■「生活保護」の原資とは?
メンタリストのDaiGo氏が生活保護を受けている人に対して以下のような発言をしたとのことで大炎上した。
「生活保護の人が生きていても僕は別に得しない」
DaiGo氏が思わず語った本音(失言?)が原因だとはいえ、これだけ大炎上してしまうと、DaiGo氏のメンタルの方が心配になる。本人が謝罪されているのだから、いつまでも執拗に責め立てる必要もないと思われるので、今回は少し違った角度からDaiGo氏の擁護(?)を試みたいと思う。
今回、DaiGo氏が炎上した原因は「生活保護」に対するDaiGo氏の「無知」が原因だとする意見があるようだ。しかし、もっと根本的な、もう1つの大きな別の「無知」には気付いていない人が多いようだ。
それは何か?
先に結論を述べると、生活保護の原資は必ずしも税金ではないということ。
おそらく、DaiGo氏に限った話ではないが、一般人よりも多くの税金を納めているような人は、自分が働いて納めた税金が、赤の他人に使用されているのは不公平だという感情を抱いているのではないかと思う。
汗水たらして知恵を絞って稼いだお金をごっそりと税金として召し上げられ、働いていない人の生活費に回っているというやるせない心情が、今回のような言葉が口から出てしまった原因なのだろうと思われる。
しかしながら、先に述べたように、「生活保護」の原資は必ずしも「税金」ではない。
■現代貨幣に対する誤解から生まれた悲劇
もし、「生活保護」の原資が税金なのであれば、税収が下がれば「生活保護費」も下がることになるはずだが、そうはなっていない。税収の増減に関係なく、「生活保護費」は一定のままだ。
それはつまり、税金以外の原資が使用されているということでもある。税収だけでカバーできないものは、赤字国債を刷って賄うこともできる。
「赤字国債を刷るということは将来世代の税金ではないか?」という疑問を抱いた人がいるかもしれないが、必ずしもそうとは言えないことは、現代貨幣理論を少しでも齧ったことのある人なら理解できると思う。
国がお金を発行すれば、税収に関係なく「生活保護費」などはいくらでも配ることができる。しかし、それが行き過ぎると誰も働かなくなってしまうので、限界はある。なぜなら、「生活保護費」を配り過ぎて誰も働かなくなってしまうと生産物が減少し物価が必要以上に騰がってしまう(=インフレになる)から。
では、なぜ、高収入の人は税金を多く支払わなければいけないのか?
その理由は、政府が、国民の不平等感を無くすために共産主義的な「累進課税制度」を採用しているから。
つまり、「生活保護」とは全く関係がない。不公平感をぶつけるのであれば、その対象は「生活保護制度」ではなく「累進課税制度」でなければいけない。
今回のDaiGo氏問題が起こった背景には、確かに無知というものがあったかもしれない。しかしそれは、「生活保護」に対する無知というよりも、「生活保護費」の原資に対する無知であり、現代貨幣に対する誤解である。
「生活保護」の原資が「100%税金」という誤解から生まれた悲劇だったと考えるのが、この問題の本質であり、そう考えることで、有効な解決策が導き出せると思う。
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