2021年12月31日

「デジタルファシズム」社会におけるブロガーの立ち位置


■タブーだらけのデジタル社会で真実を伝えるには

 今年は1年間で計117個のブログ記事を書いたことになるので、3日に1回のペースでブログを更新していたことになる。昨年には及ばなかったものの、コロナ関連記事がどんどん増えていく傾向にある。

 過去4年間の記事数は以下の通り。 ※( )内はBLOGOSに転載された記事数

 2021年 117(49)
 2020年 141(106)
 2019年 104(90)
 2018年 68(60)

 こうやって見ると、コロナ関連の記事は1年前の米大統領選関連記事と同様に、どんどん規制が厳しくなっている影響か、BLOGOSにもなかなか転載していただけなくなっていることがよく分かる。

 私自身は、ある程度、オブラートに包んで書いているつもりでいるが、それでも非営利の個人ブログなので、案外、好き放題に書いているため、タブーに触れているような箇所も多々あることも認識している。
 そんな記事をヘタに転載すると炎上しかねないので、事前にリスク回避をしていただいているのだろうと思っている。
 
 かつては、個人ブログにはタブーは無いと言われたことがあるが、現実的にはタブーだらけであり、本音というのはなかなか書けない空気が充満している。
 しかしながら、個人ブログで当たり障りのない建前記事ばかり書いていても面白くないし、読まれる方も面白くないだろうから、今後も可能な限り、本音記事を書いていきたいと思う。

■デジタル社会におけるアナログ媒体の利点

 ブロガーからユーチューバーに転身される人も結構いるみたいだが、ユーチューブ等の動画となると、文字主体のブログよりもはるかに規制が厳しくなるので、余計に言いたいことを言えなくなるというジレンマを抱えている人も多いのではないかと思う。本当の正しさを追求し、真実に辿り着いた人ほど、このジレンマが大きくなるという不条理な世界となっている。

 間違ったことを書いて(言って)検閲されるなら本望だが、正しいことを書けば(言えば)検閲されるというのが現代なので、善悪が転倒、倒錯している社会だとも言える。

 検閲を避けられるという点では、ユーチューバーよりもブロガーの方がまだ有利なのかもしれない。実際、テレビでは言いたいことが言えない環境が作られているが、書籍や雑誌はそうでもない。日本で本当に言いたいことがあるなら、本を出版するのが最も安全かもしれない。

 本に限って言えば、戦後のような検閲は無くなった。戦後間もない頃だと、完全に出版を差し止めされそうな本が現在では普通に出版され流通している。いちいち全ての本を検閲するには人的資源が足りないというのも1つの理由だろうか。

 現代の検閲は人間の目ではなく、主にAIプログラムが行っているため、アナログメディアになればなるほど、検閲から逃れられるという時代的背景がある。デジタル映像メディアだと音声も自動検閲されるので、ユーチューブ等は、デジタル監視社会の検閲ツールとして利用されやすいということになる。

 時代はまさに「デジタルファシズム」社会。そんな向かい風の中、可能な限り、真実を伝えるメディアでありたいと思う。



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posted by 自由に考える人 at 09:51 | Comment(1) | ブログ
この記事へのコメント
本当にそうですね。
さらに個人情報という問題もどんどんと複雑になってきています。
私もブログをしていますが、様々な垣根を感じます。
Posted by 小林広樹 at 2022年01月25日 17:28
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