2021年09月25日

「ウイルス対策ソフト」と「コロナワクチン」の相似性


■「コンピュータウイルス」と「ウイルス対策ソフト」

 人間に対してのウイルスがあるように、コンピュータに対してもウイルスがある。「コンピュータウイルス」という名の悪質なプログラムがコンピュータのシステム内に入ってしまうと、そのコンピュータは正常に動作しなくなり、データを勝手にコピーしたり書き換えたりして、思わぬ被害を被ることになる。

 そういった被害を避けるためにコンピュータウイルスからコンピュータシステムを護るウイルス対策ソフトが開発された。新種のコンピュータウイルスが出てくる度にウイルス対策ソフトがバージョンアップされ、コンピュータシステムの進化と並行してウイルス対策ソフトもどんどん進化し続けた。

 コンピュータウイルスを防御する側とコンピュータウイルスを創作する側が双方共に進化し続けて双方共に発展する。まるで、自らマッチで火を付けて、自らポンプで火消しをしているかのようなそのビジネスモデルを見て「マッチポンプビジネスだ」と揶揄する人もいた。

■ウイルス対策ソフトをインストールすることで起こる副作用

 そういった疑いが有ることは扨措き、ウイルス対策ソフトをインストールすることで、逆にコンピュータシステムの動作が重くなったり不安定になったりして、余計にストレスを感じるという新たな問題も発生した。これもワクチンと同様に、ウイルス対策ソフトの副作用とも言えるだろうか。

 コンピュータウイルス被害が深刻になり無視できなくなってくると、ビジネスで使用するコンピュータにはウイルス対策ソフトが必須となり、ウイルス対策ソフトを導入していない企業は白い目で見られるようになった。

 しかし、趣味でパソコンを使用しているユーザーには、快適にパソコンを利用できることを優先する人もおり、敢えてウイルス対策ソフトをインストールしない人も大勢いた。

 そもそも、コンピュータウイルスに感染するには、他の情報機器と繋がっている必要がある。インターネット回線に繋がっているか、USB端子などから経由して感染することは有り得ても、インターネットに繋げず、外部機器を接続しないクローズドな環境であれば、コンピュータウイルスに感染することは100%有り得ない。

 コンピュータにインストールしたウイルス対策ソフトは、気に入らなければ、きれいにアンインストールすることもできれば、別のウイルス対策ソフトに入れ替えることも可能だった。ウイルス対策ソフトをインストールしたことによりシステムが壊れてしまったとしても、システムを再インストールするか、最悪、コンピュータを買い換えればトラブルを回避することはできた。

■「コンピュータシステムの改造」と「人体システムの改造」

 医学博士の崎谷博征氏は「新型コロナ遺伝子ワクチンはオペレーション・システム(OS)である」と述べておられるが、ウイルス対策ソフトというのは、現在騒がれているコロナワクチンに似ていると言える。
【参考文献】『『ワクチンの真実』(崎谷博征著)

 しかし、コンピュータにインストールすることと、自分の肉体に注射するのとでは決定的に違うことがある。人間が作り出したコンピュータのシステムに変更を加えるのと、神が作り出した人体のシステムに変更を加えるのとでは、全くリスクが異なる。前者は取り返しが付くが、後者は取り返しが付かないという意味では、全く次元が違う代物だと言える。

 「医は仁術なり」とも言われるが、残念ながら、現代医療は「仁術」と言うよりも半分は「算術」になってしまった。そのため、「薬効力」に重きを置きがちだが、人体には「免疫力」というものが備わっており、大抵の病気はその「免疫力」によって治癒される。

 その人間の免疫力では対抗できない強力な病原体に対しては科学の力で対抗しようという目論みから薬やワクチンというものが開発された(ということになっている)わけだが、コロナワクチンに限って言えば、人間の肉体を改造して特定のウイルスに対抗するというものなので、宗教倫理的な見地からも、神に対する冒涜だと受け取る人も世界中に大勢いるようだ。

 コロナワクチンを「獣の刻印」だと言う人もいるが、なるほど、言い得て妙だな…と思う。

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posted by 自由人 at 22:48 | Comment(0) | コロナ問題
2021年09月22日

「レジ袋の有料化」と「レジ袋の減少化」が生んだ本末転倒な事態


■失敗の原因は二兎を追った「偽善政策」

 昨年(2020年)の7月にレジ袋が有料化され早1年2ヶ月が経過したが、途中経過として意外な…と言うよりも予想通りの結果が出たと報道されている。その予想通りの結果とは何か? もちろん、万引きの増加である。

 これまでの常識では、スーパーに買い物に行く時は、小さなハンドバッグやショルダーバッグを持って入店することは有り得たが、口が開いた大きなカバンを持って入るようなことは御法度だった。

 スーパーの万引きGメンは、商品が入る大きなカバンを持っているような人をマークして目を光らせているのが普通だった。
 しかし、誰もがマイバッグ持参を余儀無くされると、「万引きします」と言わんばかりの口の開いた大きなカバンを持って堂々と入店する人が急増し、万引きGメンの目も届かなくなってしまった。

 その隙を狙って、万引きに励む人が出てくるだろうことは容易に想像が付くことだった。

 このような問題が発生するだろうことは目に見えていたが、その根本的な理由は、「レジ袋の有料化」と「レジ袋の減少化」という二兎を追ったことにある。「経済政策」と「環境政策」を両立しようとしたことがそもそもの原因である。一言で言うなら、「偽善政策」になってしまったことが災いしたということでもある。

■悪夢のような政治が続く理由

 「レジ袋の有料化」だけを実施していれば、マイバッグを持ち歩く必要はなく、買い物する度にレジ袋代を請求されるだけで済んでいた。しかし、「レジ袋の有料化」を実施する主たる目的を「環境問題」にすり替えてしまったために、マイバッグを持参するというオプションを追加せざるを得なくなり、余分なお金を支払いたくない人々は、マイバッグを持参することを厳しく励行するようになった。

 その結果として、「レジ袋の有料化」で入った微々たる金額よりも、「万引き」で出ていく金額の方が大きくなるという皮肉な事態を招いてしまった。スーパー側の視点で観れば、数円を得るために数百円を失うといった感覚だろうか。
 悪いのはスーパーではなく政治家の方だが、まさに「偽善政策の失敗、ここに極まれり」と言ったところだろうか。

 しかしながら、どんなに本末転倒な政策であったとしても、この政策が見直されて中止になるようなことはまず有り得ないと思う。
 以前にも少し指摘したことだが、世界のグローバル支配者層が勝手に決めた偽善政策に振り回されているのが日本の政治家の姿でもあるので、単に政治家を責めるだけでは何の解決にもならないと思う。

 そういう政治的な裏事情を多くの国民が理解するようにならなければ、日本の政治は誰が総理大臣になろうと、いつまで経ってもこんな調子だろうと思う。

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posted by 自由人 at 21:39 | Comment(0) | 政治
2021年09月19日

目に見えないコロナとの戦いには「孫子の兵法」が有効


■「百戦百勝は善の善なるものにあらず」

 現在、自民党の総裁選の話題で持ち切りとなっており、4候補者がそれぞれ4者4様にコロナ対策について述べている。
 一方で、野党は、自民党のコロナ対策が失敗だったと批判しているが、与党・野党ともにコロナと真正面から戦うことを訴えているという意味では何ら違いはなさそうに見える。

 勝算が無いにも拘らず無謀に戦いを挑むその姿は、恰も、空を飛ぶ戦闘機に対して「竹槍で戦いを挑む」と意気込んでいるような姿を彷彿とさせる。

 目に見えないウイルスとの戦いというのは、ある意味、幽霊と戦っているようなものなのかもしれない。目に見える害虫との戦いであれば、如何様にも具体的な戦法が見い出せるだろうけれど、目に見えない敵との戦いにこれと言った戦法など見い出せるわけがない。

 有名な「孫子の兵法」に次のような言葉がある。

 「百戦百勝は善の善なるものにあらず

 その意味するところは、「百回戦って百回勝つのが最善ではなく、戦わずして勝つのが最善である」ということ。「孫子の兵法」において最も重要な「戦わずして勝つ」を示した言葉でもある。

 個人的に、ウイルスとの戦いは、この「孫子の兵法」に則ることこそが必要だと思う。

■「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず」

 コロナ禍によって判明したことは、本当に恐いのはコロナではなく、むしろ、人間の恐怖心理であるということ。目に見えないということは、少なくとも人間の目には有るか無いかも分からないということを意味している。

 例えば、霊能者に「あなたには先祖霊が付いているので除霊しなければ不幸になる」と言われれば、その言葉を真に受けて、法外な除霊料金を支払って除霊をしてもらう人がいる。
 先祖霊というものは確かに存在するだろうけれど、その先祖霊が本当に子孫に取り憑いているかどうか、あるいは子孫に悪さをするかどうかは本物の霊能者でしか分からない。

 しかしながら、霊能者を自称する者から「あなたには先祖霊が付いている」と言われても、それが本当かどうかは確認のしようがない。
 そのため、ここでまず必要なことは、その霊能者が本物か偽物かを知ることになるが、それは残念ながら分からない。ゆえに、当人が霊とは何か? 先祖霊とはどういうものなのか?ということを知ることが重要になる。つまり、本物・偽物に関係なく霊能者の言葉を鵜呑みにするのではなく、自分で知見を得て、自分である程度、本物と偽物の区別ができるようになることが望まれる。

 他人の権威や肩書きを信じるのではなく、自分自身で知見を得て判断力を磨くことによって、自分の身は自分で守るというスタンスを持つこと。そういったスタンスを持ち続けていると、霊能力が無くとも、ある程度、本物と偽物の見分けが付くようになってくる。

 ウイルスについてもこれと同じことが言える。他人の権威や肩書きよりも、自分自身の判断力を信じること。これが最も重要なスタンスとなる。そのためには、他人の意見に依存するのではなく、自分自身の判断力を磨いていく努力が必要になってくる。

 このことを「孫子」の言葉で言うと次のようになる。

 「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず

■コロナとの戦いは「戦わずして勝つ」

 では、「先祖霊」を「コロナ」に置き換えて考えてみよう。

 ここで重要なことは、先祖霊が見える霊能者は存在し得ても、コロナが見える専門家は1人もいないということ。つまり、頼るべき人は誰もいないということであり、自ずと信用できるのは自分の判断力だけということになる。

 各専門家の語っていることが「真」であるのか「偽」であるのかを自分自身の知見で判断しなければ本当のことは誰にも分からないということである。

 目に見えず得体の知れない幽霊のような敵に対して、百戦を挑んでも勝つ見込みなど立たない。そういう意味では、与党・野党ともに政治家の言っていることは、あまり期待できず、負け戦になる可能性の高い危険な戦法だとも言える。

 コロナとの戦いで最も重要なことは、おそらく「戦わずして勝つ」が正しい。ヘタな戦いを挑まなければ必勝であるにも拘らず、国民のほとんどが「敵は恐い」「敵は強い」という暗示にかかり、一億総玉砕に突き進んでいるのが現状ではないかと思う。

 本当に恐いのはコロナではなく、人間の恐怖心理だと知ること。戦うべきは、コロナではなく、自分自身の恐怖心だということに気付くこと。それが、コロナに勝つ最も有効的な手段であり戦法でもある。



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posted by 自由人 at 21:36 | Comment(0) | コロナ問題
2021年09月17日

情報戦争の真っ只中にあることを99%の人が気付いていない


■「第3次世界大戦」の渦中にある世界

 現在、世界は正しく戦争状態にある。この戦争は物理的な武器を使用しない「情報戦争」であり、多くの人々が戦争の渦中にあることにさえ気付かないという特徴を持っている。

 無論、この情報戦争の中心にあるのは「コロナ情報」である。近い将来、この戦争は「アヘン戦争」に準えて「コロナ戦争」と呼ばれることになるかもしれない。

 日本は他国に比べて平和ボケしている人が多い国なので、当然の如く、ほとんどの国民は未だそのことに気付いていない。

 インテリジェンスに長けた戦前の保守知識人であれば、いとも容易く見抜けただろうに、戦後のインテリジェンスなき現代にあっては、物事の本質を理解できない似非知識人だらけになってしまった。

 現状、今回のコロナ情報戦争の真相をある程度理解している日本人は、おそらく100万人もいないのではないかと思われる。日本人の人口が1億3000万人だとすると、1億2900万人が正気を失っているような状態だとも言える。

 国民の多くが深い洗脳状態に置かれているという意味では「1億総オウム化」とも呼べるような憂うべき哀しい状況となっている。戦後の愚民化政策が、ここに来て、突然、大きく花開いた(顕在化した)かのようですらある。

 通常、カルト教の信者というのは、ごく少数であることがお決まりの前提となっているが、現在は圧倒的多数の人々が自らがカルト教の信者になってしまっていることに気付いていないので、まともなことを言う少数の人間が、逆にカルト教の信者扱いになるという倒錯した社会になっている。

 現代の戦争は、これまでのような「国家」vs「国家」の戦争ではない。「超国家」vs「民衆」という全く新しい戦争が既に始まっていることを知らねばならない。

 この戦争が「第3次世界大戦」ならぬ「大惨事世界大戦」にならないことを祈るばかりだ。

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posted by 自由人 at 22:41 | Comment(0) | 国際問題
2021年09月10日

インフルエンザワクチンの300倍以上の死亡者が出ているコロナワクチン


■子供騙しの「ワクチンパスポート」

 日本の大手マスメディアでは報道されていないが、アメリカのフロリダ州では、コロナにおけるワクチンパスポートは「個人の自由を奪う」という真っ当な理由で禁止となった。
 もし、消費者に対して企業等がワクチンパスポートの提示を求めた場合は、その企業側に対して最大で5000ドル(日本円にして約55000円)の罰金が科されることになる。

 これに対して、日本では周回遅れのワクチンパスポートの発行が取り沙汰されている。
 時期的にも、「選挙対策だ」と言わんばかりのドタバタぶりだが、こんな差別的な愚策が本当に罷り通るとでも思っているのだろうか?

 ワクチンを接種させるための脅し文句としては少なからず機能するのかもしれないが、アメリカでも中止(違法)になったワクチンパスポートを、国家主権を持たない日本が独自に導入できるのかは甚だ疑わしいと言わざるを得ない。

 既にワクチンを接種しても感染を抑えることができないことも判明し、重症化を防げるかどうかも依然として疑わしいまま見切り発車でワクチンパスポートを導入するなどというのは、子供騙しの策略としか思えないのだが、なぜこんな幼稚な策略にコロッと騙される人がこれほど多いのだろうか?

■1回目よりも2回目のワクチン副反応が酷い理由

 私自身はコロナワクチンを接種するつもりは全くないが、私の周りでもコロナワクチンを2回接種した人が増えてきた。彼らが口を揃えて言うのが、「1回目は特になんともなかったのに、2回目では副反応が大きかった」というもの。こういう人は多いと思われるが、それはなぜだろうか?

 1回目も2回目も同じワクチンだと考えると、このような現象が起きるには、それなりの理由があるはずだが、ほとんどの人はそういうものなのだと思い込んでしまっており、その理由を深く考えようともしない。

 これまで伝えられている様々な情報を勘案すると、その答えはおそらく、1回目のコロナワクチンを接種後に免疫力が低下しているからだと思われる。一説では、コロナワクチンを接種すると、免疫力が6分の1まで低下するとも言われている。「6分の1」という数値が真実か否かは不明だが、免疫力が低下していると考えれば、1回目よりも2回目のコロナワクチン接種の副反応が酷くなるというのは理屈の上では筋が通っている。免疫力が低下しているというよりも、免疫力に異常が生じていると言った方が正解かもしれないが。

■コロナウイルスと人間の関係を磁石に例えると…

 コロナウイルスがなぜ恐いのかというと、感染するとスパイクタンパク質が血管内で増加して血栓ができるからと言われている。それで、コロナの感染を防ぐためにコロナワクチンの中にコロナの特質の一部と言われるものが入っている。その一部を体内に入れると、人間自身がコロナ化したかのように、自らの体内にスパイクタンパク質を作り出すようになる。

 コロナと人間の関係を磁石に例えると、コロナがプラスで人間がマイナスになる。プラスとマイナスがくっつくことで感染するというイメージに近い。そのため、コロナワクチンを接種すると、人間の身体がコロナウイルスと同じプラスになってしまうので、プラスとプラスではコロナを寄せ付けないというイメージになる。

 しかし、自分自身が半永久的にスパイクタンパク質を作り出す体質になってしまうため、月日の経過と共に体内のスパイクタンパク質が多くなっていき、血栓ができやすい身体になっていく。

 仮にコロナワクチンがコロナウイルスを防ぐことができたとしても、その代償として血栓ができやすい身体になってしまえば、どちらが良いのか分からない。そういったリスクがあることを知っている人はどれぐらいいるのだろうか?

 日頃から「コロナが恐い、コロナが恐い」と言っている人間が、コロナワクチンを接種して、自らの身体をコロナ化することで喜んでいるという不思議な現象が生じている。
 「知らぬが仏」とはこのことを言うのだろうか。このことは、本のシリーズにもあるように「言ってはいけないこと」あるいは「知ってはいけないこと」なのかもしれない。

■1155人の生命を軽んじる狂気のマスコミ

 それは扨措き、9月10日付の厚生労働省の発表では、コロナワクチン接種における死亡者数は、1155人となっている。副反応の重篤者も4000人を超えている。
 これらの数値も実態をとらえているとは思えない(実際はその10倍以上いるものと思われる)が、仮に、この数値が正しいとしても、既に例年のインフルエンザワクチンの300倍以上の死亡者が出ていることになる。これを全く報道しないマスコミは一体どうなっているのだろうか?

 因果関係の不明云々に関係なく、こんな重大なことを隠して報道しないということは、コロナワクチン接種者を増やすためには、どれだけの犠牲者が出ても構わないと思っているとしか考えられない。
 常日頃、「一人の生命は地球より重い」と宣っているようなマスコミが、コロナワクチンではどれだけの人間が死亡してもノープロブレムだと言わんばかり。もはや、この国(世界中?)のマスコミは完全に狂っていると言っても過言ではない。

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posted by 自由人 at 22:06 | Comment(2) | コロナ問題