■「赤紙」と「接種券」の皮肉な関係性
現在、ウクライナでは旧式な弾丸が飛び交う戦争が行われている。実際に肉眼で見たわけではないので、半分は情報戦と言った方が正しいのかもしれないが。
しかし、その陰で「見えない戦争」が行われている。その「見えない戦争」が始まって既に2年以上が経過しているが、大部分の人々は未だにそのことに気付いていない。この「見えない戦争」は後の世では「コロナ戦争」と呼ばれることになり、人類に大災厄を齎した凶事として語られることになるだろう。
これまでの戦争は、銃弾が飛び交う戦争だったが、コロナ戦争では銃弾の代わりにワクチンが飛び交っている。
かつて、「戦争に参加せよ」という意味で配られた赤紙は、現代では、「ワクチンを接種せよ」という接種券に姿を変えている。「赤紙」には否定的だった人々も、「接種券」には肯定的となり、我れ先に「接種券」を手に入れようと躍起になっている人も大勢いた。
コロナ戦争に参加した人々は、ワクチンという名の銃弾に1回、2回と被弾している。その銃弾はライフル弾のような即死性の銃弾ではなく、散弾銃のような体内で留まる銃弾ではあるが、運悪く足に銃弾が当たった人は歩けなくなったり、脳や心臓という急所に当たった人は寝たきりになったり、場合によっては死亡したりしている。
運良く実弾に当たらなかった人は健康を保っているが、今後、3回、4回、5回…と銃弾を浴び続けることになると、健康を損ない戦死する可能性がどんどん高くなっていくものと思われる。
■「鉛の銃弾」と「ワクチン」の皮肉な関係性
鉛の銃弾が身体の中に留まると、その毒素で健康を害し死亡に至ることもあるが、ワクチンも1度、身体の中に入ると、鉛の銃弾と同様、毒素を出し続けることになる。将来的には、その毒素を中和する薬が出てくるかもしれないが、現状では、対症療法的に症状を抑えることしかできないと言われている。
「見える戦争」も「見えない戦争」も同じ勢力が演出しているマッチポンプ戦争であるが、戦争の真実を知らない平和ぼけした人々は、そんなことは夢にも思っていない。
その証拠に、「見える戦争」に対しては、「戦争反対!」と声高に訴えているが、「見えない戦争」に対しては、「戦争に参加しない(ワクチンを打たない)人間は非国民だ!」という風に戦争を礼賛する立場を取っている。もちろん、当の本人達はそのことに気付いていない。
逸早く「見えない戦争」に気付き、その危険性を善意で伝えようとしている人々を脊椎反射で「陰謀論者」と罵り、自らが戦争の現場に立たされていることに気付こうともしない。
戦争に参加し銃弾さえ浴び続ければ傷付くことも死亡することもないという常識が転倒したカルト教に洗脳されている状態。「戦争反対!」と言っておきながら、自ら戦争に参加しているわけだから、滑稽としか形容の仕様がない。
1日も早く、そして1人でも多く、この「見えない戦争」に気付き、その悪夢のような戦場から脱出する人が増えることを強く願う。
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