2022年09月25日

「ワクチンやめますか? それとも人間やめますか?」


■未だワクチンでは無いものを注射しているという事実

 2021年の段階では、ワクチン接種間隔は確か6ヶ月間だったと記憶しているが、2022年4月に厚労省が「5ヶ月間に変更する」と発表した。それから4ヶ月、政府は、まだ舌の根も乾かぬうちに「3ヶ月間に短縮することを検討している」と発表した。

 人間の命に関わるとされる重要なワクチン接種間隔が、わずか数ヶ月の間にコロコロと変更され、6ヶ月経過しなければ危険だったものが、半分の3ヶ月間になってしまう。この時点で、もはや、医学的な常識そのものが無視されていることが丸わかりだが、それでも多くの人は気付かず、短縮されたことを有り難がっている人もいるようだ。まるで、戦時中に配られる食料の配給間隔が短縮されたかのように…。

 少し冷静になって、コロナが流行する前を思い出してもらいたいのだが、以前は、妊婦が風邪薬を飲むのも細心の注意が払われていたはずだ。お腹の赤ちゃんに悪い影響を与えるかもしれないという危惧から、コーヒー等の刺激物さえも控えるという妊婦も多かった。

 しかし、現在は、治験も終わっていないワクチンを平然と妊婦に注射している。現状、強制ではないので、妊婦自身がワクチンを注射していると言った方が正しいのかもしれないが、その安易な行為を妊婦に正しく注意する医者がほとんどいないという信じ難い状態が続いている。

 治験が終わっていないということは、正式にはワクチンとして認められていないということである。つまり、未だワクチンでは無いものを注射しているということを意味している。
 これが、妊婦にとって危険な行為でないとすれば、一体、今までの医療常識とは何だったのか?と問いたくもなる。

■mRNAワクチン接種は神への冒涜

 昔、『覚せい剤追放キャンペーン』のキャッチコピーで以下のような言葉が流行ったことがある。

 「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?

 よくよく考えると、遺伝子を改変するということは、元々の人間をやめることを意味している。宗教的に言うなら、これは人間を創った神への冒涜とも受け取られかねない行為である。そういう宗教的な理由もあって、アメリカ等のキリスト教圏ではワクチン接種者数が思ったほど伸びないのかもしれない。

 彼らにとっては、人体を改造するという行為は、神への冒涜であり、獣の烙印を押されることに等しい行為だという認識があるのだろう。聖書的に言うなら、獣の烙印を押された者は、最後の審判で裁かれる対象になると言われているので、その教えに忠実な人は、獣の烙印を押されるぐらいならコロナ(風邪)で死んだ方がましだと思っているのかもしれない。

 元々、人間には病原菌に対する免疫が与えられているにも拘らず、その免疫では不十分なので、人体を勝手に改造するという行為は、神に対する挑戦だと思われても仕方がない行為だとも言える。

 mRNAワクチンの誕生は、人間が神を超えた証のようなものだと嘯いている著名人もいるようだが、その辺が唯物論者の限界なのだろう。自分が騙されているという認識もなく、間違ったことを然も正しいかのように吹聴し、自分自身が神にでもなったかのように錯覚する。いつの時代も愚か者というのは、その程度のものなのかもしれない。

 現在、流行しているとされるオミクロン株は、「BA5」と呼ばれているが、接種が推奨されているワクチンは「BA1」ワクチンである。4世代も前のワクチンを接種しても効果が無いことは目に見えているので、海外では接種中止になっている国もある。しかし、日本は、不用になったワクチンの廃棄処分場のようなものなので、在庫処分として接種が進められる。

 しかし、人間をやめて家畜となろうとする人々は、そんなことが行われているなど夢想だにしない。メディアが国民を完全に洗脳すれば、どんなことでも可能になってしまう良い見本だ。

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posted by 自由人 at 11:32 | Comment(0) | コロナ問題
2022年09月24日

「正義が力ではない、(お金の)力が正義だ。」の世界


■「力が正義ではない、正義が力だ。」という洗脳

 アニメのタイガーマスクの有名な台詞に以下のようなものがある。

 「力が正義ではない、正義が力だ。

 日本人のほとんど全ての人はこの言葉に共感すると思う。特に純粋な子供達は、この言葉に洗脳されて、この世は善人が支配する世界であり、正義は悪に勝つものだと思い込むことになる。

 タイガーマスクだけでなく、あらゆる漫画は、正義は必ず悪に勝つことが決定されており、この世界で悪人が栄えることは有り得ないという刷り込みに貢献している。無論、それが意図的に行われているわけではないが、勧善懲悪的なドラマが、本当の悪を過小評価することの手伝いをしていることは間違いない。

 しかし、この世界の現実は、全く逆になっており、「正義が力ではない、(お金の)力が正義だ。」となっている。

 こう言うと、底の浅い善悪論だと勘違いする人がいるかもしれないが、ここで述べているのは、そういう浅薄な善悪論ではない。ほとんど全ての日本人が気付いていない善悪論であり、子供だけでなく、大人までが洗脳されている善悪論である。

■「正義は勝つ」というフィクション

 「正義は勝つ」、この言葉を疑う人はまずいない。少年ジャンプのキーワードは「友情・努力・勝利」となっており、この3つの内の1つは漫画に入れることが編集方針とされている。
 ということは、この世界の現実を正確に描くことはできないということになる。具体的に言うと、悪が勝って、正義が負けるというオチは描けないということになる。

 少年ジャンプの人気漫画『ワンピース』は、「友情・努力・勝利」の三拍子が揃った漫画であり、どんな窮地に陥ったとしても、最後には正義が悪に勝つというストーリーになっている。これは『ワンピース』に限った話でなく、全ての漫画がそうなっている。

 しかし、『ワンピース』の場合は、一見、子供向きの漫画を装いつつも、この世界の真実を描いている箇所も散見される。著者が意図的に行っているのかどうかは不明だが、「世界政府」などという言葉も出てくるので、解る人には解る設定となっている。「ワノ国編」などは、占領された日本を暗に描いていることが透けて見える。

 『ワンピース』も最後はハッピーエンドで終わるのだろうけれど、現実の世界では、ハッピーエンドになったことは1度も無い。伏線としてのハッピーは有り得ても、最終的には悪が勝利(バッドエンド)している。
 大東亜戦争を例に持ち出すまでもなく、いつも最終的に勝利するのは悪の枢軸となる。なぜなら、「歴史」という名のストーリーを組み立ててきたのが、彼らであるから。

 かつて、アメリカのブッシュ大統領は、悪の枢軸として、北朝鮮・イラン・イラクの三国を挙げたが、本当の悪の枢軸は、アメリカであり、そのアメリカを創り操っている勢力なのである。

 もういい加減に、悪の枢軸が自滅し、「力が正義ではない、正義が力だ。」となる日が来ることを祈りたい。

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posted by 自由人 at 11:12 | Comment(2) | 陰謀学
2022年09月23日

賢者としての「反ワク」と、愚者としての「親ワク」


■「反ワク」と「親ワク」の違い

 世界全体でのコロナワクチン接種者は60%を超えているが、日本では80%を超える人々がコロナワクチンを接種したことになっている。いつの間にか日本は、ワクチン開発国のアメリカよりもワクチン接種者が多くなってしまった。ちなみに、アメリカのワクチン接種者は60%以下(これも正しい数値かどうかは判らないが)。

 ワクチン接種者が過半数を占めてしまったことで、日本では、「ワクチン、みんなで打てば恐くない」という諺ができるほどに、本来、危険性が有るものを無視するという風潮が出来上がってしまった。ワクチンの危険性は「見ざる・言わざる・聞かざる」という三猿社会が構築されてしまったとも言える。

 過半数を占めたワクチン接種者達は、民主主義(実際は愚民主義)は正しいとする誤認識に則り、ワクチン接種を拒む人々を「反ワク」と罵って、日々、痛罵していることは周知の通りだ。

 「反ワク」に対する反意語は「親ワク」と呼ばれるが、この2者の違いとは何なのかと言うと、それぞれ以下のような特徴が観てとれる。

 「反ワク」・・・客観的に物事を考える、知識が豊富、理性的、多読家、努力家、冷静沈着、
         自己責任タイプ、実力主義者、民主主義者

 「親ワク」・・・主観的に物事を考える、知識が貧弱、感情的、新聞を好む、怠惰、猪突猛進、
         責任転嫁タイプ、学歴主義者、権威主義者

■「ワクチン、みんなで打てば恐くない」が意味するもの

 民主主義というものは、“正しい判断ができる賢者”と“正しい判断ができない愚者”の比率を比べ、前者が多い場合にのみ成立する政治体制のことであり、歴史的にそんな体制が成立したことは1度も無い。必ず、愚者が圧倒的多数を占め、世の中を間違った方向に進め、理想とは裏腹な社会が構築されてきたことは、歴史が示す通りである。

 歴史が証明していることは、多数派は必ずと言っていいほどに間違った選択をする(より正確に言えば、間違った選択をさせられる)ということ。

 「ワクチン、みんなで打てば恐くない」という言葉は、そのことを如実に証明している。多数派を占める人々が、本来、危険性の有るものを危険性が無いかのように錯覚した場合、そこに生じるのは正しい民主主義ではなく、間違った愚民主義でしかない。

■「親ワク」は彼らの掌の上で踊らされている孫悟空

 「親ワク」の最大の特徴は、性善説ベースで物事を考えているということ。特に日本人には性善説を好む人が圧倒的に多い。それは日本人の良いところでもあるのだが、世界的な視野で観ると、最大のウィークポイントでもある。

 日本国内は性善説が成り立つ社会かもしれないが、世界の大部分の国々は性善説が成り立たない。日本人とは全く価値観の違う異質な思想を持つ一部の人々が、数百年間(あるいは数千年間)に渡って悪事を働いてきて成り立っているのが今の世界だと言っても、ほとんどの日本人は信じないだろう。

 日本人のように、平和ボケする以前から、人の良い性格の善人が多い希有な国では、本当の知性さえ持てば民主主義国家は構築可能かもしれないが、世界は違うのである。

 特に、現代における一部の支配者層は、彼ら以外の人種を人間とは思っておらず、隙あらば、奴隷にすることしか考えていない(大東亜戦争前までは実際にそうだった)。昔も今も、そんな悪鬼のような人々が現実に存在しているのである。

 図らずも今回のコロナ騒ぎは、彼らが存在することの、この上ない証明ともなった。幸いにも、そのことに気付いた人は大勢おり、日夜、増加の一途を辿っている。コロナ騒ぎ自体が全て彼らが周到に用意したお膳立てであり、演出であることは、ある一定の知性を持った人々には疾うにバレている。しかし、そういった人々は、現状、あまりにも少数なので、その声は、圧倒的多数を占める愚者に掻き消されている。

 狡知に長けた悪魔的知性を持つ彼らは、そうなることも見越して、今回のプランを実行している。残念ながら「親ワク」は、彼らの掌の上で踊らされている孫悟空のようなものだということに一生気付くことはないかもしれない。

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posted by 自由人 at 10:38 | Comment(0) | コロナ問題
2022年09月19日

ブログの「アクセス解析」は正しいのか?


■あまりにも不自然な「アクセス解析」にもの申す

 長らくブログを書いていると、ある疑問を抱く時がある。それは、ブログのアクセス解析は、本当に正確な数値を表示しているのか?ということ。

 これについては、これまで何度も疑ってきたが、現在ではパソコンだけでなく様々な媒体からのアクセスがあるので、管理システムの方にも問題が有るのだろうと諦めていた。

 しかし、どう考えても不自然なことが続いているので、1度、この辺で疑問を呈しておこうと思う。

 私は、ほぼ毎日欠かさず、アクセス解析画面を覗いているが、なぜか、毎日、同じ1つの記事に対して一定数のアクセスがある。具体的に言うと『日産自動車の「不正」と「リストラ」』という3年前に書いた記事だが、計ったかのように10から20アクセスになっている。

 内容的には、ゴーン氏逮捕の時事問題を扱った記事なので、3年も経過してから毎日読まれるような記事ではない。日産の株価について記述しているので、たまには株式関係のアクセスが有るかもしれないが、毎日、2桁の決まったアクセス数が有るというのは、どう考えてもおかしい。

日産自動車の「不正」と「リストラ」

 不自然なのは、これだけではない。ブログ記事を新規投稿すると、決まって、10から20のアクセスがある。(ちなみにアクセス解析は1時間に1回更新される)
 当初は、10から20人の人がRSSを利用されてアクセスされているのかな?と思っていたが、数年間に渡って毎回毎回、同じ人数というのは、どう考えても不自然だ。

 まだある。私が自分自身の過去のブログ記事にアクセスすると、なぜかその記事のアクセス数が、1時間後に10ほどアップする。私がアクセスしたからといって、他の人が自動的にアクセスするわけがないので、これもどう考えても不自然だ。

 ただ、ブログ記事が外部サイト等に紹介された場合は、そのアクセス数が正確(?)に表示されているフシもあるので、なにもかもがデタラメというわけでもなさそうだが、あまり参考にならないということだけは間違いなさそうだ。

 ブログを始めたばかりの人に対するサービスとして、アクセス数が上がったかのように見せかけるシステムになっているのかもしれないが、長年、ブログを書いている人間に対しても同じシステムを適用するのは問題かもしれない。

 いずれにせよ、これではブログを書くモチベーションが上がらないので、グーグルアナリティクスを使用してより正確なアクセス数を把握するか、ツイッターでも間接利用して変化を付けようかと考えている。

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posted by 自由人 at 11:16 | Comment(0) | ブログ
2022年09月18日

『この国の終わり』を読んで。


■現代の知識人達がトンチンカンな理由とは?

 シルバーウィークということもあり、読書する本を探しに古本屋に出かけた。本を物色していると、『この国の終わり』(林 秀彦著)という少し分厚めの本が目に入ってきた。手に取って目次をパラパラ…と見てみると、興味深いキャプションが多かったので購入して読んでみた。

 著者の林 秀彦氏は、既に故人であり2010年に亡くなられている。本書は2006年に出版された本だが、今の時代にピッタリ当て嵌まる内容が書かれており、まるで、予言書のようにも感じられた。

 おそらく、2006年(16年前)当時に私がこの本を読んでも、陰謀論の類いの本だと誤解し、理解も共感もできなかっただろうと思う。本当の危機が迫っている現代であるからこそ、本書の内容を理解し共感しえたのだろうと思う。

 林氏は以下のように述べている。

「芸術的センスと力のみが、直観力と真実への洞察力を生み出し、再創造を可能にさせる。なぜなら、芸術は真実を発見するために人間に与えられた唯一の力だからだ。芸術的能力を持たない学者、政治家、評論家を信じては断じてならない。彼ら・彼女らは、意図もなく真実を見失い、糊塗する名人たちである。そして日本の著名人、オピニオン・リーダーと呼ばれる識者の大半には、芸術センスの「ゲ」の字もない。」

「客観は単なる客観で、そこには真偽や正否の余地が残る。だが、対象になりきれば、それは主観としての真実が見える。消去しても消去しても、消去し切れない主観的な残滓がある。そのいくばくかの残滓こそ、真実なのである。それを掻き集め、できる限り大きな、不動物をリクリエートする。それは力になる。洞察の力である。」


 詳細は本書に譲るとして、現代の知識人と呼ばれている人々が、なぜこうもトンチンカンなことばかり述べているのか?という最近の個人的な疑問に対して1つの解答が提示されており、久しぶりに本物の知識人(著者に言わせれば、知性人)が書いた本に出会い、蒙を啓かれた思いがした。

 惜しむらくは、著者が東日本大震災を経験せずに亡くなられたことだろうか。もっと欲を言えば、現在のコロナ禍も経験した上での著書も読んでみたかった。



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posted by 自由人 at 16:12 | Comment(0) | 読書