■未だワクチンでは無いものを注射しているという事実
2021年の段階では、ワクチン接種間隔は確か6ヶ月間だったと記憶しているが、2022年4月に厚労省が「5ヶ月間に変更する」と発表した。それから4ヶ月、政府は、まだ舌の根も乾かぬうちに「3ヶ月間に短縮することを検討している」と発表した。
人間の命に関わるとされる重要なワクチン接種間隔が、わずか数ヶ月の間にコロコロと変更され、6ヶ月経過しなければ危険だったものが、半分の3ヶ月間になってしまう。この時点で、もはや、医学的な常識そのものが無視されていることが丸わかりだが、それでも多くの人は気付かず、短縮されたことを有り難がっている人もいるようだ。まるで、戦時中に配られる食料の配給間隔が短縮されたかのように…。
少し冷静になって、コロナが流行する前を思い出してもらいたいのだが、以前は、妊婦が風邪薬を飲むのも細心の注意が払われていたはずだ。お腹の赤ちゃんに悪い影響を与えるかもしれないという危惧から、コーヒー等の刺激物さえも控えるという妊婦も多かった。
しかし、現在は、治験も終わっていないワクチンを平然と妊婦に注射している。現状、強制ではないので、妊婦自身がワクチンを注射していると言った方が正しいのかもしれないが、その安易な行為を妊婦に正しく注意する医者がほとんどいないという信じ難い状態が続いている。
治験が終わっていないということは、正式にはワクチンとして認められていないということである。つまり、未だワクチンでは無いものを注射しているということを意味している。
これが、妊婦にとって危険な行為でないとすれば、一体、今までの医療常識とは何だったのか?と問いたくもなる。
■mRNAワクチン接種は神への冒涜
昔、『覚せい剤追放キャンペーン』のキャッチコピーで以下のような言葉が流行ったことがある。
「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」
よくよく考えると、遺伝子を改変するということは、元々の人間をやめることを意味している。宗教的に言うなら、これは人間を創った神への冒涜とも受け取られかねない行為である。そういう宗教的な理由もあって、アメリカ等のキリスト教圏ではワクチン接種者数が思ったほど伸びないのかもしれない。
彼らにとっては、人体を改造するという行為は、神への冒涜であり、獣の烙印を押されることに等しい行為だという認識があるのだろう。聖書的に言うなら、獣の烙印を押された者は、最後の審判で裁かれる対象になると言われているので、その教えに忠実な人は、獣の烙印を押されるぐらいならコロナ(風邪)で死んだ方がましだと思っているのかもしれない。
元々、人間には病原菌に対する免疫が与えられているにも拘らず、その免疫では不十分なので、人体を勝手に改造するという行為は、神に対する挑戦だと思われても仕方がない行為だとも言える。
mRNAワクチンの誕生は、人間が神を超えた証のようなものだと嘯いている著名人もいるようだが、その辺が唯物論者の限界なのだろう。自分が騙されているという認識もなく、間違ったことを然も正しいかのように吹聴し、自分自身が神にでもなったかのように錯覚する。いつの時代も愚か者というのは、その程度のものなのかもしれない。
現在、流行しているとされるオミクロン株は、「BA5」と呼ばれているが、接種が推奨されているワクチンは「BA1」ワクチンである。4世代も前のワクチンを接種しても効果が無いことは目に見えているので、海外では接種中止になっている国もある。しかし、日本は、不用になったワクチンの廃棄処分場のようなものなので、在庫処分として接種が進められる。
しかし、人間をやめて家畜となろうとする人々は、そんなことが行われているなど夢想だにしない。メディアが国民を完全に洗脳すれば、どんなことでも可能になってしまう良い見本だ。
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