
■歴史的な社会的変化「コロナ二極化」
コロナが二極化を齎した。このことは、近年最大の社会的な変化だと言える。
この二極化社会は、2つの大きなカテゴリーに分類される。
1つは、コロナが恐いという圧倒的多数の人々(所謂、コロナ脳)、もう1つは、コロナが全く恐くないという極少数の人々。
前者は、コロナを恐がり、コロナに感染しないために闇雲にワクチンを打ちまくる人々であり、後者は、コロナは風邪と同じであり、ワクチンなど必要ないという人々。
この2つの違いは、一見すると、コロナを恐がる人と恐がらない人という単純な違いに見えてしまいがちだが、実はもっと深い意味を持っている。
抽象的に言うと、物事を主観的に捉えている人と、物事を客観的に捉えている人の違いとなる。
それは、ちょうど、テレビの中でドラマを演じている人と、そのテレビドラマを外から観ている人の違いに似ている。テレビは2次元の世界だが、テレビの外は3次元の世界。つまり、視点としての次元が違うということ。
■2次元の世界に閉じ込められた「コロナ脳」
テレビドラマというのは、ドラマのシナリオを考える人がいて、その台本通りに役者がドラマを演じている。役者達は決められた台本通りの役を演じているだけであり、別のキャラクターを演じることはできず、況して、そのドラマを観ている人間の視点に立つことはできない。
ここで言う、ドラマのシナリオを考える人というのは、無論、コロナを計画した人々である。彼らのシナリオ通りに役者を演じているのが、コロナを恐がる人々、そして、そのドラマをテレビの外から観ているのが、コロナを恐がらない人々ということになる。
コロナを恐がらない人々というのは、コロナ劇場がフィクションであることを見抜いている。
コロナを「恐がる人」と「恐がらない人」は、肉体は同じ空間にいるように見えて、その実、人間として存在している精神の次元が異なっている。
世間で言われている「次元上昇」とは少しニュアンスが違うと思うが、コロナを恐がる人々というのは、二次元の世界に閉じ込められたと言うこともできる。
「次元上昇」という言葉に肖るなら「次元下降」ということになる。彼らは肉体は3次元にいながら、精神は2次元の世界の住人だったということが顕在化してしまった。それが、「コロナが二極化を齎した」ということの本当の意味なのである。
「コロナ二極化」というのは、思考が左右に分かれたわけではない。恰も篩に掛けられたかのように思考が上下に分かれてしまったのである。ここで重要なことは、対立する2つの思考に分かれたのではなく、混ざり合うことのない次元の違いが生じてしまったということを意味している。
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