■誤解されている「陰謀論者」の特徴
少し前に「陰謀論を信じている人は低学歴」という話が話題となったことは記憶に新しいが、昨年にもアメリカの心理学研究チームが、陰謀論を信じやすい人には、次のような共通する特徴があると発表して話題になったことがある。
○衝動的で自信過剰な人
○孤独を好み不機嫌で短気な人
随分と単純で都合の良い解釈であり、当たっている可能性があるのは「孤独を好む」ぐらいかな…というのが正直な感想だった。少数派は必然的に孤独にならざるを得ないという意味で。
私自身、一般的に言うところの「陰謀論者」ではないが、最近は「陰謀論」に対して少し見方が変わってきた。
これまで世の中に出回っている陰謀論は3割位が真実で7割位が嘘だと思っていたが、その割合が逆転し、今では6割位が真実で4割位が嘘程度に変わっており、少し立ち位置を修正しなければいけないかなと思っている。
今の世の中では、「陰謀論」という言葉を使用した人物が見事に「陰謀」に嵌っているというパターンが多く見られ、誰かが「陰謀論」という言葉を発すると、突如として思考停止に陥り全てを「陰謀論」だと信じてしまう人が多いように思う。
そう考えると、先の「衝動的で自信過剰な人」「不機嫌で短気な人」というのは、「陰謀論者」の特徴ではなく、「陰謀論者」を否定している人の特徴ではないかと思える。
■「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」
現代では、陰謀が有ることを疑う論者のことを「陰謀論者」と呼んでいるが、より正確に言うなら「陰謀肯定論者」ということになるのだろうか。
では逆に、陰謀が無いと頭から信じている人のことを何と言うのだろうか?
先の言葉の反意語として言うなら、「陰謀否定論者」となるのだろうか。
では、「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」の違いとは何だろうか?
よく「性悪説」と「性善説」の違いだと言う人がいるが、実際の世の中を見回してみると、必ずしもそうはなっていないので、これは違うと思う。実際に「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」を観察していると、そこには共通する、ある1つのキーワードが垣間見える。それは「疑う」という行為である。
まず、世の中にある常識そのものを疑う姿勢が有るか無いか、またはそういった姿勢を持てるかどうか、そして、もし自らが常識だと信じてきたものが間違いだと気付いた時に、これまでの常識を捨て去る勇気と素直さが有るか無いか、それが「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」を分ける大きな違いだと思う。
■時代は「陰謀論」の正しさの証明に移行している
「陰謀肯定論者」といっても、生まれた時から「陰謀肯定論者」であるわけではない。人間誰しも生まれた頃は天使のように無邪気で「陰謀」なんて意識していないので、人生のある時点で「陰謀」に気付いたのか、「陰謀論」に興味を持ったかのいずれかだと思う。
では、「陰謀否定論者」というのはどうかというと、これまで「陰謀」というものに然程興味を持つ機会がなかったということが言えると思う。あるいは「陰謀論」に触れる機会が有ったとしても「こんなのは嘘だ」と十把一絡げで否定した人なのかもしれない。
しかし、世界の歴史をつぶさに観察すると、この世界は嘘に塗れており、実は大小様々な陰謀が渦巻いている社会であることを発見するに至る。少しでもそういったことを知り得た人であれば、この世の中に陰謀が無いというのは嘘であり、現実を知らないお花畑論者にしか見えないと思う。
では、「陰謀肯定論者」が全て正しいのかというと、そういうわけでもない。
重要なことは、本物の「陰謀論」と偽物の「陰謀論」を見分けることであり、その正確さがこれからの社会における1つの学問的な評価基準になるのではないかと思う。
時代は既に「陰謀」の有る・無いではなく、「陰謀」は有るという前提での、各「陰謀論」の正しさの証明に移行している。
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