2022年03月31日

「無知」より罪深い「無知の知」


■台本通りのスタンディングオベーションの異様さ

 米国大統領選、コロナ騒動、ウクライナ問題と、国際的な大きな問題が続いてきたが、前者2つについては、比較的まともなことを言っていた人であっても、ウクライナ問題となるとトンチンカンなことを言って馬脚を現した言論人も多く見られる。
 これまで、信用に足ると思われてきた大物言論人までが、まるで人が変わってしまったかのように完全に的外れなことを述べている姿を観てしまうと、この国は本当に大丈夫なのだろうかと心配になる。

 上記の3つの事件の正体が未だに見えないようでは、到底、有識者とは呼べないと思われるが、そうなると、この国にはまともな言論人はほとんどいないということになってしまう。

 「クーデター選挙」に「コロナプランデミック」に「戦争ビジネス」、そして、その3つの事件の背後には同じ勢力が存在している。こんなことは解っている人には当たり前の常識でしかないのだが、日本ではその常識を知っている人が非常識となってしまう。まるで、何も考えない無知な人こそが正しいという具合に。

 ウクライナのゼレンスキー大統領が行ったオンライン中継では、与党・野党を問わず、台本通りにスタンディングオベーションを行っていた。あの異様な光景を見て、何も感じないのだろうか? あの全体主義的な危険な空気に気付かないようでは、その目は節穴としか言い様がない。あれでは、「我々はディープステート様の忠実な奴隷です」と自ら宣言しているようなものだ。

■善悪二元論ポジショントークの愚かさ

 保守界隈では、なんでもかんでも中国の陰謀とする意見も聞かれるが、そのての人は、ウクライナ問題も中国が描いた筋書きだと本気で思っているのだろうか? なぜ、中国がロシアを批判することにそこまで固執する必要が有ると思えるのか不思議で仕方がない。

 彼ら似非保守の言い分は、現在のロシアを中国に見立てて、日本も侵略される危険性が有るというものだが、それ以前に、日本は既に欧米に侵略され済みの国家だということが分からないのだろうか? 欧米に侵略された植民地だからこそ、ロシア批判しかできないということが分からないのだろうか?

 善悪二元論の立場でロシアだけを批判する姿勢は、自らの認識の底の浅さを露呈するものであり、決して深い洞察とは言えない。善悪二元論を越えた立場から戦争の火種を起こしたロシアを批判しているというならまだ頷けるが、おそらく、そんな高所からウクライナ問題を眺めている識者は数える程しかいないと思われる。大抵の識者はポジショントークの域を出ておらず、極めて底の浅い表面的な議論に終始している。

■作られた言論空間の中だけに存在する虚構

 残念ながら、今回のウクライナ問題を経て、与党と野党の対立がプロレスごっこなら、保守とリベラルの対立もプロレスごっこだったことがバレてしまったと言える。資本主義と共産主義の対立と同様、この社会の全ての二元論は本当の悪を覆い隠すために作られた虚構の産物でしかなかったのかもしれない。

 現在の日本には、右にも左にも求めるべき答えも理想も無い。有ったとしても、それは作られた言論空間の中だけに存在する虚構でしかなく、我々が知るべき本当の答えは、盲点となった遥か頭上に存在している。ただ、その真実に気付いている人は未だ全国民の1%にすら届いていない。

 知らないことは罪だと言われる。そして、知らないことを恥じないことは更に罪深いとも言われることがある。現在の平和ぼけした日本国民の大半は、この世界の真実を知らないことを恥と感じておらず、むしろ、知ろうとしないことを善しとしているかにさえ見える。
 その危機感の欠片もない姿勢がどれだけ大きな罪であり、どれだけ大きな反作用が自らに跳ね返ってくるか解るだろうか?

 現代における「無知の知」が齎す報いとは如何なるものとなるのだろうか?

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posted by 自由人 at 22:34 | Comment(0) | 国際問題