2022年09月18日

『この国の終わり』を読んで。


■現代の知識人達がトンチンカンな理由とは?

 シルバーウィークということもあり、読書する本を探しに古本屋に出かけた。本を物色していると、『この国の終わり』(林 秀彦著)という少し分厚めの本が目に入ってきた。手に取って目次をパラパラ…と見てみると、興味深いキャプションが多かったので購入して読んでみた。

 著者の林 秀彦氏は、既に故人であり2010年に亡くなられている。本書は2006年に出版された本だが、今の時代にピッタリ当て嵌まる内容が書かれており、まるで、予言書のようにも感じられた。

 おそらく、2006年(16年前)当時に私がこの本を読んでも、陰謀論の類いの本だと誤解し、理解も共感もできなかっただろうと思う。本当の危機が迫っている現代であるからこそ、本書の内容を理解し共感しえたのだろうと思う。

 林氏は以下のように述べている。

「芸術的センスと力のみが、直観力と真実への洞察力を生み出し、再創造を可能にさせる。なぜなら、芸術は真実を発見するために人間に与えられた唯一の力だからだ。芸術的能力を持たない学者、政治家、評論家を信じては断じてならない。彼ら・彼女らは、意図もなく真実を見失い、糊塗する名人たちである。そして日本の著名人、オピニオン・リーダーと呼ばれる識者の大半には、芸術センスの「ゲ」の字もない。」

「客観は単なる客観で、そこには真偽や正否の余地が残る。だが、対象になりきれば、それは主観としての真実が見える。消去しても消去しても、消去し切れない主観的な残滓がある。そのいくばくかの残滓こそ、真実なのである。それを掻き集め、できる限り大きな、不動物をリクリエートする。それは力になる。洞察の力である。」


 詳細は本書に譲るとして、現代の知識人と呼ばれている人々が、なぜこうもトンチンカンなことばかり述べているのか?という最近の個人的な疑問に対して1つの解答が提示されており、久しぶりに本物の知識人(著者に言わせれば、知性人)が書いた本に出会い、蒙を啓かれた思いがした。

 惜しむらくは、著者が東日本大震災を経験せずに亡くなられたことだろうか。もっと欲を言えば、現在のコロナ禍も経験した上での著書も読んでみたかった。



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posted by 自由人 at 16:12 | Comment(0) | 読書
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