2022年01月23日

「ディープ・ステート」という存在


■トランプ大統領の最大の功績

 今回から、「コロナ問題」や「社会問題」で収まりきらない話を「陰謀学」という新たなカテゴリーを追加して、書いていきたいと思う。「陰謀論」にすると変な誤解を与える可能性があるので「陰謀学」にした。現状では「タブー」というカテゴリーにした方がよいのかもしれないが、個人的に、今後の新たな学問の中心は「陰謀学」になると思っているので、ちょうど良い頃合いかもしれない。

 2年程前から「ディープ・ステート」という言葉が一般的に使用されるようになった。
 「ディープ・ステート」について、あまり知らないという人の中には、トランプ大統領が初めに言い出したと述べている人もいるようだが、正確に言うと、エドワード・バーネイズという人物が自らの著書『プロパガンダ』の中で「姿の見えない統治者」として語ったことが始まりと言われており、実際は100年近く前から知られている言葉(存在)でもある。

 ちなみに、日本でも戦前は、言葉は違うとはいえ、インテリジェンスに長けた保守系知識人の話題の中心は、このディープ・ステートのことだったと言われている。

 馬渕睦夫氏はトランプ大統領の最大の功績の1つは、「ディープ・ステート」の存在を一般大衆に知らしめたことだと述べておられる。

 「ディープ・ステート」は、主要な各国政府とマスメディアを掌握していると言われている。先の戦争でアメリカの占領国となった日本も例外ではなく、全てのマスコミは「ディープ・ステート」の命令には逆らえないという状態に置かれているが、多くの国民はそんなことは全く知らずに生きている。

■第二次世界大戦で、日本が戦った相手とは?

 先の米大統領選挙のインチキぶりを目の当たりにした世界中の多くの人々は、国家を超えた目に見えない権力機構が実在していることを知った。アメリカの大統領が最大の権力者なのではなく、彼ら(ディープ・ステート)からすれば、大統領などはただの飾りか置き物にしか過ぎないということがハッキリと判る瞬間を目撃してしまった。それは、この数十年間、陰謀論だとされていたものが実は本当だったということが判明した記念すべき歴史的瞬間でもあった。

 馬渕睦夫氏は当初、「コロナウイルス騒動はトランプが落選したことで終息する」と述べておられたが、これは少し読みが甘かった。彼らディープ・ステートは、トランプの再選を防ぐためにコロナウイルス騒動を利用したことは間違いないが、本当の目的はその先にあった。

 第二次世界大戦は、一般的には日本とアメリカの戦争だったとされているが、これも正確に言うと、日本vsディープステートの戦いでもあった。

 当時、特攻隊として死んでいった多くの青年達は、好き好んで命を投げ出したわけではなかった。現在のコロナ禍同様、大本営発表と同調圧力によって、命を散らした青年がほとんどだったと思われるが、一部には、自分達の子孫を護るために軍神のように命を捨てた青年もいたと思う。

 当時の青年達は、現代のような平和ぼけした日本人ではなく、ディープ・ステートの存在を知っていた人もいたと思う。彼らは、草葉の陰で現在の日本の状況を見て、どう思っているのだろうか?

 かつて日本の将来を憂い、自分達が命を投げ出して戦った敵であるディープ・ステートが仕掛けた新たな見えない戦争に気付かず、踊らされているだけの子孫達の姿を見て、嘆き悲しんでいると思うのは私だけではないと思う。

【参考文献】
 『ディープステート』(馬渕睦夫著)
 『グローバリズムを超えて自立する日本』(加瀬英明・馬渕睦夫著)

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posted by 自由人 at 22:51 | Comment(0) | 陰謀学
2022年01月21日

「見ざる、聞かざる、言わざる」が齎す「オミクロン」狂騒曲


■「オミクロン」を「風邪」に置換すると…

 テレビでは連日のように「オミクロン」、「オミクロン」、「感染者増」、「感染者増」と念仏が唱えられている。

 それを聞いた人々の中には、「えー、大変だ…」と恐れ慄いている人もいれば、「まだやってんのか!」と憤りを隠せない人もいるようだ。

 今騒がれている「オミクロン」という言葉を全て「風邪」という言葉に置き換えても、実質的にはなんら変わらないと思われるので、個人的には頭の中で「オミクロン」を「風邪」に自動変換して聞き流している。

 例えば、以下のように

 「今日は風邪の感染者数が○○○○人を超えました

 「風邪の急速な拡大で医療崩壊が間近に迫っています

 「風邪で14日間隔離が、10日間隔離に短縮されました

 「風邪の流行のため○○知事は、国にまん延防止措置を要請しました

 「○○○社工場の従業員が風邪を引いたため、数週間ストップします

 こんな具合に自動変換しながら聞いているので、喜劇を観ているような感覚に近い。

■「一億総三猿状態」の日本

 大体、毎年のインフルエンザの感染者数は、無症状者を含めると1000万人以上とも言われてきた。これもかなりアバウトな数値だと思われるが、毎年、インフルエンザの無症状者まで検査してカウントするとなると、10万人、100万人単位の感染者数になるだろうことは子供でも難なく容易に想像できることだと思う。それと同じことをインフルエンザよりも圧倒的に症状の軽いオミクロン株に適用しているわけだから、急激に感染者数が増加することは当たり前の話であり、なんら驚くようなことではない。

 現在行われていることは明らかに人災であり、言わば、マスコミが公然と経済テロを行っているようなものである。

 しかし、それでも大部分の人々はこの茶番に気付こうとしない。まるで、そんな話は見たくない、聞きたくない、話したくないと言わんばかりに。その姿は、自分に都合の悪いことは保身のために「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込むという三猿そのものであり、現在の日本は「一億総三猿状態」だとも言える。

 ワクチンを接種してもオミクロン株に感染するということは、当のマスコミですら伝えているというのに、能天気に「3回目のワクチンを接種したからもう安心だ」と応えている老人もいた。

 その「安心」という言葉は、「感染しないので安心だ」か「重症化しないので安心だ」のどちらかだろうけれど、前者は間違った認識であり、後者は、そもそも感染しても重症化しないのだから、ほとんど意味が無い。

 頭を使うような専門的な話は「見たくない、聞きたくない、話したくない」という三猿のような精神構造が齎す悲喜劇、これぞ「オミクロン」狂騒曲と呼ぶに相応しい。

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posted by 自由人 at 22:17 | Comment(1) | コロナ問題
2022年01月16日

“MMT=バラマキ”という思い込み


■MT(貨幣理論)とMMT(現代貨幣理論)の違い

 世間における「MMT」に関する意見(主に批判的な意見)を見ていると、リベラル系はもとより、保守系の人々ですら、大きな誤解をしていることに驚かされる。政治的な意見は真っ当でも、お金のことになると、既存の経済理論がバイアスとなって、全く筋違いなことを言っている著名人も多く見られる。

 彼らに共通しているのは、“MMT=バラマキ”という強い思い込みがある点。「MMT」というのは、その言葉(現代貨幣理論)通り、単なる理論であって、バラマキとは直接的には関係がない。その具体的な実践行為(財政出動)がバラマキに見えるというだけであって、必ずしも「バラマキ」を意味しているわけではない。

 「MMT」批判論者達は、結局のところ、MT(貨幣理論)MMT(現代貨幣理論)の違いが解っていない(混同している)のではないかと思われる。

 貨幣とは本来、貨幣自体に価値が有るものだった。昔の貨幣が「金」や「銀」で出来ていたことは周知の事実であり、それは、お金自体に物理的な交換価値が有ることを意味していた。

 しかし、現代の貨幣(紙幣)は、ただの紙切れか数字に過ぎず、それ自体には物理的な価値はほとんど無い。言わば、信用で成り立っているのが現代の貨幣の正体であるということ。「過去のお金」と「現代のお金」の違いを正しく認識していないと、恥ずかしげもなく、的外れな意見を言うことに繋がってしまう。

■MMT(現代貨幣理論)は「信用創造」システム上でしか成立しない

 かつてのMT時代にあって、MMT(現代貨幣理論)は通用するかというと、通用しない。「現代(の貨幣)」であるからこそ、MMT(現代貨幣理論)は成立する。

 銀行は誰かから借りたお金を、借り入れた範囲内で貸し出しているのではなくて、借り入れたお金の10倍以上の金額を貸し出すことができる。所謂、「無いものを貸して実利を得る」というもので、例えば、100万円を10回払いのローンで貸し出したとしても、1回目の10万円が返ってくれば、実質的には損をしない。元々、9割以上が無かったお金なのだから当たり前。良くも悪くも、これが現代貨幣の「信用創造」というものである。

 MMTは、その「信用創造」システムが成立している現代だからこそ成り立つのであり、信用創造が無かった時代では成り立たないという制約がある。この制約の有無を理解していない人が、「MMTはバラマキだ」「MMTは詐欺だ」と言っているだけなのだが、彼らは、現代の金融システム自体が詐欺的なシステムだということには気付いていないのかもしれない。

 世界中の国が信用創造を行って経済を運用している中で、日本だけが信用創造を否定して経済を運用すればどうなるか? 答えは、日本だけが没落して貧乏国になる。実際、この30年間、日本だけが経済成長していないことが、その証拠だとも言える。
 それでも、銀行の信用創造は無条件に受け入れているわけだから、信用創造を否定していると言うよりも、単に、お金を増やすことに罪悪感を刷り込まれているだけかもしれないが。

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posted by 自由人 at 20:18 | Comment(4) | 経済
2022年01月15日

遅きに失した小池都知事の「5類」検討


■今更感がハンパない「2類」から「5類」への検討

 東京都の小池知事が、新型コロナウイルスの分類を現在の「2類」から「5類」にするべきとの考えを示した。

 どういう風の吹き回しか、今更感がハンパではないが、これは当然のことだと言える。「2類」と「5類」の違いというのは、一言で言えば、「結核」と「インフルエンザ」の違いになる。
 オミクロン株に感染したとしても、軽い風邪程度であり、基本的に肺炎にもならないのだから、「2類」から除外されるのは当たり前の話であり「5類」にする必要が有るのかさえ疑わしい。

 しかし、「来年(今年)はインフルエンザが大流行する」と予言していた専門家達はどこにいってしまったのだろうか? インフルエンザは元より、例年の風邪引きも、どこにいってしまったのだろうか?

 熱が出て感冒症状があるという理由で病院に行った場合、今年もインフルエンザの検査は行わないのであれば、風邪かコロナ(オミクロン)のどちらかが疑われることになるが、PCR検査で陽性が出ればコロナ、陰性だった場合は「風邪」と診断されているのだろうか?

■詐欺のようなことが堂々と行われている世界に目を向けるべき

 PCR検査では、コロナとインフルエンザの分別ができないことは、既に多くの人が知っている事実であり、実際は風邪とコロナの違いさえ分別できるかどうか疑わしい。PCR検査は、単に特定の遺伝子を増幅する検査なので、人間の唾液以外(例:ジュースや水)でも陽性になる場合がある。

 更にPCR検査の設定を変えることで、陽性率を100%にすることもできれば、限りなく0%に近くすることもできる。国ごとにPCR検査の設定値が違っており、その設定の違いが陽性者数と密接に関係している。
 要するに、いくらでも陽性者数は調整可能な検査だということ。善意で検査を行っている医者と、悪意を持って検査を行っている医者とでは結果的に天地ほどの開きが出てしまう。

 そんなデタラメな検査で「感染者が増加した」「感染者が減少した」と騒いだところで、一体、なんの意味があるというのだろうか。大事なことは、その病気でどれだけの健康被害が発生するかということだろう。

 無症状者にPCR検査を行えば、あっという間に感染者が10万人、100万人に膨れ上がってしまう。しかもそのほとんどが健康体。これが真っ当な医療検査だと言えるだろうか。

 別の病気で亡くなった人や、交通事故で亡くなった人でもPCR検査が陽性だった場合はコロナ死にカウントされる。ワクチンによる死亡者は隠蔽して全く報道せず、水増ししたコロナ死亡者だけを大々的に報道するという有り様。

 なぜこんな詐欺のようなことが堂々と行われているのか? いい加減に、その本当の答えを考える時が来ている。

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posted by 自由人 at 13:22 | Comment(0) | コロナ問題
2022年01月11日

もしかして政府は、国民にSOSを発しているのか?


■子供へのコロナワクチン接種は「百害あって一利なし」

 岸田首相は、「オミクロン株」陽性者が急拡大していることを理由に、12歳未満の子供へのコロナワクチン接種を早める方針を述べ、今年の3月以降に接種を開始すると発表した。

 さすがに、12歳未満の子供へのコロナワクチン接種には疑問を抱いている人も多いようで、ヤフーのコメント欄などを閲覧しても、ほとんどが批判的な意見となっている。世間の意見も少しはまともになってきたようだ。

 目下のところ、健常な12歳未満の子供のコロナ死亡者数は0人、重篤な症状に至ったケースも稀であり、どう考えてもコロナワクチンを接種する理由が見当たらない。死亡することも重症化することも無いのに、未だ治験中の副作用が発生する危険性のあるワクチンを接種する意味がどこにあるというのだろうか?

 況して、現在流行していることになっている「オミクロン株」は感染したとしても9割以上は無症状だと言われている。全世代で90%以上が無症状なのだから、12歳未満の子供なら、ほぼ100%無症状と言っても過言ではない。

 リスクだけが有ってメリットが無いワクチンを勧めるというのでは、それはもはや医療行為ではない。人為的に一定の被害者を作り出すという意味では、子供にロシアンルーレットを勧めているようなものであり、暴政と言うしかない。

 なぜ、政府がこんな無茶苦茶なことをするのだろうか?と疑問を抱いている人も多いと思う。

 さすがにここまでくると、なにか裏があると考えるしかなさそうだが、私には、政府が国民にジェスチャーを投げかけているようにも見えてしまう。「ここまで馬鹿なことを行っているのだから、いい加減に気付いてください」というSOSを発しているかのようですらある。

 「我々もこんなことはやりたくないのだが、仕方なしにやらされているのです」というメッセージを暗に放っているように見えるのは気のせいだろうか?

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posted by 自由人 at 23:29 | Comment(0) | コロナ問題