2021年07月30日

今年(2021年)一杯で「PCR検査」は中止になる


■米国CDCが「PCR検査を中止する」と発表

 米国CDC(米疾病対策センター)は、昨年(2020年)2月にコロナウイルスを検出するために導入したPCR検査を今年(2021年)一杯で中止すると発表した。

 その理由は、「インフルエンザウイルスの検出と鑑別を容易にするため」と発表されている。つまり、現状のPCR検査では、新型コロナウイルスとインフルエンザウイルスを明確に区別できないということを正式に認めたということになる。

 日本では今もPCR検査数をどんどん増やしており、それに比例して陽性者数もどんどん増えているが、それが変異株の影響だということで、緊急事態宣言を乱発する状況が続いている。

 昨年の夏は感染者数(陽性者数)が激減し、ほぼ収束したかのような状態だったにも拘らず、なぜ、今年はこれほどまでに増加しているのだろうか?
 緊急事態宣言を行って感染者数(陽性者数)が少しでも減少したというならともかく、真夏であるにも拘らず全く減少せず、逆に増えているという状態。

■感染者数(陽性者数)が減少しない単純な理由

 この単純な事実を普通に検証すれば、緊急事態宣言にはほとんど効果が無かったということは誰が見ても一目瞭然だろうと思う。全く効果が無かったとは言えないまでも、実施することに意味が有るという科学的なエビデンスが出なかったことだけはハッキリしている。これ以上、緊急事態宣言を延長しても効果が出るという保証は全く無いと言っても過言ではない。

 ハッキリと言ってしまえば、効果が無いのはむしろ当たり前だと言える。PCR検査の増加がそもそもの原因であるのだから、何をやったところで効果など出るわけがない。

 喩えて言うなら、水道の蛇口が2つ有るようなものであり、1つの蛇口を閉めることに躍起になるだけで、もう1つの蛇口は放ったらかしで、どんどん水量を増加させているわけだから、水が止まるわけがない。そんな状態で「風呂の水が溢れるかもしれない…」と心配しているような状態。

■もし「コロナ禍」という情報が入ってこなければ…

 もし日本のマスメディアが世界のグローバルニュースを伝えず、PCR検査というものが行われていなかった場合をシミュレーションしてみると、その場合、日本ではコロナ禍は起こらず、これまで通り普通の生活を送れていたのではないかと思われる。

 昨年は、総死亡者数も肺炎死亡者数も大きく減少したので、日本人がコロナ禍もPCR検査も知らなければ、所謂「コロナ脳」も生まれず、知らぬが仏顔で普通に生活していたことだろう。

 仮にコロナで死亡した人がいたとしても、トータルでの肺炎死亡者が減少しているわけだから、普通の肺炎死亡者として扱われていただけで、誰も別の病気(コロナ)には目が向かず、気付くことも無かっただろう。

 コロナが流行しているという情報が入ってこなければ、わざわざ無症状者がPCR検査を受けるようなことも有り得ないので、無闇に感染者数をカウントすることもなく、誰も気にも止めなかっただろう。

 こう言うと、「そんなことが言えるのは、コロナ対策を行ったからだ」と言う人がいるかもしれないが、今のところ、そのコロナ対策としての緊急事態宣言に大きな効果が有ったことは証明されていない。
 少なくとも、緊急事態宣言には、PCR検査の増加による感染者数(陽性者数)の増加を抑え込めるほどの効果が無いことは間違いない。



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posted by 自由人 at 22:24 | Comment(0) | コロナ問題
2021年07月28日

「民主の女神」 vs 「社会主義の守護神」


■オリンピックの裏で起こっていた大事件

 東京オリンピックが行われている最中、ITビジネスアナリストの深田萌絵氏が東京地検に呼び出され身柄を拘束されるという事件が起こった。当日、東京地検前には事情を知る多くの人々が詰めかけたが、大手マスコミはこの事件を一切報道しておらず、まるで何事も無かったかのようにコロナとオリンピックの報道に精を出している。これもまさに典型的な「報道しない自由」の行使だとも言える。

 中国人の背乗り問題や中国・台湾の半導体問題というタブーがバックグラウンドにあるため、マスコミはダンマリ状態。保守派と言われる人々の多くも沈黙を貫いている。普段は東京地検を批判している論客達も今回は政治的な大人の事情で黙らざるを得ないということなのだろうか。

 動画で深田萌絵氏の姿を観ていると、香港民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)氏を彷彿とさせるものがあった。今回の東京地検前での鬼気迫る演説は「怒髪天を衝く」かのような印象であり、一種の神懸かり的なものを感じた。演説中、雨が降らず、彼女が東京地検に入るや否や、突然雨が降ってきたというところも、どこか天の采配を感じさせるものがある。

■「泣く子も黙る」東京地検を批判する深田萌絵氏

 「泣く子も黙る」と言われる東京地検は昔から「社会主義の守護神」とも呼ばれてきた組織であり、多くの著名人が東京地検に冤罪としか思えないような罪で無理筋な逮捕をされてきたことは知る人ぞ知るところ。
 今回は日本の社会主義を護るというだけでなく、中国の社会主義を護るかのような様相を呈しており、これまで以上にスケールの大きな事件となっている。

 多くの識者が保身のために黙りを決め込む中、堂々と東京地検を批判する深田萌絵氏はご立派であり、周庭氏と同様、「民主の女神」という言葉がピッタリする。

 当日中に、一応無事に釈放されたものの、今後は、深田氏自身も述べている通り、どういう展開を迎えるか予断を許さない状況となっている。

 陰ながら、深田萌絵氏の活動と無事を祈りたいと思う。天の加護があらんことを。

【深田萌絵TV】東京地検前!深田萌絵は帰ってくるのか!?


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posted by 自由人 at 20:12 | Comment(0) | 社会問題
2021年07月25日

今、そこにある「マンデラエフェクト」(vol.2)


20210725.png

■この世界が仮想現実ではない確率は…

 テスラモーターズCEOのイーロン・マスク氏は以下のように述べている。

 「この世界が仮想現実ではない確率は数十億分の一

 要するに、この世界が仮想現実である可能性は限りなく100%に近いと言っていることになるわけだが、こんな話を聞くと、「そんな馬鹿なことがあるものか!」と言う人が大半だろうと思う。

 しかし、私のようにマンデラエフェクトを実体験した人間(「マンデラー」と言う)からすると、イーロン・マスク氏の言っていることは正しいと言うよりも、この世界は100%仮想現実世界であると言い切ることができてしまう。なぜなら、マンデラエフェクト体験とは、この世界が仮想現実であることを知る体験に他ならないから。

 「マンデラー」と呼ばれる人は、ここ数年でどんどん増えているようなので、いずれこの現象は明らかにされていくのだろうと思われるが、今のところ、そのメカニズムを100%正しく説明できる人がいないようなので、その正しい解明が何年先、何十年先、あるいは何百年先になるかは分からない。

 イーロン・マスク氏の言うところの「仮想現実」が、「マンデラー」の言う「仮想現実」と同じものであるかは分からないが、マンデラエフェクトを体験した多くの人が口を揃えて言うのが、「パラレルワールド」との関係性だ。

 海外のテレビドラマなどを観ていると、「パラレルワールド」を描いた作品を多く見かける。例えば、DCコミックの『フラッシュ』では、「アース1」「アース2」「アース3」…という具合にマルチバース(多次元宇宙)のパラレルワールドが描かれており、時空間を異にする少しだけ違った現実のパラレルワールドを行き来するというストーリーが展開する。

 多分、こういったストーリーも先のイーロン・マスク氏の意見と同様、最先端の物理学を下敷きにして製作されているのだろうけれど、この場合は、容姿の同じキャラクター(自分自身)が別のパラレルワールドにも存在するという設定になっており、性格や職業は変わっている場合が多い。

 現実にマンデラエフェクトを体験すると、こういったSFドラマはある程度の真実をベースに描かれているのだな…と解る。しかし、理論だけで実体験を伴っていないため、少し違っている部分もある。

■「世界線」 とは「パラレルワールド」のこと

 人気バンドグループ「official髭男dism」の一昨年の大ヒット曲『pretender』の歌詞に「世界線」という言葉が出てくる。当時、この言葉の意味を知らなかった私は、何のことを意味しているのだろうか?と思っていたが、今では、その意味がよく解るようになった。「世界線」とは「パラレルワールド」の別名だったわけだ。

 「パラレルワールド」というのは、これまでの常識では、少し違った世界が無数にあるというものだった。個々人の人生における選択の数だけ、分岐した世界が存在する可能性が有るというのが「パラレルワールド」の共通認識だった。

 しかし、実際に「パラレルワールド」体験をしてしまうと、そういった個々人の小さな選択だけに収まらず、歴史や地理や環境まで少し変わっていることに気付かされた。

 例えば、以前の記事でも述べた通り、地球の地形が少し変わっている。オーストラリアの位置だけでなく、その他、多くの地形が変化している。雲の高さも少し違っており、極めつけは、人間の肉体構造までが少し変化している。

■マンガのような本当の話

 少し調べて判ったことだが、この「マンデラー」というのは、複数のパラレルワールドから来た人(と言うよりも精神だけが移行した感じ)が混在しているらしく、先に述べた歴史や地理や肉体にも、それぞれ少しの違いが有るようだ。

 心臓の位置などは、この世界では真ん中(胸骨の裏側)に位置しているが、元の世界では、左胸に有ったと言う人もいれば、胸骨というものが無かったと言う人もいるらしい。

 ちなみに私の場合は、胸骨は存在したが、心臓は左寄りにあったと記憶している。左胸に手を当てると心臓の鼓動が感じ取れたが、今では感じ取れない。
 漫画の『北斗の拳』でも、サウザーの心臓が左右逆だったというストーリーをハッキリ覚えており、某お笑い芸人が心臓が右にあるということで学生時代のあだ名が「サウザー」だったという笑い話も聞いた記憶がある。
 しかし、この世界での『北斗の拳』のコミックを確認してみると「左右逆」ではなく「表裏逆」という設定になっていた。

 まるでマンガのような話だが、これはジョークではなく、本当の話である。

 と言っても、これは同じ体験をしない限り、絶対に認められない話だと思う。それほどまでに常軌を逸した体験なので、説明するのが非常に難しい。ただ、創り話ではなく、実際に体験したことなので、論理的には齟齬のない筋の通った話はできると思う。
 多くの人(多分、万単位で存在する)が同じ体験をしているようなので、単なる記憶違いや思い込みでないことは間違いない。

 マンデラ体験者は、実はもっと多く存在するのかもしれないが、単なる記憶違いで済ませる人が多いようなので(私の周りの人間もそうだった)、体験していても気付かない人が多いのではないかと思う。実際に私も何度か気付く機会が有ったにも拘らず、すぐには気付くことができなかった。

 そういう意味で「マンデラー」とは、「マンデラエフェクト体験者」と言うよりも「マンデラエフェクト認識者」と言った方が正しいのかもしれない。それこそ体験は多くの人がしているのだが、認識できる人は少ないのかもしれない。

 この件は書き出すとキリがなく、そのうち、1冊の本でも書けるかもしれないが、それは多くの先輩マンデラー達に譲るとして、今後、少しずつブログで紹介していきたいと思う。

 ただ、現状では、こういった話は物理学と言うよりも、スピリチュアルやオカルトのカテゴリーに入ってしまうかもしれないので、当ブログで書いていくのは少し無理が生じると思う。そのため、「マンデラエフェクト」関連の記事については、別のブログを立ち上げて書いていくことになるかもしれない。

 最後にマンデラエフェクトの参考サイトを以下に紹介しておきたいと思う。

マンデラエフェクト情報局

カワウソマン

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posted by 自由人 at 22:14 | Comment(0) | マンデラエフェクト
2021年07月24日

現代陰謀論考(「陰謀論」のこれから)


■誤解されている「陰謀論者」の特徴

 少し前に「陰謀論を信じている人は低学歴」という話が話題となったことは記憶に新しいが、昨年にもアメリカの心理学研究チームが、陰謀論を信じやすい人には、次のような共通する特徴があると発表して話題になったことがある。

 ○衝動的で自信過剰な人
 ○孤独を好み不機嫌で短気な人

 随分と単純で都合の良い解釈であり、当たっている可能性があるのは「孤独を好む」ぐらいかな…というのが正直な感想だった。少数派は必然的に孤独にならざるを得ないという意味で。

 私自身、一般的に言うところの「陰謀論者」ではないが、最近は「陰謀論」に対して少し見方が変わってきた。
 これまで世の中に出回っている陰謀論は3割位が真実で7割位が嘘だと思っていたが、その割合が逆転し、今では6割位が真実で4割位が嘘程度に変わっており、少し立ち位置を修正しなければいけないかなと思っている。

 今の世の中では、「陰謀論」という言葉を使用した人物が見事に「陰謀」に嵌っているというパターンが多く見られ、誰かが「陰謀論」という言葉を発すると、突如として思考停止に陥り全てを「陰謀論」だと信じてしまう人が多いように思う。

 そう考えると、先の「衝動的で自信過剰な人」「不機嫌で短気な人」というのは、「陰謀論者」の特徴ではなく、「陰謀論者」を否定している人の特徴ではないかと思える。

■「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」

 現代では、陰謀が有ることを疑う論者のことを「陰謀論者」と呼んでいるが、より正確に言うなら「陰謀肯定論者」ということになるのだろうか。

 では逆に、陰謀が無いと頭から信じている人のことを何と言うのだろうか?

 先の言葉の反意語として言うなら、「陰謀否定論者」となるのだろうか。

 では、「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」の違いとは何だろうか?

 よく「性悪説」と「性善説」の違いだと言う人がいるが、実際の世の中を見回してみると、必ずしもそうはなっていないので、これは違うと思う。実際に「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」を観察していると、そこには共通する、ある1つのキーワードが垣間見える。それは「疑う」という行為である。

 まず、世の中にある常識そのものを疑う姿勢が有るか無いか、またはそういった姿勢を持てるかどうか、そして、もし自らが常識だと信じてきたものが間違いだと気付いた時に、これまでの常識を捨て去る勇気と素直さが有るか無いか、それが「陰謀肯定論者」と「陰謀否定論者」を分ける大きな違いだと思う。

■時代は「陰謀論」の正しさの証明に移行している

 「陰謀肯定論者」といっても、生まれた時から「陰謀肯定論者」であるわけではない。人間誰しも生まれた頃は天使のように無邪気で「陰謀」なんて意識していないので、人生のある時点で「陰謀」に気付いたのか、「陰謀論」に興味を持ったかのいずれかだと思う。

 では、「陰謀否定論者」というのはどうかというと、これまで「陰謀」というものに然程興味を持つ機会がなかったということが言えると思う。あるいは「陰謀論」に触れる機会が有ったとしても「こんなのは嘘だ」と十把一絡げで否定した人なのかもしれない。

 しかし、世界の歴史をつぶさに観察すると、この世界は嘘に塗れており、実は大小様々な陰謀が渦巻いている社会であることを発見するに至る。少しでもそういったことを知り得た人であれば、この世の中に陰謀が無いというのは嘘であり、現実を知らないお花畑論者にしか見えないと思う。

 では、「陰謀肯定論者」が全て正しいのかというと、そういうわけでもない。

 重要なことは、本物の「陰謀論」と偽物の「陰謀論」を見分けることであり、その正確さがこれからの社会における1つの学問的な評価基準になるのではないかと思う。

 時代は既に「陰謀」の有る・無いではなく、「陰謀」は有るという前提での、各「陰謀論」の正しさの証明に移行している。

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posted by 自由人 at 18:19 | Comment(0) | コラム
2021年07月22日

遅れてきた『東京オリンピック2020』のドタバタ劇


■悲観的なムードが漂う東京オリンピック

 政府が4度目の緊急事態宣言を発表した時、オリンピックの日程と被ってしまうため、もしかするとオリンピックは開催中止になるのではないか?と思った人も多かったと思うが、結局は、緊急事態宣言真っ只中にあるにも拘らず、オリンピックは開催される運びとなった。

 オリンピックを開催することは国際オリンピック委員会で既に決められていたことだと思われる。実際のところ、日本政府だけでオリンピックの開催や中止を決定する権限は無いと思われるので、緊急事態宣言の有無に拘らず「中止」という選択肢は初めから無かったのだろうと思う。

 それは扨措き、今回のオリンピックは、どこか精彩を欠いており、これまでにない陰鬱さが感じられる。かつての東京オリンピックなどは(実際に観たわけではないが)もっと前向きな溌剌としたイメージが有ったと思われるのだが、今回のオリンピックはどこか悲観的なムードが漂っている。

 演出統括者の佐々木 宏氏の辞意に始まり、大会組織委員会の森 喜朗氏の辞任、ミュージシャンの小山田圭吾氏の辞任、絵本作家のぶみ氏の辞退、元お笑い芸人の小林賢太郎氏の解任など、オリンピック開催前から呪われてでもいるかのような辞任劇のオンパレード。これが全て偶然の出来事であるなら、オリンピックなど開催しない方が良かったのではないか?とさえ思えてしまう。

■橋本聖子会長の謝罪発言に違和感

 現在騒がれている小林賢太郎氏のユダヤ人差別発言がどんなものだったのか実際に動画を観て確認してみたが、ユダヤ人を差別する演出をしたというわけではなく、ネタとして「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という言葉を使用していたというものだった。多くのマスコミが「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」と発表しているが、本当のところは「虐殺ごっこ」ではなく「惨殺ごっこ」だった。もしかして多くのマスコミは元ネタを観ずに記事を書いているのだろうか?

 動画は特にコントと呼べるような面白い内容ではなかったが、観客の笑い声が聞こえていた。

 現代では「ユダヤ」という言葉を使用すること自体が半ばタブーのようになってしまっているので、こういったシーンを世界のメディアに報じられてしまうと、ホロコーストとは何の関係もない日本人でも“差別主義者”という烙印を押されることになってしまう。

 小山田圭吾氏がオープンな場でいじめ自慢をしたことも、小林賢太郎氏がお笑いの場でホロコーストをネタにしたことも、人道上、非難されることは致し方がないとは思う。

 しかし、橋本聖子会長の「オリンピック関係者の全てを調べていなかった」という反省の弁は気持ちは解るものの、どこか違和感を覚えた。その場の成り行きで言っていただけかもしれないが、もし本気で言っていたとなると少し行き過ぎではないかと思う。

 オリンピック関係者のこれまでの素行を事前に全て調べ上げるようなことまでする必要があるとは正直思えない。探偵を雇って不倫行為や犯罪歴を調べるというならともかく、その人物の過去の素行を全て調べ上げるとなると、秘密警察のようで流石にやり過ぎだと思える。

 と言うよりも、日本では、そういった素行調査自体が差別に値すると言われてきたのではなかったのだろうか?
 昔から、結婚や就職で相手の素行調査を行うというようなことが行われてきたことは周知の事実であり、日本では、その行為自体を差別だと糾弾してきたのではなかったのだろうか?

 ユダヤ人を揶揄することがいけないという理由で、日本人(自国民)に対して素行調査を行うことが正当化されるのだろうか?

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posted by 自由人 at 22:36 | Comment(0) | 社会問題