2020年08月07日

不思議の国のコロナ禍【死亡者数よりも感染者数が重要視される国】


■なぜ「感染者数」のみに囚われるのか?

 毎日、毎日、来る日も、来る日も、「感染者数」という言葉だけが踊り、その言葉によって同じように踊らされている人々のなんと多いことだろうか。
 「感染者数」と「死亡者数」を混同したかのような言説の数々には辟易としてしまうが、なぜ、その2つを分けて考えることができない人が、こんなにも多くいるのか不思議で仕方がない。

 現在は「感染者数(陽性者数)は増加しているが、割合的には死亡者は大きく減少している」、これは誰も否定できない厳然たる事実であるのだが、なぜその重大なポイントを都合良くスルーするのだろうか?

 ●感染者が増加すれば死亡者も増加する
 しかし
 ○感染者は増加したが死亡者は増えない

 これを、交通事故に置き換えると

 ●交通事故が増加すれば死亡者も増加する
 しかし
 ○交通事故は増加したが死亡者は増えない

 この場合、考えられる原因とは何だろうか?

 単純に考えると、交通事故の敷居が下がった可能性が考えられる。例えば、これまで交通事故として取り扱わなかった事故(自転車や歩行者の事故など)を交通事故としてカウントするようになった場合は交通事故数は増加しても死亡者は増えない。

■新型コロナウイルスを「赤潮(プランクトン)」に喩えると

 現在のPCR検査によるコロナ感染者数の増加というものは、喩えて言うなら、漁師が投網を大きくしたことによって、大漁となった姿と似通っているとも言える。投網の大きさをこれまでの10倍にしたので、捕れる魚の量も10倍になったようなものかもしれない。

 これまでの小さな投網で捕れた魚の中にも死んだ魚が何匹も見つかったが、大きな投網で捕れた魚の中には、なぜか死んだ魚はほとんどいないという状態。捕れる魚の量は10倍になったのに、傷付いた魚も、死んでいる魚も大幅に減少した。その原因は何だろうか?

 普通に考えると、海の環境が良くなったということができると思う。魚に危害を加える赤潮(プランクトン)の毒性が弱くなったのか、あるいは赤潮が少なくなったと考えるのが妥当なところだろう。

 漁師A「おい、大変だ、投網を大きくしたら大漁になっちまった!」

 漁師B「馬鹿かオメーは。そんなの当たり前じゃねーか。」

 漁師A「しかしおかしいな、大漁になったのに、全くと言っていいほど魚は死んでねーし、傷も付いてねーぞ。」

 漁師B「そりゃ良いことじゃねーか。何を驚く必要があるんだよ。」

 漁師A「いや、しかし、今はおっかない赤潮が増えてるっていう悪い噂を耳にするしな。」

 漁師B「捕れた魚が元気なら、何の問題もねーだろうが。」

 漁師A「いや、しかし・・・危ないから漁は中止した方がいいんじゃねーか?」

 漁師B「・・・・・」

 現在の日本のコロナ禍の状況を風刺すれば、こんな感じになるのだろうか。

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posted by 自由人 at 23:01 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月05日

吉村知事の「うがい薬」推奨の功績


■うがい薬も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

 大阪府の吉村知事が会見の場を設けて、うがい薬の推奨を行ったことで物議を醸している。

 吉村知事の発表直後30分以内に全国のドラッグストアではポビドンヨード入りのうがい薬(イソジンうがい薬)が売り切れとなり、明治ホールディングス(2269)の株価は後場引け前に9000円手前まで急騰、しかし、その後は元の株価(8500円以下)に戻ってしまった。所謂、「往って来い」状態で、噂で飛び乗った人は、天井買いとなり、いきなり含み損を抱えてしまった格好となっている。

 うがい薬やアルコールでウイルスが死滅することは以前から判っていたことだった。以前、「アルコール除菌ティッシュ」が売り切れになったのも、ウイルスを滅菌するという目的からだった。手に付いたウイルスを除去するためにアルコールを使用するなら、口内のウイルスを除去するためには、うがい薬を使用する。純度の高いアルコールでうがいをしても同じ効果が期待できると思われるが、いずれにしても、使用し過ぎると返って身体に有害となる。

 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということわざ通り、薬というものは使用し過ぎると効果が弱まるどころか、返って悪化する危険性が有る。

 どんな薬でも他人に勧めることにはリスクが付いてまわるので、吉村知事は、うがい薬の買い占めを注意するだけでなく、リスク回避のために、こうも言っておくべきだと思う。

 「皆様の健康を害する可能性がありますので、うがいのやり過ぎは控えてください。

■うがいだけで結果が変わる検査の信頼性

 人間の口内にはウイルス以外にも人間にとって必要な様々な「常在菌」というものが存在しているので、うがい薬を使用し過ぎてしまうと、ウイルスだけでなく、その常在菌まで除去してしまうことになり、口内環境のバランスが大きく崩れてしまうことになる。うがい薬を頻繁に使用し過ぎると口内が炎症する可能性が有ることは薬の説明書に大抵は書かれている。

 常在菌を除去して口内が炎症化すると、逆にウイルスに感染し易くなってしまい、風邪をひく可能性も高くなってしまう。このことは、医学的にも証明されている。

 ただ、吉村知事の今回の行動は、あくまでも善意から発されたものであり、批判しようとは思わない。少し勇み足だったとはいえ、どんな些細な事柄でも前向きに伝えようとした姿勢は評価できる。少なくとも、当たり障りのない当たり前のことしか言わない専門家達よりも好感が持てる。

 吉村知事が意図したわけではないだろうけれど、うがいをする人が増えれば、PCR検査で陽性になる人は減少する可能性が高くなるので、その部分はプラスだと思う。

 こう言うと、「PCR検査の精度が落ちるではないか!」と言う人がいるかもしれない。
 しかし、元々、PCR検査自体、3割も見落としがあるような検査であり、お世辞にも完璧な検査とは言えない。何の症状も無い人がPCR検査の結果ばかりに神経質に成り過ぎるのは、精神衛生上もよろしくない。

 図らずも、PCR検査が、うがいだけで結果が変わる曖昧な検査であることを全国にアナウンスできたという意味では、その部分は吉村知事の功績だったと言える日が来るかもしれない。

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posted by 自由人 at 22:50 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月04日

PCR検査で陽性となった2匹の犬が示唆しているもの


■2匹のペット犬から学ぶべきこと

 新型コロナウイルスに感染した飼い主からペットを預かるペット保険会社が、預かっている犬のPCR検査を行ったところ、2匹の犬から陽性反応が出たと伝えられている。

 面白いのは「陽性になった」と伝えられているだけで、人間のように「感染した」とは伝えられていないところだ。そして、当然の如く、この2匹の健康状態は良好であり新型コロナウイルスに感染した様子は全く見られないらしい。

 図らずも、この犬のPCR検査は、我々人間に大きな示唆を与えてくれている。

 おそらく、この2匹の犬は、PCR検査で陽性となった飼い主の家で、飼い主の身体(口周り)か、または床にでも付着していたウイルスを舐めてしまったのだろう。それで犬の体内にウイルスが存在していることがPCR検査によって判明してしまったと考えられる。しかし、少量なので感染にまでは至っておらず、症状も全く無い状態。

 犬の体温(平熱)は38〜39度と高く、人間がインフルエンザに感染した時の発熱状態に近い体温なので、人間よりもウイルスには強いと思われる。新型コロナウイルスに対する抵抗力が人間よりも高いかどうかは分からないが、PCR検査で陽性になったとしても、全く健康な状態である場合が多いことは、犬も人間もそれほど変わらないのではないかと思われる。

■PCR検査は「体内のコロナウイルスの有無」を調べる検査

 PCR検査というのは、体内のコロナウイルスの有無を調べる検査であり、そのコロナウイルスに感染しているかどうかを調べる検査ではない。この部分は、何度繰り返しても足りないほどに重要なポイントであり、そのポイントが正しくアナウンスされていないために、現在のパニック状態が発生しているとも言える。
 公共のテレビCMで、「PCR検査は体内のコロナウイルスの有無を調べる検査です」と大々的に流せば、少しはパニックも収まると思うのだが。

 ウイルスがある程度の量に達しない限り、感染する可能性は低く、況して、他人に感染させる可能性はもっと低くなる。

 例えば、今回の陽性反応が出た2匹の犬が、人間の口を舐めてしまった場合、犬の唾液を通じてウイルスが人間の方に移動する可能性は有る。しかし、そのウイルスが人間の体内に入ったことをもって「感染した」とは言わない。ところが、その状態でも陽性反応が出てしまうのがPCR検査なのである。

■症状の無いPCR陽性者は本当に危険なのか?

 新型コロナウイルスの感染プロセスとしては、

 1、「体内に入る」
 2、「感染する」「他人に感染させる」
 3、「重傷化する」
 4、「死亡する」


 ということになるが、「」の段階では、まだ発症しておらず、ウイルス量が少ない場合、免疫力の強い人であれば発症する可能性は低くなる。また、そのウイルスが運良く胃に到達すれば胃酸によってウイルスが死に絶えることもある。
 現在、PCR検査で見つかっている多くの20代、30代の若年者は年齢的にも基礎疾患を抱えている人はほとんどおらず、同じ理由により免疫力も比較的に強い状態にあるので、ウイルスが体内で発見されても全くの健康状態にある人がほとんどだろうと思われる。

 現在、最も注目すべきポイントは、症状の無いPCR陽性者が他人(老齢者)にウイルスを感染させる危険性はどれくらい有るのか?という点だろう。これがハッキリと判明していないためにパニックに拍車をかけている状態だとも言える。

 その答えは未だ判明していないが、おそらく、3密を守って普通に生活している分には、余程のことがない限り、大丈夫なのではないかと思われる。もし、症状の無いPCR陽性者にそれほどの伝染力があるのであれば、日本の新型コロナウイルスの感染者数は欧米並みに2桁以上多くなっているだろうし、重傷者数も死亡者数も感染者数に比例して、もっと増加しているはずだからだ。

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posted by 自由人 at 22:30 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月01日

PCR検査の「感染者数」は「陽性者数」と「発症者数」に分けるべき


■「新規感染者」の多くは「新規発見者」

 このところ連日のように新型コロナウイルスの感染者数が増加しており、ニュース番組では最初のオープニングで「新型コロナウイルスの感染者数が○○○○名になりました」とお決まりのパターンになっている。

 世間一般の人々の多くは、こういったニュース番組を観て条件反射的に「感染者が増えて大変だ!」となってしまう。
 私の周りでもそんな人ばかりなので、「PCR検査を増やしたから、これまで分からなかった感染者が見つかっただけですよ」と言っても、全く受け付けない人が多い。

 この「感染者」というものをテレビでは「新規感染者」と伝えられているが、おそらく「新規感染者」はほとんどおらず、大半は元々、感染(正確に言うと感染にまでは至っていない)していた人だろうと思われる。だから、「新規感染者」ではなく「新規発見者」とするべきなのだろうと思う。(無論、「新規感染者」がいないわけではない)

 「なんでそんなことが言えるんだ!」と言う人がいるかもしれない。しかし、その証拠は有る。これだけ新規感染者が増加し続けているのに、比率的に重傷患者や死亡者はほとんど増加していないということが、この上もない証拠だと言える。

 こんなことは少し考えれば子供にでも推測できると思われるのだが、テレビでは「新規感染者」という言葉が独り歩きし、その中身も詳細もほとんど伝えないので、専門家や知識人と言われる人々でさえヒステリックになり全く見当外れなことを述べているように思える。

 重傷患者や死亡者がどんどん増加しているというなら大きな問題だが、日本における現在の重傷患者数や死亡者数では、「インフルエンザ以下、風邪以上」というのが実際のところだろうと思う。

■無症状者のPCR検査を行う弊害

 マスコミは、「新規感染者」だけを伝えるのではなく、以下の項目を全て伝えなければいけない。

 ●PCR検査数
 ●感染者数→陽性者数と発症者数に分ける
 ●重傷者数
 ●死亡者数


 一口に「感染者」と言っても、その中には、PCR検査で陽性反応が出ただけの未感染者と、本当に病状が発症している感染者がいるので、それを分けて伝えるべきだ。陽性者が○○○人、発症者が○○人と分ける必要がある。
 そして、「PCR検査を何件行って、重傷者が○人、死亡者が○人出ました」と明確に伝える必要がある。

 こういった被害の詳細を調査して正しく伝えるのが本来のマスコミの役割だと思われるのだが、それを端折り、大雑把に感染者数のみを大々的に報道する。こんなことを続けていると、情報に疎い人々はいつまでも感染の恐怖から逃れることができなくなる。

 PCR検査は今後も簡略化して増やすとも伝えられているが、無症状者のPCR検査を行い続ける限り、新型コロナウイルスは半永久的に終息しないことになる。偽陽性者として検査者の1%程度は自動的に感染者扱いになってしまうので、感染者が0になることは有り得ない。第2波が来るまでに収束したとしてもPCR検査を行っていることが災いして収束宣言は半永久的にできないことになる。テレビではそういった当たり前の事実をなぜ伝えないのだろうか?
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posted by 自由人 at 08:52 | Comment(0) | 社会問題
2020年07月29日

「マイノリティ」が重要視されるPCR検査結果


■「早期発見・早期治療」ではなく「早期発見・早期隔離」

 日本における新型コロナウイルスの死亡者数が1000人を超え、新規感染者数も同じく1000人を超えたことから、「早期発見・早期治療」を勧めている向きがある。

 PCR検査を行うことで感染者を「早期発見」するというのは理屈の上では理解できるが、「早期治療」というのがよく解らない。コロナ重傷患者の1日も早い治療(対症療法)のことを「早期治療」というなら理解できるが、最も多いとされる無症状感染者を治療する方法が有るのだろうか? 他人に感染を拡げないために病院やホテルの1室に隔離することを「治療」とは呼ばない。

 現状、新型コロナウイルスの特効薬は無く、治療法も確立されていないのだから、正確に言うなら、「早期発見・早期治療」ではなく、「早期発見・早期隔離」が正しい言葉の使い方だと言える。
 
■「日本はニューヨーク化する」ではなく「ニューヨークは日本化した」

 アメリカのニューヨーク州では1日の死亡者数が最大で800人を記録したことは記憶に新しいが、その後は下がり続けて、7月11日には、遂に死亡者が0人になり、17日、19日も0人だった。
 「日本はニューヨーク化する」と言っている人もいたが、現実は逆で「ニューヨークは日本化した」状態になっている。

 7月11日におけるニューヨーク州のPCR検査数は62000件で、感染者数は677人と伝えられていた。この数値で陽性率を計算すると、62000÷677=1.09%になる。しかし、PCR検査の偽陽性率(陰性であるのに陽性となる確率)は1%と言われているので、専門家の言う偽陽性率が正しいのであれば、ほぼ収束していることになる。

 東京の人口は1400万人、ニューヨークの人口は2000万人、東京のPCR検査数が5000件、ニューヨークのPCR検査数が60000件と考えると、人口比率的にニューヨークは東京の8倍以上のPCR検査を行っていることになる。

■PCR検査で注目すべきは「マイノリティ」ではなく「マジョリティ」

 そういった理由から、「ニューヨークを見習ってPCR検査を増やすべき」という意見もあるようだ。

 しかしながら、ニューヨーク州の感染者数や死亡者数が激減したことは、PCR検査とはそれほど因果関係が無いように思える。ニューヨーク州が1日に60000件のPCR検査を行ったとしても、そのペースでは全ニューヨーク市民の検査を終えるのは300日以上かかる計算になる。
 結果的には数%の人々の検査を行っただけなので、それが功を奏したと考えるのはあまりにも早計だ。
 ニューヨークは東京と違ってPCR検査が無料なので、同一人物が何回も検査を受けているケースも多いため、実際に検査を行った人数はもっと少なくなる。

 ニューヨークではPCR検査を受けた人よりもPCR検査を受けていない人の方が何十倍も多い。注目すべきは、「PCR検査を受けていない人が大部分であるのに、なぜ収束に向かったのか?」ということであって、PCR検査を受けたマイノリティ(少数派)の方ではない。

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posted by 自由人 at 22:33 | Comment(0) | 社会問題
2020年07月27日

「新型パニック症候群」に罹患している日本


■「PCR検査」と「妊娠検査薬」の大きな違い

 このところのPCR検査の検査結果の報道で「感染者が増えた」「感染者が減った」と一喜一憂する人々の姿を観ていると、どこか妊娠検査薬における「陽性」か「陰性」かの検査結果を見て、喜んだり、落胆したりする女性の姿を観ているかのような錯覚を感じてしまう。

 頭からPCR検査の判定結果を絶対視し、PCR検査で陽性になる人にも様々な違いが有ることが完全に無視されている状態だとも言えるだろうか。

 妊娠検査薬の精度は99%だと言われており、その検査で陽性になれば、99%妊娠したことが明らかなので、結果を見てすぐに喜ぶことは当然の行為だと思う。

 しかし、PCR検査の場合、陽性の精度は70%以下なので、3人中1人は誤診ということを忘れてはいけない。3人の陽性者がいたとしても、その内の1人は陰性者と判定されてしまう。
 そして、PCR検査の場合は、「陽性」になったとしても、妊娠のように必ず受精(感染)したとは限らないということにも目を向ける必要がある。

 話を解りやすくするために、「PCR検査」を「妊娠検査薬」に喩えてみよう。

 「PCR検査(妊娠検査薬)」は、女性の身体の中に男性の精子が有ることを発見しただけで、受精していない段階でも陽性になってしまう検査であり、無症状者と言われている人の大部分がその状態である可能性が高い。つまり、妊娠(感染)していないのに「妊娠(感染)した!」と喜んで(嘆いて)いる状態だとも言える。

 喩えが解らない人がいるかもしれないので、簡単に整理しておくと、「新型コロナウイルス」を「精子」、「感染」を「受精」に喩えている。

 ここで重要なポイントは、「陽性」反応が出ても、体内に精子(コロナウイルス)が有ることを示しているだけであり、受精(感染)しているかどうかは不明だということ。

■現代医療の進歩が齎した予期せぬ悲劇

 重篤な肺炎を起こすことで知られる肺炎球菌は、一部の高齢者の鼻や喉に常在している細菌であるし、食中毒を起こす大腸菌も身の周りに普通に生息しているが、菌が存在するからといって必ずしも感染するわけではない。

 新型コロナウイルスの場合もウイルスが体内に入ったからといって、必ずしも感染するわけではなく、少量であれば自己の免疫で駆除される。感染まで進むためにはより多くのウイルスが体内に存在することが必要になるが、現在のPCR検査では、感染に至らないごく少量のウイルスも検出してしまうため、感染していない状態でも陽性となり、感染者扱いになってしまう。

 ごく微量のウイルスでは本人自身が感染していない場合があるのだから、当然、他人にウイルスを感染させる可能性も極めて低いと考えるべきだ。

 どんな微量の細菌やウイルスでも発見できるように高度化し過ぎた現代医療。技術的に発見できなければ大きな騒ぎにはならなかったことが、発見し過ぎることによって大騒ぎとなる。

■現代日本に出現した「新型パニック症候群」という恐ろしい病

 あるいは、マスメディアが正しい医療情報を学ぶ姿勢を持ち、政府の発表をそのまま発表するだけでなく、より正確に情報を精査して国民に伝達するという使命感を有していれば、起こらなかった騒ぎとも言える。
 現在のマスコミは、パニックを抑えることを使命としておらず、パニックを煽ることを生業にしているとしか思えない。全てを知った上で正しいことを伝えないのであれば罪深いが、何も知らずにいい加減な報道をしているのであれば余計に罪深い。

 ある意味、これは現代日本に出現した人災であり、医療技術の進歩と屈折した情報化社会が合わさることで招いた新型のパニック症候群とも言える。日本人の多くは、「新型パニック症候群」という病を発症しており、まず、その病から回復することを考える必要がある。

 コロナの第2波、第3波…が来ると警鐘を鳴らしている人も大勢いるが、我々が真に恐れるべきは、「新型コロナウイルス」ではなく、その新型コロナウイルスによって齎される未だ経験したことのない全く新しいパニック症候群なのかもしれない。

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posted by 自由人 at 22:44 | Comment(0) | 社会問題
2020年07月25日

どんどん下がっていく新型コロナウイルスの「致死率」


■大きく下がったコロナ「致死率」

 日々行われているPCR検査数は、このところ一気に増加し、東京のPCR検査数は4000オーバーとなっている。3ヶ月前の4月と比較すると、約10倍に増加している。
 しかし、重傷者数と死亡者数はそれほど増えておらず、現在行われているPCR検査の結果が妥当なものだとすると、新型コロナウイルスの致死率は激減したということになる。

 厚生労働省のホームページを見ると、7月24日の時点で、日本における総感染者数は27956人、死亡者数は992人となっており、2ヶ月前(5月24日)の総感染者数は16550人、死亡者数は820人となっている。
 感染者数は1.68倍になっているが、死亡者数は1.2倍に留まっている。

 しかし、この結果を見て「致死率が下がった!」と喜ぶのはあまりにも単純であり、逆に感染者数だけを見て「感染者が増えた!」と嘆くのも短絡的過ぎるのではないかと思う。
 同環境、同ウイルスで結果がここまで違ってくるのはあまりにも不自然であり、なにかカラクリが有ると考えるのが普通ではないかと思う。

■「感染者数」と「致死率」のどちらが重要か?

 その謎の答えは既に様々な識者が推論として述べられているが、1つにはPCR検査の増加が有ることは言うまでもない。検査数が10倍になれば、感染者数が数倍になっても何ら不思議なことではなく、むしろ当たり前とも言える。

 欧米と日本では、元々、PCR検査数に大きな違いが有ったので、その違いが感染者数の違いとして表れていたことは間違いない。欧米と日本では感染者数が2桁違うと言われていたが、実際は1桁程度の違いでしかなかったのかもしれない。
 ただ、死亡者数には大きな違いが有るので、PCR検査数だけの違いとは言えず、ウイルスの型の違いが有った可能性は否定できないし、白人種と黄色人種との間に何か新型コロナウイルスに対する免疫のメカニズム的な違いが有ったことも否定できない。

 PCR検査数が10倍になって致死率が変わらなければ一大事だが、PCR検査数が10倍になっても致死率が大きく下がっているのであれば、それは喜ぶべきこと…と言ってしまうと語弊があるが、あまり嘆き過ぎるのは違和感を感じる。

 おそらく、その嘆きの正体は、無症状の若年感染者が、症状が出る老齢者に感染を拡げてしまう(=致死率が上がる)ことに対してなのだろうけれど、現状、致死率が大きく下がっていることについてはプラスに考えるべきだと思う。

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posted by 自由人 at 11:28 | Comment(0) | 社会問題
2020年07月23日

「全国民にPCR検査」が無意味な訳


■「コロナ感染者数を報道する自由」と「PCR検査数を報道しない自由」

 東京でコロナ感染者数が300人を超えたということで大きなニュースとなっている。

 感染者数の増加だけをセンセーショナルに報道し、PCR検査数はほとんど報道しない姿勢には感心しないが、感染者が増加傾向にあるということで、「全国民にPCR検査を行うべき」というような意見も飛び出しているようだ。

 しかし、多くの良識ある医療関係者が既にネット上で述べられている通り、全国民にPCR検査を行うことは危険極まりない愚行と言える。

 感染者の体内に存在する新型コロナウイルスはインフルエンザウイルスよりもかなり少ない(数百分の1)ので、検査結果が曖昧になりやすく、物理的にもインフルエンザの陽性検査よりも、かなり信憑性は下がり、一般的なPCR検査の精度はせいぜい70%と言われている。

 陽性者の30%は見落とされて陰性(偽陰性)になる。逆に陰性者は99%正しく判定されるが、1%は偽陽性となる。この部分は非常に重要だ。

■自動的に感染者が100万人になってしまう検査の危険性

 仮に日本人全員(1億人と仮定)のPCR検査を行った場合、本当の感染者が1万人だったとしても、1%である100万人は偽陽性となるので、計101万人程度が感染者扱いになる。実質的な感染者(正確に言うなら陽性者)は1万人しかいないのに、101万人が感染者になってしまう。これは実に恐ろしい話だ。

 現在の東京のPCR検査数が1日3000人とすると、そのうちの30人は偽陽性であり、感染もしていないのに感染者扱いになっていることになる。これでも大きな数字だが、これが1億人単位の検査になると、100万人が自動的に感染者扱いになり、実際の感染者数の何倍、何十倍、何百倍、場合によっては何万倍ものトンデモない数に化けてしまうことになる。

 早い話、日本では100万人以上の感染者がいない限り、国民全員のPCR検査をしても意味が無いということ。感染者が0人でも自動的に感染者100万人になってしまい、病院のベッド数が100万床必要になるというのだから、感染者の有無に拘らず100%医療崩壊することになる。

 日本人の100人に1人が本当に新型コロナウイルスに感染するのも恐ろしい話だが、感染もしていないのに、100人に1人が感染者扱いになってしまうPCR検査というのも大概に恐ろしい検査だと言える。

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posted by 自由人 at 23:28 | Comment(0) | 社会問題
2020年07月20日

コロナ問題の行き着く先は「ウィズコロナ」しかない


■「Go TOトラベル政策」の目的とは?

 新型コロナウイルスの感染流行によって中国人旅行客が激減したため、日本の観光業が壊滅的な打撃を受けている最中にある。現在の状況を以前の状態に戻すとなると、中国人旅行客が日本に戻ってこない限り不可能に近い。それで、少しでも国内の旅行客を増やすために考えられた政策が「Go TOトラベル政策」だった。これは観光業のハードランディングを回避するための政策でもあったが、なぜか本丸の東京は対象から除外され、旅行キャンセル料金も全て政府が肩代わりするというマッチポンプ的な政策になってしまった。

 ドタバタ劇が続いたせいか「Go TOトラベル政策は失敗する」と言っている人もいるようだが、その失敗の定義は、なぜか「感染者が増加すること」になっている場合が多い。しかしながら、本来の失敗の定義は「旅行客が減少すること」でなければおかしい。なぜなら、「Go TOトラベル政策」はコロナ感染者を減少させることを目的とした政策ではなく、旅行客を増加させることを目的とした政策だからである。

 なるほど「Go TOトラベル政策」を実施すれば、確かにコロナ感染者は幾分か増加するだろう。しかし、それは始めから分かりきっていることであり、わざわざ「感染者が増加して失敗するだろう」と予言するようなことではない。

 こう言うと、「感染者が増加すれば、その後、旅行客が減少して失敗になるではないか」と言う人がいるかもしれない。

 では、どうすれば、旅行客を増加させることができるのか? コロナ感染者が0になれば、旅行に行く人も増えると言うのだろうか?
 しかしながら、感染者が0になるのを待つまでもなく旅行をしている人は大勢いる。それらの人がコロナに感染したとしても「Go TOトラベル政策」とは無関係だ。「Go TOトラベル」を利用して旅行した人と、「Go TOトラベル」を利用せずに旅行した人、この両者には何の違いもない。どちらもコロナに感染する可能性はある。ということは、「Go TOトラベル政策は失敗する」というのは、結局のところ、「旅行は失敗する」と言っているのと同じことになる。

■危機的状況下では「建前」よりも「本音」が優先される

 「Go TOトラベル政策」というのは端から「苦肉の策」であり、「ウィズコロナ」への橋渡し政策という側面を持っている。「背に腹は変えられない」という言葉の通り、「感染者の増加」と「日本経済の崩壊」を秤にかければ、後者の回避を選択するしか手段がないのである。

 このことは世界全体を見渡してみても明白だ。日本の100倍以上の感染者や死亡者を出している国々でも、始めは感染者の減少を最優先事項としていたが、今となっては、こぞって自国の経済の復活を最優先事項に掲げている。危機的状況は行き着くところまでいくと、「建前」は「本音」には絶対に勝てない。「建前」が通じるのは、平和な時だけであり、本当に国(国民)の命運に関わってくるとなると、「本音」を前面に出すしか生き残る手段が無くなってしまうからだ。

 もし、感染者が0になるまでロックダウンを解除しないというような建前を優先する国があれば、その国は必然的に終焉を迎えることになる。これが理解できないような指導者はいないと思う。コロナに感染して少数の国民が死亡するのではなく、ロックダウンという無策によって経済崩壊を招き、多くの国民が死に絶えることになる。

 コロナ問題の行き着く先は最初から決まっている。落としどころは「ウィズコロナ」、残念ながら、特効薬が出来ない限りこれしか選択肢がない。そして、特効薬が出来る可能性は極めて低い。ワクチンが出来たとしても、全く同じ型のコロナウイルスでない限り、ワクチンとしては機能しないので、これもまず不可能に近いと思った方がいい。

 そういうリアリスティックな視点に立てば、何か策を打たない限り、この現状を変えることはできない。今後何年間も、感染者が0になるまで動かないというのは、「座して死を待つ」ことを意味している。

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posted by 自由人 at 23:06 | Comment(2) | 社会問題
2020年07月19日

三浦春馬さんの死去で感じた「奇妙な偶然」


 昨日、俳優の三浦春馬さんが亡くなった(自殺された)との速報が流れた時には多くの人が驚いたのではないかと思う。
 私もそのうちの1人だが、それだけのことで追悼のブログ記事を書こうと思ったのではなく、ある「奇妙な偶然」が気になったので、ブログ記事を書いておこうと思った。

 その奇妙な偶然とは何かというと、昨晩は三浦春馬さんが出演されている『コンフィデンスマンJP ロマンス編』という映画が地上波で初放送される日だったからだ。もちろん、彼が出演している映画が放送されるという偶然が気になったというだけではなくて、その映画は東出昌大さんが出演されている映画でもあったからである。

 周知の通り、三浦春馬さんは東出昌大さんの不倫問題が騒がれていた時に、世間のバッシングに対してSNS上で警鐘を鳴らしていた。

 三浦春馬さん曰く
 「明るみになる事が清いのか、明るみにならない事が清いのか…どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う。国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…

 東出昌大さんは7月23日に公開される映画『コンフィデンスマンJP プリンセス編』にも出演されているが、不倫騒動があってからは民放のテレビ番組には出演していなかったと思う。それで、ようやく昨日、彼が出演している映画が地上波で放送されることになった。こういう場合、いつもなら、心ない視聴者から「なぜ、東出昌大がテレビに出ているんだ!」とか「東出昌大をテレビに出すな!」というようなバッシングが起こっていたかもしれない。

 ところが、三浦春馬さんが亡くなったことで、話題は、東出昌大さんへのバッシングから三浦春馬さんの追悼に向かった。もし彼が自殺した原因が、彼のSNS上のつぶやきにあったとなると、東出昌大さんをバッシングすることは死者を冒涜する行為になってしまう。奇しくもこの一件で、東出昌大さんは俳優として復帰を果たす可能性が出てきたとも言える。

 まさか、そんな理由だけで自殺するとは思えないが、奇妙な偶然に感じられたので、念のため、指摘しておきたいと思う。

 私が見たところ、三浦春馬さんは少し影のある俳優だったが、それだけ純粋な俳優でもあったのだろう。もし彼が、現在の「叩くだけ叩いて人の気力を奪っていく」ような社会に失望し警鐘を鳴らしたかったのだとすれば、今回感じた「奇妙な偶然」をブログ記事として書き記しておくことも追悼になるかもしれない。

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posted by 自由人 at 00:31 | Comment(0) | 社会問題