2021年05月15日

現代版スローガン「欲しがりません(コロナに)勝つまでは」


■新旧の「欲しがりません勝つまでは」

 緊急事態宣言が延長されることになり、映画館の休業要請まで延長されることになったことから、大阪府庁前で抗議を示す「サイレントスタンディング」が行われた。

 私も以前の記事で、観客の立場から映画館の休業要請は全くと言っていいほど意味がないと書かせてもらったが、実際に映画製作に携わる人々から見ても同じ感覚であるらしく、参加者からは「根拠を示してほしい」という意見も出ている。

 実際に、これまで三密を避け、距離を取り、消毒を行い、換気をして感染防止に努めてきた映画館では誰1人としてコロナ感染者(クラスター)は発生していない。

 そんな映画館に対して休業要請を強いるのは、明らかに度を越しており、「科学的根拠を示せ」という憤りの声が出るのも至極当然の結果だとも言える。

 現在の政府の「休業要請」は、戦時中のスローガン「欲しがりません勝つまでは」とダブって見える。

 戦時中の「欲しがりません(戦争に)勝つまでは」が、コロナ禍では「欲しがりません(コロナに)勝つまでは」になっている。碌な補償もせずに、我慢を強いるところなどはソックリそのままだとも言える。

■「欲しがりません半永久的に」になる危険性

 戦時中の「欲しがりません勝つまでは」は、国民全てが対象となったのでまだ理解できるとしても、現在のコロナ禍における「欲しがりません勝つまでは」は、一般人だけが対象となっており、為政者は高見の見物になっている。その証拠に、民間企業に上から目線で休業要請を強いておきながら、一部の政治家と医者は堂々と政治資金パーティーに参加しているという有り様。

 こんなデタラメな「欲しがりません勝つまでは」が万人に受け入れられるはずもなく、それほど長続きするとは思えない。大体、「コロナに勝つまでは」というのは、具体的にどういう状態を指すのだろうか? コロナ感染者が0になった場合だろうか? それともコロナ感染者が大幅に減少した場合だろうか?

 しかし、これから毎年、冬場になると感染者が増えていくウイルスに勝つことなどできるのだろうか?

 戦争なら勝敗が決した時点で終了となるが、ウイルス戦争の場合は、毎年起こるわけだから、半永久的に勝てないかもしれない。風邪やインフルエンザにも勝利したことのない人類が、都合良くコロナにだけは勝てると思える根拠はどこにあるのだろうか?

 もし勝てるとすれば、それは個々人の問題であって、国民全員が勝てるまでとなると不可能だろう。個々の人間がウイルスと戦って勝つことはできるが、老若男女全てが勝つことはできない。それは、インフルエンザとの戦いを見れば明らかだろう。

 「ワクチンさえ打てばコロナに勝てる」「ワクチンさえ打てば欲しがれる」と思っている人も多そうだが、そんな簡単なものなら、既に人類は、風邪にもインフルエンザにも勝利しているはずだ。

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posted by 自由人 at 17:35 | Comment(0) | コロナ問題
2021年05月13日

コロナ禍で「肺炎死亡者が減少」の謎


■肺炎死亡者はなぜ減少したのか?

 以前、日本における昨年の年間死亡者数は9373人減少したという発表があった。あれだけ「コロナ」「コロナ」と騒がれていたのに、いざ、フタを開けてみればトータルの死亡者数が1万人近くも減少していたことを知って「えっ?」と思った人も多かったのではないかと思う。

 その主な理由は「(コロナ以外の)肺炎による死者数が減ったことが影響した」と言われている。しかし、肺炎を発症して重症化すると言われる新型コロナウイルスが猛威を振るったにも拘らず、肺炎死亡者が大きく減少したというのは、どこか不自然ではないだろうか? 本来であれば、コロナによる肺炎死亡者を足せば増えて然るべきではないのだろうか?
 インフルエンザによる肺炎が減少したことも1つの理由だと思われるが、どうもそれだけではないような気がする。

 具体的な数字でみると、肺炎で死亡する人は全国で毎日300人いると言われている。ということは1年間で10万人が肺炎で死亡する計算になる。

 昨年、肺炎で亡くなった人は一昨年に比べると1万2000人減少したということになっている。そして、コロナで死亡した人は現在(2021.5)のところ1万1000人程度。そう考えると、本来、肺炎で亡くなるはずだった人の一部がコロナで死亡したということになっているのではないのだろうか?

 実際、PCR検査で陽性になった人は、交通事故で死亡しても、お風呂で溺死しても、「すべてコロナ死にカウントするように」というお達しが出ていることはよく知られた話なので、直接的な死因が一般的な肺炎であってもコロナで死亡したということになっている人は一定の割合でいるものと思われる。

■中国とは逆ベクトルの日本のコロナ報道

 肺炎以外にも、インフルエンザの感染者が激減したということも周知の事実だが、脳血管疾患の死亡者も大きく減少している。そして、不思議なことに老衰で死亡した人は逆に大きく増えている。これは、老人が家に閉じ篭って病院に行かない人が増えたことが原因なのだろうか?

 そもそもの話、インフルエンザについては検査自体がほとんど行われていなかったわけだから、インフルエンザの感染者が減るのは当たり前であり、コロナによるウイルス干渉で減少したというのも本当かどうか証明のしようがない。

 昨年から、「インフルエンザの検査は行わないように」というお達しも出ていたので、もしインフルエンザに感染して死亡に至った人がいたとしても、PCR検査で陽性になった場合はコロナで死亡したということになっている可能性は否定できない。

 そういったことを考え合わせると、本当の新型コロナウイルスが直接の原因となるコロナ死亡者は水増しされている可能性は否定できない。

 この辺は、中国とは対照的だとも言える。中国では、国家(と言うよりも中国共産党)の威信のためにコロナ感染者数や死亡者数を実体よりも大幅に少なく伝えていた疑いが濃厚だが、日本の場合は、逆に実体よりも多く伝えている疑いがある。

 現在、「重傷患者が増加している」と報道されてもいるが、PCR検査で陽性になった人が、別の病気で重症化しているというケースは含まれていないのだろうか?

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posted by 自由人 at 22:39 | Comment(0) | コロナ問題
2021年05月09日

コロナ感染者増加の主因は街の「人流」ではなく、PCR検査への「人流」


■「新型コロナウイルス」問題はまだまだ続いていく可能性大

 昨年から「新型コロナウイルス」関連の記事が増えてきたので、ブログのカテゴリーに「コロナ問題」というカテゴリーを新しく追加し、これまで「社会問題」として大括りしていた記事の大半を「コロナ問題」に細分化した。

 当初は長くても3年程度で収束するだろうと予想していたが、どうやら、世界の為政者達はコロナ問題を収束させるつもりが無いようなので、ヘタをすると5年、10年と続くのかもしれない。

 その証拠にマスコミは相も変わらず、PCR検査の陽性者を「感染者」と伝えている。厚労省は「陽性者」と発表しているので、マスコミが意図的に情報を歪曲して伝えているだろうことは疑いようがない。マスコミの影響もあるのか、大部分の政治家も専門家も同じスタンスを取っている。

 大阪府の吉村知事も以前は「PCR検査の陽性者は感染者ではない」と言っていたが、現在ではそのことに触れなくなってしまった。

■緊急事態宣言を延長し「人流」を抑制しても無意味

 昨年の春頃までPCR検査を行っていたのは国立感染症研究所や保健所などの公的機関が主だったが、それから1年経った現在では、民間の検査会社が大幅に増加(下記グラフ参照)しており、その増加率に比例する形でPCR検査の陽性者数も増加している。

 ●PCR検査の実施件数

 20210509.png
【引用サイト】厚生労働省/国内の発生状況など

 現在、政府は「緊急事態宣言を延長し人流を抑制することで感染を抑える」と宣っているが、残念ながらそれは不可能だと思われる。全く効果が無いとまでは言わないが、明後日の方向を向いた無意味な対策としか思えない。
 感染者が増加しているのは「人流」ではなく、「PCR検査の増加」が主因であるので、緊急事態宣言を延長した甲斐なく逆に感染者数は増加する可能性が高い。

 本当に感染者数を減少させてオリンピックを開催したいのであれば、健常者のPCR検査への「人流」を止めなければいけないのだが、そういった当たり前の対策は、なぜか行われない。

■常識自体を疑わなければ真実は見えない

 こんなことは、既に多くの人が薄々感付いているのではないかと思うが、テレビや新聞しか見ない人には正しい情報が伝わらないので気付かないままの人も大勢いる。ネットから情報を得ている人であっても、普段から世間の常識自体を疑う柔軟性を持っている素直な人でないと、なかなか異論を受け入れることが難しいのかもしれない。

 ちなみに「素直」というのは、なんでも鵜呑みにするという意味ではなくて、先入観に囚われずに物事をゼロ(真っ白)から考えられるという意味。

 よく「一次資料に目を向けろ」と言う人がいるが、そういうタイプの人は、その一次資料がデタラメである可能性には目を向けようとしない。あるいは、専門家の言うことを絶対視する人もいるが、専門家の言っていることが正しいとは限らないということにも目を向けようとしない。

 とことん頭が固い人には、こんなことを書いても、単なる文字の羅列としか伝わらず何を言っても無駄なのかもしれないが、この件については、ユーチューバーの坂上仁志氏がシンプルに鋭い見解を述べられているので、以下のチャンネルを参考にしていただきたいと思う。

陽性者は感染者ではない〜」(社長のメンター・さかうえひとし・坂上仁志チャンネル)
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posted by 自由人 at 22:57 | Comment(0) | コロナ問題
2021年05月07日

「ワクチンさえ打てば大丈夫」という幻想


■欧州委員会の発言に違和感

 世間では、コロナ変異株の脅威が囁かれる中、「変異株にワクチンは有効なのか?」という声も聞こえてくる。

 そんな状況の中、欧州委員会は「EUが承認した新型コロナウイルスワクチンを接種している人なら、EU域外からの観光目的での渡航を認める」と発表した。

 まるでワクチンを打った人は絶対に安全で何をしても構わないと言わんばかりだが、さすがにこの安易な姿勢には違和感を通り越して、狂気すら感じてしまう。

 これは欧州委員会に限った話ではないが、世界中が「ワクチンさえ打てば大丈夫」というメッセージを暗に発しており、明らかに異常性が垣間見える。

■独裁国家のメディアを観ているような錯覚

 変異株であろうとなかろうとワクチンがコロナにどれだけ有効かは未だ正確なデータは出揃っておらず、実質的には臨床試験も兼ねて行われているようなものだとも言える。公式文書として「新型コロナウイルス感染症の発症を防げるかどうかは分かっていない。」とも発表されている。

 もし仮に、そんな状況で、「ワクチンを打てばマスクも不要で普通に生活してもOKです。」と言うような人が現れれば、通常なら「あなたは何を言っているのですか?」と疑問を呈したり、「馬鹿なことを言うな!」と叱責する人がいてもよさそうなものだが、既存のニュースメディア等に登場する専門家も評論家もこぞって何の反応も示さない。
 明らかに筋が通らないことを述べているのに、なんのチェックも入らないのはなぜなのか?

 この状況には疑問を感じざるを得ない。まるで、何も言いたいことが言えずに黙って頷くだけという独裁国家のメディアを観ているかのような錯覚を覚える。

■99%以上の人が陥っている「ワクチン幻想」

 もし、欧州委員会の発言があっさりと罷り通るのであれば、その意味するところは、「新型コロナウイルスは風邪やインフルエンザと同じでそれほど気にするウイルスではない」と言っていることになってしまう。そうでも考えなければ説明が付かない。一方で、コロナは危険な感染症だと騒いでいる中で、一方では、ワクチンさえ打っていれば、なんでもフリーパスなどというのは、どう考えても不自然であり道理が通らない。

 なぜ、こんな子供でも疑問に思うようなことに誰も疑問を感じないのだろうか?
 「誰も」というのは言い過ぎかもしれないが、おそらく、99%以上の人々は本当に疑問を感じていないのではないかと思われる。

 しかし、ワクチンの有無だけで、なぜこうも悲観的にも楽観的にもなれるのだろうか?
 「ワクチン」の効能や安全性ではなく、「ワクチン」という言葉だけで条件反射的にあっちにもこっちにも揺れる社会、まさに「ワクチン幻想」と呼ぶに相応しい。

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posted by 自由人 at 22:33 | Comment(0) | コロナ問題
2021年05月05日

コロナ禍での「緊急事態条項」は「諸刃の剣」


■もしインフルエンザに「緊急事態条項」を適用すれば?

 コロナが流行り出した頃、諸外国からの入国を即座に禁止するためには「政府にもっと強権を発動する権利を与えなければならない」ということで、憲法に「緊急事態条項」を設ける必要があるという声が大きくなった。

 確かにコロナがペストやコレラ並に危険なものだと思われていた初動の段階では、これは正論に聞こえた。しかし、それから1年経った現在では、少なくとも日本でのコロナはインフルエンザ以下の被害しか発生していないことが明らかになった。

 「緊急事態条項」は、戦争(他国からの侵略)や大地震等による大規模な災害時には適用する必要が有ると思われるが、現在のコロナ禍に適用するのは非常に危険な選択になる可能性があることは否定できない。

 コロナ禍以前の常識では、「緊急事態条項」を否定するのは左翼と決まっていたが、コロナ禍以後は、そうでは無くなった。本当の危機の前では必要なものでも、その危機が本当に深刻な危機ではなかった場合、あるいは、その危機が人々の無知から生じた誤解であった場合、政府の強権の発動を無条件に許す「緊急事態条項」は、諸刃の剣となる危険性があるということを知る必要があると思う。

■「諸刃の剣」となった「緊急事態条項」

 例えば、インフルエンザの流行で「緊急事態条項」を発動し、要請のみの「緊急事態宣言」ではなく、「ロックダウン」が強行された場合を考えれば、その危険性がよく解ると思う。

 国家の命運を左右するほどの危機ではないインフルエンザの流行に対して「ロックダウン」を行い国民の経済活動を完全に停止してしまうと、その結果として国が滅びる危険性が生じることになる。国が滅びないまでも、多くの国民の生活が破綻してしまい、経済的な理由によって、多くの国民が塗炭の苦しみを味わうことになり、多くの人が自殺を余儀無くされるという事態に成りかねない。

 本当の危機でそうなるなら、まだ諦めも付くだろうが、大した危機でもないにも拘らず、そのような結果を招くことは許されることではない。「無知や誤解で多くの国民が死亡することになりました」では済まされない。

 ゆえに前回の記事では、保守であっても「緊急事態条項」の追加は条件反射的に喜べるものではないと書かせてもらった。これまでの常識では、「緊急事態条項」の創設を否定するのは、先にも述べた通り、国家破壊願望を抱いた左翼と決まっていたが、コロナ禍という未体験ゾーンの出来事が発生したことで、その常識も崩れ去った。

 逆に考えると、「緊急事態条項」の創設を望むのは保守派だけではなくなったということでもある。危機でもないものに「緊急事態条項」を適用し、国を破壊することができる危険性が生まれたということを知らねばならない。

 「緊急事態条項」は、「諸刃の剣」となる危険性があるものに変わってしまったのである。

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posted by 自由人 at 11:39 | Comment(0) | 社会問題