2020年06月30日

「香港国家安全維持法案」の可決が意味するもの


■日本とは真逆の「香港国家安全維持法」

 中国の全国人民代表大会で「香港国家安全維持法案」が可決した。この法案にはテロ活動を防止する目的も含まれているので、日本で言うところの、かつての「治安維持法」のようなものだとも言えるだろうか。しかし、同じような法案でも、日本と中国では主客が転倒している。

 日本における「治安維持法」は主に共産主義者の暴力行為などを取り締まることを目的としたものだったが、中国の「香港国家安全維持法」は共産主義者が民主主義者のデモを取り締まるものとなっている。

 そう考えると、如何に出鱈目な法案かということが分かりそうなものだが、香港人を含め、諸外国では既に法案は施行されるものだと諦めムードを醸し出している。

 1997年から50年間は「一国二制度」を維持することになっていたはずが、半分にも満たないわずか23年間で「一国二制度」は反故にされようとしている。

■中国の「一人っ子政策」が齎す悲劇

 香港に住んでいる人々の怒りと落胆は察するに余りあるが、日本人もいつまでも対岸の火事(他人事)だと思っていてはいけない重大な問題だ。

 中国は40年程前に施行された「一人っ子政策」によって、生まれてくる子供の男女比が歪になり、極端に男性が多い社会になった。「一人っ子政策」は2015年には解除されたものの、既に時遅しで、結婚適齢期の男性が女性よりも3000万人以上も多くなったと言われている。

 仮に中国が少子高齢化を食い止めるために人為的に全国民に結婚するように強制したとしても、この3000万人の男性の結婚相手を見つけることは中国国内では物理的に不可能になる。

 ではどうするか? ここからは半分ブラックジョークだが、保守系の書籍などを読んでいると同じようなことが書かれている。それは、中国が日本を侵略すれば解決されると。要するに、3000万人の中国人男性が妻として娶るのは侵略された日本人女性になるというブラックジョークである。

 しかしながら、香港がこうも容易く中共の手に落ちたとなると、このブラックジョークは少し現実味を帯びてきたと言えるのかもしれない。

 「香港国家安全維持法案」の可決、それが意味するものは殊の外大きく、我々日本人にとっても無視できない大きな問題だということにもっと目を向ける必要がある。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 20:52 | Comment(0) | 国際問題
2020年06月28日

フェイスブックは情報統制企業になるのか?


■「言論の自由」で揺れるフェイスブック

 ヘイトスピーチ投稿の放置が問題となっているフェイスブックへの広告出稿を停止する企業が増えているらしい。大手企業までがフェイスブックとツイッターへの広告を出さないと発表しており、先週、同2銘柄の株価は急落した。

 この問題は、基本的にトランプ大統領の投稿を制限せずに公開していることが問題だということで、リベラル派が抗議していたことがそもそもの発端だった。要するに、政治案件であるわけで、個人個人の一般人の投稿がヘイトスピーチであるかどうかをチェックせよというような問題でもない。

 一口に「ヘイトスピーチ」と言っても、どこからどこまでがヘイトスピーチに該当する投稿なのかをいちいち調べていてはキリが無い。そんなフィルターをかけることは最新鋭のAIでも不可能だろうし、人間が1つ1つの投稿に目を通すことも物理的に不可能だろう。仮にトランプ大統領の投稿だけを人間がチェックしたとしても、文脈までチェックできるかどうかは分からないので、せいぜい、言葉だけで判断するしかない。

 ちなみに、BLOGOSでも記事の転載時に「ば○」という言葉は、自動的にデリートされていたことがある。「ば○り」という言葉の「ば」と「か」が削除されて「り」だけとなっていたことがあるので、以後、「ば○」と書く時は「か」部分を「○」にしている。

 話をフェイスブックに戻すが、そんなチェックを入れると投稿にタイムラグが発生してしまうことになる。リアルタイムで投稿できることがウリのSNS投稿で検閲のためのタイムラグが発生してしまえば、投稿する人が激減してしまうだろう。

 となると、最終的に行き着く結果は、特定の個人であるトランプ大統領の発言の抹消しか無いということになる。トランプ大統領が「SNS投稿を止める」と言い出すか、フェイスブックやツイッター側がトランプ大統領の投稿を禁止するしかないということになる。しかしこれでは、「言論の自由」に反していることになる。

■時代によって変わる「正確な情報」と「不正確な情報」

 姿の見えない匿名者が陰に隠れてヘイトスピーチ投稿を繰り返しているというなら問題だが、トランプ大統領は誰よりもテレビに顔を出している有名人であり、どんな発言であろうと責任を持って投稿している。そういった人物の投稿を禁止にするということなら、それはSNS企業の自殺行為であり、中国と同じ情報統制企業になってしまう。

 ネット上ではよく「不正確な情報」を載せてはいけないと言われるが、「正確な情報」と「不正確な情報」を誰がどうやって分けるのだろうか? 社会の常識などは、時代によって簡単に様変わりしてしまうことは誰もが知っている。簡単な例で言えば、「天動説」と「地動説」というものであっても、「天動説」が常識であった時代に「地動説」を言い出す人がいると、それは「不正確な情報」と判断されてしまうことになる。

 本来は、「地動説」こそが真実であるのに、その時代や人々の認識力の低さによって、それが「正確な情報」と判断されず「不正確な情報」と判断される。それが正しいことでないことは現代人であれば誰でも知っている。
 しかし、これと同じように現代では「不正確な情報」と思われていたとしても、実は「正確な情報」があるかもしれない。現代ではトンデモ論だと認識されているようなことが実は真実である可能性も大いにある。かつての「地動説」と同じように「正確な情報」を「不正確な情報」と判断してしまっていることも有って然るべきなのである。

 「そんなものは無い」と言う人がいたとすれば、その人物はかつての「天動説」論者である。現代の科学こそが最先端であると認識しているのだとすれば、その人物は既に科学者ではない。

 「正確な情報」と「不正確な情報」は時代によって変わる。SNS企業が、その事実を否定し、特定の人物の投稿を検閲し、現時点の常識だけで「正確な情報」を判断するようになれば、それは、かつての「地動説」を否定した人々と変わらないことになってしまう。

------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 11:08 | Comment(0) | 社会問題
2020年06月27日

水面下で行われている米中情報戦争


■黒人差別デモは「2密デモ」

 一度は減少に転じたアメリカの新型コロナウイルス感染者数が再び増加しつつあり、ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカットの3州は、感染者が増加傾向にある8州からの訪問者に対して、2週間の自主隔離を求めている。

 誰も表立って指摘していないようだが、この8州の中には黒人差別デモが大々的に行われているカリフォルニア州も含まれている。カリフォルニア州における1日のコロナ感染者数は7000人を超えており、最も感染者数が増加している州でもある。

 その原因は言うまでもなく「密集デモ」にある。コロナ感染者までがデモに参加しているわけだから、密接・密集を破った2密デモということになる。これでは感染者が増加しても仕方がないとも言える。

 差別を無くすことが命を守ることよりも優先されているような状況であるので、文字通り、命懸けのデモとなっている。しかし、暴動を伴った無差別デモでは黒人差別を無くすという意味で逆効果にしかならないような気もする。そんなデモに命を懸けても命の無駄遣いにしかならないような気もする。

■黒人警官が白人に暴力を振るえば?

 アメリカでは白人警官が白人に暴力を振るうこともあるし、黒人警官が白人に暴力を振るうこともあるし、黒人警官が黒人に暴力を振るうこともある。今回は、たまたま白人警官が黒人に暴力を振るい死に至らしめてしまったという殺人事件であって、差別事件と断定するのは無理が有るとも言える。もし、黒人警官が白人に暴力を振るい、今回のように死に至らしめるような事故があった場合、「白人差別だ」と言うのだろうか?
 あるいは、白人警官がアジア人を殺してしまった場合、「アジア人差別だ」としてデモを行うのだろうか?

 警官と犯罪者が取っ組み合いになって、どちらかが負傷するという不幸な事故は今に始まったわけではなく、これまでにも何度も発生してきたことであり、日常茶飯事的に行われていることでもある。犯罪者が抵抗して命の危険が迫った時には拳銃を発砲することが許されているアメリカでは、正当防衛として犯人に拳銃を発砲することも枚挙に暇がない。これは、アメリカだけでなく、日本でも命の危険がある場合は、正当防衛として犯人に対して拳銃を発砲しても罪に問われないケースもある。

■米中情報戦争が行われている可能性

 今回の黒人差別デモはタイミング的にも、かなり疑わしい部分がある。今年はアメリカの大統領選もあるので、政治的な意味での妨害工作としての側面も疑わざるを得ず、香港での中国批判デモも行われているので、そのデモに対するカウンターパンチとしての側面も疑わしい。新型コロナウイルス騒ぎによる中国批判を躱すために白人による黒人殺人事件を利用したと考えられなくもない。

 もしそういう意図があって行われているデモであれば、アメリカでのコロナ感染者数を増加させ、トランプ大統領の信用を失墜させ、中国批判をアメリカ批判にすり替えることもできる。まさに一挙三得、穿った見方をすれば、実に巧妙な妨害工作とも考えられる。

 結果、黒人差別は深刻化し、コロナ感染者が激増し、アメリカ社会は疲弊する。このデモの裏では、米中情報戦争が行われている可能性があるということにも目を向ける必要がある。
 もしそうであるなら、アメリカもいつまでも指を咥えて黙っていないだろう。大統領選挙前に大きな動きがあるかもしれない。
------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 10:41 | Comment(0) | 国際問題
2020年06月24日

「マスク教」への入信を勧める「マスク警察」


■聖なるアイテムと化した「マスク」

 梅雨のシーズン真っ只中となり、随分と蒸し暑くなってきたせいか、1日中、マスクを着けるのも鬱陶しい季節になってきた。
 しかし、案の定と言うべきか、コロナが一時的に終息してもマスクは外出時の必須アイテムとなり、まるで1億総ファッションであるかの如く、マスクを着けた人々が街中に溢れ返っている。その姿は恰もイスラム教徒の女性が身に着けているブルカやニカブのようですらある。

 イスラム教の聖典コーランには、「女性は美しい部分を隠せ」と書かれているらしい。男性は女性の美しい部分を見てよからぬことを考える(欲情して堕落する)ので、女性は美しい部分(口元・髪・肌・ボディライン等)を隠さなければならないらしく、その教えが現代に至るまで固く守られている。

 マスクは口(口紅)を隠す役割しか無いが、女性にとっては毎日、化粧して口紅を塗る手間が省けるという意味では助かるという人もいるようだ。反面、口紅を塗っていない(スッピン)ということで1日中マスクを外せないので困るという人もいるらしい。
 現在は、マスクが必須アイテムになったせいで化粧品(主に口紅)の売れ行きが落ちているそうだが、マスクに付着しない化粧品や口紅が有るなら、逆に売れるかもしれない。

 しかし、こう暑くなってくると、女性でなくても流石に1日中マスクを着けているのは問題だという人も出てくる。
 実際、マスクを着けたまま階段を駆け足で上ったりすると酸素不足で息切れしてしまうことがあるので、夏場はマスクを着ける必要も無いような気もするのだが、世間の空気がそれを許さなくなってしまっている。マスクの効能以前に、エチケットとしてマスクを着用することが求められているため、この「空気」に抗うのはなかなか難しいものがある。

■「自粛警察」と「マスク警察」の共通項

 さて、前置きはこの辺にして本題に入ろう。今回のお題は「マスク警察」というもの。

 政府の「自粛要請」や「緊急事態宣言」によって日本には「自粛警察」という存在が出現した。その役割は、自粛していない個人や集団を密告及び糾弾するというもので、かつてのナチス政権下において秘密警察(ゲシュタポ)に協力した一般人のような存在だったとも言える。
 彼らの行動様式は、ある意味で、「あそこにユダヤ人が隠れている」とナチスに密告することに奔走したような人々と似通っており、「あそこに自粛していない人がいる」と密告することを聖なる仕事と認識していたのかもしれない。

 「緊急事態宣言」が解除されたことで自粛する必要が無くなると「自粛警察」は鳴りを潜め、今度はマスクを着けていない人を糾弾する「マスク警察」として生まれ変わった。彼らの共通項を一言で言えば、「全体主義者」だということに尽きる。

 日本でも戦時中にマスコミを中心とする多くの「全体主義者」が生まれた。国のために命を捨てることを当然と煽る「全体主義者」が、軍人に対して国のために死ぬことを煽った。そして彼らは戦後、一転して国を否定する立場に転向し、国は悪いものであり、国を否定することは当然のことであると煽るようになった。
 右から左に立ち位置を180°変えたものの、中道を外れた「全体主義者」的気質を持った人々という意味では本質的に何も変わらなかった。

■社会の見えない「空気」に隷属した「○○警察」

 ついでに言うと、中世ヨーロッパの魔女狩りを行った人々も「全体主義者」的気質を持っていたということでは共通している。真の指導者か、偽の指導者か、その存在の善悪に拘らず大衆を煽動する指導者が現れると、その指導者の言葉を妄信し、その実現のためにひたすら猛進する。彼らの言動により創り出された「空気」は、更なる「全体主義者」を生み出すことになり、社会は、そのスパイラル化した淀んだ空気によって荒廃していくことになる。

 彼ら「全体主義者」は自らの姿を客観視できないという意味でも共通している。芝居で悪人や愚者を演じている者が、その芝居が終わっても、自らの役柄に気が付かない。芝居の中にあろうが、芝居が終わろうが、自分の立ち位置を客観視できない。彼らは、その場の空気に踊らされていることに気が付かない。社会の見えない「空気」に隷属した人々、それが、「全体主義者」の本質でもある。

 マスクを着けないことが異教徒であるかのように批判し、「マスク教」への入信を熱心に説いて回る善意の全体主義者「マスク警察」に注意しよう。



------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 20:10 | Comment(0) | 社会問題
2020年06月20日

新型コロナウイルスが齎す「働き方改革」


■「特別雇用調整助成金制度」の延長が齎すもの

 日本では6月に新型コロナウイルス(第1波)がほぼ終息したものの、多くの企業がコロナ禍による「特別雇用調整助成金制度」を利用しており、6月一杯は半休業状態である企業が多い。そのせいもあるのか、人が動いていない分、全体的な仕事量は減少しており、通常の勤務体制では時間を持て余す企業が多くなっている。おそらく一般的な企業では、仕事量が2割〜4割は減少しているものと思われる。これまで残業続きだったような人は定時帰りとなり、これまで定時帰りだったような人は、半分遊んでいるような状態かもしれない。

 この遊休状態を抜け出すためには、仕事を発注する大元の企業が率先して半休業状態を脱皮していく必要があると思われるのだが、周知の通り、政府は、6月30日までの予定だった「特別雇用調整助成金制度」を、9月30日まで延長した。

 現状、中小企業や下請け企業のセーフティネットとして、制度の延長はやむを得ないとしても、大企業や景気の良い企業まで同じように、この制度を利用し続けると、下請け企業や景気の悪い企業も同じように、いつまでも休業状態を維持しなければいけなくなる。

 もしこのまま日本の多くの企業が9月一杯まで「特別雇用調整助成金制度」を利用し続けるとなると、それが終了した10月頃には、少し気候も涼しくなってインフルエンザの流行と重なるように新型コロナウイルスの第2波が来るかもしれない。そうなると、政府はまた12月一杯まで延長し、12月になってもコロナが収まらないようだと、また3月まで延長と、延々とこの繰り返しになる可能性がある。

■新型コロナウイルスによる「働き方改革」の是非

 このままいくと、そうなる可能性は否定できないと思われるが、政府もいつまでも延々と補助金を出し続けるわけにもいかない。ある程度までは増税せずとも可能だろうけれど、許容範囲を超えてくると日本の官僚が大増税を言い出す可能性もある。

 そうならないためにも、「特別雇用調整助成金制度」を利用しつつも、徐々に経済活動を元に戻していく必要がある。今年中には、コロナ感染リスクを受け入れ、元通りの生活に少しでも近づけるようにしていく必要がある。

 もし、それができないということなら、経済縮小を受け入れざるを得ず、企業の勤務体系そのものを抜本的に見直す必要に迫られることになるだろう。1日5時間労働週休3日制、こういった企業が多くなると思われる。と言うよりも、そうするしか方法がなくなるだろう。物理的に仕事の総量が減少することによるワークシェアリングが不可避になれば、当然、収入も減少することになる。

 これまで馬鹿高い給料を維持するために、下請け企業のコストダウンで帳尻を合わすことしか考えてこなかったような企業は、自社の痛みを伴う改革を余儀無くされることになるだろう。コストダウンするべき下請け企業が無くなれば、当然そうなる。それは、結局のところ、同一労働同一賃金の導入を余儀無くされることを意味する。

 政府の「働き方改革」では実現不可能だった「同一労働同一賃金」が、新型コロナウイルスによって成就される可能性が有るとは、なんとも皮肉な話だが、このままコロナ感染リスクをいつまでも受け入れることができなければ、これまでの歪んだ日本の労働スタイルが音を立てて一気に崩れ落ちる可能性がある。

 新型コロナウイルスによる「働き方改革」、それは、ひょっとすると、良いことであるのかもしれない。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 06:56 | Comment(0) | 経済
2020年06月17日

中国の「輸入サーモン」犯人説は風評被害を招く


■「輸入サーモン」のコロナ犯人説は無理筋

 新型コロナウイルスの感染者が増加傾向にある中国の北京で、新たに100人以上の感染者が出たと伝えられている。なんでも、その感染源が「輸入サーモン」ということになっているそうだ。

 専門家の間でも、流石にこの説は信憑性に乏しく、単に料理中のサーモンにコロナウイルスが付着していただけではないか?と囁かれている。しかし、中国では既にこの情報が既成事実とされ「サーモン不買運動」が起こっており、既にサーモンが販売中止となっているらしい。

 武漢で多くのコロナ感染者が出た時は、野生のコウモリが感染源だということで、野生動物の売買が禁止されたが、北京でのコロナ感染者が増えたことで、今度は、輸入サーモンの売買が禁止されるとは恐れ入る。

 サーモンを大量に輸出している北欧諸国(主にノルウェー)にとっては、今回の中国の発表は大打撃であり風評被害もいいところだと言える。サーモンの輸出国には北欧国だけでなく南米のチリやオーストラリアも入っている。最近、『目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画』(クライブ・ハミルトン著)という書籍が出版され、中共のオーストラリア支配計画が表沙汰になったばかりだったので政略的な点でも気になるところだ。

■疑わしいのは「サーモン」ではなく「情報」

 しかし、輸入サーモンにコロナ感染リスクがあるなどという情報が世界中に伝播されると、日本の寿司屋も風評被害を免れないのではないかと心配になる。某回転寿司チェーン店でもサーモンは最も人気のあるネタ(具材)であるので、文句の1つも言いたいところではないだろうか。
 野生動物の売買が禁止されても、困るのは、野生動物を食す習慣のある国だけだったが、サーモンの売買が禁止になると、世界中の人々が困るのではないだろうか?

 北京では、最近になるまで新型コロナウイルス感染者がいないということになっていたが、常識的に考えて、この情報もどこまで本当か分からない。中国政府からすると、首都である北京市でコロナ感染者が増加しているというようなマイナス情報の発表は何としても避けたいところだろうと思われる。
 それで、これまで「北京にはコロナ感染者はいない」ということになっていたが、流石に隠し続けることが難しくなるほどに感染者が増加してきたのではないだろうか。もしそうであるなら、正しくは、コロナ第2波というより、コロナ第1波が未だ収まらないということなのかもしれない。

 自国の野生動物を犯人にすると、またぞろ、海外から批判されることになるので、今度はよその国からウイルスが入って来たということになったのかもしれない。「輸入サーモンがコロナ感染の犯人」、果たして、こんな真偽の定かでない疑わしい情報を鵜呑みにする人がどれだけいるのか、甚だ疑問ではある。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 22:08 | Comment(0) | 国際問題
2020年06月15日

『カエルの楽園2020』で表現された日本のコロナ政治


■『カエルの楽園2020』を読んで。

 以前、ブログで書評を書いた『カエルの楽園』の続編『カエルの楽園2020』(百田尚樹著)が発売されたので、早速、購入して読んでみた。
【関連記事】『カエルの楽園』化している日本の政治

 今回は、前著のようなハードカバーの単行本ではなく、いきなり文庫本で売られていた。なんでも、5月6日から数日間限定でネットで無料公開されていたらしいが、私は知らなかったので、文庫本で初めて読むことになった。

 百田氏は本書を2週間で書かれたそうで、警世の書としての真面目な側面はあるものの、半分は楽しみながら書かれたのではないかとも思えた。ストーリーの都合で、前著に出てきたキャラクターも総出演しており、新たなキャラクターも大勢登場する。そのキャラクターが誰をモデルにしているか判った時には思わずニンマリさせられる。基本的には新型コロナウイルス問題を基調としており、この数ヶ月間の日本の出来事をカエルの世界に喩えて表現されている。

 最終章は、バッドエンディングリアルエンディンググッドエンディングと3パターンのエンディングが用意されている。
 ファクターXのお蔭でコロナ第1波におけるバッドエンディングは現状、回避されたと思われるが、個人的にはグッドエンディングのようにならないかと願っている。

 本書のメインキャラの1匹、ハンドレッドの以下の台詞が印象的だった。

 「いいか、よく聞け。元老みたいな仕事は誰でもできる。どんなバ○でもやれるんだ。わしでもできる。しかし、それは何も起こらない平和な状態でのことだ。もし、今回のように今まで経験したこともない事態に直面したら−その時こそ、元老の真価が問われるんだ
【「バ○」の○部分以外は原文ママ】

 昭和天皇は、マッカーサーと初めて対峙された時に、「自分の命と引き換えに国民の命を助けてほしい」と言われたそうだが、こういった危機の時代には、政治家にもそれぐらいの気概と信念を持っていただきたい。

■寓話は「言論の自由」が無い国での啓蒙手段

 百田氏も書かれていたが、寓話は、「言論の自由」が無い国で喩え話として用いられる。中国のような独裁国家では、名指しで書記長などを否定すると、国家反逆罪で逮捕され、ヘタをすると死刑になってしまう危険性が有るので、具体的な名前を使用せずに、動物や昆虫の名前を利用して権力者を風刺する。「プーさん」というキャラも、ある意味、寓話的なキャラクターだと言えるのかもしれない。

 一応、「言論の自由」が有る日本で、敢えて寓話スタイルを採られた理由は、「高学歴で知識も教養もある人間の台詞をカエルに置き換えて言わせてみると、その滑稽さや愚かさや間抜けぶりが見えるようになる」ということらしい。

 確かに、テレビに出てくる学者や評論家を見ていても、そんな風に思えるようなことが多々ある。スーツとネクタイをして語っていると、どこか信用できそうで、いかにも正しいことを言っているように見える人でも、普段着(スウェット等)を着せて同じ台詞を言っている姿を想像すると、ただのオッサンの戯言のように聞こえる人もいる。

■寓話にすると余計に解らなくなる人々の存在

 先に、日本には「言論の自由」が有ると書いたが、日本国内には自粛警察よろしく、善意で「言論の自由」を阻害しようとする人々がいる。国が「言論の自由」を保障していても、正義のヒーローを気取って無意識的に「言論の自由」を認めないようにしている人々が存在している。そういった人々の目を搔い潜るために寓話スタイルを採って社会を啓蒙するという手段も考えられる。

 独裁者(全体主義者)気質の人というのは、他人の話を聞かず、融通が利かない人が多いせいか、譬え話や皮肉があまり理解できないという人が多い。中には、あまりにも純粋過ぎて、アクの強い譬え話や皮肉を受け付けないという人もいるのかもしれない。

 そう考えると、本書は、皮肉なことに一番読んで理解してほしいタイプの人には正しく伝わらないのかもしれない。寓話にすれば解りやすいと言う人がほとんどだと思うが、寓話を端から受け付けないという人も一定数いると思われるので、その層の理解を得るのは至難の業になってしまう。

 とはいえ、大部分の人々には楽しく一気に読める名作だと思われるので、是非、多くの人に読んでいただきたいと思う。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 22:31 | Comment(0) | 読書
2020年06月14日

アンジャッシュ渡部氏の浮気問題の盲点


■渡部 建氏の浮気問題でスルーされていること

 アンジャッシュの渡部 建氏の浮気問題は、佐々木 希さんの人気度も手伝ってか、とどまることを知らずにエスカレートしている。

 個人的には、個人の浮気問題には特に関心もないので、このての話題をブログ記事に取り上げるのは若干の抵抗もあるのだが、少し気になる点があるので、一筆、書いてみたいと思う。

 誤解を避けるために、まずお断りしておくと、今回の渡部 建氏の浮気を擁護するつもりは全くない。あくまでも個人的な問題なので批判する気もない。しかし、この一件で多くの人が全く気付いていないのか、それとも、あえて無視している点があると思われるので、その部分を指摘しておきたいと思う。

 それは、渡部 建氏と浮気した女性側には、なんの落ち度も無かったのか?ということ。

 浮気相手が既婚女性であるか、未婚女性であるかは大きな違いとして広く認識されており、普通は、既婚女性の場合は、その既婚女性も不貞を働いた(夫を裏切った)ということで批判の対象になる。しかし、不倫相手が未婚女性である場合は、不貞を働いたことにはならないので、浮気した男性のみが批判の対象になる。これは、今回の浮気問題でも、その通りの結果になっている。

■『雨が降ると君は優しい』の逆パターンの不倫劇

 しかし、いくら未婚女性であったとしても、その未婚女性は、渡部 建氏に妻(佐々木 希)がいることを知った上で浮気相手になっているわけだ。浮気というものは、基本的に両者の合意によって成り立つものなので、たとえ未婚女性であっても、浮気したことが倫理的に全く問題がないとは言えないのではないか?ということ。

 誘った方と誘われた方のどちらが悪いのかと言えば、基本的に誘った方が悪いのだろうけれど、誘われた方にも、浮気をするかしないかを選択する自由がある。その自由を行使して浮気に同意したのであれば、当然、その行為には責任が生じる。浮気をするという行為は、風俗に行く行為とは違うし、強姦する行為とも違う。両者の合意がなければ浮気は成立しない。

 浮気相手の女性が、渡部 建氏が結婚していることを知らなかったというなら話は別だが、あれだけ世間で騒がれたカップルの結婚を知らないということはまず有り得ない。そうであるなら、渡部 建氏に誘われた時に、「あなたには妻がいるので、浮気はできません」と言うべきだったのではないだろうか?

 そういうところは全くスルーで、今になって、浮気した時のことを一方的に暴露して、それをマスコミが報じて断罪する。自業自得とはいえ、まるで、いじめを観ているような錯覚を覚えたので、少し指摘させていただいた。

 この不倫劇の一報が報じられた時、以前に観た佐々木 希主演のドラマ『雨が降ると君は優しい』の男女が入れ替わったような不倫劇だな…と思えたが、個人的には、あのドラマのラストシーンのような結果になることを期待したい。


------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 10:57 | Comment(0) | 社会問題
2020年06月13日

「アンティファ」の活発化が意味するもの


■「アンティファ」からの「渋谷爆破予告」

 黒人差別の抗議デモに紛れて破壊活動を行っているとされる「アンティファ」を名乗る者から、日本の入国管理局にメールが届き、そのメールには「渋谷を爆破する」と書かれていたらしい。

 おそらくは愉快犯の仕業なのだろうけれど、それだけ「アンティファ」という組織に注目が集まっているということなのだろう。

 「アンティファ」とは「アンチ・ファシスト」の略であり、日本語で言えば「反ファシスト」ということになる。戦前・戦中にも、こういった組織は世界中に存在していたことは知られているが、早い話、急進的な共産主義者(極左)のことを意味している。

 戦前・戦中は日本もドイツと同じように、ファシズム国家(全体主義国家)と誤解されていたようなところがあるので、日独伊軍事同盟などは、まさにファシズム国家という誤解に油を注ぐに足る有難迷惑な同盟でもあった。
 日本の天皇が、あろうことか、ヒトラーやムッソリーニと同じファシストと誤解されていたわけだ。その証拠に、終戦後は、刑務所に入れられていた共産主義者達が解放された。それはまるで、暴君に捕らえられていた善良な市民の解放という感じだった。

 ドイツで捕らえられていたユダヤ人と、日本で捕らえられていた共産主義者は、思想的にも全く違う存在だったが、それが同じような存在だと思われていたというのだから、なんとも恐ろしい時代だった。日本に原爆が落とされたのも、そういった誤解から生じたという説もあるぐらいだから、思想的な洗脳と思い込みは、本当に恐ろしい。悪しき洗脳は人間を悪魔に変えてしまう。

■「アンティファ」ウイルスにも注意するべき

 先の大戦では、ソ連のスパイとアメリカの共産主義者が結託して、アメリカ政府までもが「アンチ・ファシスト」勢力に肩入れしていたような時代であったので、「ファシスト」でも「アンチ・ファシスト」でもなかった中立的な日本が独り、筋違いの被害を被るという不幸が生まれた。

 新型コロナウイルス騒ぎによって世界中が混乱の真っ只中に置かれたことで、「これはチャンス」とばかりに、またしても、世界中に真っ赤な思想的ウイルスが蔓延しようとしている。

 警官による黒人暴行事件を「アンティファ」が利用しているというトランプ大統領の見解は、おそらく正しいと思う。社会的強者と社会的弱者を作り出し、両者を対立させることを煽り、その混乱に乗じて社会を破壊するのが彼らの本当の目的でもある。

 しかし現代は、白人と黒人が結婚して子供をもうけるという時代であり、昔のように身分制を設けて、白人が黒人を一方的に奴隷として扱っているような時代ではない。かつての悪しき時代を強調することによって、白人と黒人との間に対立感を生じさせることが、なぜ黒人差別の撤廃に繋がるのだろうか? 白人と黒人との間に生まれてきた子供達は、そんな姿を見てどう思うのかを考えてみよう。

 とにもかくにも、コロナショックによる社会の混乱に乗じて、暴力革命を起こそうとする「アンティファ」が世界中で暗躍しているのは偶然ではなさそうだ。この思想的ウイルスの蔓延を防ぐためには、逆の思想、つまり、「脱混乱(脱ヒステリー)」という社会を安定化させるワクチンを注入しなければならない。

 政府は、新型コロナウイルスと共に、この思想的ウイルスの蔓延を防ぐことにも注力する必要がある。罷り間違っても、国の経済力を削ぐような誤った政策は打たないように注意しなければならない。
------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 16:12 | Comment(0) | 国際問題
2020年06月08日

「夜の街」コロナ対策で注意するべきこと


■「コロナ第1波は終息した」と思うべき

 日本における新型コロナウイルスの第1波は幸運にも終息した模様だ。しかし、未だに多くの家庭にはアベノマスクが到着していないようなので、結果的に、布マスクを配るという政策は悪手になってしまったのではないかと思う。こんなことなら、「第2波に備えて」という理由で、特別定額給付金とセットで普通の不織布マスクが買える商品券でも各家庭に配った方が良かったのかもしれない。

 「終息した」と言っても、東京や北海道などの一部の地域では、数人、数十人の感染者が出たという報告がされている。これが完全に0にならない限り終息したことにならないと言う人がいるかもしれないが、そこまで神経質になって「終息宣言」を待つ意味が有るとも思えない。いずれ、第2波は必ず来るのだから、取り敢えず、第1波は終息したという判断でよいのではないかと思う。

■夜の街での「密着」と「間接キス」は控えるべき

 現在、報告されている感染者は、主として病院関係者か、夜の街で飲食していた人に限られている。病院関係者はコロナ感染者と身近で接しているため、感染リスクを常に抱えているので、完全に感染者を0にするのは難しい。
 夜の街で感染している人というのも、大抵は密着型の飲食店であり、普通に飲み食いして感染しているというわけでもない。男女が密着するような接客を行っている飲食店では感染者が1人でもいればクラスターが発生する可能性があるが、普通に飲食している店では感染者はあまり出ていない。
 「夜の街が危険」と言われているが、友人や恋人通しで同じグラスを使用するとか、同じ料理を箸でつつくというような間接キス紛いのことを控えれば、感染リスクは極めて低いのではないかと思われる。

 普通の居酒屋でも、同じグラスを回し飲みするような行為をすれば、間接キスになるので感染者が出る危険性があるが、3密を避けて飲食している分にはそれほど感染リスクはないのではないかと思う。実際、あれほど、騒ぎになったパチンコ店でも、ほとんど感染者は出ていないので、余程、身体が密着するようなことをしない限り、それほど感染を恐れる必要は無いような気もする。

■ワクチンができたとしても、感染者や死亡者は出る

 とにかく今は、コロナ第1波が終息したという前向きな気持ちになって、滞っていた経済活動をなるべく元に戻すように努める必要がある。特別定額給付金(10万円)も貯金するのではなく気前よく全て使用(消費)することが望ましい。
 全てを元に戻すことは不可能だと思うが、第2波が来るまでにできる限りのことをする必要がある。そして、第2波が来た時には、少し冷静になって第1波で失敗した同じ轍を踏まないように努めなければいけない。少し感染者が増えたからといって、直ぐさま「緊急事態宣言」を出して経済活動を人為的にストップさせるという経済テロのような真似事は極力控える必要がある。第1波を経験した人々は、政府が音頭を取るまでもなく自分の判断で動いてくれる。余程のことがない限り、それだけで十分だと思う。

 政府もいつまでも補助金を出し続けることは不可能であるし、倒産した企業を復活させるような芸当もできないのだから、インフルエンザと同様、ある程度の感染者や死亡者が出ることは覚悟した上での判断をしなければならなくなるだろう。それができなければ、コロナ以外の理由で間接的に死亡する人が更に増えることになる。

 そして、仮にワクチンができたとしても、それで感染者や死亡者が出なくなるわけではない。インフルエンザでもワクチンを打っていても感染する人はいるし、死亡する人もいる。ワクチンの型がピッタリ合わない限り、効果は望めないわけだから、第2波で進化した新型コロナウイルスにピッタリ対応できるワクチンを製造することもまず不可能だと思った方がいいと思う。

 インフルエンザウイルスに今年感染した人でも、来年になればまた別の型のインフルエンザウイルスに感染してしまうケースがある。同じように、新型コロナウイルスの場合も、第1波に感染したからといって、第2波に感染しなくなるわけではないと思う。
 ゆえに、最終的にはインフルエンザと同様の扱いにするしかないと思われる。
------------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーリンク




にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村
posted by 自由人 at 21:06 | Comment(0) | 社会問題