2019年07月29日

「情報弱者」という言葉の定義を考える


■「情報」に「強い・弱い」は妥当か?

 前回の記事で「情報弱者」についての考察を書いてみると、案の定、様々な反論を頂いた。
 「情報弱者」とはネット検索によって能動的に正しい情報を得ようとしない人のことを指すという反論が散見された。要するに、情報リテラシーの問題ということになるのだろうか。

 現状における「情報弱者」の定義はその通りなのだろうけれど、頭を1度ゼロクリアして「情報弱者」という言葉を考えてみると、少し疑問点が生じると思う。

 「情報弱者」とは、その言葉通り「情報に弱い者」という意味になるが、そもそも情報には2種類ある。それはもちろん、「正しい情報」と「間違った情報」のことだが、この言葉を補えば、以下の4つのパターンがあることになる。

 ●正しい情報に強い者
 ●正しい情報に弱い者
 ●間違った情報に強い者
 ●間違った情報に弱い者


 ここで少なからず違和感を感じるのは、情報に対して「強い」とか「弱い」という言葉を使用することは本当に正しい使い方か?ということである。
 本来であれば、情報に強いか弱いかではなく、情報識別力が高いか低いかと言った方がピッタリすると思う。

 当初、「情報弱者」とは、ネットで情報にアクセスできる人とできない人の差を指した言葉だったと思うが、いつの頃からか、その情報にアクセスできることを前提として、その情報が正しい情報か間違った情報かを分別できない人のことを「情報弱者」と呼ぶようになった。

 例えば、偏った新聞やテレビの報道をそのまま鵜呑みにしかできない層を「情報弱者」と呼ぶ向きがあるが、その場合は「情報識別力が低い人」と言うのが正しいと思う。思想的なものを含まないなら「情報リテラシーが低い人」と言い換えることも可能かもしれないが、「情報弱者」にも段階があり、その辺が曖昧になっているため、無闇矢鱈に「情弱」という言葉を使用するのは可笑しいという遠回しな皮肉を書いたつもりが、あらぬ誤解を招いてしまったらしい。

■「情報識別力」が「高い・低い」が正しい

 ある保守系の言論人の批判を書いたのも、普段、どれだけ情報の正しさを識別する能力を有している人物であろうと、識別するべき情報を精査せずに論評してしまうと、その人物はいとも容易く情報弱者(情報識別力が低い人)になってしまうという皮肉を書いたまでのことで、別に保守系の論客を否定しているわけではない。

 個人的には、情報識別力というのは、知識量とはあまり関係がないと思っている。たとえ1万冊の書物を読んだ人であっても、その人物が必ずしも情報識別力が高いとは限らないし、本をほとんど読まない人でも情報識別力が高い人は大勢いると思う。読書はその能力を高める役目を果たすツールには成り得ても、それが万人に適用できるわけでもない。

 情報識別力の高い人と情報識別力の低い人の違いは、結局のところ、物事の本質を見抜く鑑識眼の高い人と低い人の違いでしかないと思う。どれだけ高学歴であろうと、どれだけ知能指数が高かろうと、鑑識眼の高低とはあまり関係が無いと思う。現実を見ても、実際にそうなっていることは誰もが認めるところではないだろうか。

 情報識別力が高いというのは、直感が鋭いとか、洞察力が鋭いとか、そういう類いの能力の1つだと思う。如何に論理的であっても、その論理自体が嘘である場合は見抜けない人が出てくる。肝心なのはその論理の嘘まで見抜ける能力が有るかどうかが問われることになる。だからベクトル的には、能力が強い、能力が弱いではなく、能力が高い、能力が低いとした方が正しい使い方だと思う。

 つまり、本来の言葉の定義から外れて「情報弱者」という言葉自体が拡大解釈されて独り歩きしているということ。それが結論になる。
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posted by 自由人 at 00:09 | Comment(0) | コラム
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