2022年09月18日

「プラセボ効果」は「遺伝子改変」に勝るか?


■「プラセボ効果」 vs 「mRNAワクチン」

 2022年9月20日からオミクロン株用ワクチンの接種が開始されるとのことで、「我れ先にワクチン接種を…」と喉から手が出るかのように嬉々としてワクチン接種を待ち望んでいる人がいる。

 これが従来のインフルエンザワクチンであれば、多少はプラセボ効果が副作用に勝る場合も有るのかもしれないが、果たして、遺伝子を物理的に改変するmRNAワクチンに対してプラセボ効果はどれだけ期待できるものなのだろうか?

 “ワクチンを打てば病気にならない”という強い思い込みは、信仰となって、本当に病を遠ざける効果が有ることは科学的にも証明されている。それなら、生理食塩水を注射すれば、副作用無しにプラセボ効果を100%発揮することができるので、本当に風邪をひく人も減少することになると思う。

 しかし、物理的な怪我や骨折が、信仰の力では治らないのと同様、プラセボ効果に遺伝子の改変をカバーする程のパワーが有るとは到底思えない。

■現代医療教に洗脳されたワクチンジャンキー

 今年のシルバーウィークは、3連休が2回続くとのことで、ワクチンの副反応(高熱や倦怠感など)が出た場合の保険(3連休であれば出勤せずに済むという意味)と考えている人も多いようで、実際に私の職場でもそんなことを話している高齢者がいる。

 私からすると、なぜ、そんな激しい副反応を見越してまでワクチンを接種しなければならないと思えるのか不思議で仕方がない。
 これが致死率10%の感染病というならまだ理解もできるが、感染しても、ただの風邪程度(実際は、ただの風邪だと思う)の症状で、インフルエンザ並みの高熱を受容する意味が解らない。
 これでは、ワクチン接種と言うより、常習性のある麻薬接種であり、ワクチンジャンキーという形容がピッタリする。

 まともな知性と理性を併せ持った人からすると、現在行われているワクチン接種は、ただの自傷行為(あるいは自殺行為)にしか映らないと思うが、現代医療教に洗脳された人間には、まともなことを言う人間が、カルト教信者に見えてしまうのだろう。

 以前、カルト教信者の集団自殺というものが話題になったことがあるが、まさにそんな状態に近いのかもしれない。

 少し調べれば、ワクチンに効果が無いことは誰にでも分かることだと思えるが、他人の意見に素直に耳を傾けようという気持ちの無い人間に、自分で物事の本質を調べようという気持ちが生じることを期待する方が酷なのかもしれない。

 「プラセボ効果」が「mRNAワクチン」に勝ることを祈りたいところだが、残念ながら、その確率は、限りなく0%に近いと思える。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 08:32 | Comment(0) | コロナ問題
2022年09月11日

本当の危機とは、国民の無知であり、無知をあることを知ろうとしないこと


■日本が危機的状況と言うけれど…

 作家の百田尚紀氏は、「日本はマジで危機的状況、最悪の場合、3年で終わる。」と述べている。

 日本が危機的状況というのは同感なのだが、その直接的理由が「中国の侵略」というところが素直に同意できない。(中国の侵略が無いという意味ではない)

 百田氏は以下のようにも述べている。

 
「政権与党とメディアを押さえると日本は終わり」


 これも、中国を仮想敵国としての意見なのだろうけれど、政権与党とメディアは既に80年近く前から乗っ取られている。どこに? 欧米のディープステートに。

 現代は、日本だけが危機的な状況にあるのではなく、世界的な危機が同時進行している。それは、中国一国の共産主義的危機ではなく、世界統一政府の大共産主義的危機なのである。

 残念ながら、百田氏はこの部分をあまり理解されていないようで、共産主義の危険性は理解されているのだろうけれど、グローバリズム(大共産主義)の危険性には気付かれていないように見受けられる。

■『永遠の0』で描きたかったものとは…

 『永遠の0』で主人公が戦っていた国は、中国ではなくアメリカだったはずだが、なぜ、アメリカが敵だったことをスッポリ忘れて、中国だけが危険ということになるのだろうか?

 『永遠の0』のラストで主人公が特攻する姿は、未来の日本人に対してのメッセージではなかったのだろうか?
 これまで誰も歯向かうことをしなかった強大な敵に、負けることが解っていながら戦った姿が、未来の同胞達に伝わることを信じて命を散らしていったことを描いたものではなかったのだろうか?

 アメリカとの問題は都合良く終わり、新たに中国という敵が現れたというだけなら、一体、何を描いていたのか分からなくなってしまう。あの作品が、ただの過去の戦争悲劇を描いただけなら、評価はガタ落ちになってしまう。

 現代は、その同じ敵が、数十年ぶりに毒牙を向けようとしている時代なのである。

 「中国の侵略」というものが有り得たとしても、それは、そうなるように仕向けている勢力が裏にいるのである。本当の日本の危機とは、大部分の人々が、そういった勢力がいることに気付かず、彼らの思うがままに動かされていることなのである。

 本当の危機とは、国民の無知であり、無知をあることを知ろうとしないことなのだ。有識者と言われる人間までが、そのことに気付いていないのであれば、事態はより深刻ということになる。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 11:03 | Comment(0) | 国際問題
2022年09月10日

ワクチン接種に励む国際エージェント達


■ワクチン接種回数を増やすことが目的化した理由

 岸田首相は、オミクロン株対応ワクチンについて、次のように述べた。

 
「年末年始に備えて山場となる10月から11月にかけて、1日100万回を超えるペースの体制を整備する」


 この言葉からも分かる通り、ワクチン接種という「手段」が「目的」に化けていることがよく分かる。これでは、ワクチンさえ打てばコロナに感染しないと言っているようなものだが、岸田首相本人がコロナに感染しているのに、どの口が言っているのだろうか。

 ただの風邪で老若男女を問わず1日100万人にワクチンを接種するなどというのは狂気の沙汰であり、前代未聞の愚行だと言える。

 岸田氏(自民党)は少し前に、こうも述べている。

 
「接種回数を増やさないと政権がもたない」


 これも常識的に考えると意味不明な発言だ。接種回数を増やさないと下野させられると述べているわけだが、そんなことを強制できる日本人がどこにいるというのだろうか?

 そもそも、この言葉には主語が無い。と言うよりも、意図的に省かれていると言った方が正解だろうか。この言葉を主語付きで超訳すると以下のようになると思われる。

 「ユダヤ国際金融資本から日本のワクチン接種回数をもっと増やせと脅されている

 政治家のご主人様は、国民ではなく宗主国様だと言わんばかりに、手段と目的が掏り替わってしまっている。国民の側を向いているなら、危険なワクチンは極力打たせない方向に舵取りするはずだが、実際は、全く逆のことが行われている。

 昔から、公務員は「パブリック・セーバント」と呼ばれ、国民に奉仕する職員ということになっているが、戦後の日本では、国民のことなど何も考えておらず、国民を犠牲にして宗主国に奉仕するだけの職員になってしまった。

 彼らが仕えているのは日本(の国民)ではなく、欧米(のディープステート)になってしまっている。そういう意味では、国家公務員と言うよりも、国際エージェントと言った方が正しいのかもしれない。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 17:54 | Comment(0) | コロナ問題
2022年09月09日

『99.9%隠された歴史』を読んで。


■「陰謀論」 vs 「真相論」

 以前は「陰謀論」を敬遠していた(医療系陰謀論は別)私でも、最近は「陰謀学」を学ぶようになり、我ながら、その心境の変化に驚いている。
 ただ、陰謀論には「正しい陰謀論」と「間違った陰謀論」があり、それを正しく分別することが陰謀学を学ぶ上では非常に重要になる。

 一例を挙げると、かつてオバマ大統領が誕生した時、「オバマこそ支配者層を葬る救世主だ」と言っていた陰謀論者達がいたが、こういうタイプは、完全に的外れなことを述べていたことになる。
 オバマが言った「チェンジ」という言葉を、都合良く「支配者層から民主主義を取り戻す」と超訳したのだろうけれど、共産主義者オバマの「チェンジ」は、アメリカの更なる社会主義化を意味していたものであり、オバマ自身が支配者層(ディープステート)の一員だった。

 さて、前置きはこの辺にして本題に入ろう。タイトルの通り、『99.9%隠された歴史』(レックス・スミス著)という本を読んでみた。
 著者のレックス・スミス氏は日本在住のイギリス人であり、「フラットアースジャパン」の管理人でもある。

 レックス・スミス氏は、2016年に「フラットアース論」というものが有ることを知り、論破してやろうと6ヶ月間調べていくうちに、逆に球体地球の矛盾点ばかりが判ってしまい、晴れてフラットアーサーになったという人物。使い方が適切かどうか分からないが、所謂、「ミイラ取りがミイラになった」ということを実体験された人物ということになるのだろうか。

■「マンデラ・エフェクトは嘘である」は間違い

 本書は、陰謀(真相)論系書物の集大成的なものとなっており、読み物としては面白く、知的好奇心をくすぐる内容となっている。

 ただ、納得できるものも有ったが、納得できないものもあり、個人的には素直に支持できるとは言えないどっちつかずの内容だった。

 フラットアースについては、納得できる箇所も多かったが、「宇宙は無い」とか「次元は無い」とか「マンデラ・エフェクトは嘘」とか、断定されているのは少々、強引だなと感じた。

 しかし、レックス・スミス氏は以下のようにも述べられている。

真相論は、フラットアースなど物理的現象や観測で直接確認できるもの以外は、基本的に私の「意見」と「考察」という立ち位置になります。死後の世界などは特に、実際に死なないと何が起きるかわからないし、死んでもわからないかもしれないため、断言など一切いたしません。
ご納得いただけないトピックでも、こういう意見や論理的帰結もあるのかということで、同じ真相を追う奴隷階級の真相論者として大目に見ていただけたらと思います。


 と書かれているので、お言葉に甘えて、個人的に思うところを正直に書かせてもらおうと思う。

 まず、フラットアースで宇宙は無いというのは、地球の外には何も無いという意味なのだろうか? もしそうであるなら、全くの無の空間ということになってしまうが、さすがにこれは素直に頷けない。

 宇宙は人間が行けない空間や異次元だというなら、まだ納得もできるが、全くの無などということが三次元世界で有り得るのだろうか?
 多次元宇宙の中に三次元空間としての地球がポッカリと浮かんでいるというようなイメージなら思い浮かべることができるが、全くの無というのは受け入れるのが難しい。

  レックス・スミス氏は「宇宙」も「次元」も無いと言われているので、人間が立ち入ることができない空間さえも無いと言っていることになる。

 そして、「マンデラ・エフェクトは嘘である」とも言われているが、これについては明らかに間違っているので指摘しておきたいと思う。

 私自身、「マンデラ・エフェクト」を実体験しているので、「マンデラ・エフェクトは100%有る」と断言することができる。これは、「意見」や「考察」のような推論や願望論ではない。信じるか信じないという信仰レベルの話でもなく、実際に体験した事実なので、誰にも否定できない。臨死体験と同様、誰にでも追体験できるようなものではないため、大多数の人には解らないだけ。

  レックス・スミス氏は「次元が無いので、マンデラ・エフェクトも無い」と述べておられるが、残念ながら、「マンデラ・エフェクト」は本当のことなので、多次元世界もパラレルワールドも存在し、時空を超えた3次元以上の世界は有ると言わざるを得ない。

 レックス・スミス氏の言葉を借りると、同じ真相を追う奴隷階級の真相論者としての率直な意見を書かせていただいた。あしからず。



------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 23:56 | Comment(0) | 読書
2022年09月06日

「言論の自由」の無いアメリカや日本は民主主義国ではない


■小林よしのり氏の典型的な誤解

 漫画家の小林よしのり氏は、ウクライナ戦争を「権威主義国」対「民主主義国」の戦いだと述べている。そして、「権威主義」と「民主主義」の二者択一なら、民主主義の方を支持する、とも述べている。

 小林よしのり氏の認識では「権威主義国」はロシア・中国・北朝鮮、「民主主義国」はアメリカ・欧州・台湾・日本ということらしい。

 何年か前の私も、おそらく小林氏と同じような認識だったと思うので、あまり偉そうなことは言えないが、小林氏の認識は、よくある典型的な(冷戦時代の)誤解だと言える。

 小林氏自身、『コロナ論』では嫌というほどに言論の自由が無いことを嘆いていたはずだが、なぜ、その言論の自由が無い国(欧米や日本)が都合良く民主主義国という認識になるのだろうか?

 コロナ禍における言論の自由という意味でなら、むしろ、ロシアの方がアメリカや日本よりも、はるかに言論の自由が保証されているということを知らないのだろうか?

■「権威主義」と「民主主義」の二者択一論の間違い

 「「権威主義」と「民主主義」の二者択一なら、民主主義の方を支持する」というのは、昔からよく言われている「アメリカと中国の属国になるなら、どちらが良いか?」という質問と似ている。
 
 しかし、この質問は根本的に間違っており、論理的に成立しない。なぜなら、日本は既にアメリカの属国に他ならないからである。
 正確に言うなら、「アメリカの属国から、中国の属国になった方が良いか?」と質問するべきであり、現在の日本は決して、二者択一を選べるような中立的な状態では無いのである。

 実際のところ、アメリカの属国である日本を中国が強引に奪いに来るというのは、中国がアメリカにケンカを売るということを意味するので、普通に考えるとあまり現実味が無い。アメリカにケンカを売って自国(中国)が崩壊すれば元も子もないので、余程のことが無い限り、そんなことにはならない。

 中国が攻めてくるというのは、現在の日本がどこの国の属国でもない中立国という前提での話である。
 加えて言うなら、アメリカの影の政府(ディープステート)と中国の影の政府(中共)は敵ではないので、もし仮に戦争になったとしても自作自演の可能性が高い。

■「権威主義」が“緩い国”と“激しい国”

 しかし、当のアメリカ(と言うよりディープステート)が、日本を戦場にして中国と日本を戦争させるということは有り得る。これには台湾も絡んでくるが、古今東西、戦争などというものは、人為的な謀略無しには発生していない。戦争は、善悪二元論で片付けられるような単純な代物ではなく、必ずと言っていいほど、第三者の思惑が絡んで発生するものであり、自然発生的に起こるものではない。

 アメリカを含む西側諸国の最大の権威とはディープステート(実際はもっと格上の勢力が存在する)に他ならない。当然、アメリカの属国である戦後の日本もその一員として数えられている。
 現代における「権威主義国」というのは、アメリカや欧州、そしてその属国である日本のことを指している。

 では、「民主主義国」はどこなのか?

 その答えは、「民主主義国は存在しない

 少なくとも、近代において、「民主主義」が成立した国は無い。ただ、「権威主義」が“緩い国”と“激しい国”の違いがあるに過ぎない。便宜上、「権威主義」が“緩い国”を「民主主義国」と呼び、「権威主義」が“激しい国”を「独裁主義国」と呼んでいるに過ぎない。

 では、現在、「権威主義」が“緩い国”と“激しい国”の代表的な国はどこか?

 その答えは、前者が「ロシア」、後者が「アメリカ」である。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 19:40 | Comment(0) | 国際問題