2019年04月09日

「安倍政治」に対抗できる手段とは?


■「安倍政治に対抗できるのは…」という台詞

 今日、横目でテレビ番組を観ていると、『衆議院議員大阪12区補欠選挙』候補者の演説シーンが映されていた。
 その演説シーンを聞いていると、次のような台詞が耳に入ってきた。

 「安倍政治に対抗できるのは…

 何も考えずに聞いていると、つい馬耳東風で聞き流してしまいそうな台詞だが、よくよく考えてみると、これは非常に可笑しな台詞だと言える。

 「対抗する」などと言われると、なにやら、与党や安倍政治を「叩き潰す」というようなニュアンスが伝わってくるのだが、何かおかしくないだろうか?
 「安倍政治」という言葉を「与党」や「自民党」に置き換えても同じことが言えると思うが、有権者が野党(他党)に望んでいるのは、与党を叩き潰すことでも打ち負かすことでもなく、より正しい政治によって、国(国民の生活)をより良くすることだろう。そのためには現実的な「対抗策」を述べなければ意味がない。

 もちろん、安倍政治にも功罪は有る。しかし、「功」の部分が一切なくて、全てが「罪」だと言うのでは、明らかに無理がある。
 安倍政治によって、少なからず以前よりも景気が良くなり、株価や求人倍率が上がると同時に失業率も下がり、近隣諸国の外交リスクも低下したことは「功」の部分として認めなければいけない。それを認めた上で、「消費増税を行うのは間違いだ」と言うのであれば、まともな有権者は、その政治家を応援することができるのだが、そんな当たり前のことができない。

 他人(他党)に対し、認めるべきは認め、否定するべきは否定するという、人間(政治家)として、ごく当たり前のことができていないので、まともな有権者からは、そっぽを向かれることになる。
 良い部分は残した上で、悪い部分を変える(=バージョンアップ)というスタンスではなくて、全てを変える(=フォーマット)というスタンスを採るので、危なっかしいイメージを持たれてしまう。

■「対抗」するために必要なことは何か?

 そもそも、「対抗する」などという言葉は、真逆の思想の持ち主から発せられる敵対的台詞であり、端から相手を独裁者とでも決め付けていなければ出てこない台詞である。

 例えば、「中国の覇権主義に対抗する」とか「北朝鮮の威嚇行為に対抗する」と言うなら日本の政治家が言う台詞としては真っ当だと言えるが、同じ自国内で、「安倍政治に対抗する」とか「安倍政治を打倒する」などと言われても、「えっ、何を言ってるの?」という感じで、まるで現実味が感じられないという人は多いと思う。この数多の一般人の感覚が解らないということであれば、非常に滑稽だと思う。

 現在の自民党は、第一次安倍内閣時よりも、かなり左寄りにシフトしている。アメリカで言うなら、完全に民主党の立ち位置に近い。そんな自民党に対抗するのが更なる左寄り政党では、「対抗」になっていない。

 もし本当に「安倍政治に対抗する」と言うのであれば、自民党よりも右寄りでなければおかしいことになる。これもアメリカで言うなら、共和党的なスタンスでなければ「対抗」にはならない。

 単純化すると、「左翼→リベラル→保守→右翼」となるが、現状は、リベラルに対抗している左翼という構図になっている。これでは勝てるはずがない。

 リベラルに対抗できるのは保守でなければいけない。もっとも、自民党はリベラルでも、安倍総理個人として見れば保守の括りに入るので、それ以上の右となると逆に有権者の支持を得るのは難しくなる。この辺が、良くも悪くも現在の自民党の強さの秘密なのだろうと思われる。

(注記)ここで述べた「リベラル」とは、無論、「自由主義者」のことではありません。



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posted by 自由人 at 22:03 | Comment(0) | 政治
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