2020年09月10日

思想統制化するハリウッドのアカデミー賞


■リベラルに私物化されるハリウッド

 「アカデミー賞」を主催する映画芸術科学アカデミーは、2024年度から、アカデミー賞の受賞条件として、新たな基準を設けると発表した。

 その「新たな基準」というのは以下のようなもの

 ●主人公または主要キャストにアジア人、ヒスパニック系、黒人、中東出身者、
  ネイティブ・アメリカン、ハワイ先住民などの人種または民族的少数派の
  俳優を少なくとも1人は起用する。


 あるいは

 ●脇役の30%は「女性」「人種/民族的少数派」「LGBTQ」「障害者」のうち
  2つのグループの俳優を起用しなければならない。


 そして

 ●製作スタッフに少なくとも2人は、「女性」「人種/民族的少数派」「LGBTQ」
 「障害者」のいずれかを起用する。


■「赤デミー賞」と化したアカデミー賞

 この発表以前からハリウッドがリベラル勢力に乗っ取られているという噂話は尽きなかったが、ここまであからさまな発表をされると、「やっぱりな…」という感想しか出てこない。

 長年、ハリウッド映画を観続けてきた者としては、非常に残念な発表だった。これでアカデミー賞は名実共に「赤デミー賞」になってしまい、もはや、何の魅力も無くなってしまった。

 ポリコレ的に思想統制されたような映画しかアカデミー賞を受賞できないとなると、才能があっても映画監督に成りたいと思うような人は少なくなっていくかもしれない。今後は、人々に感動を与える才能を持った映画監督ではなく、人々を思想統制することに生き甲斐を感じるような全体主義気質の映画監督ばかりが出てくるようになるかもしれない。

 それはまさに、戦後、日本で行われた「公職追放」のようなものであり、これからのハリウッドの映画監督は保守的な人はいなくなり、左翼的な人ばかりになるかもしれない。

■「黒人ばかりのアカデミー賞」となる日

 先日、マーベル映画『ブラックパンサー』で主人公を演じた黒人俳優のチャドウィック・ボーズマン氏が亡くなったというショッキングな報道があった。
 『ブラックパンサー』は、異例のオール黒人キャストで撮影され大ヒットした映画だったが、白人から黒人へのキャスト移行はもう随分と前から始まっている。

 『ロッキー』シリーズの『クリード2』では、主人公のロッキーが「お前の時代だ」と言って、かつての宿敵アポロの息子に主役の座をバトンタッチ。

 『アベンジャーズ/エンドゲーム』ではキャプテン・アメリカが「ヴィブラニウムの盾」を黒人のファルコン(アンソニー・マッキー)に手渡し「世代交代」を表すシーンがあった。

 普通に観ていると感動的と思えるシーンも、穿った見方をすれば、「白人から黒人への移行」という思想がパッケージングされていることが感じ取れる。疑い深い大人が観ると、あざといと思えるシーンも、純真な子供が観るとストレートに影響され、それが当たり前の認識として育っていくことになる。世界中で何千万人、何億人と観られる映画は、良くも悪くも最高の思想教育映画になってしまう。

 数年前に「白人ばかりのアカデミー賞」と揶揄されたアカデミー賞が、昨年は「黒人ばかりのアカデミー賞」となりかけていた。
 アメリカの黒人比率は13%と言われているので、本当に「黒人ばかりのアカデミー賞」となれば、完全な逆差別ということになってしまう。

 エンタメ業界にまでプロパガンダを持ち込むのは、いい加減に止めていただきたい。

【関連記事】
 「黒人ばかりのアカデミー賞」の違和感

 ハリウッド化する『007』【ボンドウーマンの是非】

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posted by 自由人 at 22:39 | Comment(0) | 社会問題
2020年09月08日

新型コロナウイルスのリスクを教えてくれた「台風10号」


■「人間は2つのことを同時には考えられない」

 よく言われるように、人間は2つのことを同時には考えられない。より正確に言うと、最も優先順位が高いものに意識が集中すれば、それ以外のことは然程、気にならなくなるという習性を持っている。
 悩み事で頭が一杯になっている時は、別のこと(例:仕事)に集中すれば、その間だけは悩み事を忘れることができる。

 先週早々に、気象庁が台風10号の危険性を「100年に1度の台風」と大々的に伝えていたので、台風10号の進路上にある地域に住んでいる人々は人生最大級の危機感を抱くことになり、これまでコロナ禍で自宅に閉じ篭っていた人々(主に老齢者)までが、外出(避難)を余儀無くされた。

 台風10号から逃げるために、県内の頑丈なホテルに逃げ込んだ人もいれば、県外に避難旅行する人まで現れるという具合。(無論、どちらもGoToトラベル制度を利用)

 この時点で彼らの頭の中にあったコロナに対する恐怖は、一時的にどこかへ吹き飛んでしまったのではないかと想像する。台風のことで頭が一杯になり、コロナのことを考えている余裕がなくなったかのような心理状態に陥ったのではないだろうか。

■「台風10号」がコントロールした人間心理

 逃げ遅れると死に直結するかのような巨大台風が眼前に迫っているという報道の前では、交通事故に遭遇して死亡するリスクよりも低いコロナ感染による死亡リスクは無きに等しくなった。皮肉なことに、コロナの危険性を圧倒的に超えた巨大台風の前では、コロナの存在は無きに等しい程に小さくなった。

 彼らは、台風10号が過ぎ去った後に、こう思ったかもしれない。

 「コロナに怯えて家に閉じ篭っていた自分はなんだったのだろうか?

 先週の日本における重大ニュースは、

 1、台風10号
 2、自民党総裁選
 3、新型コロナウイルス


 こういう序列になっており、これまでメインニュースだったコロナ関連は完全にサブニュース扱いだった。その報道姿勢に呼応、または示し合わすかのように、コロナ感染者数は減少の一途を辿っており、8月には全国の1日の感染者(PCR陽性者)数は1000人を超えていたが、現在は300人程度になっている。
 
 為政者(官僚や政治家)が問題を起こした時に、目くらましのように芸能人のスキャンダルネタが暴露されると言われることがある。その真偽の方はともかくとして、こういった話が出る背景には、「人間は2つのことを同時には考えられない」という習性を利用した誤魔化しの心理操作が有ることを物語っている。

 今回、出現した台風10号は、幸いにも、危惧されていた程の被害は生じなかったが、一時的に国民の目をコロナから台風に向ける役割を果たし、コロナ恐怖症を吹き飛ばす役割を演じてくれたと言える。
 
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posted by 自由人 at 20:32 | Comment(0) | 社会問題
2020年09月05日

『BLM(Black Lives Matter)運動』に潜む危険性


■「黒人の命は大切」運動は「デモ or テロ?」

 「BLM(Black Lives Matter)」運動、日本語に直訳すれば、「黒人の命は大切」運動。

 最近の「BLM運動」はプロ市民による暴動のようなものになっており、単なるデモ運動ではなく、もっと過激な暴力運動のような様相を呈している。トランプ大統領も「デモ行為ではなく、テロ行為だ」と述べており、平和的なイメージよりも破壊的なイメージが強くなっている。

 「隠れトランプ支持者」という言葉があるように、アメリカでは公の場で「私はトランプ支持者です」と言うと、リベラル派から嫌がらせをされることがある。学校でも「僕はトランプ支持者だ」と言うと、リベラル派からいじめられる場合も多いらしい。

 こう言うと、白人が黒人をいじめている姿を思い浮かべた人が多いと思うが、実際のところは、黒人が白人をいじめているというようなケースもある。

 現在のアメリカで「BLM運動」を少しでも否定するような人がいると、袋叩きにされること請け合いだが、日本でなら一歩下がって傍観し、率直な感想を書くこともできる。
 白人と黒人の間にある因縁の歴史に直接的にも間接的にも関係の無い日本人が何を言ったところで、それは「言論の自由」というものだ。

■「国」ではなく「1警察官」の問題

 「BLM運動」が始まった原因は、白人警官による黒人への暴力事件であると言われている。
 しかし、この問題を冷静に考えてみると、1警察官の1暴力事件が、なぜ国家ぐるみの犯罪であるかのような扱いになっているのか?という疑問に至る。そもそも、このての警官による暴力事件は、これまでにも何度もあったはずであり、なぜ、今頃になって突然、火が着いたかのような大騒ぎになってしまったのだろうか?

 「黒人の堪忍袋の緒が切れたからだ!」と言う純粋無垢な人もいると思うが、このての事件が現代になって急激に増加したというわけでもない。今回のように、白人警官が黒人容疑者に暴力を振るうこともあれば、黒人警官が白人容疑者に暴力を振るうこともある。

 警官に職務質問をされて逃亡した人物を捕まえようとすることは法律的にも間違った行為ではない。あるいは、公務執行妨害による正当防衛として身柄を取り押さえるという行為も否定されるべきものではない。このことは相手が白人であろうと黒人であろうと変わらない。犯罪者を拘束することは警察官の仕事でもあるので、一切の暴力行為を否定すると警察の仕事が成り立たなくなる。
 しかしながら、その拘束の過程で行き過ぎた暴力不必要な銃の使用等が有った場合は警官の暴力事件ということになる。これが、今回起こっている問題だ。

 そして、仮に警官の暴力問題になった場合も、あくまでも1警察官の傷害事件または殺人事件として扱われるべき問題であり、国が意図的に黒人差別を行っていると決めつけるのは、あまりに拡大解釈が過ぎると言える。
 1警察官の暴力事件があると「政府が悪い」「トランプが悪い」と言うのは、日本で言えば、1公務員が犯罪を起こせば「政府が悪い」「アベが悪い」と言っているのと変わらない。
 暴力事件を起こした警官が所属する警察組織を批判するなら理解もできるが、なぜ、いきなり国が悪いということになるのか理解に苦しむ。

■「BLM運動」が行き過ぎて逆効果になる危険性

 黒人が白人の奴隷として当然のようにこき使われていた頃の黒人差別は、それはそれは酷いものであり、現代人の視点で観ると、人道的にも到底看過できる代物ではなかった。
 白人がアフリカ大陸から黒人を勝手に連れて来て、奴隷として扱う、これこそ、正真正銘の黒人に対する人種差別だ。その時代であるなら、国家ぐるみの犯罪という批判も充分に成り立ち、どんな暴力的なデモが発生したとしても、それは黒人の怒りの行為として認めざるを得なかっただろう。

 しかし、現代のアメリカは、黒人を奴隷として扱っているわけではなく、同じアメリカ国民としての権利が与えられている。昔のような、あからさまな黒人差別は行われていないだろうし、白人と黒人が結婚して家庭を持ち混血児(ハーフやクオーター)も多く存在しているような時代だ。
 例えば、女子プロテニス選手の大坂なおみ氏も「BLM運動」に参加されているが、本当の黒人差別がある時代なら、プロテニスの試合にすら出場することはできなかっただろう。それが、本当の差別であり、試合に出場し、個人の都合で試合をボイコットしても許される権利を与えられている状態が差別社会と言えるのだろうか?

 最近は、「差別」や「格差」というものが「分断」という言葉を用いて表現されることが多くなったが、昔、白人と黒人との間に目に見える形で存在した「分断」は、現代では明らかに減少傾向にある。そんな状況であるにも拘らず、恰も現代になって白人と黒人との間の「分断」がより拡大したというような言説は、どこか不自然であり、あまりにも現実から乖離しているように思えてしまう。

 現在でも「分断」が完全に無くなったとは言えないが、時代を経ると共に白人と黒人との間にあった人種的な「分断」は薄くなってきていることは間違いない。にも拘らず、「私達は差別されている!」「分断が深くなっている!」と叫び続けることは、将来的に大きな禍根を残すことになるのではないかと危惧される。そういうネガティブな言葉を発することによって、自らが願ってもいない結果(分断)を招いてしまう危険性にも目を向けるべきかもしれない。

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posted by 自由人 at 09:31 | Comment(0) | 国際問題