって、図らずもマスコミ報道がコロナパニックに拍車を掛けていたことが如実に判明してしまったとも言える。実際、コロナ第1波騒動は名実ともに収まりそうな気配が感じられる。

 コロナ被害を大々的に煽ることが安倍批判に繋がるという屈折した判断から、反アベ勢力は、コロナ被害を針小棒大に伝えていた疑いがある。

 これはアメリカも同様で、反トランプのリベラル系マスコミ(ほぼ全て)がトランプ大統領の再選を阻むべく、イメージダウンを狙ってコロナ対策の失敗を大々的に煽っている。日米ともに、新型コロナウイルス問題が政局に利用されていることは間違いない。

■安倍総理は少し左寄りの保守政治家だった

 安倍総理が辞意を表明したことで、コロナを政治的に利用する必要もなくなったので、今後はまともなコロナ対策論も出てくるかもしれない。「全国民PCR検査」などという医療崩壊&国家破壊に直結するような出鱈目な意見も鳴りを潜めていくかもしれない。

 「森友・加計問題」や「桜を見る会問題」も、これ以上追及する意味がほぼ消失してしまったので、このままフェードアウトしていくのだろうか。もしそうであるなら、反アベ勢力が、これらの問題を政局に利用していたことの証明になってしまうが、果たしてどういう幕引きが用意されるのか興味深い。もし、都合良くフェードアウトしていくようなら、批判の矛先は安倍総理から彼らに向かうことになる。

 安倍総理がこれほどまでに反アベ勢力から憎まれたのは、第1次安倍内閣時に「戦後レジームからの脱却」を言い出したからだと思う。「戦後レジームからの脱却」とは、言葉を変えれば、「反日マスコミからの脱却」を意味しており、戦後の似非民主主義を戦前のまともな民主主義に戻すことを意味していた。

 しかしながら、安倍総理自身、具体的なことはほとんど言わなかったので、「戦前回帰だ!」というような誤解が生じ、「右翼政治家」というレッテルを貼られることになってしまったが、現実の安倍総理は右翼でもなんでもなく、どちらかと言うと、少し左寄りの保守政治家だった。

 日本で言うところの「右翼」と「左翼」というのは、それぞれ「保守」と「極左」のことを意味しており、「右翼政治家」などは基本的に存在しない。日本には戦争を望んでいるような政治家はどこにもいない。いるのは、戦争を回避したいと願っている政治家(=保守政治家)だけである。

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posted by 自由人 at 22:21 | Comment(0) | 社会問題