2020年08月31日

安倍総理の辞意表明で隅に追いやられた「コロナニュース」


■安倍総理の辞意表明が齎したコロナパニックの抑制

 安倍総理が辞意を表明したことで大きく変わったことがある。それは、マスコミが最優先して伝えるニュースが新型コロナウイルス関係ではなくなったこと。

 国民の最大感心事がコロナではなく安倍総理辞任の方に一斉に向かったため、マスコミ報道もそれに準じてコロナ問題を隅に追いやり、自民党の時期総裁選問題に移行した。このことは、安倍総理辞意表明の予期せぬ功績だったと言える。皮肉なことに、安倍総理の辞意表明が、日本のコロナパニックを抑え込む最大の手段に成り得たと言える。

 そして、この現象をもって、図らずもマスコミ報道がコロナパニックに拍車を掛けていたことが如実に判明してしまったとも言える。実際、コロナ第1波騒動は名実ともに収まりそうな気配が感じられる。

 コロナ被害を大々的に煽ることが安倍批判に繋がるという屈折した判断から、反アベ勢力は、コロナ被害を針小棒大に伝えていた疑いがある。

 これはアメリカも同様で、反トランプのリベラル系マスコミ(ほぼ全て)がトランプ大統領の再選を阻むべく、イメージダウンを狙ってコロナ対策の失敗を大々的に煽っている。日米ともに、新型コロナウイルス問題が政局に利用されていることは間違いない。

■安倍総理は少し左寄りの保守政治家だった

 安倍総理が辞意を表明したことで、コロナを政治的に利用する必要もなくなったので、今後はまともなコロナ対策論も出てくるかもしれない。「全国民PCR検査」などという医療崩壊&国家破壊に直結するような出鱈目な意見も鳴りを潜めていくかもしれない。

 「森友・加計問題」や「桜を見る会問題」も、これ以上追及する意味がほぼ消失してしまったので、このままフェードアウトしていくのだろうか。もしそうであるなら、反アベ勢力が、これらの問題を政局に利用していたことの証明になってしまうが、果たしてどういう幕引きが用意されるのか興味深い。もし、都合良くフェードアウトしていくようなら、批判の矛先は安倍総理から彼らに向かうことになる。

 安倍総理がこれほどまでに反アベ勢力から憎まれたのは、第1次安倍内閣時に「戦後レジームからの脱却」を言い出したからだと思う。「戦後レジームからの脱却」とは、言葉を変えれば、「反日マスコミからの脱却」を意味しており、戦後の似非民主主義を戦前のまともな民主主義に戻すことを意味していた。

 しかしながら、安倍総理自身、具体的なことはほとんど言わなかったので、「戦前回帰だ!」というような誤解が生じ、「右翼政治家」というレッテルを貼られることになってしまったが、現実の安倍総理は右翼でもなんでもなく、どちらかと言うと、少し左寄りの保守政治家だった。

 日本で言うところの「右翼」と「左翼」というのは、それぞれ「保守」と「極左」のことを意味しており、「右翼政治家」などは基本的に存在しない。日本には戦争を望んでいるような政治家はどこにもいない。いるのは、戦争を回避したいと願っている政治家(=保守政治家)だけである。

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posted by 自由人 at 22:21 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月29日

新型コロナウイルスの常識破壊【安倍総理の電撃辞任】


■「断腸の思い」の辞意表明

 安倍総理が電撃的に辞意を表明したことで日本中が揺れている。事前に前振りは有ったとはいえ、こうもアッサリと辞意を表明されたことに驚きを隠せない人も多いようだ。
 当初、17時から会見を行うと伝えられていたにも拘らず、フライング的に14時頃に報道されたので、株式市場も一時、パニック売り(または空売り)が出て急落した。

 コロナの話は冒頭の一部だけで、ほぼ、安倍総理本人の健康問題についての会見だった。病状は案の定、持病の潰瘍性大腸炎が再発したということだった。

 安倍総理本人も「断腸の思い」だと述べておられたが、いろんな意味で残念だ。首相としての連続在職日数が歴代1位になった矢先の出来事だっただけに、どこか運命的なものを感じてしまう。
 第1次安倍内閣の時も潰瘍性大腸炎の悪化を理由とした辞任だったが、その後、8年近くも無事に過ごされてきたにも拘らず、ここに来て急に再度の持病悪化。これも偶然とは思えない。「病は気から」という言葉の通り、コロナ禍による激甚なストレスが引き金になったのではないだろうか。

■「機を見るに敏」だった電撃辞任

 思えば、昨年、消費増税を決行した辺りから、安倍総理の幸運にも陰りが見え始めていたが、そこに突然、降って湧いたかのように新型コロナウイルス問題が発生し、景気が一気にダウン。消費税を上げた途端に、この上ない消費不況が訪れるというカウンターパンチのような不運に見舞われた。
 幸運の象徴とも思えた東京オリンピックの開催も、まさかの延期となり、八方塞がりで先の見えない中、ボディブローの連打のようなコロナストレスが病の悪化に繋がったのではないかと想像する。

 安倍総理の悲願だった「憲法改正」も成就することなく志半ばで退陣することは、まさに断腸の思いなのだろうけれど、今後、数年間は続くと見られるコロナ問題と安倍総理の健康面を考えると、ちょうど良い引き時だったのかもしれない。

 コロナ禍によって、憲法改正の機運も後退してしまい、来年に行われる予定の東京オリンピックも、コロナ第2波が来た時点で開催はまず不可能。このまま総理を続けても、イメージが悪くなることはあっても良くなることは無いという状況であり、晩節を汚すことになる可能性が高いため、前向きな思考ができなくなったのかもしれない。

 幸い、現在はコロナの第1波が終息しかけており、一時的に危機は和らいでいる。第2波が来る前の小休止期間が有ったことは、安倍総理にとっても幸運だったのかもしれない。

 自民党内に安倍総理の代わりが務まる人がいないような状況下で呑気なことを言っている場合ではないのだが、現在の巨大なストレスの重圧から解放されれば、心も落ち着き、病も次第に快方に向かわれるのではないかと思う。

 それにしても、これまで安倍総理を失脚させることを生業としてきた「反アベ勢力」にとっては、喜ぶ以前に梯子を外された格好となってしまったが、これから何を目的に行動するのだろうか?

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posted by 自由人 at 09:32 | Comment(0) | 政治
2020年08月26日

コロナ禍日本の「悪循環トライアングル」


■時系列で見る各国の「ピークに達した」発言

 (3月12日)中国「新型コロナの流行ピーク過ぎた

 (4月16日)アメリカ「新規感染ピーク過ぎた

 (5月1日)イギリス「感染ピーク過ぎた

 (8月20日)日本「だいたいピークに達した

 こうやって並べてみると、日本の発表が如何に遅かったかということがよく分かる。

 アメリカやイギリスと比較しても感染者数も死亡者数も桁違いに少なかった日本の場合は、他国に先駆けてもっと早くに「ピークは過ぎた」と発表してもよかったのではないだろうか。

 尾身氏の「ピークに達した」発言の影響もあるのか、今頃になってようやく、「新型コロナ2類相当の見直し検討」や「GoToトラベルの東京対象検討」などが囁かれているが、後手後手に回っている感は否めない。

 「新型コロナ2類相当の見直し」は、ずっと以前から多くの識者が述べていたことであり、「GoToトラベルの東京除外」に反対していた識者も大勢いた。しかし、危機を煽るマスコミの意向に添わない人々は、マスメディアにはほとんど登場しないので、そのような反対意見が有ることさえ気付かない人々が大勢いる。

■「悪循環トライアングル」からの脱皮が必要

 GoToトラベルの東京除外を決定した7月の時点で、既にコロナの感染ピークは過ぎていたと思われるが、「GoToトラベルで取り返しのつかないことになる!」と言っていた人も何人かいた。

 しかし実際は、GoToトラベルを実施したことで取り返しのつかないことになったのではなく、むしろ、GoToトラベルから東京を除外したことで取り返しのつかないことになってしまったと言える。観光業を中心に数え切れないほどの経済活動が失われてしまったその責任は誰が取るのだろうか?

 今週末に予定されている安倍総理の会見では、おそらく、「新型コロナ2類相当の見直し」や「GoToトラベルの東京追加」の件も話されるのではないかと思う。

 しかし、これらは本来、7月の時点で判断してもおかしくなかったことであり、既に1ヶ月以上遅れていることになる。
 これから涼しい季節になってくると、いつ何時、コロナの第2波が来るかも分からない。そういう状況下では、1ヶ月の遅れは致命的であり、何事も臨機応変に素早く変えていくようにしなければ、毎度毎度、後手後手に回ることになり、やることなすこと全てが裏目に出る可能性が高くなる。実際にこれまでの対応を見てきても、その通りになっていると思う。

 マスコミに登場する無責任な専門家いい加減な評論家が必要以上に危機を煽り、優柔不断な政府が間違った対応を余儀無くされるという悪循環。
 こういった悪循環トライアングルを未然に防ぐためには、法律や専門家の意見に極力縛られることなく、もっと素早く臨機応変に変更できるような危機管理システムに変えていかなければ、この先、二進も三進もいかなくなってくる危険性がある。もとより、新型コロナウイルスには常識が通用しないのだから、常識に縛られた対処法では間に合わないことは自明の理だと言える。

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posted by 自由人 at 23:01 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月24日

新型コロナウイルスの常識破壊【ブックオフの立ち読み禁止】


■「3密」ならぬ「3禁」のブックオフ

 「新型コロナウイルス」は、これまで無駄だと思われてきたものを情け容赦なく、バッサリと切り捨てる役割を担っているという意味では、ある意味、「革命ウイルス」とも呼べる側面を有している。

 卑近な例で言えば、ブックオフでのマンガ立ち読みが禁止されるという切り捨ても行われている。立ち読み禁止だけでなく、長居も禁止、トイレの使用も禁止という状態。

 私も一応、ブックオフの1株主なので、定期的に数軒のブックオフに立ち寄っている。株主の視点で観ると、マンガを立ち読みするためだけに訪れている人が大勢いて、そういう人が長時間、限られた駐車場のガレージを使用し続けているのは無駄だなと思うことがあった。本を購入してくれる人がガレージが一杯で店に入れず、そのまま帰ってしまうというのは、無駄にお客を逃がしているわけで、私自身も何度も店に入れずに帰った経験がある。

 ブックオフで立ち読みする人は「客寄せパンダ」と言う人もいるが、実際のところは、「客寄せパンダ」と言うよりも、好奇心と食欲が旺盛な「ただ飯食らい(フリーランチ)パンダ」のようなものかもしれない。気を悪くする人がいるかもしれないが、正直、ショップ側としては、プラスの面よりもマイナスの面の方が多いのではないかと思う。途中までマンガを立ち読みして面白ければ残りのマンガを購入してくれるわけでもなく、「続きはまた来て読もう」という人がほとんどだろうと思う。これでは図書館と変わらず、1円の儲けにもならない。冷静に考えると、これは膨大な無駄だと思う。

■古本屋のシステムを変えてしまった「新型コロナウイルス」

 「現在は、スマホのマンガアプリでも無料で読めるマンガが多く出回っているので、そういった無駄はブックオフに限った話ではない」と言う人がいるかもしれない。

 しかし、マンガアプリなどは、全話無料というようなことはない。途中までは無料でも、そこから先は有料になるケースや、1日(24時間)に1話しか読めないというケースがほとんどだ。そういったシステムであれば、毎日1話では物足りないので、購入しようとか、レンタルしようという人が必ず出てくる。かくゆう私も、面白いマンガを見つけると、購入するか、マンガレンタルを利用して一気読みすることがある。
 しかし、ブックオフの場合、場合によっては全巻無料になってしまい、1日で全巻読んでしまう人もいる。スマホでいきなり全巻無料で読めるような所があるとすれば、違法サイトぐらいのものだろう。

 今まで無料で立ち読みOKとしていたところを、急に「立ち読み禁止」というようなことにすると、これまで立ち読みしていた利用客からは非難囂々でショップ側としても風評被害でマイナスになる危険性がある。そういった事情も鑑みて、これまでマンガの立ち読みは野放し状態となってきたのかもしれないが、「新型コロナウイルス」が登場したことで、この誰も変えられないかに見えたシステムが何の抵抗もなく変わってしまった。
 それが先に述べた「立ち読み禁止」「長居禁止」「トイレ使用禁止」の「3禁」である。

 マンガを立ち読みすることを目的に来ていない一般客からすると、「トイレ使用禁止」は行き過ぎ感が否めないが、トイレが使用できることで長居が可能になるため、仕方がないのかもしれない。(本当の理由はトイレでのコロナ感染を防ぐためなので誤解のないように)

 「新型コロナウイルスの感染リスクを低減するためには、ソーシャルディスタンスを取る必要がありますので、立ち読みは控えてください。同じ場所にいることも感染リスクを高めますので、長居は避けてください。
 こう言われると、誰も反論できず、渋々帰るしかない。それが商売上、良いことなのか悪いことなのかは論じないが、「新型コロナウイルス」の常識破壊は、郊外の古本屋の世界にも及んでいる。

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posted by 自由人 at 22:46 | Comment(0) | 経済
2020年08月23日

「新型コロナウイルス」よりも恐い「新型熱中症」


■小学生でも持っている「同調圧力」

 私が小学生の時、水泳の授業で腰にバスタオルを巻いて着替えている生徒を「非国民だ!」と言って罵るような生徒がいた。多分、どこの小学校でもそんなお節介なウザい生徒がいたのではないかと想像する。
 今となっては笑い話だが、当時を振り返って考えてみると、そんな年代の子供ですら「同調圧力」という概念を持っていたのだな…と感慨深くなる。

 そんな「同調圧力」に敏感な国民性のせいもあるのか、現在でもマスクをしていない人を見ると「非国民だ!」と言わんばかりに、マスクを付けていない人を非国民扱いにする人々がいる。

 他人にウイルスを伝染さないためのエチケットとしてマスクを付けることを勧めるなら理解もできようものだが、TPOを無視して無条件にマスクを付けることを当然とする考えは行き過ぎだと思う。

 新型コロナウイルスが本当にコウモリ由来のウイルスであるなら、ドラキュラのように日の光には弱いというイメージがある。実際、新型コロナウイルスは紫外線に弱いということは科学的にも証明されているらしく、大手回転寿司チェーン店でも寿司に紫外線を照射するシステムを採用している所がある。

■「マスクを付けなければ死ぬ」という強迫観念が齎す病

 現在のように新型コロナウイルスも逃げ出すような炎天下の中、誰とも接触せず、誰とも話さないのにマスクを付けて歩く必要性はほぼ皆無だと思えるのだが、それでもマスクを付けなければ気が済まないという人は多いようだ。そういう人は、家の中でも、車の中でもマスクを外していないのではないかと思う。まさか、就寝時にマスクを付けて寝る人はいないと思うが、これとて「いない」と断言できる保証はない。

 そういった融通の利かない性格が原因で、熱中症になる人も増加している。炎天下でマスクを付けて熱中症になるという、昨年までの常識では到底考えられなかった予想外の熱中症が発生している。全く新しい熱中症という意味では、「新型熱中症」と呼ぶに相応しい病とも言える。
 「今夏の日本」という条件付きで言うなら、「新型コロナウイルス」よりも「新型熱中症」の方が恐ろしい病だとも言える。

 通常の「熱中症」は、肉体的なことが原因で発生する病だが、「新型熱中症」というのは、肉体だけでなく精神的なものが起因となって発生する病でもある。
 「マスクを付けなければ死ぬ」という強迫観念が原因となり、マスクを付けることで意識を失い、場合によっては死んでしまうという実に皮肉な病でもある。

 この「新型熱中症」を含む「熱中症」で病院に搬送される人は膨大な数に膨れ上がっているが、その人々にPCR検査を行うと、中には陽性になる人もいるのだろうと思う。その場合、PCR検査が陽性ということで、新型コロナウイルス感染者としてカウントされることになる。
 そして、もしその患者が重篤な症状に陥っ場合は、新型コロナウイルスの重傷者、死亡した場合は、新型コロナウイルスの死亡者としてカウントされることになるのだろうか。

 新型コロナウイルスに感染することで、持病が悪化して死亡する人もいれば、マスクを付けることで熱中症となり、死亡する人もいる。新型コロナウイルスが直接的に人間を死に至らしめると言うよりも、新型コロナウイルスが介在することで、間接的に死を招くと言った方が正解なのかもしれない。

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posted by 自由人 at 13:23 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月22日

「トランプ劇場」はまだ始まったばかり


■いつか見た光景、再び

 2016年のアメリカ大統領選におけるドナルド・トランプとヒラリー・クリントンの事前支持率の差は桁違いに大きく、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズの大手3紙もこぞってヒラリー・クリントンを支持していた。おまけに米国メディアも「反トランプ」報道を繰り返した。日本のマスコミも同じようなトーンで報道を繰り返したので、日本人のほぼ全員がヒラリー・クリントンの当選を信じて疑わなかった。しかし、その多くの逆風を跳ね返してトランプ氏が当選したことは記憶に新しい。

 その奇跡とも呼べる現象は何を意味していたのか? それは、アメリカの多くの有権者が大手メディアの報道に左右されずにトランプに投票したことを意味していた。
【参考文献】『トランプ「超・保守改革」』(早川俊行著)

 それから4年が経過し、最近はまた、同じような光景をよく目にするようになった。
 アメリカのメディアも日本のメディアも反トランプ姿勢を露にし、バイデン氏を持ち上げる姿勢を鮮明にしているかに見える。

 日本のメディアは主にアメリカのCNN(ケーブル・ニュース・ネットワーク)の報道を取り上げることで知られているが、CNNは「民主党のプロパガンダ機関」とも呼ばれ、アメリカでは「コミュニスト・ニュース・ネットワーク」とも揶揄されている。
【参考文献】『トランプは再選する!日本とアメリカの未来』(ケント・ギルバート著)
      『日本は誰と戦ったのか』(江崎道朗著)

■テレビ番組内で特定の政党を応援することの是非

 日本のテレビを観ていると、トランプ大統領はアメリカ社会を分断した悪者であり、ジョー・バイデンこそが弱者の気持ちを理解した指導者だというような印象操作をしているかに見える。
 もっとも、日本人にアメリカの選挙権が有るわけではないので、日本国内でどれだけ印象操作をしてもアメリカ大統領選に影響を与えることはできないだろうけれど、そういった報道からは、バイデン氏が次の大統領になることを暗に期待しているかのような姿勢が垣間見える。中立の立場で報道するはずの他国のメディアが、明らかに反トランプの姿勢でバイデン氏を応援しているというのはいかがなものだろうか。

 日本で親しまれている某アメリカ人タレントも、以前からテレビ番組内で民主党支持を表明し持論を述べておられるが、マスメディア報道は「公平性・中立性」を重きに置いているのではなかったのだろうか?
 トランプ(共和党)派、バイデン(民主党)派のゲスト2人を呼んで語らせるなら公平性が担保されていると言えるかもしれないが、番組のレギュラーが1人、バイデン氏の応援を行っているというのは公平な報道と言えるのだろうか?
 個人が誰を応援するのも自由だが、多くの人が視聴する公的な報道機関でもあるマスメディア内で公然と特定の政党を応援することは問題ないのだろうか?と疑問に思う時がある。

■それでも、トランプは再選する

 多くの日本人は、今回も「バイデンが勝利する」と思わされているのではないかと思う。かつて、「ヒラリーが勝利する」と信じて疑わなかった時と同じような感情が芽生えてきつつあるのではないかと思う。
 しかしながら、おそらくその期待は、再度、裏切られることになると思われる。トランプ大統領への相次ぐ批判や暴露本の連続発刊など、ここぞとばかりにイメージダウンを狙ったマイナス材料が目白押しのトランプ政権はもう終わりだと思っている人も多いと思う。

 しかし今回も、そんな下馬評は無かったかのようにトランプ氏が再選を果たすことになると思う。
 4年前にあれだけ叩かれたトランプを自分の意思で選んだ有権者の心は、そう簡単には変わらない。マスメディアがどれだけ声を大にして針小棒大にトランプ批判を行ったとしても、アメリカの将来を憂い、自分の頭で考えてトランプに投票した人の心を変えることは至難の業である。マスメディア情報よりもトランプ個人が発信するSNS情報を信頼している人々にとっては、リベラルメディアの偽善性(フェイクニュースぶり)は嫌というほど理解している。

■求められているのは中国を批判できる指導者

 「ポリコレや偽善ばかりが横行する窮屈で息苦しい現在のアメリカを変えたい」という一心でトランプに賭けた草の根有権者達の目的は未だ途上であり、民主党のバイデンが大統領になれば、また元の窮屈で息苦しいアメリカに戻ってしまう可能性が高くなる。そのことを痛切に感じ取っている人々の心が、道途上で変わることはまず有り得ないと思う。
 アメリカの大部分のメディアはそういった人々の声を取り上げないし、そんなアメリカのメディア情報を頼りにしている日本のメディアでは当然、伝わらない。

 「トランプは新型コロナウイルス対策に失敗した」と言っている人もいるが、誰が大統領でも、新型コロナウイルスを抑え込むことはできなかったということぐらい、誰もが理解している。オバマやクリントンやバイデンならコロナを退治できたのか?というと、そんなことはない。誰が大統領でも無理だっただろう。むしろ、トランプ大統領は逃げずによくやった方だろうと思う。コロナ感染が恐くて選挙戦から逃げたサンダース氏を見ればよく解る。

 危機の時に狼狽えずに冷静に行動できる人物こそがリーダーに相応しい。実現不可能なコロナ退治を餌にして有権者を釣り上げようなどという浅ましい計り事は、まともな有権者には通用しない。対案もなく批判するだけの政治家に国家の命運を任せようなどとは誰も思わない。

 そもそも、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、多くの人命を奪うことに繋がった原因は、中国が病の感染拡大を隠蔽しようとしたことにあり、責められるべきは、他国の大統領ではない。その中国に対して毅然とした対応を取ることのできる人物こそが求められているのである。



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posted by 自由人 at 09:41 | Comment(1) | 国際問題
2020年08月20日

「ポリコレ運動」に通じる「アマプラ解約運動」


■「アマプラ解約運動」の違和感

 国際政治学者の三浦瑠麗氏がアマゾンプライムのテレビCMに登場したことで、「アマプラ解約運動」というものが話題になっているらしい。

 その表向きの理由というのが、「三浦瑠麗氏が徴兵制を勧めているから」ということらしいが、さすがに、これは行き過ぎではないかと思う。
 当のアマゾン側は既に三浦瑠麗氏のCMをカットする方針を発表しているが、むしろ、そういう一部の意見に迎合するアマゾン側の軽はずみな姿勢こそが、先々にアマプラ解約を促す原因になるのではないかと心配になる。こういう場合、「良い宣伝になった」と開き直った方がよかったのではないかと思われる。

 私自身、アマプラユーザーの1人だが、三浦瑠麗氏が何を言ったところで契約を解除しようとは思わない。また、誰がアマゾンのテレビCMに出たとしても、そんな理由だけで契約を解除しようとも思わない。おそらく、ほとんどのユーザーが同じ考えだろうと思う。そんな理由だけで本当に契約を解除するような人はごく稀ではないかと思われる。

 逆に、好きなタレントがアマプラのCMに出た場合、「アマプラ契約運動」をするような人がいるのだろうか? 「○○○○がアマプラCMに出ているので、アマプラに加入しましょう」と呼びかけるのだろうか?

 どちらにしても、そんなのは個人の自由であり、他人に勧めるようなものではないと思う。「みんなに観てもらいたい面白い映画やドラマがあるので、皆さん、アマプラに入りましょう」と言うなら理解できるが、「私が嫌いなタレントが出ているので、アマプラを解約しましょう」というのは違和感を感じる。

■「多様性」とは真逆のポリコレ論者

 今回のアマゾンの判断は、まさに少数派(マイノリティ)の意見に流された格好であり、本国のアメリカ風に言うなら、ポリコレに呑み込まれたような状態だとも言える。「徴兵制は政治的に正しくない」という意味でのポリコレ炎上劇と言ったところだろうか。

 ポリコレを叫ぶ人々はしきりに「多様性」という言葉を口にするが、「多様性」というものを全く理解していないと思われる人が多い。

 例えば、

 A「私は徴兵制に賛成です」

 B「私は徴兵制に反対です」


 このの両者の意見を否定せずに受け入れ、素直な視点でどちらの言い分が正しいのかを論理的に考えようと努める。そういった融通の利いた鷹揚な姿勢こそが「多様性」を受け入れるという意味である。
 「私は徴兵制に賛成です」と言った人間を脊椎反射で否定し、「テレビに出すな」、「テレビに出すなら抗議する」というのでは、「多様性」の受け入れとは真逆の姿勢であり、「画一性」そのものである。そういった姿勢は、本来、「思想統制」や「言論統制」と呼ぶべきものであり、「排他主義」そのものとも言える。

 「徴兵制」を「憲法改正」に変えても同じことが言える。

 A「私は憲法改正に賛成です」

 B「私は憲法改正に反対です」


 このの両者の意見を否定せずに受け入れ、素直な視点でどちらの言い分が正しいのかを論理的に考えようと努める。そういった融通の利いた鷹揚な姿勢こそが「多様性」を受け入れるという意味である。
 「私は憲法改正に賛成です」と言った人間を脊椎反射で否定し、「テレビに出すな」、「テレビに出すなら抗議する」というのでは、「多様性」の受け入れとは真逆の姿勢であり、「画一性」そのものである。そういった姿勢は、本来、「思想統制」や「言論統制」と呼ぶべきものであり、「排他主義」そのものとも言える。



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posted by 自由人 at 20:11 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月15日

「熱中症」と「コロナ」の皮肉な関係性


■「コロナ」よりも死亡者が多い「熱中症」

 このところの日本列島は、体温を超えるほどの猛暑となり、東京都を例に挙げると、2日間で14人の死亡者が出ている。やはりコロナと同じように高齢者の死亡者が多いらしく、体力的な限界というものがあるのだろう。コロナの場合は「免疫力」の低下、熱中症の場合は「体力」の低下が命運を分けてしまうということだろうか。

 平成30年度の熱中症の総死亡者数は1581人だったらしい。コロナの総死亡者数は現在のところ1073人なので、現状ではコロナの死亡者数よりも熱中症の死亡者数の方が多いということになる。

 コロナで東京アラートを出すくらいなら、熱中症で東京アラートを出した方が「赤色が高温を表す」という意味でも、まだ現実味があるような気もするが、今後、熱中症でどれだけ死亡者が出たとしても東京アラートが赤く点灯することはないのだろうと思う。

 同じように、熱中症では「自粛要請」も「休業要請」も「緊急事態宣言」も出ない。せいぜい、テレビで「クーラーを付けるようにしてください」と注意喚起する程度だろうと思う。
 なぜ、そうなるのかというと、単純に、熱中症は他人に伝染しないから。当人が熱中症になっても、他人に迷惑はかからないということで問題にならない。

■インフルエンザでも後遺症は残る

 ではインフルエンザはどうなのか?というと、こちらは他人に感染させてしまうが、毎年、多くの感染者と死亡者が出ることが世間一般の常識となっているので、なぜかノープロブレムとなる。新型コロナウイルスの場合も、何年も続けば、それが世間の常識となって、それほど問題視されなくなるのかもしれない。

 「コロナは後遺症が残るからインフルエンザとは違う」と言う人がいるかもしれない。しかし、インフルエンザでも後遺症が残ることはある。

 私事で恐縮だが、私自身も何年か前にインフルエンザに感染したことがある。39度以上の熱が出て、数日後に味覚が無くなるという体験をした。インフルエンザが完治してから徐々に味覚は元に戻っていったが、感染中は、何を食べても苦いだけで全く味が分からなかった。
 その当時、調べて判ったことは、インフルエンザウイルスに感染することによって体内の亜鉛が欠乏したために味覚が無くなるということだった。だから、味覚が無くなれば、亜鉛が多く含まれる食事や亜鉛サプリを取れば、味覚も早く戻るのではないかと思う。

■「熱中症」が「コロナ」の恐怖を和らげる可能性

 話を「熱中症」に戻そう。
 マスクを付けて生活していることが熱中症の増加と無関係でないことは明らかだと思われるが、「コロナ」と「熱中症」を天秤にかければ、「コロナ」の方が断然重くなってしまうという人は多いのだろうと思う。
 しかしながら、夜の街や閉め切った室内ならともかく、この暑い炎天下で、屋外でマスクを付けずにいたとしても、コロナに感染する確率は限りなく0に等しいと思われる。逆にマスクを付けていることが原因で熱中症になる確率の方が圧倒的に高くなるのではないだろうか。

 命の危険が有るという意味では、どう考えても気を付けるのは「熱中症」の方だと思われるのだが、「コロナ」を怖がっている人の認識は逆なのかもしれない。「コロナ」に感染しないためにはマスクは絶対的な神アイテム(必需品アイテム)であり、熱中症になるリスクなど取るに足らないと思っているのかもしれない。

 今夏、「コロナ」の死亡者よりも「熱中症」の死亡者が圧倒的に多くなってくると、「あれっ、おかしいな…」と思う人も出てくるかもしれない。
 明らかに熱中症の搬送者の方がコロナの感染者よりも多くなってくると、「えっ、えっ、なんで?、コロナはどこへ行ったんだ!?」ということになるかもしれない。

 「熱中症」報道が増えることによって「コロナ」報道が少なくなれば、コロナ恐怖症も少しは収まるかもしれない。

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posted by 自由人 at 08:57 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月12日

「コロナ利得者」としてのマスコミ


■新型の「利得者」が生まれる時代

 多くの日本人は敗戦によって塗炭の苦しみを味わうことになったとされるが、その一方で、敗戦を機に棚ぼた的に利益と権力を手中に収めた人々(組織)がいた。そういった人々のことを「敗戦利得者」と呼ぶが、現代における新型コロナウイルスと人類との戦争でも、同じような利得者が生まれようとしている。名付けて「コロナ利得者」。

 コロナの第2波、第3波…が来るだろうことは、もはや世界の常識となっているので、「コロナ禍市場」は今も拡大し続けている。マスクの製造や、関連商品の製造もその1つだろうけれど、もし、万が一、コロナが早期に収まったとすれば、現在、急激に拡大中のコロナ禍市場のバブルが弾けて、製造した商品すべてがパアになってしまうかもしれない。

 第2波、第3波…と来ない可能性は限りなく低いと思われるが、もし早期に完全終息するようなことになると、コロナ禍を1日でも長引かせて投資資金を回収しなければならないという勢力が現れたとしても何ら不思議なことではない。このことは第1波だけに限定しても同じことが言え、予想外に短期間で1つの波が収束した場合、少しでも事態を長引かせようという力が働く場合がある。
 これはあくまでも仮定の話であり、単なるシミュレーションだが、この先、そういったことが起こり得る可能性が有るということだけは認識しておく必要があると思う。

 具体的な例を挙げれば、現在の「マスコミ」などは既に「コロナ利得者」と化しているように見える。毎日のようにコロナ特集が組まれ、視聴率も鰻上りで高値安定。コロナが深刻化し過ぎるとスポンサーがいなくなるというリスクは抱えているものの、現状の第1波ではそこまではいかないと踏んでいるのか、コロナの恐怖を必要以上に煽っているかに見える。

 「本日のコロナ重篤者は○人でコロナ死亡者は0人でした

 と言うと誰も怖がらないので、

 「本日のコロナ感染者は○○○人で過去最高を記録しました

 となる。

 世間一般の人々の艱難辛苦を余所目に、嬉々として不安を煽り、我が世の春を謳歌している組織という意味では、まさしくマスコミは、現代の「敗戦利得者」ならぬ「コロナ利得者」だと思われても仕方がないと言える。

■「コロナ真理教」と化しているマスコミ

 吉村知事の言葉ではないが、「嘘のような本当の話」をすると、現在、田舎に住んでいる人の中には都会(東京や大阪など)に住んでいる人をゾンビのように毛嫌いしている人が本当にいる。と同時に、そんなゾンビ達が実家に帰って来たとなると近所から村八分扱いにされることを異常なまでに恐れている。
 この辺は、日本映画『楽園』で描かれていた限界集落のような感じなのかもしれないが、こういうのが行き過ぎると、人間関係の縺れから終いには映画と同じような悲惨な事件に発展するのかもしれない。
 そんな事情もあってか、都会の人と会うことを極度に恐れ、都会で暮らしている子供や孫に対して「家に帰ってくるな!」と通達している人もいるらしい。

 こんなことになるのも、マスコミが恐怖を煽り過ぎているからだとも言える。テレビしか観ない田舎の老齢者にとってはマスコミ報道は絶対であり、疑うなどという感情は微塵も持っていない人が大勢いる。彼らからすると、テレビに出演している専門家や医療関係者は、さしずめ神官のような存在であり、絶対に間違ったことは言わないと頭から信じ込んでいる。「今日は全国で○○○○人の感染者が出ました」と言われると、どんどん感染は広がっているものと解釈し、神様のご託宣をいただいたかのような心境の人もいると思われる。

 まさに、嘘のような本当の話だが、彼らの視点ではマスコミは「コロナ真理教」の総本山であり、専門家は「コロナ真理教」の教祖であり、自らは「コロナ真理教」の信者と化している。

 目に見えない新型コロナウイルスは、さしずめ「悪魔」のような存在であり、その悪魔に取り憑かれる恐怖に日夜怯え続け、「3密」の教えを信奉し、家族とも会わずに家に閉じ籠る。まるで、カルト教を題材にした社会ドラマのような話だが、彼らの心の中では、それは虚構ではなく現実なのである。コロナの恐怖を必要以上に煽るマスコミの罪は重いと言わざるを得ない。

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posted by 自由人 at 23:09 | Comment(0) | 社会問題
2020年08月11日

「国家安全維持法」を恣意的に運用する中国


■「民主の女神」逮捕の衝撃

 香港の「民主の女神」と呼ばれる周庭さんが香港警察に逮捕されたことで、世界的な大ニュースとなっている。

 当初、「国家安全維持法」は、その法律が施行された後の事件だけが対象だったはずが、過去の事件にまで遡及して「国家安全維持法」を適用するという、およそ、まともな民主国家では考えられないデタラメな法の運用が為されたことで、世界中の多くの識者が危機感を露わにしている。

 逮捕してから恣意的に法律を後解釈して罪人を罰することは独裁国家の法運用であり、何でもやりたい放題が罷り通ってしまうことになる。少し前に日本で話題になった「人質司法」もその1つだが、これでは冤罪者だらけになってしまう。
 図らずもこの一件で、中国は、反逆した者は即死刑という北朝鮮と同じような国であることを自ら曝け出してしまったとも言える。

 ポンペオ米国務長官が先日に述べた「習氏は破綻した全体主義の信奉者」という言葉が思い出される。この言葉をシンプルに言い換えると「習氏は共産主義者」ということになる。

 以前、ライブドア事件時に、「万引きで死刑」という言葉が流行ったことがあるが、今回の事件は「民主化を訴えて無期懲役」というようなもので、それがジョークにならないところが中国の恐ろしいところだ。

■「戦前の日本で民主化を訴えれば逮捕される」という誤解

 日本人の多くはこれまで、中国は民主主義国家ではないということの意味を深く考えずに付き合ってきたが、これからはそういう無関心は許されなくなっていくかもしれない。

  周庭さんは逮捕前に以下のように述べている。

>「恐怖感に負けずに引き続き自分の信念、私たちが信じている自由と民主主義のために戦っていくことがとても大事だと思っています。これからも一生懸命香港人の自由、そして民主主義を守るために頑張っていきたいと思いますので、日本の皆さんも世界の皆さんも私のことだけではなく他の香港の若者たちのことにも注目していただきたいと思っています。

 この意見を聞いて、こう述べている人がいるらしい。

 「民主化を訴えるだけで逮捕。戦前の日本と同じ。大好きな香港から自由が失われてしまった

 後半部はもっともな意見だが、前半部は間違っている。詳しいことは控えるが、戦前の日本は立派な民主主義国家だった。逮捕されたのは、民主化を訴えた人ではなく、革命(=国家の破壊)を訴えた人(共産主義者)の間違いなので指摘しておきたいと思う。

 これからはこういう誤解も許されなくなっていくのかもしれない。

■「非民主主義国家」とは付き合えない時代の到来

 仮定の話をすると、例えば、現在の北朝鮮がどんどん経済発展し「世界の工場」となり経済大国になったとすれば、日本(世界)は北朝鮮を主要な貿易相手国として付き合っていくことができるだろうか?
 普通の人なら、「それは無理だろう」と言うだろう。「あんな独裁者がいる国とのビジネスが成り立つはずがない」と思うだろう。
 ではその理由とは何だろうか? おそらくその理由は「民主主義国家ではない」ということが最大のネックポイントだろうと思う。

 では、中国はどうだろうか? 中国は北朝鮮と同じ政治体制を有する国であり、民主主義国家ではない。そうであるにも関わらず、何の疑問も感じることなく、日本の次に出現した「世界の工場」として中国とビジネスをしてきたのが日本であり、世界中の国々だった。その下敷きにあった思想は「グローバリズム」だったが、そのグローバリズムの危険性がようやく正しく認識されようとしている。

 世界中の国々は「中国が経済的に繁栄すれば民主化していく」という淡い期待によって中国とのビジネスを行ってきた経緯がある。しかし、その淡い期待は必ず裏切られるということに世界中が気付いてしまった。
 アメリカの共和党はもとより、民主党でさえもが、もはや中国を敬遠する姿勢をはっきりと意思表示しており、世界経済からの中国外しは、中国発の疫病である新型コロナウイルスの蔓延によって、もはや引き返すことができない状態を迎えつつある。

 そんな時代の節目にあって、その傾向にさらに火に油を注ぐ形となった今回の周庭氏逮捕事件。世界が中国にノーを突き付ける日が近付いている。

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posted by 自由人 at 22:58 | Comment(1) | 国際問題