■「コロナ騒ぎ」を否定し「コロナワクチン接種」を肯定する矛盾
巷では、既に春の気配が感じられつつあるにも拘らず、「コロナの第4波が来た」という季節外れとも言えるようなことが囁かれている。確かに緊急事態宣言を解除した後に、マスコミが言うところの「感染者数」が増加傾向にあるので、そう言わざるを得ないのかもしれないが、どうも釈然としない。
ホリエモンもマスコミが騒ぐ「(コロナ禍の)戦後最大の危機」に苦言を呈したということでニュースになっていたが、そのホリエモンも、なぜかワクチン接種には肯定的なようで、これまた釈然としない。
コロナ騒ぎが行き過ぎだとして批判している人物が、毎年のインフルエンザ感染者数よりもはるかに少ないコロナに対してワクチンを打つべきだとするのは、矛盾しているように思える。
「コロナは絶対的に危険なのでワクチンを打つべき」と言うなら筋が通るが、「コロナで騒ぎ過ぎだからワクチンを打つべき」では、明らかに二律背反しており筋が通らないのではないだろうか。
■「ワクチン接種」にまつわる陰謀論
これまでの経緯に少し触れておくと、1月22日にWHO(世界保健機関)が「PCR検査のCt値を30台に下げるべき」というお達しを全世界に通達したことになっているが、日本の場合、そのお達しには従っておらず、今でもCt値を40以上に設定している。
元々、Ct値が30台の台湾では、コロナ感染者はほとんどいないので、日本でもCt値を30台にすると、コロナ感染者数は台湾並みに下がるのではないかと思われる。
しかし、Ct値を下げると感染者数が激減し、ワクチンが不要だという人が数多く出てくることになる。そうなると、世界中でコロナパニックを煽りに煽って、ワクチンが絶対に必要だということにしたい勢力には都合が悪くなってしまうのかもしれない。
ここまで書いてしまうと「信じるか信じないかはあなた次第です」という、まるで絵に描いたかのような陰謀論になってしまうが、これが案外、外れていないと思えるところが恐ろしい。
■「本物の陰謀論」と「偽物の陰謀論」の見分け方
陰謀論には「本物の陰謀論」と「偽物の陰謀論」がある。その見分け方は至ってシンプルで、マスコミが騒ぐか否かで大体の判断が付いてしまう。
例えば、少し前に福井県議会議員の斉藤新緑氏が「コロナワクチンは●●兵器」「ワクチンを打てば5年以内に●ぬ」という陰謀論を広報紙に掲載して大きなニュースになっていた。しかし、そのニュースが伝えられたのは1日だけで、それ以降は箝口令が敷かれたかのようにピタッと騒ぎが収まり全く取り沙汰されなくなってしまった。
なぜ、1日だけ報道したのか意図は不明だが、こういった報道がマスコミで為された意義は大きい。
もし、斉藤氏の発言が全く根拠のないトンデモ論だとすれば、マスコミや野党は大々的にバッシングし続けて然るべきだが、なぜか何も言わなくなってしまった。
斉藤氏は広報紙の中で「ディープステート」という言葉を使用していたので、マスコミは戦後の諸事情でその言葉をヘタに報道できないために黙るしかなくなったのだろうか?
■「インターネット情報は玉石混淆」は過去の話になるのか?
実は戦前の日本のマスコミは、「ディープステート」批判を普通に行っていた。「ディープステート」という言葉をそのまま使用していたわけではないが、アメリカの影の政府批判を堂々と行っていたのが日本のマスコミだった。
そう考えると、戦後と比べて戦前は、言論の自由が現代以上に許されており、マスコミ人が如何に自由で優秀だったかがよく分かる。そんなマスコミ人が書いて作った新聞なら、お金を支払ってでも読む価値が有ったのだろうけれど、現代では読む価値が暴落してしまい、私自身も遅まきながら新聞を取るのを止めた。
SNSやYouTube等のインターネット情報は玉石混淆だとも言われるが、最近では、「玉」の部分にどんどん検閲が入り、「石」のような情報だけが重宝されるという倒錯した社会に変化しつつある。
いつの間にか世界的にネット情報が検閲の対象となってしまったので、将来的には本物の情報は検閲の緩い書物を通してしか仕入れることができなくなっていくのかもしれない。
そんな先祖返りしたかのような暗黒的な未来社会の到来は御免被りたいものだ。
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