2022年01月10日

「新型肺炎」ではなくなったオミクロン株


■オミクロン株の3大特徴は…

 今朝、数分間だけテレビを観ると、ちょうど、オミクロン株には以下の3点の特徴があると伝えられているところだった。

 1、肺炎にならない

 2、風邪の症状に近い

 3、早く治る

 これを神妙な顔つきで述べている姿に、思わず吹き出してしまいそうになった。

 見方によってはこれは良いニュースであって、悲観的に報道する必要があるとは思えない。本来であれば、以下のように伝えるべきではないのだろうか?

 「オミクロン株は風邪と同じようなものですので、あまり恐れずに普段通りの生活を心掛けてください。

 当初、新型コロナウイルスは「新型肺炎」とも呼ばれ、恐いのは肺炎になることだったはずだ。その危険性が大きく退いたのであれば、徒に危機を煽る必要は無いはずだが、どうあってもコロナは恐ろしいものと報道しなければ気が済まないようだ。

■「専門家」と言うよりも…

 オミクロン株が初めに見つかったとされる南アフリカでは、ワクチン摂取率は30%にも満たないのにオミクロン株は既に終息している。これを言うのもタブーなのだろうけれど、ワクチンを接種するしないに関係なくオミクロン株は終息している。

 タブーついでに、言いたいことを正直に書かせてもらおう。

 まともな思考ができる人間であれば、オミクロン株は単なる風邪程度の危険性しか無いことが解ると思うのだが、テレビに出ている人間は、専門家からコメンテーターに至るまで、物事の分別が付かない馬鹿なのか、あるいは馬鹿を演じているとしか考えられない。

 テレビに出てくる専門家は、なぜか毎度、同じ面々であり、話を聞いていても、専門家らしいことはほとんど言わないので、失礼ながら、専門家と言うよりも、専門ば家と言った方がピッタリする。もとより、コロナの専門家など誰もいないわけだが。

 オミクロン株感染者が急激に増加したというのも、無理矢理、無料のPCR検査を増やしたためであり、ほとんどが治療の必要のない無症状者であることが判っている。

 「濃厚接触者」などという、これまで無視されてきたものが新しく追加されたことにより、医者が患者に近付くこともできないというマンガのようなことまで起こっている。そんな笑い話にしかならないような出来事まで神妙な顔つきで報道するマスコミは完全に正気を失っているとしか思えない。もはや、ジョークさえ理解できないロボットを観ているような錯覚さえ覚えてしまう。

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posted by 自由人 at 17:16 | Comment(0) | コロナ問題

もし、NHKしか映らないテレビがあれば?


■ドンキの「NHK受信料を支払わなくてもよいテレビ」

 ディスカウントストアの「ドン・キホーテ」が、「NHK受信料を支払わなくてもよいテレビ」を発売したということで話題になっている。

 商品名は「ネット動画専用スマートTV」と謳われているが、テレビと言うよりも、チューナー非搭載のディスプレイに近い商品なので、正確に言うと「NHKと受信契約を結ぶ必要がないテレビ」ということになるのだろう。

 私もパソコンで使用している32インチの液晶ディスプレイにアマゾンの「Fire TV Stick」を差して映画やドラマなどを観ているが、今回のドンキの商品の場合、AndroidTV機能搭載ということなので、「Fire TV Stick」等は別途購入する必要がないらしい。そう考えると、確かにお買い得感はある。

 価格は、24型で21,780円、42型で32,780円となっており、解像度は、いずれも1920×1080のフルハイビジョンなので、パソコン用としても利用できるスペックではある。
 しかし、いずれのサイズもパソコンのディスプレイとして利用するには中途半端(理想は32インチ)なので、個人的には購入したいとまでは思わないが、結構、需要は有るかもしれない。

20220110.png
 42型「TSM-4201F2K」

【画像引用】ドン・キホーテのホームページ

■多くの人がNHK受信料を支払っている理由

 最近は、NHKは元より、テレビ番組自体をほとんど観ていないので、なんでNHK受信料を支払っているのだろう?と疑問に思う時がある。実際、受信料を支払っていない人は大勢いるらしいが、文句を言わずに支払っている人も大勢いる。

 なぜ、NHKをほとんど観ない人でも受信料を支払っているのかを考えてみると、おそらく、その共通する心境は、以下のようなものだろうと思う。

 「民放放送は無料なので、NHK受信料ぐらいは支払ってもいいか…

 民放放送がなく、NHKしか映らないテレビであれば、ほとんどの人はNHK受信料を支払わないと思うが、無料の民放放送がコミコミなので、NHK受信料を支払っても、まあいいか…という諦観があるのだろうと思う。

 あまり知られていないが、日本のテレビは「言論の自由が世界一無い」と言われている。その証拠に、中国ですら30局以上のチャンネルがあるのに、日本はいつまでも数チャンネルしかテレビ番組が選択できない。

 そんな状態なので、若者は、どんどん多チャンネル化するネット番組に流出することになる。テレビ番組を受動的に観ているのは、いつしか老人だけとなり、若者は能動的に観るべき番組を選ぶ時代に突入している。

 もはや、いくら画像が綺麗なテレビを出しても、いくら大きな画面のテレビを出しても、いくら安価なテレビを出しても、振り向こうとしない若者が増えている。テレビは、いつの間にか、受動的に観るものではなく、能動的に観るものに変わってしまった。ハードよりもソフト、見せかけだけの華やかさよりも、内容を吟味する時代になりつつある中、民放放送が無料というだけの理由で、いつまでNHK受信料制度が成り立つだろうか?

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posted by 自由人 at 09:14 | Comment(0) | 経済
2022年01月08日

例え話で解る財政破綻論者達の間違い


■超シンプルに考えるお金の例え話

 例えば、世の中に「Aさん」「Bさん」「Cさん」という3人の人間しか存在せず、現金も300万円しかない世界を想像してみよう。

 その場合、3人で300万円のお金を回すことで経済運営をしていかなければならない。ある時は生産者となり、ある時は消費者となって、ぐるぐるとお金を回転させる。そのお金が滞りなく巡っている間は、特に何の問題も起こらず、平穏な生活を送ることができるかもしれない。

 しかし、ある時、「Aさん」が将来に不安を覚えて30万円を貯蓄することにしたとしよう。その場合、3人は270万円のお金を運用しなければいけなくなる。
 その後、「Aさん」が抜け駆け(貯蓄)していることを知った「Bさん」も「Cさん」も、それぞれ貯蓄に励むようになり、「Bさん」も30万円貯蓄し、「Cさん」も30万円貯蓄した。
 すると、その結果、それまで動いていた金額が3割減少し、210万円で運用していかなければいけなくなるので、当然、生活は厳しくなる。

 「Bさん」と「Cさん」に真似をされた「Aさん」は、少しイラッときて、今度は、「貯金に年利1%の利子を付けよう」と言い出した。そうなると、合計90万円の貯蓄は1年後には90万9000円になってしまう。2年後には利子が付いた90万9000円に更に利子が付いて91万8090円、3年後には…という具合にどんどん複利が付いていき、雪だるま式にお金(額面)が増えていってしまう。

 しかし、ここで考えなければいけないことは、元々の300万円は固定のまんまということである。利子が付いてお金が増えたと喜んでいても、その利子の分だけお金が目減りしているに過ぎないということに気付かなかった3人の生活は、利子で目減りした分だけ、お金の巡りが悪くなっていき、そのうち破綻してしまうことになる。

■「無から有を創り出せ」と言う財政破綻論者達

 この例え話で分かることは、2つの出来事によって、経済はシュリンク(縮小)してしまうということである。1つは、人間の心、もう1つは、利子。この2つが有るがために、お金というものは増やさなければならない。それが資本主義の宿痾であるということ。

 人々の不安感から生じる貯蓄と、お金の運用にかかる利子というものが存在する限り、必然的に経済はシュリンクしていくことになる。だからこそ、時と場合に応じて、お金の総量は増やしていかなければいけない。なぜなら、そうしなければ、経済は破綻してしまうから。至極シンプルな話である。

 しかし、財政破綻論者達は、お金の総量が固定という思い込みを抱いているにも拘らず、お金を増やしてはいけない(=国債を極力刷ってはいけない)と言う。

 先の例え話で言えば、300万円しかないのに、利子が付いて額面が303万円になった場合、その増えた3万円はどうやって工面すると言うのだろうか? 300万円が滞りなく運用できれば303万円になるとでも言うのだろうか?

 利子が付くということは、お金が増えるということなので、その分のお金は誰か(政府)が市場に供給しなければ辻褄が合わなくなる。それが資本主義というものなので仕方がない。

 財政破綻論者達の言っていることは、「利子が付いて303万円になったとしても、300万円は固定のままで借金はしてはいけない」と言っているようなものだと言える。それは換言すると「無から有を創り出せ」と言っているのと同義である。

 上記はあくまでも、お金の総量は変わらないという間違った経済認識を基準に述べたものであり、実際は違う。現代の貨幣は条件次第ではいくらでも創造できる(無から有を創り出せる)ようになっているので、財政破綻論者達は2重の間違いをしているのだが、そのことについては今回は触れない。

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posted by 自由人 at 23:03 | Comment(2) | 経済
2022年01月07日

政府の「デジタル化」の危険性と必要性


■「個人のデジタル化」と「政府のデジタル化」

 昨年から、「デジタル化」という言葉が頻繁に聞かれるようになり、デジタル庁という新しい省庁が出来たことは周知の通りであり、とにかく「デジタル化」「デジタル化」と喧しい。

 「デジタル化」という言葉は、民間企業では、もうかれこれ20年以上も前から言われて推進されてきたことであり、今頃になってようやく「デジタル化」と言うのは、周回遅れ的な違和感さえ覚える。
 しかし、お金の認識と同様に、「個人や民間企業のデジタル化」と「政府のデジタル化」を同じ土俵の上で考えるのは危険であり、手放しでは喜べない側面を有している。

 個人的なことで言えば、自宅にある書類等はデジタル化すれば、空間的にも余裕が出来て合理的だと思う時がある。しかし、データというものは「消える」というリスクが常に存在する。
 今の世の中に絶対且つ永遠に消えないデータの記憶媒体というものは存在しないため、常にデータはバックアップを取得する必要がある。バックアップしたデータもなにかしらの原因で消えることもあるし、記憶媒体の経年劣化でデータが読めなくなることも多々ある。あるいは、データのフォーマット自体が変わるようなこともあるので、汎用性という意味でもデータの長期保存には常にリスクが付いて回ることになる。デジタルデータとは、見えないにも拘らず、コロコロと姿(フォーマット)を変えるという意味で“刹那的”なものだと言えるのかもしれない。

 そのため、結局は、デジタル化したデータを紙に出力してアナログ的に保存することが最も汎用的な保存方法となり、デジタルとアナログのダブル保管に行き着いてしまう。

■データは消えてしまえば終わり。紙は燃えてしまえば終わり。

 私自身も重要なデータは何重にもバックアップを取得しているが、同時に紙にもプリントアウトしてクリアファイルに保管している。デジタルデータというのは便利な代物ではあっても、絶対的な安心を得ることのできる代物ではないため、ツールとして利用するには便利だというくらいの認識で丁度良いのではないかと思う。

 例えば、ネット銀行などでは、紙の通帳が無い。もしネット銀行の各地のシステムが電磁パルス攻撃でも受けてバックアップデータごとダウンしてしまうと、最悪、貯金残高が判らなくなるというようなトラブルが発生しないとも限らない。しかし、紙の貯金通帳があると、なんとなく貯金は保障されるという安心感がある。
 ネット証券での株式売買記録なども、年間報告書だけは紙で保管しているという人は多い。

 データは消えてしまえば終わり。紙は燃えてしまえば終わり。どちらも一長一短があるので、結局は、デジタルとアナログの二刀流が最も安全ということになる。

 「デジタル化」「デジタル化」と言うが、個人や1企業の場合、データが消えたりしても、それは自己(事故)責任で済ますことができるが、政府の場合は、そういうわけにはいかない。

 「紙の書類は場所を取るので、全ての書類をデジタル化せよ」と言っても、そのデジタルデータが消えてしまった場合のことを考えて、紙媒体も保管しておくことが望ましい。データが消えても紙がある、紙が燃えてもデータがあるという運用がベターだ。

■デジタルとアナログの二刀流が望ましい

 例えば、戸籍データをデジタル化したとして、それが消えてしまうとか、盗まれてしまうようなことがあると、自己(事故)責任では済まされない。デジタルデータ化するということは、消失リスクだけでなく、盗難リスクも飛躍的に上がることになる。

 紙の資料であれば、保管場所に人間が入らなければ盗むことはできないが、デジタルデータだと保管場所に入ることなく、データが保存されているシステムのセキュリティさえ破れば、いとも容易く盗まれてしまう。データ回線の高速化によって、大量の重たいデータも一瞬で盗まれるという盗難リスクも背負い込まなければいけない。

 そう考えると、政府にとっては、デジタルデータで保管するよりもアナログ的に紙媒体で保管した方がリスクが低くて安全だとも言える。
 リスクヘッジのために、デジタルとアナログの二刀流が望ましいが、そうなると、結局、余計に非効率になる可能性も否定できない。

 政府が個人や民間企業のように利便性だけを追求すると思わぬしっぺ返しを喰らう危険性がある。デジタル化する以前に、セキュリティ対策を万全にすることを優先するべきだ。
 しかし、そもそもの話、政府がデジタル化を急ぐ必要があるのだろうか?という疑問は拭えない。

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posted by 自由人 at 23:12 | Comment(0) | 政治