2023年01月07日

誤解される「反ワク」と誤解している「ワク信」


20230107.png

■「反ワク」という言葉

 現代コロナ禍において、「反ワク」という言葉が生まれた。直訳すると「ワクチンに反対する者」ということになるが、全てのワクチンに反対している者もいれば、mRNAワクチンのみに反対している者もおり、一括りに「反ワク」とするのは少々無理がある。

 前者を「反ワク」というなら、後者は「反コロワク」ということになるが、コロワクにもmRNAワクチンとそうでないものがある。西側諸国はmRNAワクチンが使用されているが、東側諸国では使用されていない国もある。ロシアや中国のコロワクはmRNAワクチンである。

 ロシアや中国は自国でワクチンを製造する設備を有しているので、mRNAワクチンを回避することができるが、ワクチンを製造する設備を持たないアフリカ等の発展途上国は西側諸国からmRNAワクチンを接種するように勧められる。
 しかし、アフリカの多くの国では、これまで勧められたワクチン接種で散々な目に遭っているので、ワクチン接種を拒んでいる国が多い。アフリカではワクチン接種に反対を表明した数人の大統領が謎の死を遂げている。無論、日本では報道されていない(報道できない)ので、そんな事実を知る人はほとんどいない。

■世界一のコロナ感染大国になってしまった訳

 日本は欧米の属国(植民地)なので、ワクチンを製造する設備を持っていても、ロシアや中国のようにはできず、西側諸国のワクチンを優先しなければならなくなっている。仮に日本で製造することになったとしても、mRNAワクチンしか製造できないと思われる。

 mRNAワクチンの購入数も自国で決めることができず、全て言いなりなので、ワクチンがどれだけ余っても文句の1つも言えない。言えないどころか、「ワクチンを無駄にするな!」と注意されているのかもしれない。それで、「ワクチンを○○本打たなければ政権がもたない」とか「1日に100万本接種する」というようなアジェンタ(目標)が発表される。
 その結果、コロナが収まったのかと言うと、実際は逆で、世界一のコロナ感染大国になってしまった。

 それでも、なんの反省もなく、2年間で20万人も死亡者が出ても、思考停止を決め込み、盲目的にワクチン接種を勧めるのみ。宗主国から言い渡されたノルマを達成することだけが目的となり、国民がどれだけ苦しもうが死亡しようが全く感知せずという人間性を完全に喪失した政治が行われている。

■「ワク信」が信仰する「神」の正体

 「反ワク」に対して「ワク信」という言葉も生まれた。「ワク信」は「コロナ脳」と同義語であることは言うまでもないが、彼らの特徴は、「ワクチンは何でも歓迎」という意味では共通している。と言うよりも、生まれてこの方“ワクチンは絶対的に良い物”と洗脳されてきたので、ワクチンに種類があることなど考えようともしない。彼らにとってワクチンは、コロナという存在するかどうかも判明していない「悪魔」を退散させてくれる「神」そのものなので、その「神」を否定することは許されない。

 「神」を5回も招聘しても、多くの人が「悪魔」に憑依されているというのに、その現実には決して目を向けようとしない。彼らにとっては「神」が「悪魔」に負けることは許されないことなので、「悪魔」に憑依されたとしても、「信心が足りなかった」として、更に「神」を6回、7回…と招聘していくことになる。

 彼らが「神」だと思っていたものが、実は自らの肉体を蝕む「悪魔」だったと知る時は来るのだろうか?
 彼らが信じていた「神」を作り出した存在こそが実は「悪魔」だったと知る日は訪れるのだろうか?

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 10:33 | Comment(0) | コロナ問題
2023年01月04日

「ワクチンの後遺症について責任を持つ」のは誰か?


20230104.png

■政治家が有権者を訴えるという馬鹿馬鹿しさ

 自民党の河野太郎氏が自身のブログで以下のような注意喚起を行っている。

「インターネットは、誰でも自由に発信ができる場だからこそ、ここまで発展をすることができたのだと思います。しかし、残念なことにそれを悪用し、デマ、フェイクニュースを意図的に発信する輩がいるのも現実です。それをいちいち気にすることはないのかもしれませんが、最近、私に関して、あまりに悪質なデマをしつこく流されるようになってきました。これからも悪質なものについては法的手段に訴えることを検討していきますが、そうしたデマのいくつかについてここで説明します」


 公人である政治家が、有権者である一般人を訴訟の対象にするなどというのは聞いたことがないが、河野氏の言うデマとは次のようなもの

「ワクチンの後遺症について責任を持つ」と言ったのだから責任を取れ


 この意見に対して河野氏は、以下のように述べている。

「コロナワクチンの供給及び接種の推進を担当する大臣として心がけていたのは、実際に業務を行う自治体が、その自治体にあったやり方で接種を進められるようにということでした。厚労省から接種の進め方についてクレームが入るようなことがあれば、私が責任を持ちますから遠慮なく、進めて下さいと伝えました」


 要するに、自治体が強引にワクチン接種を勧めたことでクレームが入れば、自分が責任を取ると言っていたということらしい。

■「ワクチンの危険性は全く無い」と宣っていた河野氏

 河野氏は、ワクチンの後遺症については、以下のように述べている。

「予防接種の副反応による健康被害は、極めて稀ですが、不可避的に生ずるものです。そのため、予防接種による健康被害を受けた者に対して特別な配慮をするために、法律で制度がきちんと設けられています。誰かが責任をとる、とらないという問題ではありませんし、『運び屋』の私が『後遺症について』責任をとるなどという発言をしたことはありません」


 この意見について、有権者としての意見を少し書いておきたいと思う。

 まず、河野氏の言う「予防接種の副反応による健康被害は、極めて稀」というのは、インフルエンザワクチン等のこれまでの予防接種の話であり、インフルエンザワクチンの後遺症は毎年、数人程度だった。(実際はもっといると思われるが)
 しかし、今回の新型コロナワクチンは、厚労省が発表しているだけでも既に2000人近く死亡者が出ている。(実際はその100倍はいるものと思われる)

 2022年だけで10万人以上がワクチンで死亡している状況だというのに、「不可避的に生ずるものです」というのは明らかにおかしい。これまでの医療の常識では、数人程度の死亡者が出ただけで、ワクチン接種は中止になっていたはずだ。

予防接種による健康被害を受けた者に対して特別な配慮をするために、法律で制度がきちんと設けられています」というのも、これまでの医療常識内の話であり、1年間で10万人も死亡している疑いが濃厚だというのに、その死亡者数を発表もせず、リスクも発表しないままというのでは筋が通らない。

誰かが責任をとる、とらないという問題ではありません」と言うのであれば、なんのための担当相なのか分からない。担当相であれば、きちんとリスクを公表した上で、ワクチンを勧めるべきである。それができないのでは責任逃れもいいところであり、確かに河野氏は「ワクチンの危険性は全く無い」と宣っていたと記憶している。その発言に責任が無いのであれば、担当相になど就く資格の無い無責任な人間だと自ら認めているようなものだ。

■自分の命と健康は自分で守るしかない

「『運び屋』の私が『後遺症について』責任をとるなどという発言をしたことはありません」


 『運び屋』という言葉が出る背景には、「自分は間接的に役割を演じているだけだ」というニュアンスが感じ取れる。責任を問うなら、その『運び屋』である自分に仕事を発注している人間にしてくれという意味が込められているのだろうか?

 仮に、『運び屋』の河野氏が責任をとることになったとしても、もはや取れないだろう。これだけ多くの人が死亡しているのだから、その全責任を取れと言っても不可能だ。河野氏の命やお金がいくらあっても足りない。

 こうなることは始めから分かっていたことであり、分かっていたからこそ、多くの有識者が河野氏を批判していたわけだが、結局、国が薬害を認めるなどというのは、そう簡単には実現しない。これまでの薬害訴訟を見れば分かる通り、この薬害が認められるようになる頃には、河野氏も専門家達も、もうヨボヨボのおじいさんになっているか、この世にいないだろうと思われる。

 結論として言えることは、自分の命と健康は自分で守るしかない。自分の命や健康を無責任な国や医者に預けると碌なことがないということ。これに尽きる。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 18:19 | Comment(0) | コロナ問題
2023年01月03日

現代における「似非保守パージ」


20230103.png

■戦前の保守は「反欧米」「反グローバリズム」だった

 日本では戦後、GHQによって「保守パージ」というものが行われたことになっている。保守の学者や教員などを全てクビにして、左翼思想を持つ学者や教師を登用したことになっている。

 その時代の「保守」とは、どんな思想を持つ人々だったのかと言うと、一般的には「反米」思想を持っている右翼に近い人ということになっているが、実際のところは「反欧米」、つまり、「反植民地思想(反グローバリズム)」の思想を持つ人々だった。「鬼畜米英」という言葉が残っていることが、それが事実であることを如実に物語っている。そして、この「反欧米」とは、現代風に言うと「反ディープステート」を意味していた。

 「ディープステート」という言葉には、狭義の「ディープステート」と、広義の「ディープステート」という2つの意味合いがある。狭義の「ディープステート」というのは、実行部隊としての目に見える組織を指し、広義の「ディープステート」というのは、狭義の「ディープステート」を操っている組織をも含む、よりディープな存在を指す。ここで述べているのは、後者の「ディープステート」ということになる。

 現代に目を移すと、現在の日本で「保守」と言われている層は、戦前の「保守」とは全くと言っていいほど思想が違っている。現在の「保守」は基本的に「親米」であり、「反米」でも、況してや「反欧米」でもない。

 これが何を意味しているのかと言うと、彼らには歴史的な世界の思想や権力構造というものが全く解っていないということだ。
 彼らは「グローバリズム」を善しとしており、欧米社会が自由な国だと思い込んでいる。

■戦後の保守は「親欧米」「親グローバリズム」になった

 戦後、GHQを操る組織(広義のディープステート)は、リベラル思想を軸として、「リベラル保守」と「リベラル左翼」を作り出し、両者にプロレスを演じさせることで日本の思想を作り変えることに成功した。
 保守を「親米」、左翼を「反米」として、両者を争わせた結果、保守が右寄り、左翼が左寄りというフィクションとしての分断思想を作り出した。

 その結果、戦前の「保守」の基本思想であった「反欧米」という思想は消えてしまった。つまり、戦後の日本人は「ディープステート」の存在をすっかり忘却させられてしまったのである。

 ただ、そんなデタラメな「保守」でも、彼らディープステートにとって、1つだけ厄介なことがあった。それは、自分達が作り出した「リベラル保守」であっても、“左翼思想を批判する”という思想だけは生き残ったという点だ。

 2030年までに世界をワンワールド化(大共産主義化)することを目論む彼らにとって、「保守」の存在が邪魔になった。
 自分達が作り出した似非保守に左翼思想を批判されることを危惧した彼らは、現代において、「似非保守パージ」を行うことにした。

 あくまでも憶測だが、現在、統一教会問題で槍玉に挙がっている「国際勝共連合」というものも、彼らが見せかけの思想戦を演出するために作り出した組織だと思われる。そう考えると、なぜマスコミが執拗に統一教会叩きを行っているのかが透けて見えてくる。

 「国際勝共連合」叩きは、大共産主義化を目論む彼らにとっては、肉を切らせて骨を断つ策略なのかもしれない。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 13:03 | Comment(0) | 陰謀学