2021年07月30日

今年(2021年)一杯で「PCR検査」は中止になる


■米国CDCが「PCR検査を中止する」と発表

 米国CDC(米疾病対策センター)は、昨年(2020年)2月にコロナウイルスを検出するために導入したPCR検査を今年(2021年)一杯で中止すると発表した。

 その理由は、「インフルエンザウイルスの検出と鑑別を容易にするため」と発表されている。つまり、現状のPCR検査では、新型コロナウイルスとインフルエンザウイルスを明確に区別できないということを正式に認めたということになる。

 日本では今もPCR検査数をどんどん増やしており、それに比例して陽性者数もどんどん増えているが、それが変異株の影響だということで、緊急事態宣言を乱発する状況が続いている。

 昨年の夏は感染者数(陽性者数)が激減し、ほぼ収束したかのような状態だったにも拘らず、なぜ、今年はこれほどまでに増加しているのだろうか?
 緊急事態宣言を行って感染者数(陽性者数)が少しでも減少したというならともかく、真夏であるにも拘らず全く減少せず、逆に増えているという状態。

■感染者数(陽性者数)が減少しない単純な理由

 この単純な事実を普通に検証すれば、緊急事態宣言にはほとんど効果が無かったということは誰が見ても一目瞭然だろうと思う。全く効果が無かったとは言えないまでも、実施することに意味が有るという科学的なエビデンスが出なかったことだけはハッキリしている。これ以上、緊急事態宣言を延長しても効果が出るという保証は全く無いと言っても過言ではない。

 ハッキリと言ってしまえば、効果が無いのはむしろ当たり前だと言える。PCR検査の増加がそもそもの原因であるのだから、何をやったところで効果など出るわけがない。

 喩えて言うなら、水道の蛇口が2つ有るようなものであり、1つの蛇口を閉めることに躍起になるだけで、もう1つの蛇口は放ったらかしで、どんどん水量を増加させているわけだから、水が止まるわけがない。そんな状態で「風呂の水が溢れるかもしれない…」と心配しているような状態。

■もし「コロナ禍」という情報が入ってこなければ…

 もし日本のマスメディアが世界のグローバルニュースを伝えず、PCR検査というものが行われていなかった場合をシミュレーションしてみると、その場合、日本ではコロナ禍は起こらず、これまで通り普通の生活を送れていたのではないかと思われる。

 昨年は、総死亡者数も肺炎死亡者数も大きく減少したので、日本人がコロナ禍もPCR検査も知らなければ、所謂「コロナ脳」も生まれず、知らぬが仏顔で普通に生活していたことだろう。

 仮にコロナで死亡した人がいたとしても、トータルでの肺炎死亡者が減少しているわけだから、普通の肺炎死亡者として扱われていただけで、誰も別の病気(コロナ)には目が向かず、気付くことも無かっただろう。

 コロナが流行しているという情報が入ってこなければ、わざわざ無症状者がPCR検査を受けるようなことも有り得ないので、無闇に感染者数をカウントすることもなく、誰も気にも止めなかっただろう。

 こう言うと、「そんなことが言えるのは、コロナ対策を行ったからだ」と言う人がいるかもしれないが、今のところ、そのコロナ対策としての緊急事態宣言に大きな効果が有ったことは証明されていない。
 少なくとも、緊急事態宣言には、PCR検査の増加による感染者数(陽性者数)の増加を抑え込めるほどの効果が無いことは間違いない。



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posted by 自由人 at 22:24 | Comment(0) | コロナ問題
2021年07月28日

「民主の女神」 vs 「社会主義の守護神」


■オリンピックの裏で起こっていた大事件

 東京オリンピックが行われている最中、ITビジネスアナリストの深田萌絵氏が東京地検に呼び出され身柄を拘束されるという事件が起こった。当日、東京地検前には事情を知る多くの人々が詰めかけたが、大手マスコミはこの事件を一切報道しておらず、まるで何事も無かったかのようにコロナとオリンピックの報道に精を出している。これもまさに典型的な「報道しない自由」の行使だとも言える。

 中国人の背乗り問題や中国・台湾の半導体問題というタブーがバックグラウンドにあるため、マスコミはダンマリ状態。保守派と言われる人々の多くも沈黙を貫いている。普段は東京地検を批判している論客達も今回は政治的な大人の事情で黙らざるを得ないということなのだろうか。

 動画で深田萌絵氏の姿を観ていると、香港民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)氏を彷彿とさせるものがあった。今回の東京地検前での鬼気迫る演説は「怒髪天を衝く」かのような印象であり、一種の神懸かり的なものを感じた。演説中、雨が降らず、彼女が東京地検に入るや否や、突然雨が降ってきたというところも、どこか天の采配を感じさせるものがある。

■「泣く子も黙る」東京地検を批判する深田萌絵氏

 「泣く子も黙る」と言われる東京地検は昔から「社会主義の守護神」とも呼ばれてきた組織であり、多くの著名人が東京地検に冤罪としか思えないような罪で無理筋な逮捕をされてきたことは知る人ぞ知るところ。
 今回は日本の社会主義を護るというだけでなく、中国の社会主義を護るかのような様相を呈しており、これまで以上にスケールの大きな事件となっている。

 多くの識者が保身のために黙りを決め込む中、堂々と東京地検を批判する深田萌絵氏はご立派であり、周庭氏と同様、「民主の女神」という言葉がピッタリする。

 当日中に、一応無事に釈放されたものの、今後は、深田氏自身も述べている通り、どういう展開を迎えるか予断を許さない状況となっている。

 陰ながら、深田萌絵氏の活動と無事を祈りたいと思う。天の加護があらんことを。

【深田萌絵TV】東京地検前!深田萌絵は帰ってくるのか!?


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posted by 自由人 at 20:12 | Comment(0) | 社会問題
2021年07月25日

今、そこにある「マンデラエフェクト」(vol.2)


20210725.png

■この世界が仮想現実ではない確率は…

 テスラモーターズCEOのイーロン・マスク氏は以下のように述べている。

 「この世界が仮想現実ではない確率は数十億分の一

 要するに、この世界が仮想現実である可能性は限りなく100%に近いと言っていることになるわけだが、こんな話を聞くと、「そんな馬鹿なことがあるものか!」と言う人が大半だろうと思う。

 しかし、私のようにマンデラエフェクトを実体験した人間(「マンデラー」と言う)からすると、イーロン・マスク氏の言っていることは正しいと言うよりも、この世界は100%仮想現実世界であると言い切ることができてしまう。なぜなら、マンデラエフェクト体験とは、この世界が仮想現実であることを知る体験に他ならないから。

 「マンデラー」と呼ばれる人は、ここ数年でどんどん増えているようなので、いずれこの現象は明らかにされていくのだろうと思われるが、今のところ、そのメカニズムを100%正しく説明できる人がいないようなので、その正しい解明が何年先、何十年先、あるいは何百年先になるかは分からない。

 イーロン・マスク氏の言うところの「仮想現実」が、「マンデラー」の言う「仮想現実」と同じものであるかは分からないが、マンデラエフェクトを体験した多くの人が口を揃えて言うのが、「パラレルワールド」との関係性だ。

 海外のテレビドラマなどを観ていると、「パラレルワールド」を描いた作品を多く見かける。例えば、DCコミックの『フラッシュ』では、「アース1」「アース2」「アース3」…という具合にマルチバース(多次元宇宙)のパラレルワールドが描かれており、時空間を異にする少しだけ違った現実のパラレルワールドを行き来するというストーリーが展開する。

 多分、こういったストーリーも先のイーロン・マスク氏の意見と同様、最先端の物理学を下敷きにして製作されているのだろうけれど、この場合は、容姿の同じキャラクター(自分自身)が別のパラレルワールドにも存在するという設定になっており、性格や職業は変わっている場合が多い。

 現実にマンデラエフェクトを体験すると、こういったSFドラマはある程度の真実をベースに描かれているのだな…と解る。しかし、理論だけで実体験を伴っていないため、少し違っている部分もある。

■「世界線」 とは「パラレルワールド」のこと

 人気バンドグループ「official髭男dism」の一昨年の大ヒット曲『pretender』の歌詞に「世界線」という言葉が出てくる。当時、この言葉の意味を知らなかった私は、何のことを意味しているのだろうか?と思っていたが、今では、その意味がよく解るようになった。「世界線」とは「パラレルワールド」の別名だったわけだ。

 「パラレルワールド」というのは、これまでの常識では、少し違った世界が無数にあるというものだった。個々人の人生における選択の数だけ、分岐した世界が存在する可能性が有るというのが「パラレルワールド」の共通認識だった。

 しかし、実際に「パラレルワールド」体験をしてしまうと、そういった個々人の小さな選択だけに収まらず、歴史や地理や環境まで少し変わっていることに気付かされた。

 例えば、以前の記事でも述べた通り、地球の地形が少し変わっている。オーストラリアの位置だけでなく、その他、多くの地形が変化している。雲の高さも少し違っており、極めつけは、人間の肉体構造までが少し変化している。

■マンガのような本当の話

 少し調べて判ったことだが、この「マンデラー」というのは、複数のパラレルワールドから来た人(と言うよりも精神だけが移行した感じ)が混在しているらしく、先に述べた歴史や地理や肉体にも、それぞれ少しの違いが有るようだ。

 心臓の位置などは、この世界では真ん中(胸骨の裏側)に位置しているが、元の世界では、左胸に有ったと言う人もいれば、胸骨というものが無かったと言う人もいるらしい。

 ちなみに私の場合は、胸骨は存在したが、心臓は左寄りにあったと記憶している。左胸に手を当てると心臓の鼓動が感じ取れたが、今では感じ取れない。
 漫画の『北斗の拳』でも、サウザーの心臓が左右逆だったというストーリーをハッキリ覚えており、某お笑い芸人が心臓が右にあるということで学生時代のあだ名が「サウザー」だったという笑い話も聞いた記憶がある。
 しかし、この世界での『北斗の拳』のコミックを確認してみると「左右逆」ではなく「表裏逆」という設定になっていた。

 まるでマンガのような話だが、これはジョークではなく、本当の話である。

 と言っても、これは同じ体験をしない限り、絶対に認められない話だと思う。それほどまでに常軌を逸した体験なので、説明するのが非常に難しい。ただ、創り話ではなく、実際に体験したことなので、論理的には齟齬のない筋の通った話はできると思う。
 多くの人(多分、万単位で存在する)が同じ体験をしているようなので、単なる記憶違いや思い込みでないことは間違いない。

 マンデラ体験者は、実はもっと多く存在するのかもしれないが、単なる記憶違いで済ませる人が多いようなので(私の周りの人間もそうだった)、体験していても気付かない人が多いのではないかと思う。実際に私も何度か気付く機会が有ったにも拘らず、すぐには気付くことができなかった。

 そういう意味で「マンデラー」とは、「マンデラエフェクト体験者」と言うよりも「マンデラエフェクト認識者」と言った方が正しいのかもしれない。それこそ体験は多くの人がしているのだが、認識できる人は少ないのかもしれない。

 この件は書き出すとキリがなく、そのうち、1冊の本でも書けるかもしれないが、それは多くの先輩マンデラー達に譲るとして、今後、少しずつブログで紹介していきたいと思う。

 ただ、現状では、こういった話は物理学と言うよりも、スピリチュアルやオカルトのカテゴリーに入ってしまうかもしれないので、当ブログで書いていくのは少し無理が生じると思う。そのため、「マンデラエフェクト」関連の記事については、別のブログを立ち上げて書いていくことになるかもしれない。

 最後にマンデラエフェクトの参考サイトを以下に紹介しておきたいと思う。

マンデラエフェクト情報局

カワウソマン

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posted by 自由人 at 22:14 | Comment(0) | マンデラエフェクト
2021年07月24日

現代陰謀論考(「陰謀論」のこれから)


■誤解されている「陰謀論者」の特徴

 少し前に「陰謀論を信じている人は低学歴」という話が話題となったことは記憶に新しいが、昨年にもアメリカの心理学研究チームが、陰謀論を信じやすい人には、次のような共通する特徴があると発表して話題になったことがある。

 ○衝動的で自信過剰な人
 ○孤独を好み不機嫌で短気な人

 随分と単純で都合の良い解釈であり、当たっている可能性があるのは「孤独を好む」ぐらいかな…というのが正直な感想だった。少数派は必然的に孤独にならざるを得ないという意味で。

 私自身、一般的に言うところの「陰謀論者」ではないが、最近は「陰謀論」に対して少し見方が変わってきた。
 これまで世の中に出回っている陰謀論は3割位が真実で7割位が嘘だと思っていたが、その割合が逆転し、今では6割位が真実で4割位が嘘程度に変わっており、少し立ち位置を修正しなければいけないかなと思っている。

 今の世の中では、「陰謀論」という言葉を使用した人物が見事に「陰謀」に嵌っているというパターンが多く見られ、誰かが「陰謀論」という言葉を発すると、突如として思考停止に陥り全てを「陰謀論」だと信じてしまう人が多いように思う。

 そう考えると、先の「衝動的で自信過剰な人」「不機嫌で短気な人」というのは、「陰謀論者」の特徴ではなく、「陰謀論者」を否定している人の特徴ではないかと思える。

■「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」

 現代では、陰謀が有ることを疑う論者のことを「陰謀論者」と呼んでいるが、より正確に言うなら「陰謀肯定論者」ということになるのだろうか。

 では逆に、陰謀が無いと頭から信じている人のことを何と言うのだろうか?

 先の言葉の反意語として言うなら、「陰謀否定論者」となるのだろうか。

 では、「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」の違いとは何だろうか?

 よく「性悪説」と「性善説」の違いだと言う人がいるが、実際の世の中を見回してみると、必ずしもそうはなっていないので、これは違うと思う。実際に「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」を観察していると、そこには共通する、ある1つのキーワードが垣間見える。それは「疑う」という行為である。

 まず、世の中にある常識そのものを疑う姿勢が有るか無いか、またはそういった姿勢を持てるかどうか、そして、もし自らが常識だと信じてきたものが間違いだと気付いた時に、これまでの常識を捨て去る勇気と素直さが有るか無いか、それが「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」を分ける大きな違いだと思う。

■時代は「陰謀論」の正しさの証明に移行している

 「陰謀肯定論者」といっても、生まれた時から「陰謀肯定論者」であるわけではない。人間誰しも生まれた頃は天使のように無邪気で「陰謀」なんて意識していないので、人生のある時点で「陰謀」に気付いたのか、「陰謀論」に興味を持ったかのいずれかだと思う。

 では、「陰謀否定論者」というのはどうかというと、これまで「陰謀」というものに然程興味を持つ機会がなかったということが言えると思う。あるいは「陰謀論」に触れる機会が有ったとしても「こんなのは嘘だ」と十把一絡げで否定した人なのかもしれない。

 しかし、世界の歴史をつぶさに観察すると、この世界は嘘に塗れており、実は大小様々な陰謀が渦巻いている社会であることを発見するに至る。少しでもそういったことを知り得た人であれば、この世の中に陰謀が無いというのは嘘であり、現実を知らないお花畑論者にしか見えないと思う。

 では、「陰謀肯定論者」が全て正しいのかというと、そういうわけでもない。

 重要なことは、本物の「陰謀論」と偽物の「陰謀論」を見分けることであり、その正確さがこれからの社会における1つの学問的な評価基準になるのではないかと思う。

 時代は既に「陰謀」の有る・無いではなく、「陰謀」は有るという前提での、各「陰謀論」の正しさの証明に移行している。

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posted by 自由人 at 18:19 | Comment(0) | コラム
2021年07月22日

遅れてきた『東京オリンピック2020』のドタバタ劇


■悲観的なムードが漂う東京オリンピック

 政府が4度目の緊急事態宣言を発表した時、オリンピックの日程と被ってしまうため、もしかするとオリンピックは開催中止になるのではないか?と思った人も多かったと思うが、結局は、緊急事態宣言真っ只中にあるにも拘らず、オリンピックは開催される運びとなった。

 オリンピックを開催することは国際オリンピック委員会で既に決められていたことだと思われる。実際のところ、日本政府だけでオリンピックの開催や中止を決定する権限は無いと思われるので、緊急事態宣言の有無に拘らず「中止」という選択肢は初めから無かったのだろうと思う。

 それは扨措き、今回のオリンピックは、どこか精彩を欠いており、これまでにない陰鬱さが感じられる。かつての東京オリンピックなどは(実際に観たわけではないが)もっと前向きな溌剌としたイメージが有ったと思われるのだが、今回のオリンピックはどこか悲観的なムードが漂っている。

 演出統括者の佐々木 宏氏の辞意に始まり、大会組織委員会の森 喜朗氏の辞任、ミュージシャンの小山田圭吾氏の辞任、絵本作家のぶみ氏の辞退、元お笑い芸人の小林賢太郎氏の解任など、オリンピック開催前から呪われてでもいるかのような辞任劇のオンパレード。これが全て偶然の出来事であるなら、オリンピックなど開催しない方が良かったのではないか?とさえ思えてしまう。

■橋本聖子会長の謝罪発言に違和感

 現在騒がれている小林賢太郎氏のユダヤ人差別発言がどんなものだったのか実際に動画を観て確認してみたが、ユダヤ人を差別する演出をしたというわけではなく、ネタとして「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という言葉を使用していたというものだった。多くのマスコミが「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」と発表しているが、本当のところは「虐殺ごっこ」ではなく「惨殺ごっこ」だった。もしかして多くのマスコミは元ネタを観ずに記事を書いているのだろうか?

 動画は特にコントと呼べるような面白い内容ではなかったが、観客の笑い声が聞こえていた。

 現代では「ユダヤ」という言葉を使用すること自体が半ばタブーのようになってしまっているので、こういったシーンを世界のメディアに報じられてしまうと、ホロコーストとは何の関係もない日本人でも“差別主義者”という烙印を押されることになってしまう。

 小山田圭吾氏がオープンな場でいじめ自慢をしたことも、小林賢太郎氏がお笑いの場でホロコーストをネタにしたことも、人道上、非難されることは致し方がないとは思う。

 しかし、橋本聖子会長の「オリンピック関係者の全てを調べていなかった」という反省の弁は気持ちは解るものの、どこか違和感を覚えた。その場の成り行きで言っていただけかもしれないが、もし本気で言っていたとなると少し行き過ぎではないかと思う。

 オリンピック関係者のこれまでの素行を事前に全て調べ上げるようなことまでする必要があるとは正直思えない。探偵を雇って不倫行為や犯罪歴を調べるというならともかく、その人物の過去の素行を全て調べ上げるとなると、秘密警察のようで流石にやり過ぎだと思える。

 と言うよりも、日本では、そういった素行調査自体が差別に値すると言われてきたのではなかったのだろうか?
 昔から、結婚や就職で相手の素行調査を行うというようなことが行われてきたことは周知の事実であり、日本では、その行為自体を差別だと糾弾してきたのではなかったのだろうか?

 ユダヤ人を揶揄することがいけないという理由で、日本人(自国民)に対して素行調査を行うことが正当化されるのだろうか?

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posted by 自由人 at 22:36 | Comment(0) | 社会問題
2021年07月21日

「ワクチン接種は個人の自由」を反故にするマクロン大統領


■「ワクチン義務化」と「ワクチン禁止令」

 世界中で「ワクチン接種は個人の自由」と謳われている最中、フランスでは、ワクチン接種を義務化するような法案が可決された。この決定を受けて、フランス国民は「国家による著しい自由の侵害だ」として、大きな騒ぎとなり大々的な反対デモ等が行われている。

 一例を挙げると、この法案では、医療関係者がワクチン接種を拒否した場合、病院への出勤を禁じて解雇することが可能になるらしい。

 「ワクチン接種は個人の自由」と言っておきながら、事実上、国家によるワクチンの強制とも受け取れるような状況となっている。おまけに、これまで無料だったPCR検査も有料化されるらしく、まるでどこかの独裁国家のような様相を呈しているが、ある意味、隠れ社会主義国家のフランスらしい法案だとも言える。

 一方で、日本では、大手住宅メーカー タマホームの社長が社内で“ワクチン禁止令”なるものを出していたことを文春が報道し、物議を醸している。

 タマホームの玉木社長は「世の中がなんと言おうとも、ワクチン接種に反対です!」と述べ、「ワクチンを接種した場合は無期限の自宅待機」と述べていたと報道されている。

 文春の記事は読んでみたが、小さな記事だったので具体的な真偽のほどは分からないものの、おそらく、ワクチン接種は危険だという義憤に駆られた行動だったのだろうと思う。危険なワクチンを全社員が接種してしまうと、多くの社員が健康を害して、将来的に会社が潰れかねないという危惧もあったのかもしれない。

 しかし、全社員に強制するようなことをしてしまったので週刊誌の格好のネタになってしまったというところだろうか。

■「ワクチン接種の強制」vs「ワクチン非接種の強制」

 「ワクチン接種の強制」と「ワクチン非接種の強制」、どちらも強制であることに変わりないが、フランスのマクロン大統領と、タマホームの玉木社長は、全く真逆のことを言っていることになる。

 マクロン大統領「ワクチンを接種しなければ自由を与えない

 玉木社長「ワクチンを接種すれば自由を与えない

 一見すると同じように見えるが、「新しい生活様式に変えよ」と言うマクロンは「革新派」であり、「これまでの生活様式を変えるな」と言う玉木社長は「保守派」だと言えるだろうか。

 しかし、なぜか世間から激しくバッシングされているのは、玉木社長のみとなっているようだ。

 政府もマスコミも一般人も「ワクチン接種は個人の自由」と宣うのであれば、マクロン大統領も玉木社長も同じ扱いになって然るべきはずだが、なぜかマクロン大統領に対しては素通り状態。これでは、明らかに言行不一致であり、中立性も公平性も全く無視されていると言える。

 「ワクチン非接種の強制」がおかしいと批判するのであれば、「ワクチン接種の強制」もおかしいと批判しなければ筋が通らない。

 こう言っても「ワクチン接種は絶対的な善」と思い込んでいる人には話が通じないかもしれないが、「ワクチン接種は個人の自由」であるなら、「ワクチン接種は絶対的な善」にはならないのである。

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posted by 自由人 at 23:47 | Comment(4) | コロナ問題
2021年07月16日

「潜在意識」と「バラード」の関係性


■名曲が「潜在意識」に及ぼす屈折した影響力

 よく「潜在意識には嘘が通用しない」と言われる。これがどういう意味かは知る人ぞ知る話であり、万人が理解できる話ではないのかもしれないが、ブログ読者の裾野を広げるという意味では、たまにはこういう風変わりな話も書いた方が良いのかもしれない。

 今回のお題は「潜在意識」と「バラード」の関係について。こんな話を書いている人は誰もいないかもしれないが、ここ何年かで気付いたことを素直に書いてみたいと思う。

 毎年、冬になると山下達郎の代表曲「クリスマス・イブ」が街中で流れる。私も学生時代、山下達郎のファンだったので、この曲の影響力はよく知っている。

 「きっと君は来ない、ひとりきりのクリスマス・イブ、Silent night, Holy night

 まさに芸術的なメロディに乗った曲であり、誰もが口遊みたくなった経験があるのではないかと思う。しかし、ここで問題として取り上げるのは、曲ではなく、そのセンチメンタルな言葉である。上記の言葉を心底良いなあと思い、何度も繰り返し口遊むようになった場合、その人物の潜在意識には、こういう風に伝わることになる。

 「恋人がいないひとりきりのクリスマス・イブは良いものだ

■「表面意識」と「潜在意識」のパラドックス

 表面的には、恋が始まる前段階の心境を切なく綴った歌詞であったとしても、潜在意識的には、その恋が実らないことが切なく素晴らしいことだというニュアンスで伝わることになる。

 解りやすく言うと、あなたの潜在意識下(本心)では、恋人が現れないことを暗に望んでいることになるということ。

 この表面意識と潜在意識のパラドックスを理解できる人が果たしてどれだけいるのか分からないが、誤解を恐れずに書かせていただいた。

 例えば、しみじみとした感傷的なバラード曲で人気を博していた有名な歌手が、そのバラード曲のような哀しい人生を実際に演じてしまったという例もあった。そのニュース報道を観て、バラード曲が潜在意識層にまで強烈に刷り込まれると、本当に現実化するのだな…と少し恐くなったことを覚えている。

 そんな法則性が有ることを露ほども知らずに悲劇の主人公を演じてしまった当の歌手には気の毒で申し訳ないが、こういったニュースも今回の考察を得る1つのヒントになってくれた。

 別にバラード自体を問題視するつもりも、危険だと言うつもりもないのだが、潜在意識に影響を与えるほどセンチメンタルな歌に心酔してしまうと、人生にまで影響を及ぼす可能性が有るということだけは心の片隅に置いておいても損はないと思う。



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posted by 自由人 at 23:07 | Comment(0) | コラム
2021年07月15日

「副作用」と「副反応」を使い分ける理由とは?


■「副反応」と「副作用」の違い

 これまでの医療の常識では、薬の「副作用」という言葉が広く一般的に使用されてきたはずが、なぜかコロナ禍の現在では、薬の「副反応」という言葉が使用されている。

 「副作用」と「副反応」の違いを調べてみると、以下のようになっている。

【副作用】
 その薬の目的とする作用(効果)に伴って起こる別の(有害な)作用。

【副反応】
 ワクチンの接種を受けた後に生じる、接種部位の腫れや発赤・発熱・発疹などの症状。

 この2つを比較すると、「副作用」にはこれといった期限が設けられていないが、「副反応」には期限が設けられていることが窺える。薬は「副作用」、ワクチンは「副反応」と分けていると考えられなくもないが、この説明文を素直に受け入れるなら、「副反応」とは、注射後、ごく短期間において現れる症状のことを意味していることが分かる。

 コロナワクチン接種において、「副作用」という言葉が禁句のような扱いになり、代わりに「副反応」という言葉が使用されるようになった理由とは何なのだろうか?

 穿った見方をすれば、長期間における「副作用」は考慮していませんということなのかもしれない。
 もし、ある人が、ワクチン接種の数ヶ月後に「副作用」が生じたとしても、「副反応」にしか言及していませんよということになるのかもしれない。

■ある病院の診察室での1シーン(フィクション)

 患者「ワクチン接種後には副反応は無かったんですが、半年してから副反応らしき症状が現れてきたのですが…」

 医者「我々は副反応について述べていただけで、副作用のことは述べていませんが」

 患者「えっ!? だってこれ、どう見てもワクチンの副反応だと思うんですが…」

 医者「いや、副反応というのは、お注射した直後の症状のことです。あなたのように半年も経過した後だと、ワクチンとの因果関係は証明の仕様がありませんから」

 患者「そんな無責任な…、私は至って普通の健康体ですよ、これってどう考えてもワクチンの副反応じゃないですか!」

 医者「先程も言いましたが、それは副反応ではなくて副作用です」

 患者「えっ!? 副反応も副作用も同じことでしょう?」

 医者「違います、それはあなたの誤解です。我々は副反応のことを説明していただけで、副作用という言葉は1度も使用していませんよ」

 患者「・・・・・」



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posted by 自由人 at 19:53 | Comment(0) | コロナ問題
2021年07月11日

マスメディアの存在価値とは?


■「真水」と「泥水」を分けるのは誰か?

 世の中に出回る「情報」というものをグラスの中に注ぎ込んだとすると、その情報は恰も「水」と「油」のように2つの層に分離されていくことになる。「水」と「油」では例えがややこしくなるので、「真水」と「泥水」に置き換えてみよう。

 グラスに注ぎ込んだ水は、徐々に「真水」と「泥水」の層に分かれていく。人間が飲めるのは「真水」の部分であり、「泥水」は捨て去る、それが一般的な人間が行う正しい選択というものだ。

 この「真水」と「泥水」を分けるのは、あくまでも個々人であって、マスメディアではない。神仏でも聖人でもないマスメディアがお節介にも「真水」と「泥水」を仕分けるようになると、人々には正しい情報が伝わらなくなる危険性がある。

 マスメディアが間違った判断をし、グラスの中に注ぎ込まれる水が「真水」ではなく「泥水」ばかりになった場合、人々は「真水」と「泥水」の区別が付かず、少し綺麗な「泥水」を「真水」と思って飲んでしまい健康を害することになるかもしれない。

 そういった悲劇を避けるためには、何が「真水」で何が「泥水」なのかを知ることが何よりも重要になってくる。しかし、「真水」と「泥水」の違いを教えることは難しい。未来が分からない無知な人間には「真水」と「泥水」の違いを前もって明確に区別することは至難の業であり、もし間違った判断をしてしまった場合、その行為自体が悪になってしまう。

■マスメディアの役割は全ての情報を加工することなく開示すること

 ゆえに、そういった間違いを避けるために本当に重要なことは、人間知で「真水」と「泥水」の違いを分けて教えることではなく、「真水」と「泥水」の両方を、隠すことなく見せることにある。
 正しいか間違っているか分からない様々な情報を余すことなく全て開示し、その膨大な情報の中から何が正しくて何が間違っているのかを各個人が考えて判断する。そうすることで、社会全体として、より良い集合知が形成されていく。それが情報化社会の唯一の利点だとも言える。

 しかし、マスメディアが、事前に「真水」と「泥水」を分けて、彼らが「真水」と思える情報のみを人々に伝えるようになると、人々は「真水」と「泥水」の違いを知らずに、考えることもなく、これは「真水」だと思って、どんな水でも飲み干すようになっていく。

 ここで起こる問題は、「泥水」を見たことがない人々は、「泥水」を「真水」と思って飲み干している可能性が出てくるということである。
 古今東西、独裁国家で起こった問題は、まさにこれであり、限られた情報しか与えられない人間は、何が正しくて何が間違っているのかが分からなくなっていく。

 世の中には「真水」しかないと思い込むようになると、「泥水」を「真水」と思って飲み込み、「真水」を知らないまま人生を終えることもある。まさに知らぬが仏。「真水」だと思って飲んでいた水は実は「泥水」だったという悲劇を終生演じることになってしまう。

 マスメディアの役割は、情報を精査することではなく、全ての情報を加工することなく開示することであり、それを放棄した場合、マスメディアの存在価値は失われる。

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posted by 自由人 at 18:47 | Comment(0) | コラム
2021年07月07日

コロナワクチン「有効率95%」の嘘


■「盲が盲の手を引く」コロナワクチン布教活動

 マスコミではコロナワクチンの効き目(有効率)は95%と謳っており、まるでワクチンを接種すれば100人中95人はコロナに罹らないというような印象を受ける。実際、そう思っている人も多いようで、私の周りでもそういう誤った情報を鵜呑みにしている人が多いことに気付かされる。

 そのせいか、コロナワクチンさえ接種すれば、もう安心だと本気で信じ込んでおり、他人にもワクチン接種を勧めている人がいる。誤解を恐れずに言えば、その光景はまるで、カルト教の信者が「この壷を購入すれば救われますよ」と言って勧誘しているかのようですらある。

 本当の救いを求めている無知な人間に対して、同じく無知な人間が誤った情報を広めてしまうことを「盲が盲の手を引く」と言う。当人はまさか自分が間違ったことを教えているとは夢にも思っておらず、ご満悦顔で布教活動を行っている。

 ワクチンの有効率というのは、本物のワクチンと偽物(プラセボ)のワクチンを何人かに接種し、両者の比較をすることで有効率を計算する。
 今回のファイザー社の試験の場合、接種した人数はそれぞれ以下のようになっている。

 ○本物のワクチン接種者 18,198人

 ●偽物のワクチン接種者 18,325人

 このうち、コロナ発症者は次のようになっている。

 ○本物のワクチン接種者 8人

 ●偽物のワクチン接種者 162人

■本当のコロナワクチン有効率は「1%以下」

 この結果だけを見ると、162人と8人では大きな違いがあるように見える。単純に162:8で比較すると、(162÷8=20.25)となるので、20倍以上の開きがあることになる。100÷20.25=4.9という数字が導き出されるため、確率的に(100ー4.9=)95.1%という数字が出てくることになる。

 しかし、これは発症者という「分子」を比較した確率であって、本当の有効率を示したものではない。
 本当の有効率を求めるためには、以下のように「分母」を計算に入れなければいけない。

 ○8人÷18,198人=0.0004→(0.04%

 ●162人÷18,325人=0.0088→(0.88%

 となるので、以下の計算で本当の有効率が求められる。

 0.88%ー0.04%=0.84%

 ワクチンを接種した場合の本当の有効率は0.84%、つまり、1%にも満たない。残念ながら、これが真実である。

 ワクチンを接種して他人に勧めている人は、実はこう言っていることになる。

 「ワクチンを接種すれば発症率が1%程度下がりますから安心ですよ。

 これでは、果汁1%のジュースを果汁100%と偽っているようなものである。

(注意)本稿はワクチン接種における有効率を述べたものであり、ワクチンの副作用等は考慮していません。

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posted by 自由人 at 19:56 | Comment(1) | コロナ問題