2020年05月16日

第3波としての「検察官の定年延長」問題


■既に忘れ去られたゴーン氏逃亡事件

 2020年の幕開けはカルロス・ゴーン氏の逃亡劇に始まり、珍しく同じ話題のブログ記事を続けて書いたと記憶しているが、1月下旬からは打って変わり、新型コロナウイルス関連の記事が続き、既に関連記事が30記事を超えている。

 2019年末に日本から逃亡したゴーン氏の話題は既に霞んでしまい、もはや、そんな事件は無かったかのような扱いになっている。全世界で数十万人が死亡する(2020.5現在)という戦時中のような状態となり、1人の経営者が海外に逃亡したことなど、大事の前の小事で、どうでもよくなってしまったのかもしれない。

 ゴーン氏が海外へ逃亡して間もなく新型コロナウイルス騒動になってしまったが、あと1ヶ月時期がズレていれば(=中国政府がもう少し早く発表していれば)、ゴーン氏の逃亡計画は未遂に終わり、寿命が尽きるまで刑務所の中で過ごすことになっていたのかもしれない。

 今年の1月には日本の司法問題として「人質司法問題」がクローズアップされていたが、そんな話題もどこかへ飛んで行ってしまった。
 そして、代わりに出てきたのが、「検察官の定年延長」問題だ。
 新型コロナウイルスの第1波が少し落ち着いてきたので、「モリカケ」、「桜」に続く、野党の追及第3波がやってきたという感じだろうか。

 「森友・加計」→「桜を見る会」→「検察官の定年延長

■最も危険な権力の暴走とは?

 批判している人々の意見を見てみると、どうも、与党(自民党)が検察を買収しているというニュアンスが感じられる。まるで、内閣(政治家)が検察官の人事権を握っているのはおかしいというような物言いになっているが、日本では元から、内閣(政治家)が検察官の人事権を握っている。無論、民主党が与党であった時代でも同じだった。

 それがおかしいということは、現行の法律自体が間違っていたということになってしまう。今回の定年延長が問題なのではなく、内閣(政治家)が検察官の人事権を握っていること自体が問題だと言っていることになる。

 基本的に、内閣(政治家)が検察官の人事権を握っているのは、民主主義的に選挙で選ばれた政治家であるからこそであり、検察が絶対権力者に成り下がらないためのストッパーとしての役割を果たしている。それがいけないということなら、一体誰が人事権を持つのが理想なのだろうか? 検察官も選挙で選ぶべきと言うのだろうか?

 検察はその気になれば、時の総理大臣ですら逮捕拘留することのできる権力機関である。だからこそ、内閣にはそれに対抗できる人事権力が与えられている。
 お互いに権力の暴走を監視するという意味で、これは仕方がない。お互いに忖度関係に陥るのは問題だが、それを防ぐ具体的な方法を考えずに、闇雲に批判しても意味が無いと思う。

 むしろ、民主的に最も危険なのは、選挙で選ばれていない野党政治家と検察官が結託してしまうようになる事態だと言える。選挙で選ばれていない者どうしの結託、これこそが食い止めなければならない権力の暴走となる。
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posted by 自由人 at 18:38 | Comment(0) | 政治
2020年05月14日

「テレワーク」という名の自宅待機


■急場しのぎの「テレワーク」は機能しているか?

 当初、5月6日までと予定されていた「緊急事態宣言」は継続されたが、東京や大阪等の大都市圏を除いた地方の39県については、5月14日に一応、解除された。

 東京や大阪の場合、5月一杯は「緊急事態宣言」が継続されることになるので、テレワーク等の業務形態もそのまま継続されることになるのだろうか。

 しかし、急場しのぎの「テレワーク」化が、はたしてどれだけまともに機能しているのかは、甚だ疑問ではある。

 4月の段階での各企業の姿勢を想像するに、「世間ではコロナ、コロナと騒がれているし、ゴールデンウィーク明けまでの出勤日数は限られているので、取り敢えず、連休明けまでは自宅待機してもらって様子を見てみよう。しかし、自宅待機ではイメージが悪くなるので「テレワーク」ということにして、たまに業務連絡をして、自宅でできる簡単な仕事だけやってもらうことにしよう…」

 こんな感じの会社は結構多かったのではないかと思う。実質的には「テレワーク」と言うよりも「電話番」としての「自宅待機」に近かったのではないだろうか。
 企業からすれば、「自宅待機」にして「休業扱い」にすれば、国から雇用調整助成金も支給されるので、一挙両得だろうし、「ウチの会社はちゃんと新型コロナ対策をしていますよ」と世間にアピールすることもできる。

■「テレワーク」する環境が用意できるか?

 実際、今年入社の新入社員でも、未だに自宅待機になったままという人も多いと聞く。新入社員の場合、仕事のノウハウ自体が無いので「テレワーク」というわけにもいかない。
 全く出勤せず(休業扱い)とも給料の何割かは支給されるそうだが、それも国から支給される雇用調整助成金で賄っているのだろう。今のところ、6月一杯までは支給されることになっているが、その先はどうなるか分からない。

 「テレワーク」をする場合、自宅にパソコン環境が有ることが必須条件になると思われるが、会社のパソコンを持って帰るのは一苦労だろうし、自宅に業務用プリンターを置いている家庭などほとんど無いだろう。
 最近では、スマホ用のネット環境(Wi-Fi)はあっても、パソコンが無い家も増えており、仮に有ったとしても、趣味で使用しているパソコンで重要な仕事のデータを扱うのはセキュリティ的にも問題となる場合がある。サブスクアプリが主流となっている現代では、業務用のアプリケーションも自宅に有るとは限らない。

 それに、1日8時間も自宅で仕事するとなると仕事机(パソコンラック)や椅子等も必要になってくる。そういったものを置く場所も無いという人もいるだろうから、「テレワーク」なんて端からできないという人も多いのではないかと思う。



■「テレワーク」とは「電話仕事」のことではない

 「テレワーク」をスムーズに進められる人というのは、コロナ問題が起こる以前から、会社での仕事環境と同じような環境を既に自宅で構築できているような人だけではないかと思う。パソコンやプリンター、アプリ等、普段から会社の仕事を自宅に持って帰ってするくらいの人であるからこそ、スムーズに「テレワーク」化できるのであり、「プライベート空間である自宅で仕事なんてできるか」というような人には「テレワーク」は向かないのではないかと思う。

 能動的に仕事を行う人であれば、自己投資の一環で元から自宅が仕事空間になっているという人は多い。逆に仕事を受動的にしか行わない人は、「仕事は会社でしかしない」という人が多い。
 この両者の違いは大きい。前者の「テレワーク」と後者の「テレワーク」では、同じ「テレワーク」でも意味が違ってくる。

 「テレワーク」の「テレ」は「離れた所」という意味だが、「テレフォン(電話)」のことだと思っている人も多いのではないかと思う。
 テレビ番組で、「テレワーク」「テレワーク」と何度も放送していると、一般の人には、電話やスマホさえあれば仕事ができるというような錯覚を与えてしまう。
 しかし、本来の「テレワーク」とは「遠隔地(自宅)での仕事」のことであり、会社と同じ仕事が自宅でできない限り、それは「テレワーク」であって「テレワーク」ではない。

 「テレワーク」をしているつもりが、実は「自宅待機」だったという人は案外多いのではないだろうか。


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posted by 自由人 at 22:43 | Comment(0) | 社会問題
2020年05月10日

「PCR全頭検査」は必要なのか?


■無理が有り過ぎる「PCR全頭検査」

 世間では、「PCR検査を全国民に適用するべき」という意見が出回っており、そうすることで感染者数を減少させることができるとも謳われている。
 まるで、「BSE全頭検査」のようなイメージが浮かんでしまうが、これについては、賛否が分かれており、軽いタッチの神学論争となっているようだ。

 目下のところ、PCR検査の精度(信頼性)はそれほど高いとは言えず、最高でも70%の精度だと言われている。具体的に言えば、3人検査をすると1人に間違った診断が下されることになる。これでは、お世辞にも信頼のおける検査とは言えない。

 そんな検査を国民全員に課すべきというのは、前回の都知事選で鳥越俊太郎氏が選挙公約として掲げていた「がん検診100%」とどこか似ているような気がする。今年の都知事選でも「PCR検査100%」を掲げるような立候補者が出てくるのだろうか。

 医療費的なことを考えても、国民全員にPCR検査を行うとなると膨大な医療費がかかることになる。この際、医療費の問題は度外視するにしても、現実的に全員にPCR検査をするというのは無理が有り過ぎると思える。

■「老人は病院に近寄らず」が最適解

 同日、同時刻に1億人の検査が同時にできるのであれば、感染者の70%は把握できるが、それでも30%(3000万人)の取りこぼしがあるので、あまり意味があるとは思えない。
 現在の日本全国の感染者数は1万5000人程度なので、仮に隠れ感染者がその10倍いるとすると、15万人程度が感染者ということになる。ということは、(1億人ー15万人=)9985万人が未感染者という計算になる。

 1億人中、9985万人(全体の99.85%)が不必要な検査、そう考えるとトンデモなく無駄な検査とも言えるが、その15万人の感染者を検査しても、5万人程は誤判定となる。
 その誤判定というものは、陽性が陰性なのか、陰性が陽性なのか、これすら判らない。陽性が陰性と診断されて“自分は感染していない”と思い込むことも危険だし、陰性が陽性だと診断されて感染者が大勢いる病院に入院させられるのも危険極まりない。

 これが致死率100%のウイルスということなら、非現実的な全頭検査も有効かもしれないが、今のところ、感染者数も死亡者数もケタ違いに低く抑えられている日本では、それほど効果は期待できそうにない。

 況して、高齢者が病院に行って検査しなければならないということになれば、それこそ、最も危険な3密破りになってしまうので、逆に全国の病院でクラスターが発生して感染者が急増する可能性も否定できない。

 とにかく、今は、何の症状もない高齢者はなるべく自宅にいるべきであり、不要不急の用事で病院に行くべきではない。感染者が病院に行ってPCR検査をすることには問題がないが、非感染者が病院に行ってPCR検査を受けても、それで感染するリスクが下がるわけではなく、逆に感染するリスクが上がるだけだ。

 「君子危うきに近寄らず」と同じように「老人は病院に近寄らず」が、現状、最も有効な感染防止策だと言える。
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posted by 自由人 at 09:17 | Comment(0) | コロナ問題
2020年05月09日

アバウトな「体温全体主義」を改めるべき


■「37.5度」と「4日間」という数値の削除

 新型コロナウイルスに感染したかどうかを疑う数値として、「37.5度以上の熱が4日間続いている」という目安が設けられていたが、厚労省はこの目安を取り下げた。

【これまでの目安】
 「風邪の症状や、37.5度以上の発熱が4日以上続く」or
 「強いだるさや息苦しさがある」

【これからの目安】
 「息苦しさ、強いだるさ、高熱などの強い症状のいずれかがある」or
 「高齢者や基礎疾患がある人で、発熱やせきなどの比較的軽い風邪症状がある」or
 「比較的軽い風邪が続く」

 基本的には「37.5度」と「4日間」という2つの数値項目を削除した格好となっているが、これはPCR検査云々とは別にして当然の対処だと言える。

■個人の平熱を考慮しない全体主義的な体温設定

 そもそもの話、人間の体温は個人的にバラツキがあり、中には平熱が37度という人もいるし、平熱が35度という人もいる。平熱が37度の人にとって37.5度は微熱でしかなく、平熱が35度の人にとって37.5度は高熱になってしまう。その違いを全く考慮しない全体主義的な体温設定はどう考えてもおかしい。

 「4日間」というのも、人間の回復力は老若男女関係なく皆一定とする全体主義的な感じがする。その人の年齢や体力や体調によって回復力はそれぞれ違ってくるので、「4日間」と決め付けるのもおかしい。

 あくまでも目安の数値だとはいえ、数値をハッキリと謳ってしまうと、その数値が絶対的な尺度となって、融通が利かない医者も患者も、数値だけに囚われてしまうため、こういった数値はなるべく曖昧にボヤかした方が無難だと言える。

 体温に拘るのであれば、自分自身の平熱を基準として、「平熱よりも2度高い状態が長期間続く場合」という風にするべきだ。

■拘るべきは“体温”ではなく“体調”

 現在、国も企業も「毎朝、起きてすぐに体温を測ってください」と注意喚起しているが、わざわざ体温計で測らなくても熱があれば分かるのではないかと思う。
 私自身の平熱は36度程度なので、37度もあれば、「今日は熱っぽいな」とすぐに分かる。血圧ならいざ知らず、わざわざ体温計で毎朝、体温を測るというのは行き過ぎではないかと思う。毎朝、確認するべきは、“体調”であって“体温”ではないのではないだろうか?

 そういった無意味とも言える全体主義的な指針ができるのも、先に述べたように、個人個人の平熱の違いを考慮していないからだろう。平熱を考慮しないので、どんぶり勘定で最大公約数的な体温(37.5度)が設定されてしまう。何よりも的確さが要求される現在の医療現場が、そういうアバウトな取り決めで運用されることの弊害も考える必要がある。

 世間では、絶対的な数値を決めることが明確な基準(=アバウトではない)だと思われているフシがあるが、相対的な人間の肉体に限って言えば、絶対的な数値を決めることこそが、アバウトな基準になってしまうということも考える必要がある。


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posted by 自由人 at 13:01 | Comment(0) | 社会問題
2020年05月07日

新型コロナウイルスの常識破壊【死生観のパラダイムシフト】


■戦争が起こらなくても多くの死者が出る時代

 「憲法9条があれば戦争は起こらない」というのは、言葉を変えると「戦争が起こらなければ誰も死なない」とイコールの関係にあるのだと思う。
 しかし、新型コロナウイルスとの戦いは「戦争」とも言われており、実際に本物の戦争が起こらずとも多くの死者が出ている。

 この状態は、戦後これまで、まともな死生観を持たずに生きてこれた多くの日本人にとっては非常にショッキングなことでもあり、これまで信じ込んできた常識を根底から覆されるほどの衝撃を受けている状態とも言える。

 左派は戦争が起こらなくても、戦争と同様の結果が生まれる事態に遭遇し、金縛りになり声が出ずにもがいている状態。これは右派にしても同様で、コロナ戦争から逃げようが立ち向かおうが、どちらにしても死者が出るという未だ経験したことのない状態に追い込まれ、右往左往して二進も三進もいかなくなっている状態。左派・右派ともに、これまで、なあなあでやってこれた思考停止状態が否応無く暴露されてしまった格好とも言える。

■「国民総左翼化」が招いた悲劇

 コロナウイルスと戦っても死者が出る、コロナウイルスから逃げても死者が出る。人間が生きていく上で、「死」というものは避け難い代物であることを自らの死が訪れるまで深く考えずに生きてこれた戦後のお気楽ムードの清算を余儀無くされている状態、それが新型コロナウイルスによって我々に突き付けられたリアルな現実ではないだろうか。

 一方で、ある程度の死生観を持って生きてきた欧米の人々は、コロナ問題でも、「死」を受け入れる方向に考えをチェンジしてきている。
 病気によって一部の人々が亡くなることと、経済が崩壊して全ての人々が死に直面することを秤にかけ、被害が少ない方を躊躇なく選択することができる。その柔軟な姿勢こそが死生観を受け入れているという証左でもある。

 しかし、日本の場合は、戦後、「死」という概念から逃げることが許されてきた世界でも稀にみる幸運な国であったので、政府はコロナ問題でも優柔不断な態度が目立ち、ズルズルと先送りする戦法を採っている。
 国民の側も、まともな死生観を持つことを考えてこなかったため、死と隣り合わせの選択はなかなかできないという状態に陥っている。そういう意味では戦後の「国民総左翼化」が招いた悲劇とも言える。

 最も被害が少ないとも言える国が最も判断が有耶無耶で遅れているというような状態。これがもし日本が最も被害が多い国であったとすれば、日本はどんな対応を取っていたのだろうか?と考えると空恐ろしいものがある。

■「コロナの時代の新たな日常」とは?

 しかしながら、この問題からは誰も逃げることが許されない。いくらお金を持っている人でも世界中のどこにも逃げ場がない。それこそ宇宙にでも移住しなければ逃げれないという意味で、我々は「鳥かごの中の小鳥」になってしまった。あるいは、コロナウイルスに生殺与奪の権を握られているという意味で「まな板の上の鯉」になってしまったとも言えるだろうか。

 安倍総理が述べた「コロナの時代の新たな日常」とは、具体的に何を意味しているのかは不明だが、安倍総理の意思に関係なく、これまでとは全く異なる日常を意味しているのだろう。
 中国を中心に回る経済から脱却した日常もその1つかもしれないが、死のリスクが可視化した疑似戦時経済における新たな日常の構築も必要なのかもしれない。

 「戦争」という人と人との殺し合いが起こらなくとも、人間は常に「死」と隣り合わせに生きている存在であること。そういう当たり前の冷厳な事実を受け入れた上での日常を構築しなければならない。

 新型コロナウイルスというものは、これまでの安穏とした常識が全く通用しない時代に突入したことを告げ知らすラッパの役目を果たしているのかもしれない。特に日本人は、日常生活における死生観のパラダイムシフトを突き付けてられている状態だとも言える。
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posted by 自由人 at 22:58 | Comment(0) | コロナ問題