■唯物論的なイメージがする「○○○脳」
東日本大震災の時の原発事故で「放射脳」という言葉(スラング)が生まれたことは記憶に新しいが、コロナ禍では「コロナ脳」という言葉(スラング)が生まれた。
個人的に「○○○脳」という言葉は、あまり好みではないので使用してこなかった。「○○○脳」などと書くと、唯物論者のような感じがするので、どこか抵抗がある。「放射脳」も「コロナ脳」も、「脳」の構造に原因があるというよりも、単に「精神」の個性の違い(認識力の差)の問題だと思う。
「脳」が先か「精神」が先か?という命題があるとすれば、私は躊躇するこなく「精神」を選ぶ。しかし、唯物論に傾倒したマルキスト達は、「精神」よりも「脳」が先にあると考える傾向があるので、「○○○脳」という言葉を好き好んで使用するのかもしれない。
この辺のところは、以下の本に詳しいので、興味のある人には一読をオススメしたいと思う。
■これまでとは毛色が違う「ワクチン脳」の定義
コロナ禍では「コロナ脳」という言葉だけでなく、「ワクチン脳」という言葉も生まれようとしているが、「ワクチン脳」は先の「放射脳」や「コロナ脳」とは少し毛色が違っている。
それぞれを個別に説明すると以下のようになる。
「放射脳」・・・・・科学や論理は無視して感情的に放射能を拒絶する人の総称
「コロナ脳」・・・・科学や論理は無視して感情的にコロナを拒絶する人の総称
「ワクチン脳」・・・科学や論理は無視して感情的にワクチンを受諾する人の総称
世間一般では、「放射脳」「コロナ脳」「ワクチン脳」を同一視する向きもあるが、実際のところは少し違っている。前2者は「拒絶」がキーワードとなっているが、「ワクチン脳」だけは「受諾」がキーワードとなっている。「拒絶」と「受諾」では全く正反対だということに注意しよう。
よく考えれば解ることだと思うが、ワクチンを拒否している人というのは、コロナを恐怖している人とは必ずしも一致しない。感情的にコロナを極度に恐がっている人が、感情的にワクチンも極度に恐がるということは、普通では考えられないレアなケースだとも言える。
■「ワクチン脳」を乗り越えられない知識人達
面白いことに、これまで「放射脳」や「コロナ脳」という言葉を使用して他者を揶揄していた人々が、今度は自らが「ワクチン脳」に陥っていることに気付かず、科学や論理を重視して理論的にワクチンを否定している真っ当な人のことを感情的に批判しているという有り様。
一般人ならともかく、著名な有識者までが、そんな状態に陥っているという惨憺たる状態。これまで、ある程度は信用できると思われた識者達の多くが、馬と鹿の区別も付かないような状態に陥っており、もはや、信用できる識者は数える程しかいないという有り様。
少しだけフォローもしておくと、多分、彼らの多くは、幸か不幸か、ワクチンについてこれまでほとんど学んだこともないのだろうと思われる。自分や家族が大病を患うような経験をしない限り、独学で本当の医療知識を吸収するような行動はなかなか取れない。身の周りの人間が重病にならなかったことは幸運かもしれないが、その幸運ゆえに、本当の医療知識に触れる機会を得なかったことは、この上なく不運なことだったと言えるのかもしれない。
ホップ・ステップ・ジャンプの如く、「放射脳」を乗り越え(ホップ)、「コロナ脳」を乗り越え(ステップ)ても、「ワクチン脳」を乗り越える(ジャンプ)ことのできる知識人は、残念ながら、あまりいないのかもしれない。
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