■「金網でミツバチは防御できない」=「マスクでウイルスは防御できない」
現在、世界中が厳しい言論統制状態に置かれているなどと言うと、眉を顰(ひそ)める人がいる。「そんなバカなことは有り得ない」と突っぱねる人がほとんどかもしれない。
しかし、現実をつぶさに観察していると、言論統制が行われていることは火を見るよりも明らかであり、これが解らない大人がいることの方が大いに疑問を感じる。
具体的な例で言うと、例えば、ミツバチを養蜂している人がいたとしよう。その養蜂家がミツバチの巣にハチミツを採りに行く時に、街中でよく見る緑の金網を身体に巻いていたとすれば誰もがおかしいと思うだろう。ミツバチよりも遥かに大きい穴の空いた金網を身体に巻くだけでは、ミツバチからの攻撃を防御することはできないので危険だということは子供でも分かるだろう。
そんな危険な真似をしている養蜂家がいた場合、「金網ではミツバチを防御できませんので危ないですよ」と言う人がいると思う。そういう人が、ネットでそのことを書いたとしても誰にも咎められることはなく、その書き込みが批判されることも削除されるようなこともないだろう。
しかし、これ(ミツバチと金網の関係)と同じような話で、ウイルスとマスクの関係を書く人がいれば、問題視され、場合によっては書き込みが削除されるようなことが起こっている。
「金網でミツバチは防御できない」ならOKで、「マスクでウイルスは防御できない」はNGとなる。
こんなことが実際に起こっているということ自体が、言論統制が行われているこの上ない証拠だと思われるが、なぜ、それが解らないのだろうか?
■「そんなバカなことは有り得ない」というお題目
「マスクでウイルスは防御できない」という、ごく当たり前のことが言えず、言えば、検閲されて削除されるという異常な言論統制社会になっていることに、なぜ気付かないのだろうか?
コロナ禍以前であれば、「マスクでウイルスは防御できない」と言う人がいても、何の問題も無かっただろう。それがなぜ、コロナ禍以後に突然、問題視されるようになったのか?
コロナ禍という世界的な問題に直面していることになっている社会で、コロナやマスクの疑問を書いてはいけないという制約が生まれること自体がおかしいとなぜ思わないのだろうか?
本来なら、そういった様々な意見を素直に取り入れるべきところではないのだろうか?
「言論統制が行われている」に対する反論が「そんなバカなことは有り得ない」
「マスクでウイルスは防御できない」に対する反論も「そんなバカなことは有り得ない」
この「そんなバカなことは有り得ない」を別の言葉に換言すると、以下のようになる。
「陰謀論だ」
今の時代、「陰謀論」を述べる人よりも、「陰謀論だ」というお題目を唱える人の方がはるかに危険だと思う。人々を思考停止へ誘う魔法「陰謀論だ」という言葉(呪文)をこそ疑うべきである。
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