■「魔女狩り」から「言葉狩り」へ
12世紀から17世紀にかけて全盛を極めた「魔女狩り」は、奇しくも地動説を唱えたガリレオの登場によって下火になっていった。
当時は天動説というものが世の常識となっていたため、「地球が動いている」というような言説は、文字通り、天地がひっくり返った妄説とされ、ガリレオは異端審問により社会的に抹殺された。
現代では、流石に「魔女狩り」というものは無くなったものの、人々の無知に付け込み、「魔女狩り」を模したかのようなことが未だに行われているかに見える。
現代における「魔女狩り」は「言葉狩り」と呼ばれている。現代の日本でも、政治家が話した些細な言葉を「失言」だとして針小棒大に報道・追及し、失言者を社会的に抹殺することが正しいことであるかのような空気が社会に充満しつつある。
こんなことは、ほんの10年、20年前には無かったことだと思われるが、この社会の変化を本当に良いことだと認めることは非常に危険なことだと思われる。
数百年後の人々は、我々現代人の「言葉狩り」を観て、どう思うだろうか?
我々現代人が、かつての「魔女狩り」というものを忌み嫌うのと同様、現代の「言葉狩り」を忌み嫌うようになるのではないかと思う。
ほんの些細な発言を、よく吟味することなく、闇雲に否定しまくり、失言者の社会的生命を抹殺することを良しとする狂気の集団ヒステリー社会が21世紀初頭に確かにあったことを嘲笑う時がくるのかもしれない。
■21世紀に開いたパンドラの箱
いつの時代でも、「魔女狩り」の空気に逆らうことなく、ただ、その場の空気に踊らされるだけの人がいる。彼らには、自らを客観視できないという共通点がある。今現在、目の前で行われていることを歴史的視座(過去と未来の視点)から俯瞰できないという共通点がある。
一方で、いつの時代でも「魔女狩り」の危険性を認識できる人も大勢いる。しかし、個人が情報を発信することができなかった時代には、「魔女狩り」を主導する側の声だけが大きく、個人の声は掻き消され、誰にも届かなかった。
21世紀、情報のオープン化によって巻き起こった「言葉狩り」の猛威は、皮肉にも、同じ理由によって、下火となっていくのかもしれない。
現在は、その端境期にあるがゆえに、あらゆる禍いが同時多発的に顕在化しているとも考えられる。
21世紀に開いたパンドラの箱から飛び出した「言葉狩り」の猛威が、なるべく早い時期に収まることを願わずにはいられない。
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