■「ワクチン、12歳未満には接種させないで!」
消費者庁が以下のような発表を行った。
「節分の豆、5歳以下には食べさせないで!」
これまで3歳以下だった規制が5歳に引き上げられた。
2015年から2020年までの間に、⾷品を誤嚥して窒息死した5歳以下の子供は73人に上ったとのことで、対象年齢を引き上げたらしい。
これはこれで単なる注意喚起であり強制ではないので、特に批判するつもりもない。
しかしマスコミは、この一件でこう述べていた。
「子供の命を守るためには必要な措置です」
この台詞が本音なのであれば、コロナワクチンについてもこう言うべきだろう。
「ワクチン、12歳未満には接種させないで!」
■「一次資料」も「専門家」も全く信用できない
12歳以下のコロナ死亡者は0人であり、重傷者もほぼ皆無に近い。いたとしても、それが本当にコロナウイルスが原因かも判らない。オミクロン株は万人が重症化しないと言われているので、12歳以下の子供が感染する可能性も極めて低い。
子供へのワクチン接種を正当化する唯一の理由は、「無症状であっても老人等にウイルスを移す可能性がある」というものだが、中国での大規模調査によって、無症状の感染者が他人にウイルスを感染させることは無いことが明らかになっている。
こう言うと「中国の発表は信用できない」と反論する人がいるかもしれないが、現在のコロナ禍において信用のできる国も専門家もほぼ皆無であり、公式に発表されている資料やデータですら疑ってかかる必要がある。
「一次資料がどうたら…」とか、「専門家でもない人間がどうたら…」とか、そんな寝言が通用する時代ではなく、「一次資料」も「専門家」も全く信用できないからこそ、自分で調べるしかなくなっているというのが現在のコロナ禍の重要なポイントであり、「資料は嘘」「情報は嘘」「政治家も専門家も嘘吐き」と思えるぐらいの人でないと、本当のところは分からなくなっているのである。
■「ワクチンみんなで打てば恐くない」の愚かさ
現在のコロナ禍では、他人の意見を鵜呑みにしたり依存したりするのではなく、自分の頭で1からではなく、0から考えることが求められている。
この場合の「1」と「0」の違いとは、「生まれてからできた常識」と「生まれる前からあった常識」の違いであり、生まれた時に既にあった常識自体を疑うことが求められるということ。これは生まれてから身に付いた「知識」ではなく「空気」を疑うことを意味し、ある意味、「洗脳」を解くほどに難しい。
権威のある政治家や専門家が言っているから正しいのではなく、正しさは自分自身で判断しなければいけない。コロナ禍でなくとも、こんなことは昔から当たり前の話であり、自分の命を他人に預けるようなことは、余程のことがない限り、あってはならないのである。
しかし、子供は自分の意思で正しさを判断できないので、親が子供の代わりに正しさを自分で追究して子供を保護しなければならない。ところが、大部分の親達は、「政治家が言っているから」「専門家が言っているから」という安直な理由で、子供の命を政治家や専門家に預けてしまっている。
ワクチンの成分としてどんなものが入っているのか? ワクチンを小さな子供に接種することで将来的に何も問題が発生しないのか? あるいは、オミクロン株にワクチンは必要なのか?という基本的なことすら何も学んでいない。
「赤信号みんなで渡れば恐くない」と同じ感覚で、「ワクチンみんなで打てば恐くない」というワクチンブームに乗っかっているだけという軽はずみな親があまりにも多過ぎるように思われる。
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