■「反ワク」と「親ワク」の違い
世界全体でのコロナワクチン接種者は60%を超えているが、日本では80%を超える人々がコロナワクチンを接種したことになっている。いつの間にか日本は、ワクチン開発国のアメリカよりもワクチン接種者が多くなってしまった。ちなみに、アメリカのワクチン接種者は60%以下(これも正しい数値かどうかは判らないが)。
ワクチン接種者が過半数を占めてしまったことで、日本では、「ワクチン、みんなで打てば恐くない」という諺ができるほどに、本来、危険性が有るものを無視するという風潮が出来上がってしまった。ワクチンの危険性は「見ざる・言わざる・聞かざる」という三猿社会が構築されてしまったとも言える。
過半数を占めたワクチン接種者達は、民主主義(実際は愚民主義)は正しいとする誤認識に則り、ワクチン接種を拒む人々を「反ワク」と罵って、日々、痛罵していることは周知の通りだ。
「反ワク」に対する反意語は「親ワク」と呼ばれるが、この2者の違いとは何なのかと言うと、それぞれ以下のような特徴が観てとれる。
「反ワク」・・・客観的に物事を考える、知識が豊富、理性的、多読家、努力家、冷静沈着、
自己責任タイプ、実力主義者、民主主義者
「親ワク」・・・主観的に物事を考える、知識が貧弱、感情的、新聞を好む、怠惰、猪突猛進、
責任転嫁タイプ、学歴主義者、権威主義者
■「ワクチン、みんなで打てば恐くない」が意味するもの
民主主義というものは、“正しい判断ができる賢者”と“正しい判断ができない愚者”の比率を比べ、前者が多い場合にのみ成立する政治体制のことであり、歴史的にそんな体制が成立したことは1度も無い。必ず、愚者が圧倒的多数を占め、世の中を間違った方向に進め、理想とは裏腹な社会が構築されてきたことは、歴史が示す通りである。
歴史が証明していることは、多数派は必ずと言っていいほどに間違った選択をする(より正確に言えば、間違った選択をさせられる)ということ。
「ワクチン、みんなで打てば恐くない」という言葉は、そのことを如実に証明している。多数派を占める人々が、本来、危険性の有るものを危険性が無いかのように錯覚した場合、そこに生じるのは正しい民主主義ではなく、間違った愚民主義でしかない。
■「親ワク」は彼らの掌の上で踊らされている孫悟空
「親ワク」の最大の特徴は、性善説ベースで物事を考えているということ。特に日本人には性善説を好む人が圧倒的に多い。それは日本人の良いところでもあるのだが、世界的な視野で観ると、最大のウィークポイントでもある。
日本国内は性善説が成り立つ社会かもしれないが、世界の大部分の国々は性善説が成り立たない。日本人とは全く価値観の違う異質な思想を持つ一部の人々が、数百年間(あるいは数千年間)に渡って悪事を働いてきて成り立っているのが今の世界だと言っても、ほとんどの日本人は信じないだろう。
日本人のように、平和ボケする以前から、人の良い性格の善人が多い希有な国では、本当の知性さえ持てば民主主義国家は構築可能かもしれないが、世界は違うのである。
特に、現代における一部の支配者層は、彼ら以外の人種を人間とは思っておらず、隙あらば、奴隷にすることしか考えていない(大東亜戦争前までは実際にそうだった)。昔も今も、そんな悪鬼のような人々が現実に存在しているのである。
図らずも今回のコロナ騒ぎは、彼らが存在することの、この上ない証明ともなった。幸いにも、そのことに気付いた人は大勢おり、日夜、増加の一途を辿っている。コロナ騒ぎ自体が全て彼らが周到に用意したお膳立てであり、演出であることは、ある一定の知性を持った人々には疾うにバレている。しかし、そういった人々は、現状、あまりにも少数なので、その声は、圧倒的多数を占める愚者に掻き消されている。
狡知に長けた悪魔的知性を持つ彼らは、そうなることも見越して、今回のプランを実行している。残念ながら「親ワク」は、彼らの掌の上で踊らされている孫悟空のようなものだということに一生気付くことはないかもしれない。
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