2021年10月31日

日本の「中間層」が没落した理由


■急激な「グローバル化」が「中間層」を没落させた

 衆議院選挙報道で各政党の街頭演説が行われていたので、少しだけ横目でテレビを観ていると、自民党の岸田首相が以下のようなことを述べられていた。

 「経済成長と分配の両方が大事だと言っているのは自民党だけです

 左翼政党が「分配」ばかりに目を向けているというのは、その通りだと思う。しかし、「経済成長」というお題目を唱えているだけでは、あまり大差が無いような気もする。
 岸田首相がよく言われている日本の「中間層」が没落した原因にまで言及しない限り、「中間層」の復活(=経済成長)は有り得ないのではないかと思う。

 では、日本の「中間層」が没落した原因とは何だろうか?
 それは、もちろん、急激な「グローバル化」である。

 急激なグローバル化がなぜ悪なのか?というと、物価(人件費)の安い国に仕事が流れ、一部の産業が空洞化することにある。一国の中で様々な産業が根付かない社会、それがグローバル社会の特徴でもある。グローバル化の悪弊には以下のようなものがある。

 ●国際分業化を進めると物価の高い国の国民はまともに働いても報われなくなる
 ●物価の高い国の国民は才能が有っても価格競争の前にひれ伏してしまう
 ●製造業が成り立たなくなり、金融業に流れていかざるを得なくなる


 日本の「中間層」が没落した原因は、あまりにも急激なグローバル化の進展のため、国内における多くの製造業が成り立たなくなったことにある。1円でも安価な労働力を求めて、本来、才能も素質も有る日本の労働者が1円の差で仕事を失ってしまうという汲々たる現実を味わい、やる気を削いでしまったことにある。

 しかし多くの人々は、経済に疎いため、そういった悲劇の原因がグローバル化にあることに気付かず、それが世界の流れなのだから仕方が無いと諦観した。労働に携わっている当の本人達に原因が解らなければ、そこから抜け出すことはできないし、政治家に対しても何を期待していいのかすら解らない。

■日本の「中間層」が没落したメカニズム

 「近代経済学の創始者」と言われるデヴィッド・リカードが説いたとされる「比較優位説」は、一見すると合理的な理論に映るが、実体はグローバリストに都合の良いお金儲け理論であり、万人に幸福を齎すような理論とは言えない。

 イギリスを例に出すまでもなく、製造業を失った国々は、実体労働を伴わない金融業にシフトしていかざるを得なくなる。その結果、労働よりも金儲けが優先されるようになっていく。

 「働くことは良いことだ」と言っても、肝心の精を出すべき仕事がなければ、身体ではなく、お金を動かすことで生計を立てることが最も合理的だという判断に行き着いてしまう。

 実体経済とマネー経済では、お金儲けの基準が大きく変化する。物を製造・販売して得られる利益などはたかがしれているが、金融商品を売買して得られる利益は、物を売買して得られる利益とは比べ物にならない場合がある。

 例えば、メルカリで物を売って得られる利益と、メルカリ株を売買して得られる利益を比較した場合、その顕著さは明らかだ。
 株は売買して必ず利益が得られるものではないにしても、上手く売買すれば、労せずして1日(1時間)で、何万円もの利益が出せる。しかし、メルカリで1日中、商品を出品して売れたとしても、手元に残る利益はたかが知れている。販売する商品の元値にもよるとはいえ、労働して得られる利益と、お金を動かして得られる利益は、明らかにケタが違ってくる。

 グローバル化によって製造業が衰退してしまった国の国民の一部は、金融の方に流れることになり、金融で成り上がった者と、製造業から抜け出せない者の差が大きくなる。それが、日本の格差拡大のメカニズムでもあり、中間層が没落した大きな原因でもある。

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posted by 自由人 at 10:50 | Comment(0) | 経済
2021年10月30日

嗚呼、言論統制時代


■実際に言論統制が行われている証拠

 現在、世界中で言論統制が行われているなどと言うと、眉に唾をつけて一笑に付す人が大勢いると思う。曰く「現代の日本で言論統制などあるわけがないだろう」と。

 しかし、中国を初め、アメリカや日本でも堂々と言論統制が行われていることは周知の事実であり、反論する余地など、どこにもない。

 その証拠に、当ブログでも、コロナやワクチン関係の記事は言論統制の対象になっているようだ。

 例えば、“ワクチン接種における「人間」と「動物」の違い”という記事タイトルを検索してみると、グーグルでは出てこない。しかし、duckduckgo(ダックダックゴー)という検閲を行っていない検索エンジンでは、きちんと検索結果に表示される。

duckduckgo

 この一事を見ても、言論統制が行われていることは明らかだと言える。「グーグル八分」(※)まではいかないまでも、あるキーワードを含む単体記事は検索結果に出てこないように検閲されていることは間違いない。

※グーグル八分(グーグルはちぶ)…グーグルの基準に該当するウェブサイトが、Googleのデータベースから除かれ、Google検索しても内容が表示されない状態になること。

■真の姿を顕在化したインターネット

 インターネットが登場した頃、世間では「制約を受けないオープンな情報空間が誕生した」と囃し立てられたことは記憶に新しい。グーグルなどは、2010年頃、クローズドな中国市場では仕事ができないと言って撤退を余儀無くされたこともあった。
 しかし、それから10年が経過すると、オープンな環境だったはずのインターネットが、いつの間にか、クローズドな環境に変化してしまった。言論統制を破るテクロノジーだったはずのインターネットが、皮肉なことに言論統制を行うテクノロジーに変化してしまった。

 インターネットとは、元々、軍事的な情報技術として開発されたものであるので、このような結果を招くことは初めから運命付けられていたのかもしれない。「情報をオープンにします」というフレーズは、いつの間にか「情報をクローズドにします」になってしまったかのようだ。

 人々は情報がオープンになったことを喜んでいたが、それは束の間の出来事であった。情報はいつの間にか操作されるようになってしまったが、多くの人々はそのことに気付かず、気付こうともしなかった。
 現在ただ今も、情報はオープンになり言論が自由になったと喜んでいる人々の陰で、情報を操作する戦争が行われているが、夢心地にいる人々は誰もそのことに気付かない。

 もう1度、言おう。インターネットは軍事的な情報技術として開発された。その真の姿が、ようやく目に見える形で我々の前に姿を現したのである。



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posted by 自由人 at 10:08 | Comment(0) | 社会問題
2021年10月27日

政府が目指すべき「新しい資本主義」とは?


■「新しい資本主義」は「資本主義」と「社会主義」のドッキング?
 
 「成長と分配の好循環」をどのように実現するかを議論するための有識者会議「新しい資本主義実現会議」が開かれたらしい。

 岸田首相は会合の場で以下のように述べたとされる。

 「成長と分配の好循環が重要との認識、そうした目標の実現に向けて官と民がともに役割を果たし、あらゆる政策を総動員していく必要があることが共有できた。

 あまりにも抽象的な意見であり、これだけでは具体的な政策内容が全く見えてこないというのが率直な感想だが、「成長」と「分配」の両立を目指すということは、単純に「資本主義」と「社会主義」をドッキングさせたような社会を目指すということになるのだろうか。

 しかし、「成長」と「分配」を一緒くたに考える必要があるのだろうか?

■既に再分配制度が実現している日本

 現在の日本は、イギリスやドイツや中国と同様に最高税率45%という累進課税制度を適用している。所得が多くなればなるほどに重税となるわけだから、十分に再分配制度が実現しているかのようにも見える。

 しかし、それはあくまでも税金をどれだけ納めているかという見えない指標であり、実際に目に見える形で所得の再分配が行われているわけではない。どれだけ多くの税金を納めた人でも、全く税金を納めていない人でも、国のサービスは変わらないという平等システムが暗に構築されているだけに過ぎない。

 それゆえに、多くの人は、“分配されている”という実感が伴わない。誰かが支払った多額の税金のお蔭で行政サービスをタダ同然で受けられているという認識が持てなくなっている。

 棚上げになった件の「金融所得課税」の強化も同様で、「金融所得課税」を上げたところで、政府は税収が増えたという実感が伴うかもしれないが、庶民はその税収がどう使われているのかをトレースすることができないので、全く実感が湧かない。あるいは、全く恩恵が無いということも有り得るかもしれない。

 これを実感のあるものにするためには、税収の使用可視化が必要になってくるが、そうなると、完全な監視社会となり、プライバシーもへったくれも無くなってしまうことになる。それ以前に、税収の使用可視化などは政府が最も嫌がることだと思われるので、実現できるとも思えない。

■「成長」のみで「新しい資本主義」は実現される

 「成長」と「分配」という言葉からは、2つはセットで実施されるものと思われがちだが、本来は別個の概念である。それぞれの言葉に「社会」という言葉を付けると分かり易いかもしれない。

 「成長社会」と「分配社会」にすると、この2つは別個の概念であることが分かる。

 「成長社会」であれば、わざわざ「分配社会」にしなくても、自動的に分配が行われる。

 ここで重要なポイントは、「分配社会」というものは「成長社会」ではなく「非成長社会」にドッキングさせるものだということ。「非成長社会(衰退社会)」であるからこそ、「分配社会」が必要になるのであって、「成長社会」であれば、人為的に「分配社会」にする必要性はそれほど無いということ。

 昔から、「自由」と「平等」は両立できないと言われる。なぜなら、その2つは両立できない別個の概念であるから。
 「自由な社会」であれば「平等な社会」は実現できない。「不自由な社会」であるからこそ「平等な社会」が実現できる。「自由な社会」で実現できるのは「平等な社会」ではなくて「公平な社会」のみ。

 「成長」と「分配」も、ある意味、「自由」と「平等」のようなものかもしれない。
 その両立を目指す必要はなく、本丸の「成長」さえ実現できれば、半自動的に万民の「所得向上」が実現されるので、「分配」という副次的行為は必ずしも必要では無くなるとも言える。

 政府が目指すべきは「経済成長」一択。それができれば、30年間成長してこなかった日本の「新しい資本主義」は実現される。

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posted by 自由人 at 20:05 | Comment(0) | 政治
2021年10月24日

「フラットアース(地球平面説)」は本当か?


Earth202110.png

■注目を浴びる「地球平面説」

 昨年辺りから、世界中で「フラットアース」という言葉が流行っているらしい。日本もその例外ではないが、日本語に直訳すると「地球平面説」のことを意味している。

 「地球平面説」などと聞くと、条件反射的に「トンデモ説だ」ということになってしまうと思う。かくゆう私も当初は、都市伝説だと思っていたが、先入観を捨てて素直に耳を傾けてみると、傾聴に値する説も多くあり、常識だと思っていた「地球球体説」というものが、グラグラと揺らいでしまう経験をした。

 私自身、普段から常に常識というものを疑う姿勢を持っているので、たとえ、どれだけ世間の常識から外れたことを言っている人がいたとしても、直ぐさま否定せず、その人物の言っていることが論理的に筋が通っているかどうかを見ることにしている。

 「地球平面説」を唱えている人のことを「フラットアーサー」と呼ぶらしいが、その意見が正しかろうが間違っていようが、未知の領域を探索する人についてはリスペクト(尊敬の念)を感じるので、洒落ではないが、フラットな姿勢でフラットアーサー達の意見に耳を傾けてみたいと思う。

■時速1600kmで動いている地球人

 私が高校生の頃、化学の先生が言った一言が妙に記憶に残っている。その一言は以下のようなものだった。

 「もし、宇宙人が地球という星を見たなら、この星の生物は物凄い早さで動くように見えると思う

 当時、何を言っているのかピンとこなかったが、地球の自転速度が時速1600〜1700kmなので、確かにそういう見え方をしてもおかしくないのかなと思っていた。

 一般的な感覚からすると、地球の自転速度も公転速度もゆっくりしているというイメージだと思われるが、自転が時速1600km、公転が時速10万km以上で動いているなどと聞くと、あまりにも現実離れしていてピンと来ない。それが真実だとしても、人工衛星もそんなスピードに付いて回っていると考えると、もっと現実感が湧かず、本当なのだろうか?と疑問すら感じてしまう。

 NASAが合成したという惑星写真(下記のサイト参照)などを見ても、あまりにも不自然だし、50年前の科学で行けた月に、なぜ現代科学で行けないのかなど、単純な疑問点も多く有る。

 日の出、日の入りのシーンが地球が球体である証拠だと単純に思ってもいたが、球体でなくても、日の出、日の入りは可能だという証拠を突き付けられると、愕然としてしまう。

■「天動説」から「地動説」、そして「天動説」へ?

 もし地球が本当に平面であった場合、「天動説」が正しかったということになってしまうので、まさに驚天動地、コペルニクス的逆転回、天地がひっくり返るような衝撃だが、はたして真実はどうなのだろうか?

 よく考えると、宇宙から地球を見たことがある人間は限られているので、地球がどんな姿をしているかは、ほとんどの人は証明できない。「地球は青かった」と言ったとされるガガーリンの言葉は本当だったのだろうか?という疑問すら抱いてしまう。

 しかし、フラットアース論にも疑問点は有る。フラットアーサー達は基本的に「宇宙は無い」という認識を持たれているようだが、さすがにこれを素直に受け入れるのは難しい。たとえ地球が平面でドームのようなものに覆われた巨大なスペースコロニーのようなものだとしても、その外の世界が全く無いということであれば物理的な説明としては不十分ではないかと思える。

 それに、そのドーム状の地球やそのドームの中にある太陽や月を誰が創造したのか?という疑問点も残る。

 この辺は、フラットアーサー達にとっても課題の1つなのかもしれないが、今後も、この話題については目を光らせて注視していきたいと思う。

【参考サイト】
 フラットアース入門

 【フラットアース】この地球に本当は何が起こっていたのか?



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posted by 自由人 at 23:15 | Comment(0) | 宇宙
2021年10月23日

諸刃の剣としての「潜在意識」の危険性


■車の運転と「潜在意識」の関係性

 車を運転している最中にスマホを使用するのは御法度だが、考え事をして意識が運転以外のことに向いている時がある。そういう時、ふと考え事を止めると、「あれっ、さっきまでどうやって運転してきたのだろうか?」と不思議に思うことがある。
 こういう体験は、車を運転している人であれば、誰でも経験しているのではないかと思う。

 では、その間は誰(?)が車の運転をしていたのかというと「潜在意識が運転していた」というのがその解答ではないかと思う。

 なぜ、そう思えるのかというと、初めて運転する道路では、そういった芸当(無意識で運転すること)ができないから。いつも通勤等で運転している決まったルートの場合、別のことを考えていても運転ができるが、初めて通る道では、運転することに意識を集中せざるを得ないので、無意識の領域は表には出てこれなくなる。

 よく、「潜在意識は全てを見ている(記憶している)」と言われることがある。例えば、逆行催眠を行うと、自分自身が記憶していないことまで潜在意識が克明に覚えていることが判ることがある。
 毎日通っている道路であれば、表面意識だけでなく潜在意識も完全に記憶しているため、表面意識が別のことを考えていても、潜在意識が勝手に運転をしているという状態になってしまう。

■創作活動と「潜在意識」の関係性

 無意識で車を運転している時に考え事をしていると、ブログに書くネタなどが浮かんでくるようなこともあるので、そういう状態というのがインスピレーションを受けやすい状態なのだろうと思われるが、潜在意識が前面に出ていると感じる時は他にもある。例えば、お酒を飲んで少しほろ酔い気分になっている時など。そういう時は、普段は考えつかないようなアイデアが出てきたり、頭の回転が妙に早くなったように感じる時がある。

 昔から、芸術家・作曲家・小説家などは、アルコールやドラッグの力を借りてアイデアを出すことは有名だが、インスピレーションを受けやすいトランス状態を作り出すためには、そういう魔法(?)のアイテムが必要になる時があるということなのかもしれない。(注:ドラッグを勧めているわけではありません)

 故小室直樹氏などは、酩酊した状態でトランス状態になって本を書いていたという逸話も残っているので、何かを創作するためには無意識状態になることが効率が良いということなのだろう。
【参考文献】『評伝 小室直樹』(村上篤直著)

■ヒット曲と「潜在意識」の関係性

 もっと卑近な例で言うと、音楽を聴くということでも潜在意識というものを感じることができる。自分自身が特に興味を抱いていなかった曲であっても、ヒット曲として街中で何度も耳に入ってくると、知らず知らずの内にその曲を覚えてしまい親しみを感じることがある。これなども、本人に覚える気がなくても潜在意識が勝手に曲(歌詞)を覚えてしまったことによるものだろう。

 この原理は、洗脳の原理としても利用されており、当初、本人の表面意識が拒んでいたとしても、何度も何度も同じ言葉を聞かされると、潜在意識がその影響を受けて、知らない内に表面意識にまで影響が及んでしまう。これが、洗脳の常套手段でもある。

 「嘘も100回言えば真実になる」という言葉は、より正確に言うと「嘘も100回(潜在意識が)聞けば真実になる」ということ。

 ミイラを取りに行った者が、その目的を果たせずに自分自身がミイラになってしまうことを「ミイラ取りがミイラになる」と言うが、この原理にも、潜在意識が関係している。

 例えば、カルト教に入信した子供を助け出すために、その組織内に入って、何度も何度も同じ教義に触れていると、知らない内に自分自身までが洗脳されてしまう。

 「自動運転機能」や「自動記憶機能」を持った潜在意識は、便利なものである一方で、その本質を正しく理解していないと危険極まりないものに変化してしまう。

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posted by 自由人 at 14:23 | Comment(0) | コラム