
■「戦争を知らない子供たち」に戦争を教える「戦争を知らない大人たち」
毎年、この時期になると、○○年目の終戦記念日ということで、マスメディアでは戦争の悲惨さを伝えるような番組が放送される。
戦争を知らない子供に戦争の悲惨さを教えるということで、同じく戦争を知らない大人が子供を教育するというようなスタイルの特集番組が放送される。
小学生の頃、「戦争を知らない子供たち」という歌を歌わされたことがあったが、現在では、その当時、子供だった人達が「戦争を知らない大人たち」になって、上辺だけの戦争論を語っている。
戦争を知らない大人なので、当然、戦後に作られた戦争のイメージでしか戦争を語ることができず、戦争によって引き起こされた悲劇(結果)だけを子供に教えることになる。
しかし、戦争を語る上で最も重要なことは、
なぜ戦争が起こったのか?
なぜ戦争を回避することができなかったのか?
そもそも誰が戦争を起こしたのか?
ということである。
こういった質問に対して、ほとんどの大人は全く応えることができない。仮に応えることができたとしても、それは戦後、GHQとマスコミに歪められた情報を基にした誤った歴史観に基づく戦争論でしかない。
その証拠に、少しそのてのテレビ番組を観てみると、語っていることを要約すれば「戦争はいけない」、ただそれだけ。全く中身の無い偽善的な内容にウンザリする。尤も、中身が有るような番組ならマスメディアは報道できないと思われるが…。
■「戦争」の同義語は「陰謀」
戦争が国と国との戦争だと思っている時点で、それは大きな誤りである。戦争とは国と国が対立して起こるものではなく、国を操っている連中(所謂「戦争屋」)が起こすものであり、近年に起こった戦争は例外なく、「戦争屋」の陰謀によって起こされており、現在、起こっている戦争も、今後、起こるとされる戦争も同様である。
彼らは、「善」と「悪」という対立軸をプロパガンダ操作によって創り出し、その2つを戦わせることで漁父の利を得ることを繰り返してきた。
国家の世界でも「善」と「悪」、医療の世界でも「善玉」と「悪玉」、「良性」と「悪性」という具合に、対立する2つの価値観を創り出し、それを大衆を操るビジネスモデルと化して巨万の富を手中に収めてきた。
「戦争」というものは、言葉を変えて言えば「陰謀」である。「戦争」を知らないということは「陰謀」を知らないことと同義である。その逆も然り、「陰謀」を知らない人間は「戦争」も知らないのである。
「戦争を知らない子供たち」が初めて歌われたのは1970年の大阪万博会場であったらしい。
50年前に「戦争を知らない子供たち」が流行したのであれば、現代、流行すべきは「陰謀を知らない大人たち」ということになる。
「戦争」という言葉を「陰謀」に置き換えて歌えば、まさに現代を現す風刺歌になりそうだ。
「陰謀を知らない大人たち」が大多数を占める限り、戦争は無くならない。皮肉なことに、「陰謀を知らない大人たち」が「戦争屋」が戦争を起こすことを許してきたのである。
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