■「シープル」という言葉
映画『マトリックス』内で「シープル」という言葉が使用されている。この言葉が何を意味しているのかというと「シープ(Sheep)」と「ピープル(People)」の合成語であり、「羊のように従順な人々」、より正確に言えば「従順で自分の意見がなく大勢に従う人々」という意味合いになる。
では、具体的に何に対して従順なのかというと、もちろん、政府や権力者などの権威に対して従順であり、自分の頭で考えようとせずに、まず権威に縋る人々のことを指している。
「シープル」は、基本的に政府やマスコミの言うことを信じて疑うことを知らない。テレビや新聞で報じられていることは絶対的に正しいと信じ込んでおり、政治家や専門家を無条件に「先生」と呼び、彼らの言うことに従えば間違いないとさえ思い込んでいる。
■「シープル」と化した人類
家畜としての羊は、飼い主から餌を与えられ、定期的に注射(ワクチン)を打たれる。羊達は餌を与えられれば、その餌が身体に良いものか悪いものかを考えることなく食べてしまう。その餌が原因で腹を壊したとしても、その餌に原因があったなどとは考えることもない。
注射(ワクチン)を打たれたとしても、注射を打つ瞬間だけ痛みと恐怖を感じるが、その注射が身体に良いものか悪いものかを考えることなく受け入れてしまう。その注射が原因で高熱が出て寝込んだとしても、その注射に原因があったなどとは考えることもない。
ここまで書けば、お分かりのように、現代の人間も、この羊達となんら変わらないことに気付かされる。
ワクチン接種が原因で数千頭の羊が亡くなったとしても、羊達にはその情報を知る由も把握する術もない。まず、注射をする人間を疑うという心を持っていないし、ワクチンの成分が何であるかを知る知能も無い。自分の周りで羊達が亡くなったとしても、本能で死を察知するのが関の山だ。
■人類は「シープル」として存在することが許されるのか?
では現代の人間はどうだろうか?
ワクチン接種が原因と疑われる1500人以上(実際はその数十倍)の人々が亡くなっていても、その情報を知ろうともしない。その情報が目や耳に入ったとしても、まず否定から入り、端からまともに考えようともしない。
注射をする医者を疑うという心も全くと言っていいほど持っていないし、ワクチンの成分が何であるかを調べようともしない。自分の周りで知人が亡くなったとしても、あくまでも他人事であり、同情の念を抱いて恐がるのが関の山だ。
こうやって二者を並べて比べてみると、皮肉なことに現代のほとんどの人間は家畜とあまり大差がないことに驚かされる。家畜に比べると、記憶力と自己保存欲だけは圧倒的に勝っているが、本来、万物の霊長として持ち合わせているはずの高度な知性や理性というものが全く活かし切れておらず、ある意味、家畜となんら変わらない生活を送っていることに気付かずに過ごしているとも言える。
この状態を単純に「平和ぼけ」と言うことも可能かもしれないが、現代に生きる大部分の人間が、このまま「シープル」で居続けるとなると、この現代文明は非常に危ういと言える。
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