2022年01月08日

例え話で解る財政破綻論者達の間違い


■超シンプルに考えるお金の例え話

 例えば、世の中に「Aさん」「Bさん」「Cさん」という3人の人間しか存在せず、現金も300万円しかない世界を想像してみよう。

 その場合、3人で300万円のお金を回すことで経済運営をしていかなければならない。ある時は生産者となり、ある時は消費者となって、ぐるぐるとお金を回転させる。そのお金が滞りなく巡っている間は、特に何の問題も起こらず、平穏な生活を送ることができるかもしれない。

 しかし、ある時、「Aさん」が将来に不安を覚えて30万円を貯蓄することにしたとしよう。その場合、3人は270万円のお金を運用しなければいけなくなる。
 その後、「Aさん」が抜け駆け(貯蓄)していることを知った「Bさん」も「Cさん」も、それぞれ貯蓄に励むようになり、「Bさん」も30万円貯蓄し、「Cさん」も30万円貯蓄した。
 すると、その結果、それまで動いていた金額が3割減少し、210万円で運用していかなければいけなくなるので、当然、生活は厳しくなる。

 「Bさん」と「Cさん」に真似をされた「Aさん」は、少しイラッときて、今度は、「貯金に年利1%の利子を付けよう」と言い出した。そうなると、合計90万円の貯蓄は1年後には90万9000円になってしまう。2年後には利子が付いた90万9000円に更に利子が付いて91万8090円、3年後には…という具合にどんどん複利が付いていき、雪だるま式にお金(額面)が増えていってしまう。

 しかし、ここで考えなければいけないことは、元々の300万円は固定のまんまということである。利子が付いてお金が増えたと喜んでいても、その利子の分だけお金が目減りしているに過ぎないということに気付かなかった3人の生活は、利子で目減りした分だけ、お金の巡りが悪くなっていき、そのうち破綻してしまうことになる。

■「無から有を創り出せ」と言う財政破綻論者達

 この例え話で分かることは、2つの出来事によって、経済はシュリンク(縮小)してしまうということである。1つは、人間の心、もう1つは、利子。この2つが有るがために、お金というものは増やさなければならない。それが資本主義の宿痾であるということ。

 人々の不安感から生じる貯蓄と、お金の運用にかかる利子というものが存在する限り、必然的に経済はシュリンクしていくことになる。だからこそ、時と場合に応じて、お金の総量は増やしていかなければいけない。なぜなら、そうしなければ、経済は破綻してしまうから。至極シンプルな話である。

 しかし、財政破綻論者達は、お金の総量が固定という思い込みを抱いているにも拘らず、お金を増やしてはいけない(=国債を極力刷ってはいけない)と言う。

 先の例え話で言えば、300万円しかないのに、利子が付いて額面が303万円になった場合、その増えた3万円はどうやって工面すると言うのだろうか? 300万円が滞りなく運用できれば303万円になるとでも言うのだろうか?

 利子が付くということは、お金が増えるということなので、その分のお金は誰か(政府)が市場に供給しなければ辻褄が合わなくなる。それが資本主義というものなので仕方がない。

 財政破綻論者達の言っていることは、「利子が付いて303万円になったとしても、300万円は固定のままで借金はしてはいけない」と言っているようなものだと言える。それは換言すると「無から有を創り出せ」と言っているのと同義である。

 上記はあくまでも、お金の総量は変わらないという間違った経済認識を基準に述べたものであり、実際は違う。現代の貨幣は条件次第ではいくらでも創造できる(無から有を創り出せる)ようになっているので、財政破綻論者達は2重の間違いをしているのだが、そのことについては今回は触れない。

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posted by 自由人 at 23:03 | Comment(2) | 経済
この記事へのコメント
この手の話をするときは、制度としての破綻と、実質的な生活の破綻のどちらかを分けて考える必要があると思います。
基本的に、通貨発行権に拠る論者――― 例えばMMT論者は「破綻はありえない」と話します。
かつてのドイツの責任者もジンバブエの責任者も、「破綻はしていない。貨幣は流通している。0がいくつか増えたが」と言うでしょう。
日本の年金制度も、支払い自体があれば(たとえパン1つ買えるだけの金額だとしても)、制度としては破綻していないと言い続けられるでしょう。
しかし、その「破綻はありえない」に意味はあるでしょうか?

さて、今回の記事が分かりづらいと思ったのは(失礼!)、
1. 財政破綻に関して制度論・実質論どちらにも言及しておらず、
2. 『「財」が増えたとき、貨幣の価値を高めて対応するか、新たに貨幣を発行して対応するかのどちらで対応するか』が本題であり、
3. 「前者は誤り、後者でええやん」という結論を出されていて、
4. 財政破綻の有無とは関係がない話をしているにも関わらず、財政破綻論者は誤りだ、という話を導いている。
という流れのせいだと思いました。
確かに、財が増えたとき貨幣を刷っても破綻はしないでしょう。
でもそれは「それが正しい方法だから」ではなく「破綻とは関係のない話」だからです。
その意味で「貨幣を刷ったら破綻する論」も関係のない話をしているとみなせるでしょう。

おそらく主題とされたい「積極財政によって財政破綻があるかどうか」は、これもまた別の話ですね。。。積極財政と、貨幣をすることも分けて考える必要はあると考えていますが。
Posted by 財政猫 at 2022年01月09日 15:13
ついでに。日本の財政問題についてこの手のたとえ話を適応するならば、
「高齢になったAさんが死んでしまって、財の供給が減ったときB,Cさんはどうするべきか?」
という話になるでしょう。
このとき、BCさんはAさんがいなくなった分、Aさんの財を受けられず生活不振にあえいでいます(食糧生産かもしれないし、道具生産かもしれません。分業で専門化することによって得ていた豊かさであり、単純に2人分にスケールダウンできないものと考えてください)。

遺された2人が、「豊かさを取り戻すべく、金を刷ろう!」という話に取りつかれているのが積極財政・またはMMT論者の実際だと思います。たとえ話で見るとひどく滑稽だと思いますが、そういう話です。
破綻はしません。新しく刷った貨幣にもBCさん双方の信任がありますゆえ。
しかし、それによって2人の生活は豊かになるでしょうか?
2人で3人の頃の実質的な豊かさを取り戻すためには、「イノベーションによって、無から有を創り出す」しかないのです。それは貨幣とも財政とも関係のない話です。

2人が「勘違い」をして、新札がイノベーションを起こす動機になる可能性は否定しません。
「貨幣を刷って、そのうえ、みんなで勘違いしよう!」という夢が成立できるのであれば、MMTも奔放な借金も悪くないモノでしょう。
でも、イノベーションを起こす邪魔にもなりえるでしょう。なにせ、貨幣を刷って豊かになれると勘違いしているのであれば頑張る必要はないのですから。
Posted by 財政猫 at 2022年01月09日 16:36
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