■「言論統制」が行われる場合とは?
現在、世界は前代未聞の言論統制状態にある。まるで戦時中であるかのように…。
「言論統制」と聞けば、中国の専売特許のようなものだと思っている人がいるかもしれないが、現在は、アメリカも日本も同じく言論統制下に置かれている。
古今東西、「言論統制」というものは、虚偽情報を禁じるというものではなく、真実を隠蔽するという目的で行われてきたものであることに疑いを入れる余地はない。
世界の支配者層が、お節介にも、わざわざ嘘やデマを禁じるということに精を出すことはない。彼らが精を出すのは、自分達の嘘やデマがバレると都合が悪い場合に限られている。
こんなことは言うまでもないことだが、こう言っても「そんなことはない!」と歪んだ正義感を振り翳す人がいるかもしれないので、少し低俗な話を例に出して説明してみたいと思う。
■男女の局部で考える「真実」と「虚偽」
例えば、男女の性器を隠すことを法律で定めている国があった場合を考えてみよう。
その場合、モザイクを入れずに男女の局部が映った映像を放映した場合、法律に違反したという理由で逮捕されることになる。しかし、そういった法律が無い国で同じことをしても合法だということで逮捕されない。要するに、この問題は、法律を遵守しているか、法律を犯しているかが罪人になるかどうかの判定基準であって、真実を映したか、虚偽を映したかを問われているわけではないということ。
男女の性器は誰にも有るものであり、真実の姿をそのまま映した映像と、真実を見せないように隠した映像の違いが運命の分かれ道になる。
ここで、見方を逆転して、この法律が逆だった場合を考えてみよう。
男女の局部を隠すことが罪で、モザイクを入れた方が“真実を隠した”という理由で罪に問われる国があった場合、全く逆の価値観になってしまうことになる。
そんな国が有るかどうかは分からないが、結局のところ、局部を映す、映さないというのは、倫理的な基準を法律で設けているかどうかの違いだけであり、その行為が犯罪行為になるかどうかも、結局は法律次第だということ。
法的に日本よりも進んだ国であるはずのアメリカがノーモザイクで、日本がモザイク有りを法律で定めているところを見ても、かなりアバウトな取り決めであることが分かる。
モザイクの有無を単純に「堕落した国」と「堕落していない国」の違いと考える人もいるかもしれないが、ポルノの氾濫が「堕落した国」の条件ということであれば、現代の日本は、アメリカよりも堕落した国だというのは、専らの評判であり、日本のアダルトもの(アニメ)は「hentai(ヘンタイ)」という不名誉な言葉で呼ばれていることでも有名だ。
戦後の日本人は無神論者が多くなったせいか、行き過ぎた色情行為が罪になるというような認識を持っていないリベラルな人が多いので、世界に冠たるポルノ国家に堕したとしても何ら不思議なことでもない。
■「言論統制」は真実を隠蔽するという目的で行われてきた
少し例が悪過ぎたかもしれないが、一般的に言えることは、世界の支配者層が、真実を取り締まることはあっても、虚偽を取り締まることはあまり無いということ。「局部」を「情報」に置き換えてみると、「ありのままの情報」を取り締まることはあっても、「オブラートをかけた情報」を取り締まることはあまり無いということができると思う。
真実の情報ばかりが出回っている社会で、虚偽の情報を流せば、目を付けられるが、虚偽の情報ばかりが出回っている社会で、真実の情報を流せば、目を付けられる。
では現代は、どちらの社会に近いかと言うと、もちろん、後者である。
政府やマスコミが、「虚偽」や「デマ」という言葉を使用しだした時、それは、言論統制が行われている状態である可能性が極めて高い。先述した通り、古今東西、「言論統制」というものは、虚偽情報を禁じるというものではなく、真実を隠蔽するという目的で行われてきたものであるということに目を向ける必要がある。
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