2020年01月28日

「中国のパンデミック」と「日本のバイオハザード」


■武漢アウトブレイクの実態

 2002年から翌年にかけて中国広東省で発生して騒ぎになったSARS【重症急性呼吸器症候群】は、中国国内で8000人以上の感染者を出し、世界中で700人以上の死亡者を出した。
 2019年12月から今年にかけて中国武漢市で発生し、現在、大騒ぎになっている新型コロナウイルスの感染被害は、目下のところ、中国国内で4500人を超え、死亡者は100名を超えたと伝えられている。

 しかしながら、中国政府が発表している数値は信用できないことは世界中の常識であるので、実際の数値とは大きな隔たりが有ることは間違いない。死亡者は数倍、感染者も数十倍と考えた方がよいかもしれない。

 中国政府は、1000人が収容できる専門病院を10日間で作ると宣っているが、既に感染者は数万人はいるものと思われるので、焼け石に水になる可能性がある。
 武漢市の人口は1100万人ということなので、東京都(1400万人)よりは少ないが大阪府(880万人)の人口を超えていることになる。面積は東京の4倍もある。それだけの広い地域を隔離するのは物理的に不可能に近いと思えるが、逆に、そこまでするということは、想像以上に被害が拡大しているということなのだろう。
 ちなみに、半数(500万人)は既に武漢市から脱出したと伝えられているので、武漢市自体がゴーストタウン化する可能性がある。

■「生物兵器」と化してしまった中国人旅行客

 2003年当時、「SARSは生物兵器ではないか?」と噂されたことがある。当時は「単なる陰謀論だ」ということで収まったが、今回の新型コロナウイルスの場合、「単なる陰謀論だ」では済まされない状況となっている。

 既に多くの人が陰謀論ではなく事実の疑いがあるとして述べているが、武漢市には数年前に「中国科学院武漢病毒研究所」というウイルスや生物兵器を研究している施設が創設された。この研究施設から何らかの事情でウイルスが漏れたのではないか?という疑いが持たれている。
 実際にこの施設では、SARS等のコロナウイルスや、インフルエンザウイルスの研究が行われているので、疑いを持たれるのは必定だと言える。 
 意図的にウイルスをバラまいたということなら陰謀論になってしまうが、偶発的にウイルスが漏れ出てしまったということなら、中国お得意の隠蔽論ということになるので信憑性もグンと上がる。

 春節のタイミングで新型コロナウイルスに感染した中国人が世界各国に旅行し、旅行先で発症して世界中に新型コロナウイルスをバラまくことになる。そういう意味で、現在の中国人旅行客は「生物兵器」とも言われている。

 本日は、東京でバスの運転手をしていた奈良県の男性が、新型コロナウイルスに感染していることが判明した。
 世界中の国々が中国人旅行客をシャットアウトしている状況下で、日本は中国からの個人旅行客を招き入れてしまった。既に昨年の12月から新型コロナウイルスに感染した中国人旅行客が入国していると思われるので、いまさらシャットアウトしても時遅しかもしれないが、あまり大事にならないことを祈りたい。

 しかし、中国がこんな状況であるにも拘らず、日本の政界では、相も変わらず「桜を見る会」批判が行われている。日本だけは違う意味でのバイオハザードが進行しているかのようだ。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 23:01 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月22日

近代国家なのに「保守」がほとんどいない日本


■「国家」と「国民」は「親」と「子供」の関係

 「国家」と「国民」の関係を、親子関係で例えると、「」と「子供」の関係になる。

 ○親が何をしようが反対という反抗期に当たるのが「左翼

 ○親が何をしようが絶対的に信頼を寄せるのが「右翼

 ○親に尊敬の念を持ちながらも、親の悪いところは注意するのが「保守

 ○親に依存しながら、親を尊敬していないのが「似非リベラル

 ちょうど、こんな感じになるだろうか。

 この違いを考慮した上で、今回のゴーン氏逃亡事件における世間の評価を観察していると、昔も今も日本には本当の「保守」という存在がほとんどいないということに気付かされる。

■右も左も感情優先の全体主義者ばかり

 戦前、左右両極の全体主義者と闘ったとされる思想家の河合栄治郎氏が、この事件を見れば、おそらくゴーン氏を擁護する論陣を張っていたのではないかと思う。彼なら、この現状を見て「右も左も全体主義者ばかり」と嘆いたことだろう。世間の空気が左に寄れば左、右に寄れば右、という風見鶏のような全体主義者ばかりだと嘆いたことだろう。

 検察がマスコミにリークした情報を鵜呑みにし、弁護側の言い分を無視している人の如何に多いことか。
 弁護側の言い分にも目を向けると、本当にゴーン氏は罪を犯したのか?と疑問に思える部分もあるのだが、弁護側の意見はほとんど表に出てこない。

 多くの人は、まるで、ゴーン氏がお金を儲け過ぎたことが罪であるかのように批判しているようにも思える。
 かつて、ライブドア事件において村上世彰氏が、「お金儲けは悪いことですか?」と言ったことがあったが、今回の事件も同じような性質を持っているように思える。

 ゴーン氏にも確かに強欲なところがあったのだろうけれど、それが一生、刑務所に閉じ込めるほどの罪だとは正直、思えない。

■見込み捜査の失敗が「人質司法」を招く

 ライブドア事件の時にも、「検察の見込み捜査の失敗」という言葉がよく聞かれた。粉飾を行ったとされる企業を調べても脱税すらしていなかったということが判り、「大山鳴動して鼠一匹」と唖然となった人も多かったのではないかと思う。

 今回のゴーン氏逮捕も、すぐに有罪にできるほどの決定的な証拠を検察が提示できないために、ズルズルと拘束が長引いたとも考えられる。よく、テレビドラマで観る取り調べシーンのように、「罪を認めれば自由になれるぞ」「罪を認めれば刑期が軽くなるぞ」と詰め寄り、罪を認めるまで延々と拘束するという姿が思い浮かぶ。(それが人質司法)

 相手が日本人であれば、適当な理由で有罪にできたかもしれないが、ゴーン氏の場合、世界中からの監視の目が光っているので、いい加減な理由で有罪にすると、それこそ世界中からバッシングされる危険性がある。

 日産をフランスに乗っ取られたくないという裏事情もあっただろうから、その部分については同情もするが、この事件は、初めから、かなり無理筋の捜査だったことは否定できないと思う。
 誤解を恐れずに言えば、確定的な有罪の証拠を提示できなかった検察にとって、ゴーン氏が逃亡したことは渡りに船だったのかもしれない。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 22:47 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月15日

日本の「推定有罪思考」の淵源とは?


■白日の下に晒された「推定有罪思考」

 ゴーン氏逃亡事件で、森法相が「ゴーン氏は司法の場で無罪を証明すべきだ」と述べられた。その言葉を聞いて多くの国民は条件反射的に「その通りだ」と思い拍手喝采した。しかし逆に、ゴーン氏のフランスの弁護士は以下のように述べたという。

>「有罪の立証責任は検察官にあり、被告に無罪の立証責任はない。あなたが間違えたのは容易に理解できる。あなたの国の司法制度は推定無罪の原則を無視しているためだ

 この発言に対し、多くの国民は鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をしたのではないかと想像する。

 外国人から「推定無罪の原則を無視している」と言われて、「あ、なるほど」と思えた人はまだましな方で、おそらく多くの人は「推定無罪ってなに?」という反応だったのだろうと思う。

 図らずも、この一件で、日本では近代司法の常識というものが理解されていないということが白日の下に晒されてしまったとも言える。この状況は、外交的な観点から見ても、実は非常に恐ろしいことでもあるのだが、某ポータルサイトの掲示板などを見ていると、未だそのことを理解している人はほとんどいないのではないかと空恐ろしくなる。

 これまでの人生で、司法の世界と直接的にも間接的にも無縁だったということも大きな原因になっているものと思われるが、それとは別に、日本の時代劇等のテレビドラマも少なからず影響しているのではないかと思われる。

■水戸の黄門様と「推定有罪思考」

 最近の映画やドラマの流行りは、所謂「騙し系」というジャンルで、最近観た日本映画では『コンフィデンスマンJP』や、何年か前では『イニシエーション・ラブ』というような映画もあった。こういった映画は、最後の最後でドンデン返しが待っており、見事に騙されるというオチが売りになっている。ハリウッド等でも、この20年来、あの手この手を使い、こういった騙し系映画は量産され続けてきた。

 そういった騙し系映画を観て「理解できなかった」と言う人はあまり見かけない。比喩(メタファー)や皮肉(アイロニー)が理解できないという人はいても、騙されたことが解らないという人はあまりいない。なぜなら、映画ではきちんと種明かしをしてくれるから。

 水戸の黄門様が懐から印籠を出し、「ひかえおろー」と言うと、皆、条件反射的に「ははー」と頭を下げる。まさか、その後で、ドラマの展開がコロッとひっくり返るなどとは誰も想像だにしていない。水戸の黄門様が間違った判断などするはずもなく、悪人が「悪さをしていない」と言っても、誰も聞く耳を持たず、悪さをしていないなら、そのことを悪人自らが証明するべきだと思っている。

 そこに偶然、道を通り掛かった外国人から、「いや、あんたら、悪さをしたことを証明しなければならないのは水戸の黄門様だよ」と言われると、「えっ?」となってしまう。

 もしかすると、そういう善人と悪人がハッキリとしたストレートな勧善懲悪ドラマが、日本人の推定有罪思考に影響を与えているのかもしれない。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 20:11 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月11日

「日本の有罪判決率は99.4%」は妥当なのか?


■海外よりも慎重と言うけれど…

 ゴーン氏の会見で、ゴーン氏は「日本の有罪判決率は99.4%」と述べていた。実際は99.9%とも言われているが、その辺は誤差ということにして、はたして、この99%を超える判決率は高いのだろうか、それとも低いのだろうか? いや、低いということは有り得ないので、妥当なのか?ということを考えてみたいと思う。

 まず初めにお断りしておくと、この「有罪判決率」というものは、検察が刑事事件として起訴した案件に限った数値である。ゆえに「日本ほど起訴・不起訴に慎重でない海外よりも高いのは当たり前」という意見がある。少し前に書いたブログ記事でも、全くその通りの反論を見かけた。

 日本の検察が刑事事件として起訴するか不起訴にするかを慎重に振り分けるという行為によって有罪判決率が上がるというのは理屈の上ではその通りだと思う。しかし、問題は、その数値が99.9%にまで上がるのは妥当なのか?ということである。

■検察は裁判官なのか?

 海外の有罪判決率は概ね80%以下であるので、海外よりも慎重な日本は90%になるというならまだ理解できる。90%と99.9%はあまり違いがないと思う人がいるかもしれないが、全く違う。100%−80%=20%という狭い範囲内での90%と99.9%は全くの別物と言える。

 検察が起訴した時点で99.9%有罪が確定するということは、裁判官の仕事は有罪か無罪かを決定することではなく、99.9%の確率で量刑を言い渡すことだけが仕事ということになってしまう。これが本当に正しい司法の在り方なのか?という疑問がある。

 そして、もう1つの問題は、本当は有罪とするべき罪人が、慎重さが裏目に出て、見逃されている可能性があるということ。裁判を受けるまでもなく、検察が無罪を言い渡すことになるということも無視できない問題だ。

■重要なのは「有罪判決率」ではなく「有罪分別率」

 「有罪判決率99.9%は日本の検察が優秀な証拠」と言っている人もよく見かけるが、よく考えるとこれもおかしいと思う。本当に優秀かどうかは、有罪と無罪を間違いなく分けることであり、それは有罪判決率のことを意味しない。司法において重要なことは有罪判決率の高低ではなく、有罪分別率の高低でなければならないからだ。
 ゆえに、海外が80%だからといって、必ずしも有罪分別率が低いとは限らないのである。

 子供にでも解るように喩え話をすると、もし、地獄の閻魔様が地上の裁判官たる検察に「お前はよく頑張った」と言う場合があるとすれば、それは有罪判決率が高いことではなくて、有罪分別率が高いことであるはずだ。ゴミの仕分けのように、正しいものと間違ったものを正しく分けることが優秀とされる条件であるはずだ。

 検察が起訴するか不起訴にするかを選んだ時点で、既に善人と悪人の仕分けが99.9%済んでしまっているということは、その時点が有罪分別率ということになってしまう。ということは、日本では、その時点での仕分けが正しいか間違っているかが問われるということになってしまう。

 日本の有罪判決率99.9%とは、有罪か無罪かの分別が99.9%正しく行われているということを意味していないのである。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 20:24 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月09日

「ミスター・インポッシブル」の使命


■ようやく実現したゴーン氏の会見

 ついに、ゴーン氏が会見を開くことになり、本人の口から日産事件の全貌…とまではいかなかったが、大体のアウトラインは知ることができた。
 会見の冒頭、これまで溜まりに溜まったマグマが一気に噴出するかのような気迫が伝わってきた。ゴーン氏本人にとっては、まさにカタルシスを感じた瞬間だったのだろうと思う。勢い余って、少し冗長になり物足りない会見だったとも言えるが、そこは御愛嬌ということで。

 本当は脱走する前に日本で会見を行いたかったのだろうけれど、なぜか会見の前に邪魔が入って行えなかったようだ。
 実際、国内で行われるはずだったゴーン氏の会見の直前になって「別件で逮捕」というような速報ニュースがテレビに出て中止になったことがあったと記憶している。
 
 昨年、ゴーン氏が逮捕されたという一報が伝えられた時は、一体どういう事件なのか?と疑問にも思ったが、いくつかの報道を観ているうちに、これは国策捜査かもしれないな…と思い、当時、そういうブログ記事を書いてみた。
 その後、様々な方面から、日産のクーデターだったというような内容の記事が出されたので、多分、そうなんだろうなと思っていた。

■運が悪かったゴーン氏

 以下、ゴーン氏の話が真実だという前提で話を進めてみよう。

 当時、フランスのマクロン大統領とルノー社が結託して日産自動車を吸収するというような噂話も出ていたので、その橋渡し役と思われたゴーン氏を排除しようとする機運が高まった。国策自動車会社の日産自動車ということもあり、日産と官僚が協力して一芝居打ったというのは考えられないことではなかったし、本当にフランス政府が日産を呑み込もうとしているのであれば、国策(官策)捜査も止むを得ないと思える部分もあった。

 しかし、ゴーン氏の会見を聞いたところでは、どうやら、ゴーン氏もかなり運が悪かったのかもしれないなと同情を抱かされた。
 元々、ゴーン氏は日産から身を引く(引退する)つもりだったようだが、辞めることを止められたことが運の尽きだったと本人も述懐されていた。
 身を引くタイミングを誤らなければ、日本の司法のことなど知らぬが仏で、今頃は悠々自適な生活を送られていたのかもしれないなと同情した。

■外圧によってしか変えられない日本のシステム

 本来であれば、この事件は日産の内部だけで済ませる問題だったのだろうけれど、フランス政府が絡んでいるかもしれないという理由から国(検察)の協力を仰いでしまったことで悲劇が起こってしまったとも言える。

 本来、日産自動車内の権力争いや派閥争いであれば、一般国民には何の関係もない話であり、なぜ国民が詐欺で騙された被害者であるかのような重大事件として扱い報道しなければならないのか? 多くの人がそんな漠然とした疑問を感じていたのではないかと思う。

 結果的に、1自動車会社の問題が国家絡みの国際問題にまで発展してしまったが、フランス政府も日本政府もフランス国民も日本国民も誰も得をしなかったというのが現状ではないだろうか。

 この事件で、1つだけ良かったことがあったとすれば、日本の人質司法問題に一石が投じられたところだけかもしれない。結局、日本の旧態依然としたシステムは、外圧によってしか変えられないということを証明してしまった事件だったとも言える。
 政府は今のところ、日本の司法には問題ないと宣っているが、これだけ世界的な問題になってしまったのだから、本音では変えていかざるを得ないと思っているのかもしれない。日本の司法関係者にも負い目を感じている人が多いのか、その部分については肯定されている人が多い。

 よりマクロな視点で俯瞰すれば、日本の閉ざされた司法を変えるためにゴーン氏に白羽の矢が立ったということになるのかもしれない。彼の使命は日産自動車を復活させることだけでなく、実は日本の司法を変えるというもっと大きな使命(ミッション)があったのかもしれない。(あくまでも希望的観測)
------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 23:04 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月07日

「ゴーン氏逃亡事件」は「人権リトマス試験紙」


■右派・左派共通の「与党=検察」という誤解

 前々回のブログ記事で、今回の「ゴーン氏逃亡事件」では、思想的な捻れ(ゴチャマゼ)現象が起こっていると指摘した。右派が左派的意見を述べたり、左派が右派的意見を述べたりする捻れ現象が生じていると書いた。

 モリカケ騒動では、安倍総理が無実を証明するのは「悪魔の証明」だと言い、野党やマスコミから安倍総理を擁護していた人々(私も含む)が、なぜかゴーン氏に対しては、同じマスコミの意見を鵜呑みにして批判的な立場を採っている場合がある。

 逆に、モリカケ騒動では「悪魔の証明」をスルーして、安倍総理を批判していた人々が、なぜかゴーン氏を擁護したり、批判したりと、てんでバラバラでブレまくりという不思議な現象も生じている。

 こういう捻れ現象が発生する原因は、おそらく、右派・左派共に「与党=検察」という思い込みがあるせいだろうと思われる。
 左派は、検察を擁護する人は親安倍、検察を批判する人は味方だと思い、逆に右派は、検察を批判する人は反安倍、検察を擁護する人は味方だと思っているようなフシがある。

■右派(保守)が国家権力を批判する理由

 左翼の人々にとっては、自分達の“革命”を邪魔する国家権力は全て敵ということになってしまうので、当然のことながら、警察や検察は敵ということになってしまう。

 では右派はどうだろうか? 右派と言うより保守は、時と場合によっては国家権力を批判することがある。その理由は、国家権力が暴走すると、国家の威厳が失われてしまうという公的な理由と、不正義や不条理、人権無視や悪平等といったものを基本的に嫌う個人的性質を持っているからである。もっと簡単に言えば、道理に合わないことに抵抗感を感じるからだとも言える。

 国家権力に抵抗するのが左翼、国家権力を礼賛するのが右翼、国家権力の暴走を監視するのが保守、この違いがある。本来、国家権力を監視するのはマスコミの役割だが、日本ではマスコミ自体が国家第一権力になっているように思えるので、あまり期待できそうにない。

 「ゴーン氏逃亡事件」は、その行為のみに焦点を絞り、単純に「」と判断する人が多い気がするが、この事件の水面下には「人権」という重要なテーマが横たわっている。この2つは、それぞれ別に考えなければいけない。海外の人々は、それが解っているのでゴーン氏を擁護している人が多いのだが、残念ながら日本ではそこまで目が届かない人が多いようだ。

 「ゴーン氏逃亡事件」は、普段からその人物が「人権」というものをどう認識しているのかを知るリトマス試験紙の役割を果たす事件とも言えそうだ。
------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 20:12 | Comment(0) | 社会問題
2020年01月04日

「司法はデタラメだが、法律は破ってはいけない」という言葉


■もし、外国で窃盗罪で逮捕されれば?

 痴漢の冤罪で逮捕されたと思っている人間が、このままだと99.9%有罪になると分かったとすれば、どう思うだろうか?、またどういう行動に出るだろうか?
 日本で生まれた日本人なら、絶望したとしても、流石に国外に逃亡しようとは思わないだろうけれど、元々、日本で生まれたわけでも日本人でもない人であれば、話は違ってくる。

 その人物はおそらく、こう思うだろう。

 「こんな外国で犯罪者となり投獄されてたまるか

 例えば、あなたが中国に旅行して、たまたま鞄の中に露店で販売されている商品が入り込み、窃盗の疑いで逮捕されれば、どう思うだろうか?

 誰もが「こんな外国で犯罪者となり投獄されてたまるか」と思うだろう。

 しかし、あなたがいくら無実を訴えても「日本人は噓つきだ」ということで一向に聞き入れてもらえない。そして仕方なく、あなたが脱走を計画し、中国から無事に出国したとして、中国人から「中国の司法には問題はあるが、彼が逃亡したこととは別問題だ」と言われた場合、どう思うだろうか?
 その意見に素直に頷くことができるだろうか? そして、その意見に応じて中国に戻ろうと思うだろうか?
 多分、誰もができないと思う。

 例えは悪いかもしれないが、おそらく、今回のカルロス・ゴーン氏の心境もそんな感じだったのだろうと推察する。

 先程の「中国の司法には問題はあるが、彼が逃亡したこととは別問題だ」という言葉。これと同じことが日本でも言われている。

 曰く「人質司法は問題だが、ゴーンが逃亡したこととは別問題だ

 これはよく考えると非常におかしな論理だ。言葉を変えて言えば、こう言っていることになる。

 「司法はデタラメだが、法律は破ってはいけない

■もし、電車内で痴漢の容疑で逮捕されれば?

 例えば、あなたが、電車の中で痴漢と間違われて、冤罪で逮捕されたとしよう。その場合、誰もがこう思うはずだ。

 「冗談じゃない。早くここから逃げ出したい」と。

 ゴーン氏が法律を破って脱走したことは、もちろん褒められたことではないし、脱走を勧めるつもりもない。しかし、彼は未だ容疑者の段階だったということに目を向ける必要がある。
 日本の多くの人々は、既に彼が犯罪者(囚人)だと決め付けてしまっているが、彼は、未だ「ゴーン被告」であって、罪が確定したわけではない。この点は、なぜか当の日本人よりも海外の人の方がよく解っているようだ。

 そして、ここが重要なのだが、罪が確定した後では、今回のような脱走劇はできなかったということ。
 本当に有罪となり罪が確定した後で、今回のような行動に出れば、それこそ本当に刑務所から脱獄した犯罪者となってしまうので、レバノンにも受け入れてもらえなかった可能性がある。まだ罪が確定していない容疑者の段階だったからこそ、彼は脱走することができたのである。
 念のため、もう1度、お断りしておくと、脱走を肯定しているわけではない。

■「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」

 ついでに言うと、このまま99.9%の確率で有罪(犯罪者)となるのであれば、有罪になる前に逃げるしかないと思ったのだろうと思う。これは、ある意味で究極の選択(賭け)だが、自分では無実だと思っていることでいつまでも延々と拘束され、結局は有罪にされるよりも、量刑が明らかな逃亡罪に問われる方がまだましという判断が働いたのかもしれない。

 こんなことを書いても、当事者意識が無い人や、自国の司法制度について深く考えたことの無い人には、しょせん他人事でしかないのだろうけれど、司法の世界にはこんな有名な言葉がある。

 「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜(むこ)を罰するなかれ

 日本では、司法関係者であれ、一般人であれ、この言葉の意味を理解していない人があまりにも多いように思える。

【追記】2020.1.5

(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)


>まあ、でもやったことが悪いってのは、自分でも分かってたでしょ。

 そんなことはゴーン氏本人にしか分からないことです。第三者が想像だけで勝手に良いか悪いかを結論付けることこそ推定有罪思考です。殺人事件や傷害事件ならともかく、今回のような経済事件は、白黒なんてほとんど判らないわけで、実際にゴーン氏を批判している人々も事件の詳細はほとんど理解していないでしょう。ただの思い込みだけで批判している人がほとんどだと思いますが。


>それは論理のすり替えです
「日本の司法は完全ではない」
「中国司法も完全ではない」
だがその国内にいる以上はその国の市民が構成した
司法警察を尊重しないとならないはずだ

 当事者意識が無いからそんなことが言えるのです。もしあなたが、恣意的に法が運用されている無法国家で痴漢の冤罪で逮捕されたら、そんなことは言えないはずです。香港におけるデモにしても、中国の法律に従わなければいけないということであれば、デモ自体が悪になってしまいます。


>ソクラテスは 「悪法も法なり」 と言い、いくら悪い法だとしても、法治国家であれば勝手に法を破ってはいけないという考え方を示しました。

 それは曲論ですね。悪法というのは正義を欠いた間違った法のことではありません。たとえ悪いように見える法でも、みんなで決めたことなら国民はそれに従うべきだという一般論に過ぎません。現在の日本の人質司法を国民がみんなで決めたんですか? 民意が全く反映されていないから、これだけ批判が噴出しているわけでしょう。


>フランスに逃げたんならその理屈も信憑性があるかもしれんが、逃げた先はレバノンだぜ。

 ゴーン氏はフランスとブラジルとレバノンに国籍を持っています。フランスに逃げれば拘束される可能性があったのでレバノンを選んだというだけのことでしょう。


>司法に問題があれば逃亡していいのなら、すべての犯罪者が逃亡していいことになる。
だから、最初の理屈が間違いだ。

 だから、司法的にもゴーン氏はまだ犯罪者だと決まったわけではないと書いているでしょう。最初から「犯罪者」と決め付けてしまっていることがそもそもの間違いなのです。




------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 21:00 | Comment(2) | 社会問題
2020年01月03日

「ゴーン氏密出国事件」で判明した思想的断層


■ゴーン氏をめぐる思想的な捻れ現象

 スパイ映画さながらのゴーン氏の脱走劇を見て、多くの人々が様々な意見を述べられているが、それらの意見に逐一、目を通してみると、ある不思議な現象がみて取れた。

 それは、本来、ゴーン氏を擁護するべき人がゴーン氏を批判し、ゴーン氏を批判するべき人がゴーン氏を擁護しているというケース(思想的な捻れ)が多々見られるという現象だ。

 私も普段、右寄りと思われているようなので、本来であれば、ゴーン氏を批判するべきなのに、なぜゴーン氏を擁護するようなブログ記事を書いているのか?と思われた人も多いのではないかと思う。あらぬ誤解を避けるために少し説明しておきたいと思う。

■「人質司法」は「社会主義司法」

 今回のゴーン氏の脱走事件の原因として必ずといって取り沙汰されるのが「人質司法」という問題だが、これは一言で言い換えると「社会主義司法」のことを意味している。「個人の人権」よりも「国家(組織)の威信(体裁)」の方が大事だという意味では、まさしく社会主義司法である。

 左翼の人々は、与党と検察がタッグを組んでいるというような認識を持たれているのかもしれないが、全く無関係とは言えないまでも、実際のところはあまり関係のない独立した組織である。
 左翼の人々は、公安と検察を同じような組織だと混同されているのかもしれないが、公安と検察の違いを以下に表記すると、

【公安】
 公共の安全と秩序を維持することを目的とする警察

【検察】
 犯罪や事件を捜査し、公訴(刑事手続上の訴え)を提起する組織

 一方で、右寄り(保守)の人々の中には、検察が全く間違いをしない法律の番人だと思っている人もいるように見受けられるが、何年か前の厚労省の村木氏冤罪事件でも明らかになったように、全く瑕疵のない組織とは言えない側面がある。



■万人に公平ではない法の運用

 日本の検察は有罪判決率99.9%(99.8%という説もある)を誇る世界でも例を見ない組織であり、この突出した異常な数値は、起訴した案件は何が何でも有罪にする(冤罪を生む)という意味で、世界的にも批判の対象となってきた。
 普通の民主国家の有罪判決率はせいぜい70〜80%程度なので、そういった国々から見ると、この数値は明らかに法律を人為的(恣意的)に運用している結果だとも言われている。

 日産の不正経理問題で訴えを起こされ逮捕されたゴーン氏だったが、その後、訴えを起こした側の不正経理問題も発覚したことは周知の通りだ。しかし、この両者の扱いはあまりにも違いがある。この辺のところも、ゴーン氏にとっては疑念となり不満だったのだろうと思う。
 法律を万人に公平に適用するのであれば、この扱いはおかしいと思うのは、むしろ当然だとも言える。

■必ずしも正義が実現しない日本の司法

 ゴーン氏と同じ立場に置かれた場合、少し勘の鋭い人なら、このまま無実を訴え続けても無罪になる確率はほぼ0%だということが分かったと思う。
 足利冤罪事件のように、反証できない物的証拠が出てくるケースであれば、検察は冤罪を認めることはあっても、今回のような白黒がはっきりしない経済事件では、潔白を証明するのは悪魔の証明となり、どう転んでも有罪にしか成り得ない。



 本当に無実であっても、無罪にはならない。その諦観から脱走を決意したというのがゴーン氏の本音だろうと思う。

 日本を中国や北朝鮮と同じ扱いにするのは抵抗があるが、この99.9%の有罪判決率は、恣意的に法律を運用する無法国家(独裁国家)の社会主義司法だと思われても仕方がないのでないかと思う。その歪んだ司法の元では、必ずしも本当の正義が実現しないことを意味しているからだ。

【追記】2020.1.4

(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)


>いつも思うのですが、有罪率の高さは、起訴する事件の選定に伴う、起訴率の低さに起因している部分が少なくない。

 私も「起訴した案件」と書いています。不起訴案件が多いので有罪判決率が高くなるということは理解しています。しかし、それにしても高過ぎると書いているわけです。検察が不起訴、起訴を決定した時点で、既に結果が99.9%決まってしまっているという意味で、明らかに恣意的だと述べているわけです。


>日本は有罪になる可能性100%と判断しないと起訴しないのでしょう。
無罪になりそうなものはそもそも起訴していないとも言えますね。

 それなら裁判官はほぼ不要ということになりますね。検察は裁判官も兼ねているということになってしまいます。まあ昔はそうだったみたいですが。


>冤罪の可能性は0%とは言えないが、限りなく0に近いだろうと思う。
99%が異常と言うのは言い過ぎであり、99%以上に本来しなくてはならない。

 海外では概ね80%以下です。それは日本のように事前に起訴と不起訴を分けていないからでしょうか? 海外ではどんな案件でも不起訴にせず片っ端から起訴するということでしょうか?
 実際はどこの国でも不起訴にする案件は有ります。そういったことを差し引いても、99.9%は行き過ぎだということです。検察も間違いをする人間であって神ではありません。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 10:32 | Comment(1) | 社会問題
2019年12月10日

神奈川県庁のデータ流出問題は何が問題なのか?


■問題の核心は「信用業務」だったこと

 神奈川県庁が使用していたファイルサーバーのHDドライブが転売され、個人情報が流出してしまったということで、情報流出元のブロードリンク社が批判に晒されている。

 このデータ流出問題は、一般的には管理体制に問題があると言われているが、その管理体制のどこに問題があったのかと言えば、信用業務だった部分が大きいと言える。その「信用」とは何を意味するかと言えば、「目に見えない作業をどこまで信用するか」という問題である。

 データの入ったHDを廃棄する業者の仕事は、HDにドリルで穴を開けて使用できなくすることだが、中には、その穴を開けたHDの写真を撮影して依頼人に送信してくれる業者もいる。
 HD廃棄業者には、実際に目の前でHDを破壊する業者と、取り敢えずHDを預かって後で廃棄しますという契約書だけで済ます業者がいる。
 当然のことながら、後者はきちんとHDを破壊してくれるという信用だけで成り立っている仕事だとも言える。言い換えれば、今回の事件のように、いくらでも騙しが通用するということでもある。

■業務のブラックボックス化が齎すトラブル

 私の場合、使用しているパソコンが寿命を迎えると、HDだけ取り外してパソコン本体のみを廃棄するようにしているので、取り外したHDは部屋のインテリアになっている。そのうち、自分で破壊することになると思うが、業者に任せようとは思わない。
 自分の目の前でHDに穴を開けてくれない限り、データの入ったHDを他人に預けるような真似は絶対にしたくない(穴を開ける前にデータを盗まれる可能性がある)ので、いくら信用があっても、そういった業者には頼んだことがない。

 先に述べた通り、HDの場合、HDを廃棄する(穴を開ける)作業が消費者に見えないブラックボックスとなっている場合があるため、穴を開けなければ中古HDとして売ることができる。きちんとHDを物理フォーマットして売ってくれるのであれば特に問題は発生しないのだろうけれど、今回のようにデータがそのままの状態だった場合、思わぬトラブルに巻き込まれることになる。

 考えれば、世の中にはブラックボックス化している仕事というのは多々ある。そういった仕事は全て仕事をする人の責任感と倫理観を信用するしかないが、中にはそういったものを持ち合わせていない不届き者もいるので、全てを信用してしまうのも考えものだ。

■業務のホワイトボックス化が必要

○例えば、今回のようなハードディスクの廃棄の場合

 「これを破壊せずに転売すれば儲かるな。まあバレなければ大丈夫だろう

○エンジンオイルの交換の場合

 「まだエンジンオイルを換える必要はないので、換えたということにすれば儲かるな。まあバレなければ大丈夫だろう

○病気の治療の場合

 「もう通院する必要はないが、適当に理由を付けて、もう2〜3回、通院してもらえば儲かるな。まあバレなければ大丈夫だろう

 と、こんな具合になるケースが無いとは言い切れない。

 全てはブラックボックス化、つまり、目に見えない、または知識が無いので分からないということを起因として発生する出来事である。

 真面目に働いている人間に対して、こういう疑いを持つのは、あまりよろしくないと思うが、実際に起こっても不思議ではない出来事でもある。

 日本人の場合、倫理観が確りしている人が比較的多いと思うので、こういう騙しはあまり無いことを信じたいが、倫理観の欠如した国では、こんな騙しは日常茶飯事なのかもしれない。

 データは目に見えないものだが、データを記憶したHDは目に見える物であるので、極力、目に見える形で破壊することを基本とし、ホワイトボックス化(見える化)していった方が良いと思う。このての事件を完全に無くすには、それしか手はないと思うが、それ以前に、以下のようなイレースソフトでHDのデータを抹消した上で、業者に持ち込むのがベターだろう。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 23:06 | Comment(0) | 社会問題
2019年11月19日

沢尻エリカ逮捕劇騒動の雑感


■沢尻エリカ氏はスケープゴートにされたのか?

 沢尻エリカ氏が麻薬取締法違反で逮捕されたことにより様々な議論が巻き起こっているが、中には「沢尻エリカは桜を見る会のスケープゴートにされた」という意見もあるらしい。
 主に鳩山由紀夫氏とラサール石井氏の意見が槍玉に挙がっており、2人の意見を堀江貴文氏(以下、ホリエモン)が批判している格好となっている。

 鳩山由紀夫氏とラサール石井氏の意見はそれぞれ以下の通り。

▷鳩山由紀夫氏
沢尻エリカさんが麻薬で逮捕されたが、みなさんが指摘するように、政府がスキャンダルを犯したとき、それ以上に国民が関心を示すスキャンダルで政府のスキャンダルを覆い隠すのが目的である。私も桜を見る会を主催したが、前年より招待客を減らしている。安倍首相は私物化し過ぎているのは明白である

▷ラサール石井氏
まただよ。政府が問題を起こし、マスコミがネタにし始めると芸能人が逮捕される。これもう冗談じゃなく、次期逮捕予定者リストがあって、誰かがゴーサイン出してるでしょ

■スケープゴートにも2種類ある

 沢尻エリカ氏が桜を見る会のスケープゴートにされたのかどうかは残念ながら判らないので、何とも言えないが、実質的には本当にスケープゴートにされたのと同じ結果となっていることは否定できない。多くの庶民の関心事が、ある瞬間に、「桜を見る会」から「沢尻エリカ」に切り替わってしまったことは間違いない。

 しかし、だからといって、自民党や安倍総理の陰謀だとは正直、思えない。何者かの忖度ということなら有り得るかもしれないが。

 沢尻エリカ氏本人の供述では10年前から既に麻薬常習者であったらしいので、この10年間は運良く野放しのままで、急にこの時期になって逮捕となるのは不自然だという気持ちも理解できる。
 「事件の裏には事件がある」(私の造語)という言葉通り、政治家がスケープゴートを利用するというようなことは古今東西、実際に行われてきたことでもあるので、世の中にスケープゴートが無いと言うつもりもない。
 各国の政界にスパイという存在がいることも事実であり、スパイが映画や小説の中だけの話でないのと同様に、スケープゴートにされる人物が存在することもまた事実である。

 ただし、今回の沢尻エリカ氏の場合は、自ら罪を認めており、法的な罪を犯したことも事実であるので、スケープゴートであろうとなかろうと、逮捕されたことは仕方がないという側面がある。冤罪でスケープゴートにされる場合と、本当に罪を犯している場合のスケープゴートは同じではないので、沢尻エリカ氏を被害者だと位置付けるのは少々無理がある。

■「一発アウト」が意味するもの

 最後にもう1つ、沢尻エリカ氏に対する杉村太蔵氏の「一発アウト」という言葉に対してもホリエモンがこう反論している。

>「なんで自分でそこまで追い込むの?一発アウトとかおかしいでしょ普通笑。まあ、そういう追い込む芸なんだろうけどさ。

 杉村太蔵氏とホリエモンの意見が噛み合わないのは、この「一発アウト」には、2つの意味合いがあるからだと思われる。

 今回の事件発覚によって沢尻エリカ氏の現在の芸能活動は本当に「一発アウト」になってしまった。テレビドラマは撮影中止、テレビCMも放送中止、この時点で既に「一発アウト」だ。

 しかし、一方で、人生そのものを意味する「一発アウト」というものがある。一度、罪を犯した人物は未来永劫、その罪から逃れられないとする「一発アウト」だ。

 おそらくホリエモンが言っているのは、後者の「一発アウト」はおかしいということなのだろうと思う。たとえ麻薬を使用するという罪を犯したのだとしても、罪を償い反省すればどうなのか? 例えば、10年後に本当に真っ当な人生を歩んでいたとしても、絶対に女優として復帰できないということであれば、そんな「一発アウト」はおかしいでしょという意味合いなのだろうと思う。

 犯した罪にもよるが、たとえ間違いを犯したとしても、改心することによって人生をやり直すことができるという優しさは必要だろう。1度の過ちで人生の全てが灰燼と化すような窮屈な社会であれば、麻薬常習者も増える一方だと思われる。
------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 20:41 | Comment(0) | 社会問題