2022年05月26日

「憲法改正」をこれまでの常識で考えるのは危険


■「憲法改正」には様々なレベルがある

 今年の参議院選挙では、ウクライナ問題の影響もあってか「憲法改正」の議論に事欠かないが、現在、この憲法問題は非常にややこしい構図になっており、一頃のように憲法改正をすることが無条件に良いことだとは言えない状況となっている。

 一口に「憲法改正」と言っても、様々なスタンスがあり、「日本国憲法そのものを1から作り直すべきだ」と言う人もいれば、「憲法9条だけを変えるべきだ」と言う人もいる。それに加えて、最近では「緊急事態条項を追加するべきだ」と言う憲法改正論も出てきている。

 こういった違いが有るせいか、憲法改正を唱えている人々の中でも内ゲバ的な言い争いが起きており、一般人は誰を信じていいのか、どこの政党が正しいことを言っているのか判断するのが難しい状態となっている。

 しかし、護憲にしても改憲にしても、様々なレベルが有ることを知らないと、その選択次第では結果的に国を滅ぼすことになってしまいかねない。それが、現在の日本の差し迫った状況だとも言える。

■日本人を憲法で縛る必要が無くなった現代の危険性

 先の戦争で、命を投げ出して戦いに身を投じる日本人の精神性に心底恐怖を感じた連合国側は、戦後、GHQを通じて、日本人が二度と歯向かわないように(戦争ができないように)するために、日本国憲法に非戦の誓いを盛り込んだ。そして、戦争の費用を捻出できないようにするために財閥を解体し、戦争資金を根こそぎ奪うために東京地検特捜部(当時の呼び名は「隠匿退蔵物資事件捜査部」)を創設し、財閥以外のお金も全て没収することに尽力した。現在の東京地検が金持ちを憎む姿勢もそこから派生している…と言うか、その名残が残っていると言うべきだろうか。

 日本人から精神的支柱を抜き取り骨抜きにすることを目的としたGHQの戦後の洗脳工作は見事なまでに成功し、左翼が「戦争反対!」と叫ばなくても、日本国憲法で戦争を禁止しなくても、現代の日本人は頼まれても戦争に参加する気など毛頭ないという人々で埋め尽くされるようになった。

 「ワクチンを打て」という赤紙には黙って従う日本人でも、「戦争に参加せよ」という赤紙にはこぞって反意を示す、それが現代の日本人の実態であることに疑問を呈する人はいないと思う。

 日本人が連合国(その背後にいたのは欧米のディープステート)に歯向かう姿勢を無くしたことで、ディープステート達は日本国憲法で日本人を縛る必要性が無くなった。左翼を操って「戦争反対!」と叫ばせる必要性も無くなった。

 これまで日本人に対する恐怖心から日本人を憲法で縛ってきたが、その必要が無くなったと判断した時、彼らは日本人を戦争に参加させることで日本を潰す計略を思い付いたとしても、なんら不思議なことではない。
 無論、相手は中国ということになるが、その前に現在のウクライナ戦争の延長でロシアを相手国に仕立てる可能性も否定できない。日本政府のロシアに対する相次く制裁措置も、彼らが裏で糸を引いている可能性がある。親日だったロシアに敵対心を抱かせるために日本政府に対して「ロシアに制裁を加えよ」と指示を出している可能性もある。

■真の保守知識人を1人でも多く輩出することが必要

 敵が中国共産党だけであるなら、「憲法9条」を変えることは望ましいと言えるかもしれないが、本当の敵がディープステートであった場合、「憲法9条」をヘタに修正することは諸刃の剣となる危険性がある。

 「緊急事態条項」にしても同様で、憲法(この場合は人権)を無視して、悪政を強いられる可能性が高くなるので、ディープステートよいしょの政党に「緊急事態条項」を創設されることは極めて危険な行為ということになる。

 疫病や戦争の裏にいるのがディープステートということが理解できれば、現在の日本に何が必要であるか、何が必要でないかは自ずと理解できるようになる。現状の1番の問題は、そういうことを理解できる日本人があまりにも少な過ぎるということに尽きる。

 「戦前回帰」と言えば、聞こえは悪いかもしれないが、現代の日本人に必要なのは、正しい歴史を学び知ることであり、戦後に跋扈するようになった似非保守(リベラル保守)ではなく、戦前のような真の保守知識人を1人でも多く輩出することだと言える。

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posted by 自由人 at 21:30 | Comment(0) | 政治
2022年05月25日

「ワクチン接種者」を「ワクチン未接種者」としてカウントしていた厚生労働省


■堂々と不正行為を行う厚生労働省

 昨年(2021年)の超過死亡数は67,745人だったが、今年(2022年)の1月から3月までの3ヶ月間の超過死亡数は38,630人となり、このペースで進むと、2022年度の超過死亡数は10万人を大きく超える可能性が高くなってきた。

 厚生労働省はこの超過死亡数については沈黙している。同省は「ワクチン接種者」と「ワクチン未接種者」のどちらがコロナに感染しやすいのかという統計を取るために、それぞれのカウントを行っていることになっていたが、医者がワクチン接種者に確認した報告書に接種した日付が記入されていなかった場合は、ワクチンを2回接種した人であっても「ワクチン未接種者」としてカウントしていたことが判明した。
 注目すべきは、統計に誤りがあったということではなく、意図的にデータを改竄していたことが判明したということ。

 接種日不明の「ワクチン接種者」を「ワクチン未接種者」として扱った場合、「ワクチン未接種者」のコロナ感染率の方が高くなっていた。しかし、その不明分を除くと逆に「ワクチン接種者」の方が感染率が高い場合(主に中年層)があることが判明した。

 ただ、ここで注意するべきは、不明分とはいえ、ワクチンを接種していることに変わりはないわけだから、本来であれば、カウント除外するのではなく、「ワクチン接種者」に分類しなければおかしいということ。
 もし、不明分を「ワクチン接種者」として再カウントすると、圧倒的に「ワクチン接種者」の方が感染率が高くなってしまうので、官僚らしく上手いこと誤魔化したのだろうと推察する。

 面白いニコニコ動画を見つけたので参考までに。

 ランボー怒りの厚労省データ改ざん(豚ゴリラさん)

■国家を超えた権力者からの命令で動かされている政府

 公の政府機関が堂々とこういう詐欺行為を行っているのを見せつけられると、暗澹たる気分になる。詐欺と言うより犯罪に近いと思えるが、全くと言っていいほどお咎め無し。

 なぜ、こんな信じ難い不正が行われていても大して問題にもならないのかと言うと、このコロナ騒動を演出している存在が国家や法律以上の存在であるからだと思われる。そうでも考えないと辻褄が合わないし、逆にそう考えると、全ての疑問点が1本の線となってクッキリと輪郭が浮かび上がってくる。

 国家や法律というものは、一般庶民を縛るために有るものであり、真の支配者層を縛ることはできないということ。
 ちなみに、「憲法は国家権力を縛るためにある」というのも疑わしくなってきた。国家内の権力者であれば縛ることができるが、国家を超えた権力者がいるなら縛ることはできない。

 日本の政治家や官僚は、この国家を超えた権力者達の計画を知ってか知らずか、その謀略の陰に隠れて利権を貪っているような状態。ほとんどの国民は、そういった実態を知らないため、悪夢のような衆愚政治が行われ、自分自身がその主人公になっていることにも気付かない。

 しかし、厚生労働省が統計詐欺を行ってまでワクチンを接種させなければならない理由とは何なのだろうか? 単なる利権やお金儲けだけでそこまでする必要が有るとは到底思えない。先述した超過死亡数を考えると、殺人行為と批判されてもおかしくない。

 いずれにしても、現在の政府は、国家を超えた権力者からの命令で動かされていることはほぼ間違いなさそうだ。

 もしそうでないなら、現在の政府は救いようのない盆暗政府ということになってしまう。



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posted by 自由人 at 23:38 | Comment(0) | コロナ問題
2022年05月22日

「マンデラエフェクト」は「アセンション」の前兆なのか?


20220522.png

■「アセンション」は「アホンション」なのか?

 私は定期的に古本屋に足を運び、読むべき本を物色しに行く。古本屋で行うことは、ズラ〜ッと並んでいる本のタイトルを目で追っていき、気になるタイトルの本があると手に取って目次を見て購入するかどうかを決めている。別に珍しいことではなく、誰もがそうだと思う。

 本のタイトルというのは、基本的に著者が決めるものではなく、編集者が決めるものらしい。それほど本のタイトルはマーケティング的に重要なものなのだろう。1冊の本の中身を一言で表すわけだから、そのタイトル次第で販売数が大きく変わってくることも十分に有り得る。この辺は、ブログ記事のタイトルにも言えることで、センセーショナルなタイトルほど閲覧数が伸びる傾向にある。

 さて、本題に入ろう。10年程前に古本屋で本のタイトルを隅から隅まで眺めていると、ある見慣れない単語が何度も目に入ってくることに気が付いた。その言葉は「アセンション」というもので、当時は、何のことか分からず、また怪しげなオカルト系の書物の類いかと思い、目には止まるものの手に取るところまではいかなかった。

 うつみんこと、内海 聡氏などは、「アセンション」のことを「アホンション」と揶揄していることも最近知ったが、どうもこの「アセンション」というのは、個人的に有り得るのではないか?と思うようになった。

 なぜそう思うに至ったのかと言うと、マンデラエフェクトを実体験してしまったことが大きい。当初、この現象が何を意味しているのか全く解らなかったが、マンデラエフェクトは、実は軽いアセンション(の前兆)のようなものではないか?と考えるようにもなった。

■「世界の二極化」と「アセンション」

 マンデラエフェクトの大きな特徴は、ある時(朝、目覚めた時?)に、周囲の環境が少し変わっているというもので、直ぐには分からないのだが、そのうち微妙に世界が変わっていることに気付くことになる。その中には、死亡していた人が生きているという俄には信じ難い現象も含まれている。

 「アセンション」というのは、3次元から5次元へと移行することらしく、ある日を境に、次元の高低によって自分の周りの環境が激変することを意味している。マクロ的には、世界の二極化を意味し、ある日を境に、世界が大きく分かれてしまうということらしい。

 当時の私なら、そんなことを聞いても内海氏と同じように「アホンション」扱いしていたかもしれないが、現在では少し見方が変化した。

 世界が分かれるということは、ある日を境に、これまで存在していた人が目の前からいなくなることを意味している。その場合、死亡していなくなるのではなく、初めから存在していなかったという風に変化することになる。常識的には、そんなSF映画のようなことは有り得ないという結論になると思う。以前の私もそうだった。

 しかし、マンデラエフェクトでは、実はスケールが小さいながらもそういうことが実際に起こっている。先に述べたように、死亡していなくなったはずの人が存在している。その逆(生きていた人が死んでいる)もあるかもしれない。

■「アセンション」は「最後の審判」なのか?

 注目すべきは、マンデラエフェクトを認識できる人は、そういう摩訶不思議な現象を第三者の立場で客観的に見ることができるが、マンデラエフェクトを認識できない人の場合は、自らが気付かないうちに世界が変わっているということになる。つまり、本人が意識していない間に世界が変わっている(分かれている)ということになるので、自分自身がどちらの世界に存在するのか分からないということ。無論、何が変化したのかも分からない。

 マンデラエフェクトの規模が最大限に大きくなると、ある日を境に世界が大きく変わるということも有り得るかもしれない。世界の構造自体が大部分の人々の記憶とともに変わってしまうということが有り得るのであれば、「アセンション」も起こり得ると考えざるを得なくなる。

 コロナ禍を中心に世界の二極化が鮮明になっていることは知る人ぞ知るところであり、その二極を分ける条件というものも鮮明になってきつつある。その条件は、興味深いことに「アセンション」できる人の条件と重なっているかに思える。

 アセンションする人の特徴というのをググってみると、以下のようなものらしい。

 1、物事に真摯に向き合っている人
 2、変化を受け止められる人
 3、心がきれいな人
 4、向上心を持ち前向きな人
 5、欲を出さずシンプルに生活している人

【参考サイト】アセンションとは?アセンションの意味と兆候をわかりやすく解説

 図らずも、上記の5つの条件は、マンデラエフェクトを認識できる人とも重なっているようにも思える。もしかすると「アセンション」とは「最後の審判」の別名なのかもしれない。

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posted by 自由人 at 14:16 | Comment(0) | マンデラエフェクト
2022年05月21日

なぜ今頃になって「マスク不要論」が浮上してきたのか?


■周回遅れのマスク議論

 後藤厚生労働大臣は記者会見の場で、次のような見解を示した。

 「屋外では、周囲との距離が十分とれなくても、会話が少なければ、必ずしもマスク着用の必要はない

 こんなことは疾うの昔に分かり切っていたことだと思われるので、何を今更感が拭えない。

 他国では、周囲の距離や会話の有無に関係なくマスクをしている人を探す方が苦労するという状況下であるにも拘らず、相変わらず、日本だけは異質であり、今頃になって、ようやくマスク着用の条件を考え直すという周回遅れな議論が行われている。

 スーパーのレジ等に並ぶ場合も、2mの距離(ソーシャル・ディスタンス)を取ることを強要されるが、レジから出ると、2mの距離などお構い無しに買い物袋に商品を詰め込む人々が犇めき合っている。もちろん、レジに並ぶ前も同様で、買い物をしている最中も2mの距離など誰も意識していない。レジに並ぶ時だけ建前として距離を取っているだけで、危険なウイルスが蔓延しているなどという認識を持って生活しているような人はほとんどいないかに見える。

 話は変わって、今年のゴールデンウィークに、日帰りで人里離れた某寺院を訪問した。無論、ノーマスクで過ごした。
 その寺の数百段ある石段を運動がてらに登ってみたが、マスクをせずに登っても息切れして何度も休憩しなくては登れなかった。
 しかし、他の多くの人は、そんな長い石段でも御丁寧に不織布マスクを付けてゼイゼイ言いながら登っていた。中には高齢者もおり、熱中症か酸素不足で卒倒するのではないかと本気で心配してしまうほどだった。

 その苦行僧のような姿を観て、正直、なんて馬鹿真面目な人達なんだろうか…と哀れみを感じた。人里離れた山奥にまで危険なウイルスが蔓延していると信じ込んでいるのであれば、立派なカルト教(コロナ教)信者であり、ここまでくると、もはや救いようがないな…と感じた。

■マスクが不要になればシェディング被害が拡大する?

 そんな世間の可笑しさを知ってか知らずか、今回の後藤厚生労働大臣の見解にコロナ教の人々はどう感じ入るのだろうか? 彼らにとって厚生労働大臣は、コロナ教幹部のようなものだろうから、少しはマスクの必要性(TPO)を考えるようになっていくのだろうか?

 しかし、なぜ今頃になって、政府が重たい腰を上げつつあるのか少々、疑わしい部分もある。

 最近、よく感じるのは、ワクチン接種者から異臭がすること。一般的には「シェディング臭」と言われているらしいが、昨年まで全く体臭が無かった人まで同じ臭いがする。まさか全員が同じ香水を付けているわけではないだろうから、明らかにワクチンが原因の異臭だと言える。

 その「シェディング臭」はマスクを付けることで少し緩和(防御)できるが、マスクを外すとかなりキツい臭いがする。ワクチン接種者はワキガや加齢臭と同様、自分の臭いは感じないようだが、「シェディング臭」はその名が示す通り“伝播”するものなので、ワクチン未接種者までシェディングの影響で体調が悪くなるとの報告も上がっている。

 そう考えると、「シェディング臭」が酷くなった現状では、むしろ人前ではマスクを付けることがシェディング被害を抑える効果が有るかもしれない。効果の有無に拘らず、あの異臭は生理的にも受け付けないという人が多そうなので、マスクを付ける必要がなくても、別の理由で付けざるを得ないということになるかもしれない。

 そんな状況で今回の「マスク不要論」。政府が意図しているかどうかは不明だが、これでは、シェディング被害が増加する可能性も否定できない。

 よく言われるように、参議院選挙が近付いてきたので少しでも印象を良くするためだけの布石とも考えられるが、マスクを外すことによって、ワクチンのシェディング被害が増加することになれば本末転倒ということになってしまいかねない。



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posted by 自由人 at 13:00 | Comment(0) | コロナ問題
2022年05月19日

「ワクチン」と「抗がん剤」の共通点とは?


■2年半で初めてのコロナ感染者にため息

 コロナ騒ぎが始まって早2年半が経過しようとしているが、遂に、田舎の親戚でコロナに感染したという人が出た。と言っても、別に驚いているわけではなくて、これだけの騒ぎになって、ようやく1人だけか…という違う意味での驚き。

 聞けば、発熱はしなかったようで風邪のように喉に違和感が有っただけらしい。原因は同じ職場の人のコロナが伝染ったということだった。1週間の入院を余儀無くされたらしいが、既に退院して会社に出勤しているそうだ。

 その人はコロナワクチンを2回摂取しているが、今回、コロナに感染したという理由で3回目のワクチンを摂取するつもりであるらしい。

 しかし、コロナワクチンを摂取していてもコロナに感染したということなら、普通は、ワクチンの効能に疑問を抱くか、コロナに感染・回復したことで自然抗体ができたという理由からワクチン追加摂取の必要性を感じなくなるかのどちらかだと思うのだが、どうもコロナ脳の人は、そういう発想にはならないらしい。

 では、どんな考えを持つに至ったのかというと、以下のようになる。

 「ワクチンを摂取していてもコロナに感染してしまったので更にワクチンが必要だ

 もうここまでくると、あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて、アドバイスする気も失せてしまう。

 おそらく、その人は、ただの風邪か、ワクチン摂取による免疫力低下により、風邪らしきものに罹患したのだろうと推察する。喉の調子がおかしいという理由からPCR検査を受けたことで、偽陽性の判定結果が出て運悪くコロナ患者になってしまったのだろう。

 通常、熱が出ない肺炎などというものは有り得ないと思うが、そんな状態で、なぜコロナ感染を疑ってしまうのだろうか?
 結果的には1週間入院して特に治療することなく治ったということなので、自宅で静養していれば同じように治っていたはずだ。それをわざわざPCR検査を受けてしまうからコロナ患者になってしまう。

 PCR検査が如何に出鱈目な検査かということも知らず、ワクチンの副作用(免疫力の低下または免疫の異常暴走など)も知らない人だと、結局、こういう悪循環に陥ってしまう。そのことを親身になって諭したところで「陰謀論者」扱いされるだけ。つくづく、無知は恐ろしい。

■癌の予防に「抗がん剤」を全国民に勧めるとどうなるか?

 今の日本人の多くは、「ワクチン」と「抗がん剤」を同じようなものだと思っている人も結構いるのではないかと思う。共通点は、無条件に良いものだという思い込み。

 癌が増加しているという理由で、全国民を対象に抗がん剤を投与しましょうということになると、本当に大部分の人が抗がん剤を打ってしまいかねない。もしそんなことになると、地上に阿鼻叫喚地獄が現出することになる。

 結局、そうなってしまうのも、癌という病気を知らず、抗がん剤がどういうものであるかも知らないという無知が招く悲劇だと言える。

 以前、世界中の医師に対する匿名のアンケートで、「あなたやあなたの家族が癌になった場合、抗がん剤を使用しますか?」というものがあった。

 これに対する医師達の回答は、271人中、270人が「ノー(いいえ)」だったというのは、あまりにも有名だ。無論、マスコミは報道しないので、そんなアンケートが有ったことすら知らない人がほとんどだろうと思う。

 自分や家族には使用しないものを他人には平気で使用しているという後ろめたいことが行われているわけだが、これも結局、患者側の無知に起因している。患者達が抗がん剤というものがどういうものかを詳しく知っていれば、先のアンケートに応えた医師達と同様、誰も抗がん剤の投与などは希望しないと思われるが、知らないが由に投与してしまう。ワクチン同様、無知であるが由に、その危険性に気付かない。

 これまでこういった医療界の不都合な真実は、知る人ぞ知る情報だった。ゆえにヘタにそんな情報を開陳しても「変人」扱いされるだけなので、誰もが秘密にして語ることを避けてきた。
 その事実に気付いた人だけが健康に長生きできるという値千金の情報でもあったが、常識を超えなければ理解を得ることが極めて難解なものだっただけに、あまり公には発表できない代物だった。

 しかし、幸か不幸か、コロナ禍によって医療常識が破壊され、そういったことを語る空気が醸成されつつある。医療界の不都合な真実に気付く一般人も徐々に増えてきつつあるので、今後は、医療における真実の情報の多くが表面化されることになると思う。

 そういった情報を「陰謀論」扱いにするのではなく、真摯に受け入れることができるか否か、その判断の違いで、その人物の健康寿命は大きく変わってくるものと思われる。

 

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posted by 自由人 at 20:50 | Comment(0) | コロナ問題