2020年10月31日

国民を虐待する「一億総借金思考」


■お金は「水」のようなもの

 今更ながら、「個人の借金」「企業の借金」「国の借金」、この3つの借金を同じようなものだと思い込んでいる人は数多い。おそらく日本人の1億人以上(ほぼ全員)はそう思い込んでいるのではないかと思う。名付けて「一億総借金思考」。この誤った思い込みがどれだけ日本経済(国民の生活)を傷付けてきたかを考えると、如何ともしがたいものがある。

 MMT理論を持ち出すまでもなく、お金というものは一種の“”のようなものだと考えると解りやすいかもしれない。

 例えば、百姓は毎年、稲を育てるために貯水池から水を放流する。その水の量は多過ぎても少な過ぎても具合が悪い。稲が育つためにちょうどよい水量を調整するのが百姓の重要な仕事になる。

 あるいは、金魚を飼っている飼い主は、金魚がストレスを感じないよう伸び伸びと育つために水槽の水の量を調整する。水の量が少な過ぎると、金魚は充分に動くことができずに健康に育たない。

 この「稲」や「金魚」を「人間」に置き換えてみると、「百姓」や「飼い主」は「政府」に該当する。

 では、「人間」が健全に生活できるように「政府」が調整するものとは何だろうか? 無論、それが「お金の量」(厳密に言うと「お金の流通量」)である。

■「金魚の視点」と「飼い主の視点」

 インフレ経済下では、市場に出回るお金の量が増え過ぎるため、政府はお金の流通量を下げるために緊縮財政や増税を行う。逆に、デフレ経済下では、市場に出回るお金の量が足りなくなるため、政府はお金の流通量を増やすために積極財政や減税を行う。

 こんなことは誰でも解りそうなものだが、先に述べた通り、日本人の1億人以上は、この単純な経済常識を理解していない。
 その証拠に、デフレ経済下で、緊縮財政や増税を行い、多くの国民がそれを支持している。

 多くの国民がそう思う背景には、財源は国民(自分)が支払った税金だという思い込みに依っている。その姿は恰も、金魚が水を増やしてくれた飼い主に、増やした分の水を返さなければいけないと思い込んでいるようなものとも言える。

 金魚から見れば、水は有料(有限)に見えるのかもしれないが、飼い主の視点で見れば、松下幸之助の水道哲学を持ち出すまでもなく、水は無料(無限)のようなものである。

 国は、国民のように知恵を絞り汗水たらして働かなければお金を稼ぐことができないという不自由な存在ではなく、いつでもお金を創り出せる権能を持った存在でもある。
 「稲」と「百姓」、「金魚」と「飼い主」の関係と同じように「個人」と「政府」は全く異なる存在であり、お金に対する認識も全く違うということを知る必要がある。

■お金の流通量を調整するのが政府の仕事

 こう言うと、「それなら、政府はいくらお金を刷っても良いということになるではないか!」と反論する人がいるかもしれない。
 その答えも、先に述べた通り、少な過ぎても多過ぎてもいけない。それを調整するのが政府の仕事だと述べた。その調整が上手くいっていれば、税収も自然に増えるようになる。

 百姓は毎年、無事に稲が育つように水の分量を調整する。それでも、不可抗力(台風や日照り)で稲が育たなくなることもある。
 金魚の飼い主は、金魚が健康に育つように毎日、水槽の水の量を見守り、水が少ないと思えば必要なだけの水を注ぐ。それでも、水温や酸素量の影響で金魚が死んでしまうこともある。

 しかし、日本政府は、水の量が足りずに稲が枯れかけていても、水の量が足りずに金魚がアップアップしていても、それは「水が多過ぎるためだ」と決めつけ、水を注ぐことを否定する。稲や金魚の競争力が足りないからだと宣い、水の量を減らし(=消費増税)、水を獲得する競争を促進(=規制緩和・構造改革)することが正義だと思い込んでいる。

 国民は、いい加減に、この愚かな事態に気付かなければいけない。多くの国民がこの単純な事実に気付かない限り、政治家は誤った考えを改めようとはしないし、改めることもできない。

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posted by 自由人 at 10:27 | Comment(0) | 経済
2020年10月28日

「エコリカ」vs「キャノン」勝敗の行方は?


■エコリカの訴えは筋が通っているか?

 インクジェットプリンターのリサイクルインクカートリッジを販売しているエコリカが、キャノンを独占禁止法違反で提訴したということで話題になっている。

 エコリカは、空になったメーカー純正品のインクカートリッジを回収して、インクを入れ直して販売している会社だが、キャノンが予告なくインクカートリッジのICチップの構造を変更したため、エコリカのリサイクルインクが使用できなくなったとして訴えている。

 エコリカの社長は以下のように述べている。

>「純正品を使うのか、安く環境にも良い再生品を使うのかというのは、私どもが決めることではなく、ユーザーが選択することだ思うんです。そのユーザーの選択肢を奪うのはどうなんだと。

 一見(一聴)、もっともらしく聞こえるのだが、訴えられたキャノン側の立場で考えると、少し筋違いなような気もする。

■プリンターメーカーの「損をして得を取る」ビジネスモデル

 現在のプリンター製造メーカーはキャノンだけでなく、その他のメーカーもプリンター本体は安価で販売して、インクやトナーで元を取る(利益を出す)という損をして得を取るビジネスモデルになっていることはよく知られている。

 高性能なプリンターを「こんなに安く買えるの?」というような破格値で販売し、逆に「高過ぎるのでは?」と思えるようなインク(トナー)を販売して利益を得ている。
 そう考えると、かつてヤフーが行ったモデムのバラマキと似ている。当時は高価だったモデムを無料で配ることで新規ユーザーを増やすというビジネスモデル。あるいは携帯電話を1円で販売し、通話料で利益を取るという、かつての携帯会社のビジネスモデルのようなものとも言える。

 このビジネスモデルの良いところは、敷居の低さだと言える。あまりプリンターを使用しない人でも、買ってみようかな…買い換えてみようかな…と思わせるところにある。1〜2万円程度でカラープリンターが手に入るなら、たまに使用するだけでもペイできると思う人は大勢いる。プリンター本体が10万円以上であれば敷居が高過ぎて跨げない人でも、敷居を思い切り下げると、大勢のユーザーをマーケットに取り込める。

■プリンターメーカーと未契約のリサイクルインク業者

 人間は欲深い生き物で、当初はプリンター本体を安く入手できたと喜んでいても、そのうち、インクが高いと思うようになる。

 そこに出現したのがリサイクルインク販売会社だった。プリンター本体を安く買えたのだから、インクも安く買いたい。そんな欲張りな人々の欲求を満足させることに成功したのがリサイクルインク販売会社だった。ある意味、これも隙間ビジネスだったと言えるのだろうか。

 しかし、問題は、リサイクルインク業者はプリンターメーカーと正式に契約を結んでいるわけではなく、マージンを支払っているわけでもないということ。そういう意味では、メーカーからは端から疎まれた存在であり、業種としても認めがたい存在であったことも間違いない。
 なんせ、自分達メーカーが築いた損をして得を取るビジネスモデルを真っ向から否定する存在でもあったので、いつ何時、今回のような手段(リサイクルインクが使用できなくなること)に出られても仕方が無いという状態だった。

■「プリンターインクの価格を下げるように」は御法度

 例えば、キャノンが専用のプリンター用紙を販売していて、その用紙よりも優れたものをリサイクルペーパー会社が販売し、キャノンがその用紙を使用できなくしたということなら、キャノンが「ユーザーの選択権」を奪っているということで、独占禁止法違反だと言うなら理解できる。
 しかし、今回の場合は、インク価格を高く設定しなければ儲けが出ないというメーカー側の事情の隙間を突いて、安価なリサイクルインクを契約無しに販売していたわけだから、「ユーザーの選択権」を奪っているというのはメーカー側からすれば受け入れがたい無理筋な訴えだと言える。

 消費者ライクなこの問題が大きな話題となると、現在の菅内閣であれば、携帯電話と同じように「プリンターインクの価格を下げるように」と言い出しそうだ。
 しかし、現在のプリンターメーカーのビジネスモデルを変更して、プリンター本体価格を上げて、インク価格を下げればどうなるだろうか? おそらく、リサイクルインク会社は縮小を余儀無くされるか、ヘタをすれば廃業に追い込まれるだろう。そしてプリンターを購入する人が激減し、更なる消費不況を招くことになる。

 政府がヘタに民間企業の経営に口出しすると碌なことにならないので、ご注意いただきたい。


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posted by 自由人 at 23:34 | Comment(0) | 経済
2020年10月25日

「特別定額給付金」の消費効果が限定的だった理由


■「特別定額給付金」で貯金が増えた単純な理由

 麻生副総理が自身の政治資金パーティーの講演で「10万円の特別定額給付金」について「その分だけ(国民の)貯金が増えた」と述べ、給付金による消費効果は限定的だったという考えを示した。

 この「貯金が増えた」というのは、ある意味、当然の結果だと思う。なぜなら特別定額給付金は手渡しではなく銀行振込だったので、振込された全額を引き出さない限り、貯金は増えることになるから。

 10万円支給されて10万円以上使う人が大多数でない限り、貯金は増えることになる。

 特別定額給付金を支給して判明したことは、消費を喚起する効果が無かったことではなく、先行きに不安を抱えた人間は、お金を配ったとしても消費することよりも貯金することが優先されるということである。つまり、10万円程度では政府が恐れる2%以上のインフレには成りようが無いということを証明したということでもある。

■「特別定額給付金」の効果は有ったが見えなかっただけ

 麻生氏が2009年度に実施した2万円の定額給付金も同様だったが、今回は、コロナ禍という未曾有の危機がバッググラウンドに横たわっているため、元々、失われた消費量が大き過ぎたので、その一部を補填する効果しか無かったということだろう。見えない消費効果は確かに有ったが、落ち込んだ消費量があまりにも大き過ぎたため、その効果が目に見える形で現れなかった(=落ち込んだ消費量を埋めることはできなかった)というだけのことでしかない。

 この結果として得られるべき結論は、「特別定額給付金は効果が無かった」ということではなく、「10万円程度では足りなかった」ということである。

 コロナ禍で失われる消費量は、この先、数年で10万円程度では済まないことは誰にでも分かる。多くの国民は「給付金10万円は消費税を10%に上げたことのペナルティ」程度の認識しか持っておらず、コロナ禍で失われる損失を補填するような効果が無いことは百も承知しているのである。

 2%のインフレにすることが政府の目的であるのなら、コロナ禍ではこれまでのセコい考えを改めて、逆転の発想で財政政策を進める必要がある。10万円では効果が無いのではなく、効果が有っても見えない。効果が見えるようになるまで諦めないことこそが必要だと思う。

 掘り進めていけば金脈にぶつかるのに、少し掘っただけで「ダメだ」と諦めるのは早計であり愚の骨頂だと言える。是非、諦めずに掘り進めていただきたいと思う。

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posted by 自由人 at 11:08 | Comment(2) | 政治
2020年10月22日

「ハイパーインフレ恐怖症」という自虐的な病


■「ハイパーインフレになる」はSF

 世界中がコロナ禍において大規模なバラマキ政策を行っているが、ご多分に漏れず、日本でも、全国民に10万円ずつ支給するという特別定額給付金が実施された。
 国民1人につき10万円を支給して、合計10兆円以上、その他、諸々の補助金等を入れると既に100兆円近くの国債を発行しているとのことで、毎度のように、「国は1000兆円以上の借金があり財政危機なのだから、そんな無駄金はバラまくべきではない」というようなことを述べている学者もいる。

 アベノミクスで200兆円金融緩和し、その後も金融政策を継続して、すでに300兆円とも400兆円とも言われるマネーを増やしたにも拘らず、全くインフレとは無縁の日本国内で「ハイパーインフレになる」などと言っているのは、ほとんどSFの世界であり、全く当たらないインチキ予言者の警告のようですらある。

■「ハイパーインフレ」になる条件を具体的に考えると…

 学者が「ハイパーインフレ」などという言葉を頻繁に使用するので、世間一般の人々は、「バブル」と「ハイパーインフレ」を混同しているのではないか?という疑いすらある。

 「ハイパーインフレーション」の定義は、1年間に物価が130倍になることなので、3000万円の家なら、1年間で39億円に値上がりする計算になる。かつての不動産バブルでも、土地や家の値段がせいぜい数倍に騰がった程度なので、家の値段が1年間で130倍に急騰するようなことは大戦争が起こり日本全土が灰燼にでもならない限り有り得ないと思う。

 「ハイパーインフレ」になる条件などというものは、御大層な計算式などで予測できるような代物ではなく、単純かつ具体的に考えれば、簡単に大凡の答えが導き出せる。

 例えば、国民1人につき1億円を支給した場合を考えてみよう。

 1人に1億円ということは、4人家族であれば、合計4億円になる。あなた自身が、その家族の立場に置かれた場合を考えてみればいい。
 その場合、大抵の家族は真っ先にマイホームの購入を検討するだろうと思う。そのような羽振りの良い家族が急に数百万世帯も出てきた場合、建築資材価格は急騰し、住宅を供給するべき職人も全く足りなくなるので、向こう数十年は建築バブルが発生することになる。
 そうなると、一時的には大景気となり、あっという間にインフレになる。ハイパーインフレとはいかないまでも、かなり危険なインフレになるだろうことは容易に想像がつく。

■スケールが小さ過ぎる「ハイパーインフレ」論者達

 では、国民1人につき1000万円を支給した場合はどうだろうか。

 先程の例で言うなら、4人家族であれば、合計4000万円になる。
 その場合、さすがにマイホームを購入しようと思う人は、それほどいないと思う。大抵の人は老後の資金として貯蓄し、せいぜい、新車のマイカーを購入する程度だろう。
 それでも、自動車部品等の需要が一気に膨らむので、かなり景気が良くなることが予想され、適度なインフレになる可能性は高くなる。無論、ハイパーインフレには成りようが無い。

 上記の2例は、いずれもコロナ禍でのシミュレーションではなく、通常の場合の話だが、それぞれ大体の必要額は、以下の通りになる。

 1人1億円の場合は、全額で1京円

 1人1000万円の場合は、全額で1000兆円

 冒頭に、特別定額給付金支給で全額10兆円、その他諸々を足して100兆円と書いた。
 100兆円なら、1人100万円ということになるが、この場合、コロナ禍で大部分の人々は収入が減少しており、消費する人も激減しているという条件下での話なので、100万円は減少した需要を補うだけで消えてしまうことになる。
 1人100万円では、大きく落ち込んだ収入や消費量の幾分かを埋める程度の効果しか望めないため、インフレになるようなことはまず有り得ず、デフレから抜け出すこともできないと考えるべきだろう。

 コロナ禍で1人100万円や数百万円程度のバラマキでハイパーインフレになると考えるのは、全くの杞憂であり、スケールが小さ過ぎると言える。
 ハイパーインフレを極度に恐れるあまり、無策を決め込み、無意識的に日本経済を崩壊に追い込もうとする自虐的な学者に注意しよう。

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posted by 自由人 at 22:47 | Comment(0) | 経済
2020年10月19日

「英国病」と「日本病」の大いなる違い


■「英国病」とは何かを理解するべき

 「英国病」という有名な言葉がある。「ゆりかごから墓場まで」という同じく有名な言葉が示すように、イギリスは第二次世界大戦後、社会主義的な政策を押し進め過ぎたことによって、インフレ率がどんどん上がっていき、1970年代にはインフレ率が10%を超えたことはよく知られている。

 行き過ぎた社会保障制度の構築によって、人々が真面目に働かなくなり、その結果、悪性のインフレ(スタグフレーション)が進んだ。そのインフレ不況を是正するべく颯爽と現れたのが、後に「鉄の女」と呼ばれ有名になったサッチャーだった。ハイエクを支持していたサッチャーが行った政策は「サッチャリズム」と呼ばれ、現代で言うところの「新自由主義」的な経済政策だった。

 サッチャーは国営化されていた国のインフラ事業を続々と民営化し、規制緩和によって自由競争を押し進めた。
 これら一連の政策によって「英国病」を克服したサッチャーは「名宰相」として歴史に名を残すことになった。その影響もあるのか、日本では多くの政治家がサッチャーに憧れる向きが強く、サッチャーのような政治を行うことが理想であり、英雄の条件だと思われている。

 しかし、ここで立ち止まってよく考えなければならないのは、サッチャーは“インフレを退治した”ということである。これはどれだけ声を大にしても足りないくらいに重要なポイントでもある。これを理解するだけで、現在の日本の不況の正体がハッキリと見えるようになる。

■現代寓話としての『アリ(日本)とキリギリス(イギリス)』

 ここで質問。

 「現在の日本はインフレですか?

 答えはもちろん「ノー」であり、現在の日本は深刻なデフレだ。

 日本の不況を「英国病」のようなものだと思っている人は意外にも多いと思う。一般庶民は言うに及ばず、著名な学者や政治家までもがそう誤解しているのではないかと思う。

 サッチャーが活躍されていた頃のイギリスと、現在の日本は全く経済環境が違う。経済状況は正反対だということを知らねばならない。
 「英国病」は、怠惰な人間がお金を浪費し過ぎたことで供給が追いつかなくなったインフレ病であり、「日本病」は、勤勉な人間がお金を浪費しなくなったことで需要が追いつかなくなったデフレ病である。

 イソップ寓話に喩えて言うなら、イギリスは「キリギリス」であり、日本は「アリ」のような存在だと言える。怠惰な「キリギリス」にはサッチャリズムは有効だが、勤勉な「アリ」には全く無効どころか有害になる。

■政治家の役割は、インフレとデフレのバランスをとること

 政治家の役割は、インフレとデフレの調整を行うことにある。どうすれば、行き過ぎたインフレ(デフレ)を抑えることができるのかを提案するのが経済学者であり、それを実行に移すのが政治家の仕事だ。ケインズはデフレ時代にインフレ政策を提案した経済学者だった。

 逆にサッチャーはインフレ時代に現れた偉大な政治家であり、もし、サッチャーが現代の日本に生まれていれば、全く逆のデフレ対策(インフレ政策)を行っていただろう。

 結局のところ、自由主義が行き過ぎるとデフレになり、社会主義が行き過ぎるとインフレになる。インフレやデフレが行き過ぎたところに国民の不幸が生まれるのだから、そのバランスを上手く調整することが経世済民に繋がる。

 デフレ時代にサッチャーに憧れているような日本の政治家は、まず、その偏向したトンデモない思い込みをこそ是正しなければいけない。それができなければ、まともな経済政策は打てない。



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posted by 自由人 at 22:00 | Comment(0) | 経済
2020年10月16日

NHKは「公共放送局」or「秘密警察」?


■個人情報の管理を望むNHK

 総務省の有識者会議に於いて、NHKは以下のように述べたらしい。

家庭や事業所でテレビを設置した場合は、NHKへの届け出を義務化し、受信契約を結んでいない世帯の居住者の氏名、および、転居があった場合は転居先などの個人情報を公的機関などに照会できるようにする仕組みの導入を要望する

 昔、大手家電量販店でテレビを購入した時、NHK用として住所や氏名等を書かされた記憶があるので、今回の要望は、小売店やネットでテレビを購入した場合の届け出漏れを無くすように要望したということなのだろうか?

 転居した人の転居先を公的機関(役所)で照会できるようにするというのは、良く言えば「探偵」や「警察」、悪く言えば「借金取り」や「ストーカー」のようなイメージが浮かんでしまう。

 しかし、現代のような個人情報の流出に神経質になっている時代に、このような要望を出すことは、少々、無理が有るのではないかと思われる。政府ではなく、公共放送局が個人情報を管理・把握したいと言うのは、少し不自然ではないかと思う。

■秘密警察のような公共放送局

 車メーカーが、車やバイクなどを購入した顧客の個人情報を管理・把握しておきたいと言うなら理解はできる。それは保障という意味でも必要だと思われるので、誰も個人情報の提供を否定したりはしないだろう。リコールやメンテナンスを受けるという意味でも必要だからだ。

 あるいは、電機メーカーが大画面テレビを購入した顧客の個人情報を管理・把握しておきたいと言うなら、それも故障した時の保障に必要になるだろうから誰も否定はしない。

 ところが、NHKの場合は、何の保障も無いのに、テレビを購入した人の個人情報を管理・把握しておきたいと言う。テレビにNHK放送が映らなくなったからといって、NHKが無償で修理してくれるわけでもない。
 テレビにNHK放送の受信装置を内蔵しているので、テレビを購入した人は自動的にNHKの視聴者になるという理由で個人情報の提出を求める。これでは、公共放送局というより秘密警察のようだ。

■NHK放送を動画配信サービスとして考えると…

 受信料を支払わずに無料で観る人が許せないのであれば、NHK放送が受信できないテレビを販売すればいいと思うのだが、なぜ、日本ではNHK放送が受信できないテレビが販売されていないのだろうか?

 テレビ本体を購入すると、動画配信サービス(NetflixやAmazon Prime Video)が1年間無料とかいうサービスなら有ってもよさそうだが、テレビ本体と有料のNHKの永続加入がセット販売というような融通の利かないシステムが有り得るとすれば、世の中にNHK以外のテレビ放送局が無い場合、つまり、他に選択肢が無い場合に限られる。国営放送しか無いような国なら、そういうシステムがあってもおかしくないが、幸い、日本はそんな国ではない。

 NHK放送を観放題のサブスクリプションサービス(動画配信サービス)として考えると、月額1300円程度なので、Netflixと同程度ということになる。
 しかし、動画配信サービスに加入するなら、最低でも1ヶ月間に映画10本(20時間程度)は観なければ割に合わない。

 コロナ禍でNHKニュースを観る時間が以前よりも増えたという人は多いかもしれないが、サブスクサービスと考えると、コストパフォーマンスが良いと思っている人がどれだけいるのだろうか?
 ちなみに私もNHK受信料を真面目に支払っているが、全く割に合わない(コスパが悪い)と思うので、選択の自由が有るなら絶対に契約しないと思う。

 有識者会議で受信料制度の在り方を検討するのであれば、いい加減に、この誰が考えても可笑しいシステムの見直しをこそ検討していただきたい。政府はNHKの要望よりも大部分の国民の要望にこそ耳を傾けるべきだ。



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posted by 自由人 at 23:11 | Comment(0) | 社会問題
2020年10月15日

「インフレ病」と「デフレ病」は処方箋が違う


■「財政再建派」と「リフレ派」

 「アベノミクス」が騒がれた頃、金融緩和の是非が問われたことは記憶に新しい。

 当時は、大きく分けると「財政再建派」と「リフレ派」という2つの勢力に分かれて、金融緩和の是非が言い争われた。

 財政再建派は、「金融緩和でハイパーインフレになる!」と言い、リフレ派は、「金融緩和でインフレになる」と言った。

 しかし、その後、合計300兆円を超える金融緩和を行っても、国債の金利は全く上がらず、ハイパーインフレになるどころか、インフレにすらならなかった。

 当時の私は、金融緩和には賛成していたものの、「財政再建派」も「リフレ派」も、お金の量だけにとらわれ、人間心理を無視しているという意味で楽観的過ぎると思われたので、どちらにも加担しなかった。

 金融緩和を行うことで、多くの人々が「お金の量が増える」と思えば、その期待によって、一時的に景気が上向くかもしれないが、持続はできない。お金の量を増やしただけでは、期待に働きかけることが精一杯であり、継続的な景気回復は望めない。

 金融緩和で円安・株高になったことは評価しなければならないが、デフレからは脱却することができなかった。

■貧血患者に「献血」を勧めるヤブ医者

 大事なことは、本当にお金が循環すること(フロー)であり、お金が有ること(ストック)ではない。貧血で入院している患者の前に献血用の血液パックをいくら積んでも、その患者が健康になるわけではない。その献血用の血液を本当に患者の体内に注入し、その血液がグルグルと体内を回り始めることで、ようやく患者の健康は取り戻される。(あくまでもたとえ話)

 300兆円刷ったのであれば、そのお金を大々的に市場に流さなければ宝の持ち腐れになる。政府が民間企業に対して、大きな仕事を発注するという形で、お金をどんどんと流せば、景気は必ず良くなるはずだったが、そんな単純なことができなかったために、デフレ脱却を逃し、景気を良くすることができなかった。

 リフレ派は「血液を増やせ」と言い、財政再建派は「血液を増やしてはいけない」と言う。しかし、どちらも「輸血せよ」とは言わなかった。これでは、経済が健康になる道理が無い。

 その上、財政再建派は患者に「献血をせよ」と言い出した。「消費増税をすること」は貧血患者が「献血をすること」と同義だ。献血は健康な人がするものであるという当たり前のことすら理解しようとしない。これでは、ヤブ医者(経済音痴)と言われても仕方がないと思う。

 民間にお金を使えと言っても、デフレ下で需要が足りないため、リスクが高過ぎて、そう簡単には設備投資などできない。デフレ下では、お金を貯めることが最も合理的な判断となってしまうため、企業は内部留保を貯め込むことになり、国民は貯金することが最も利口な判断となってしまう。デフレ下では物の価値が下がり続け、お金の価値が上がり続けるのだから、消費よりも貯蓄が優先されることは道理に適っている。

 デフレ下では、国民が総じてミクロ経済学の信奉者にならざるを得ないため、政府が大消費者・大投資家となって行動しなければいけないのである。

■日本経済は世界随一のデフレ病

 20年程前までは、国の大口の仕事を民間企業が受注し、経営的に潤うということもよく見られた。その当時は、現在のような競争入札のようなことも比較的に緩く、国からの利益率の高い仕事は、民間企業にとっては、一種の恵みの雨のようなものだった。民間企業通しの価格競争でギスギスしている時に、価格競争とは無縁の国からの仕事は非常に有り難いものだった。経済の成長と安定には、そういう緩さも時には必要なのだが、20年程前からは、国の仕事も1円の差を競う競争入札のような様相を呈し、骨折り損のくたびれ儲けのような民間企業が増加した。

 経済の病気は大きく分けて「インフレ病」と「デフレ病」の2つがある。

 「インフレ病」とは肥満、「デフレ病」とは痩せ過ぎと考えると、その治療法は全く異なる。
 肥満の人は食事節制して減量しなければならず、痩せ過ぎの人は栄養を取って体重を増やさなければいけない。これは誰でも理解できると思う。
 しかしながら、「インフレ病」と「デフレ病」の治療法は分かれていない。どちらも「構造改革」や「規制緩和」が特効薬だと思われているフシがある。そして、どちらにも「減税」が有効で、「増税」は無効だと思われている。

 肥満の人に食事を与え過ぎることは御法度であり、痩せ過ぎの人に断食をさせることも御法度だ。しかし、この国の経済の世界では、そういった御法度が通用してしまっている。

 不景気(貧血)であるのに増税(献血)をするとか、デフレ(需要不足)であるのに価格競争(供給過剰)を強いるとか、病に対する治療法が全く逆さまになっていても、ほとんどの医者(学者や政治家)はそのことに気付かない。

 「インフレ不況」と「デフレ不況」は真逆の不況であり、その違いを混同している限り、正しい処方箋を出すことはできない。
 「構造改革」や「規制緩和」はインフレ病の特効薬であり、「増税」はインフレ病には有効となる。

 現在の日本経済はインフレ病ではなく、世界随一のデフレ病なので、その治療法は真逆になる。この受け入れがたい事実を認めない限り、デフレ脱却はできない。

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posted by 自由人 at 00:09 | Comment(0) | 経済
2020年10月09日

「労働時間の見直し」に先鞭をつけた みずほフィナンシャルグループ


■「2030年には労働時間が1週間15時間になる」という予言

 みずほフィナンシャルグループは、2020年12月から「週休3日制または週休4日制」を導入すると発表した。
 現状は希望する社員のみ対象ということになっているが、コロナ禍の長期化を見据えた上での人件費の削減案(ワークシェアリング)という意味合いもあるのだろう。
 週休3日制の場合は給料8割、週休4日制の場合は給料6割ということらしい。高給取りの銀行マンなら、給料が2〜4割程度下がってもそれなりの収入が見込めるので、案外、希望する人は多いのかもしれない。

 経済学者のジョン・メイナード・ケインズは1930年に行われた講演で、「2030年には労働時間が1週間15時間になる」と言っていたらしい。 土日が休日として1日の労働時間に換算すると「1日3時間労働」ということになる。
 1930年当時には、パソコンもインターネットもAIも存在しなかったので、そこまで労働時間が短くなると予想するのは極めて困難なことだったと思う。まるでコロナ禍を見通していたかのような慧眼には驚かされる。
【参考文献】
隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』(ルトガー ブレグマン著)

■既に「ベーシックインカム」を導入している日本

 情報技術が進歩した現代にあって、いつまでも100年前の1日8時間労働に拘るのは可笑しいということをブログ記事でも何度か書いてきた。今回のコロナ禍によって、この常識は確実に変わり、日本でも新たな労働時間というものが模索されるだろうことも予測できる範疇だったが、その先鞭をつけたのは銀行業だった。

 現在のコロナ禍では、休業や時短の導入で、既に1週間の労働時間は30時間以下という人は大勢いると思う。1週間40時間労働(1日8時間労働)というような労働基準は既に破られており、完全に形骸化している状況となっている。

 銀行は週休3日制や週休4日制になれば、その分、給料が下がるが、現在のコロナ禍で、「コロナ特別雇用調整助成金」を受け取っている人(主に中小企業)は、休んだ日の給料が8割支給されている。これは見方を変えると、期間限定のベーシックインカムを導入している状態だと言える。
 無職になった人に生活費としての失業給付金を支給するのではなく、労働者としての立場を維持した上で、労働時間が少なくなった分、補助金としてベーシックインカムを受け取っている状態になっている。

■「コロナ禍転じて福となす」政策を期待

 問題は、この補助金制度をいつまで続けるのか?ということだが、政府としても実に悩ましい問題だろうと思う。この状況下で急に支給を打ち切ると、多くの会社が倒産、または廃業を余儀無くされ、失業給付を受ける人が膨大な数に上ることが予想されるので、引き際が難しい。

 理想としては、政府もベーシックインカム制度を期間限定で試験的に実施しているという認識を持って、経済動向を逐一監視し、急激なインフレにならないようなら、ある程度の期間(数年間)であれば続けても大丈夫かもしれない。これまで(20年以上)緊縮財政をし過ぎた分の穴埋め政策として機能すれば、少しは景気も良くなるかもしれない。無論、コロナ禍が落ち着いた後に。

 その期間内に、これまでの労働観というものを抜本的に見直していき、時代にマッチした労働基準というものを新たに作り直していくことがベターだと思う。それこそ、アフターコロナの働き方改革に成り得る。

 災い転じて福となす。コロナ禍というものを悲観的にばかり捉えるのではなく、コロナ禍を逆手に取って利用し、より良い社会の構築を模索すれば、明るい未来が開けるかもしれない。



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posted by 自由人 at 23:02 | Comment(0) | 経済
2020年10月07日

知られざる「日本学術会議」の正体


■ほとんどの国民が知らなかった「日本学術会議」

 「日本学術会議」なるものが俄然、注目を集めている。内閣総理大臣所轄の「特別な機関」として60年間も活動されてきた組織ということだが、今までほとんどの国民が知らなかった謎の組織ということでも脚光を浴びている。

 「日本学術会議」の役割は以下の4つであるらしい。

 1、政府に対する政策提言
 2、国際的な活動
 3、科学者間ネットワークの構築
 4、科学の役割についての世論啓発


 210人の会員と約2000人の連携会員がいるとのことだが、今回騒ぎになっているのは、前者である210人の内の6人に対して菅総理が任命を見送ったこと。

 これまで推薦された210名の学者を無条件に任命していたことにも驚きだが、任命されなかった学者を推薦した人々からすれば、なぜ、これまでの前例を破るような真似をするのかと驚きと怒りを隠し切れない様子だ。左派の野党とマスコミは「学問の自由が侵害される」と批判している。

 その理屈で言うなら、戦後はGHQの「公職追放」(保守パージ)によって、保守的な学者は露骨に学問の自由を奪われたようなものだったと言えるが、今回の出来事は、その意趣返しという風に捉えられているのかもしれない。

 6人と言っても、全体のわずか3%に過ぎないが、なぜ、この6人の学者に対して菅総理は任命を拒否したのか? マスコミにその理由を質問されても、政治家からは言葉を濁す程度でハッキリとした回答は返ってこない。それは公の電波で言うべきではないという忖度(遠慮)が働いているためなのだろう。

 「あなた方は反政府的な学者だから」などとは、とても言えない。

■反政府主義者に「政府に対する政策提言」ができるのか?

 ネット上では既に有名になっているが、今回拒否された6人の学者は総じて反政府的な発言を行ってきたことでも知られている。反政府的な学者は任命しないという姿勢が、同じく反政府的な人からは受け入れられないということなのだろう。

 しかし、先述したように「日本学術会議」の重要な役割は「政府に対する政策提言」を行うことなので、反政府的な学者では、文句ばかりでその任に堪えないということなのかもしれない。

 政府のどこがどう間違っているのかを親身になって具体的に指摘できるような学者ならよいのだが、ただ感情的に政府を貶めるような独善的な批判を行うばかりの学者はご遠慮願うということを暗に示したのかもしれない。

 反政府的な人から見れば、「その姿勢が独裁者的だ!」ということになるのだろうけれど、国民の税金で成り立っている組織が、その国民によって選ばれた政党の思想信条と反対の立場にいるというのは普通に考えても可笑しい。政府と思想信条が合わないのであれば、自分から推薦を辞退して、自分の意見に合致する政党に付いて意見を発信するのが真の学者の姿ではないかと思う。

 ちなみに、「日本学術会議」は、東日本大震災の復興費用に赤字国債を発行するのではなく、復興増税を勧めたことでも知られている。震災の復興費用を税金で調達するというようなことは前代未聞の珍事であり世界でも例の無い政策だった。

 MMTが注目されている現在、震災の復興費用を税金で調達するというような政策は悪手としか言い様がないが、復興増税は今も現在進行形で続いている。
 この辺はもっと追及されるべきところだと思われるが、罷り間違っても、コロナ禍において「コロナ増税」を言い出すのは止めていただきたいと思う。

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posted by 自由人 at 23:09 | Comment(0) | 政治
2020年10月06日

「携帯電話料金」は「税金」という誤解


■「値下げ」と「ヒアリング」の順序が逆

 政府は近く、「携帯電話料金の水準を利用者がどう感じているかについて主婦や高齢者、一人親家庭やフリーランスで働く人等から直接意見を聴く場を設ける」と発表した。

 「利用者がどう感じているか」を聞けば、大抵は「高い」と答えるのではないかと思われるが、大手3大キャリアのサービスを利用している人と、格安スマホのサービスを利用している人に分けてヒアリングする必要もあるのではないかと思う。また、スマホ利用者とガラケー利用者にも分けてヒアリングする必要がある。

 私自身は、スマホとガラケーの2台持ちだが、スマホはMVNOなので毎月1000円程度。WiFiを経由して利用している分にはデータ通信料も一切かからないので、使用頻度を考えても特に高いとは思わない。
 ガラケーはほとんど使用していないのに毎月2000〜3000円支払っているので高いとは思うが、嫌ならガラケーを解約してスマホだけにすればいいだけのことなので、別に政府にどうこうして欲しいとは思わない。

 しかし、よくよく考えてみると、今回の政府の対応は、順序が逆になっているような気がする。まず始めに世間の声を聞くためにヒアリングを行った上で、携帯電話料金の具体的な値下げを考えるというなら理解できるのだが、今回の場合、まず始めに値下げありきで、後付けでヒアリングを行うという順序になってしまっている。しかも、始めから「1割では済まない」とか「4割下げる」と言っておきながらのヒアリングでは不自然さは否めない。

■「家計の負担を軽減」しても「経済を底上げ」できない

 武田総務相は以下のように述べている。

>「コロナ禍ですべての業界が力を合わせて経済を底上げしないといけない中で、家計の負担を軽減するのに何ができるか考えてほしい

 この発言を聞いて、「あれ? なにか可笑しいな…」と違和感を感じた人も少なからずいるのではないかと思う。

 まず、「家計の負担を軽減」すれば「経済を底上げ」できるのか?ということ。

 これは、残念ながらできない。

 東日本大震災時に「自粛して消費活動を控えよ」と言っている人がいたが、イメージ的にはこれと同じ。経済を底上げするためには、逆に大々的に消費活動を行わなければいけない。
 経済を底上げするためには、単純に「消費」と「投資」を増加させなければならないので、ほぼ全国民が利用している携帯電話料金が大きく下がれば、それだけ経済は縮小することになる。

 こう言うと、「携帯電話料金が下がれば、浮いたお金で他の商品やサービスを購入できるので、それだけ消費が増える」という人がいると思う。しかしそれは、どこまで行っても理想論であって、単なる仮定の話でしかない。

 例えば、あなた自身が、現在、携帯料金に毎月1万円支払っているとして、それが5千円になったら、浮いた5千円を別のことに使用するかを考えてみればいい。実際にそんな人は、ごく少数しかいないはずだ。有り金全て使わなければ気が済まないというような消費癖の有る人はともかくとして、大部分の人は「携帯料金が下がってラッキー、浮いたお金は貯金に回そう」となると思う。

 5千円の内、千円や2千円なら別のことに使用する人がいるかもしれないが、丸々5千円を使用する人はあまりいないだろう。況して、浮いた5千円を超えて6千円、7千円と余分に使う人がいるだろうか?
 そんな人はごく稀だろう。しかし、そのごく稀な行動をする人々がいない限り、経済を底上げすることはできないのである。

■「競争=価格低下=景気改善」は成立しない

 武田総務相はこうも述べている。

>「各界各層の意見をしっかり受け止め、公正な市場競争が生まれる環境を実現したい

 競争すれば価格が下がる、それはその通り。しかし、競争すれば価格が下がり景気が良くなるとは限らない。

 「競争=価格低下」は成り立っても、「競争=価格低下=景気改善」は必ずしも成立しない。

 日本における携帯(スマホ)加入者数は、既に1億8000万人に及んでいる。人口の1.5倍が既に使用しているわけだから、価格を下げたところで、新しく加入者が増えるというわけでもない。価格を下げれば1人で2台も3台も契約するというなら話は別だが、1人1台が据え置きであるなら、携帯料金を下げれば携帯市場は縮小するしかないということになる。

 ネット上では、携帯電話料金は税金のようなものという意見もあるが、政府が管轄する電電公社が1社のみで携帯市場を牛耳り、高額でサービスを提供しているというなら、その通りかもしれないが、現在の携帯電話会社は全て民間企業なので、税金という認識は間違っている。

 税金を下げて景気が悪くなるということはまず無いが、携帯電話料金を大幅に下げれば景気が悪くなることは充分に有り得る。携帯電話料金の低価格化がデフレというのではなく、巡り巡ってデフレ圧力になるということ。携帯電話料金を大幅に下げるために人件費を削るということになれば、当然、消費活動にも影響を及ぼすことになるので、需要は減退しデフレスパイラル化に影響を及ぼすことになる。

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posted by 自由人 at 23:21 | Comment(0) | 経済