
■コロナ禍で「親国家」「親権力」になってしまった日本の左翼
昔から「左翼」の特徴というのは、「反国家」「反権力」だったと思うが、コロナ禍以降、その常識が完全に崩れてしまった。
「右翼」は元より「左翼」も、政府のコロナ対策に黙って従っているという不可思議な現象を目にした。
特に日本の「左翼」は、政府のやることには、なんでもかんでも反対というのが信条だったはずだが、コロナ禍以降は、政府のやることを応援する立場になり、コロナ対策を「もっとやれ」と後押しする始末。
基本的に「左翼」は、この世における肉体生命至上主義者なので、「コロナ」を人一倍恐がり、自分達の信条を忘れてしまったということなのだろうけれど、結局、日本にはまともな「左翼」などはいなかったということが証明されてしまったと言える。
その後のウクライナ問題では、「左翼」だけでなく、日本にはまともな「保守」もほとんどいなかったということが証明されてしまった。「左翼」は「リベラル」に変貌したと言われるが、実は「保守」もリベラルだったことがバレてしまった。
■「リベラル」の真骨頂とは?
「リベラル」とは何か?
それは、戦後、GHQから「間違った自由」を植え付けられた人々のことを意味している。「責任を伴わない自由」を「真の自由」だと思い込まされ、与えられた「愚民主義」を「民主主義」だと思い込まされ、植民地には元々無かった「人権」が有るように思い込まされた人々のことを「リベラル」と言う。
「保守」と「左翼」は、それぞれ、「右のリベラル」と「左のリベラル」として、プロレスごっこを演じさせられてきた。その最大の特徴は、当人はプロレスを演じているとは思っておらず、真剣勝負をしていると思い込んでしまっている点だ。プロレスを行っているプロレスラー自身が、プロレスという商売の道具に利用されていることに気付いていないという状態、これこそが「リベラル」の真骨頂なのである。
■コロッセオの中に閉じ込められた日本人
戦後の日本の閉鎖された言論空間は、日本独自のコロッセオのようなものであり、プロレスラーだけでなく、民衆もそのコロッセオの中に閉じ込められた。そのコロッセオは、言わば、マトリックスのようなものであり、ほぼ全ての国民は、そのコロッセオを外から観るという視点を忘れてしまった。そのコロッセオの中ではプロレスが行われており、外には別の世界があるという認識を忘却してしまった。これこそが、GHQが仕掛けた洗脳なのである。
「リベラルはGHQの落とし子」だと言われることがある。まさにその通り。しかし、その言葉は主として「左翼」に対して使用される言葉だったが、それは間違っている。「リベラル」の中には「保守」も含まれている。「右のリベラル」と「左のリベラル」、その2つを総じて「GHQベイビー」とするのが正解だ。
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