2019年05月29日

「川崎児童殺傷事件」における自殺同情論の是非


■殺人者の自殺同情論は成立するか?

 神奈川県川崎市でスクールバスを待っていた小学生達が、包丁を持った51歳の男に次々と襲われ19人が死傷するという凄惨な事件【川崎児童殺傷事件】が発生した。

 現段階では、犯人の名前が判っている程度で、どのような事情で凶行に及んだのかは不明だが、「計画的な自殺だった」という意見も出ているようだ。

 犯人がどんな悩みを抱えていたのか、自殺を考えるに至った動機や背景も謎のままだが、世間では犯人が自殺したことが殊更注目され、中には、自殺した人間を責めるのは控えた方が良いというような意見も出ているようだ。

 この事件の犯人が結果的に自殺したことは間違いのない事実だが、遺書的な物が発見されていないことを考慮すれば、無関係の人々を殺した後で自殺することを計画していたのかどうかまでは判らない。多くの人を殺傷してしまったので、破れかぶれになって自殺に及んだということも考えられる。
 もし、そうであった場合、自殺同情論は成り立たなくなる。

 1、自殺を考えた上での無差別殺傷事件

 2、無差別殺傷事件を起こした後に思い立った自殺

 この2つが違うことは誰にでも解ると思う。

■「自殺」と「殺害」の因果関係の有無

 話を分かり易くするために、喩え話で考えてみよう。例えば、いじめを苦にした自殺というものをケース別に考えてみると、

 (A)いじめを苦にして自殺した いじめられっこ

 (B)いじめを苦にして、いじめっこを殺害した後に自殺した いじめられっこ

 (C)いじめを苦にして、無関係の人間を殺害した後に自殺した いじめられっこ

 この3つのケースの場合、Aの場合は、同情するしかないと思う。

 Bの場合も、罪は犯してはいるが同情したくなる。

 では、Cはどうだろうか?

 Cの場合、いじめられていたことに同情心は抱いても、いじめとは全く無関係の教師や生徒を八つ当たりで殺害したのであれば、同情することはできないと思う。この場合、同情するべきは、何の関係も無いのに殺された人々の方ではないだろうか?

 今回の事件が(A)〜(C)のどれに該当するのかと言えば、もちろん(C)である。
 自殺に及んだ原因と、殺害に及んだ結果に因果関係が無い場合は、残念ながら、自殺同情論は成り立たないと思う。

■包丁を持った知らない人が襲いかかってくれば、どうするか?

 今回の事件を起こした犯人に、どのような自殺をする原因があったにせよ、その原因と全く無関係の人々を殺傷したことに関しては全く同情の余地が無い。

 このことは、自分自身が被害者になった場合を想定すれば、明白だと思う。
 自分自身が突然、全く面識もない人間に襲いかかられ、包丁で刺されて重傷を負った場合、あなたは、その犯人に同情することができるだろうか? その犯人が悩みを抱えて自殺を考えていただろうことを慮り、「犯人を責めないでください」と同情することができるだろうか? もし「できる」と言うならご立派だが、そんな人がどれだけいるのだろうか?

 包丁を持った知らない人物が襲いかかってくれば、誰もが恐怖感を抱き逃げるのではないだろうか? 逃げずに受け止めるというなら、これまたご立派だが、そんな人がいるとは到底思えない。

 いじめっこに対して、いじめられっこが包丁を持って襲いかかってくれば、その原因が自分自身にあるだろうことをいじめっこも察するだろうけれど、全く知らない人物が襲いかかってくれば、いかに性悪ないじめっこでも退散するだろう。全く関係のない人であれば尚更だ。

 殺人者に対する同情というものは、その犯行の原因と結果が理解できてこそ成立するものであり、その殺人者が自殺したことによって結果的に生じるものではない。
 いかなる事情があろうとも、全く無関係の人達を殺傷した罪は許されることではない。
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posted by 自由人 at 21:55 | Comment(0) | 社会問題
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