2020年05月30日

「第2のバフェット」が生まれる時代


■上昇相場に転じた株式市場

 一時、24000円から16000円台まで暴落した日経平均株価は、半値戻しを通過し、再び、22000円近くまで上昇してきた。
 一方で、NYダウも、30000ドル直前から18000ドル台まで暴落したが、こちらも半値戻しを通過して、再び25000ドルの大台を超えてきた。

NYDOW&NIKKEI20200529.png
(ヤフーファイナンスから転用)

 新型コロナウイルス問題によって、日米共に3割以上の大幅な調整が入ったことになるが、底値近辺では、多くの投資家(投機家)はパニックになり投げ売りを余儀無くされたのではないかと推察する。

 私自身も大きく急落する度にバ○になって買い下がってみたが、大底近辺では流石に買えなかった。“まだ下がるかもしれない”という恐怖を克服することは難しいということを改めて実感した。

 これが、何千万円、何億円と投資しているような人になると、暴落の恐怖に耐え切れず、損切りしてしまったという人は多いかもしれない。

 例えば、現物で1億円投資しているような人であれば、3割下がれば3000万円の含み損を抱えることになるので、そこからまだ下がり、4000万円…5000万円…と含み損が増えていく恐怖に平静心でいられる人はあまりいないかもしれない。

■ネット証券口座開設で「成功した人」と「失敗した人」

 今年の3月頃には、ネット証券の新規口座開設が殺到したそうだが、それには主に次の2種類の人がいたのではないかと思う。

 「株価が連日暴落しているので今が買いチャンスだ」と思った人

 「株価が連日暴落しているので今が売りチャンスだ」と思った人

 3月19日に16358円で株価が底打ちしたので、前者の判断は正しかったが、後者の判断は間違っていたことになる。

 新型コロナウイルス問題で金融恐慌が発生し、日経平均は12000円(つまり半値)になるとか、1万円以下になると予言しているようなエコノミストもいた。幸か不幸か、そこまでは下がらなかったが、3月にまだまだ下がると思い空売りを入れた人は大失敗したことになる。

 新型コロナウイルス問題が解決するまで株価は延々と下がると思っていた人も多かったのではないかと思うが、株価は景気と違ってファンダメンタル要素だけで動くものではなく、最終的には需給が決めるものなので、どこかで必ず反転する。
 日銀が日本株(TOPIX)を購入していなければ、15000円割れも充分に有り得たかもしれないが、最大購入金額を大幅に増額し「無制限に購入する」という買い支え姿勢が伝えられた(実際に大量に購入した)ことも手伝って株価は下げ止まった。

■世界のどこかで第2のバフェットが生まれる

 コロナ前の日銀の平均買い単価は、19000円台だったので、ナンピン買いすることによって、少し買い単価が下がったのではないかと思う。
 株価が日銀の平均買い単価以下になった時、「含み損」と「損失」の区別が付いていない政治家達は、「年金の運用資金がどうのこうの…」と批判していたが、今は買い単価も下がって利益が出ている状態だ。
 
 現在ただ今も世界中で新型コロナウイルスの感染者が増加中であるわけだから、新型コロナウイルスの感染者数や死亡者数だけで株価は決まらないということだけは判明したと思う。

 こういう時に株価の話をするのは不謹慎だと言われるかもしれない。しかし、むしろ、こういう不安定な時代だからこそ、株価の動向にも目を光らせるべき時だとも思う。
 現在は巣篭もりや自宅待機で実際に株式売買を行っている人も多いだろうし、特別定額給付金(10万円)で株式投資を始めるという人もいるのではないかと思う。

 今回の暴落劇で、著名な投資家のウォーレン・バフェット氏が手持ち株を損切りして大損したとも伝えられているが、世界のどこかで第2のバフェットが生まれたかもしれない。



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posted by 自由人 at 18:21 | Comment(0) | 株式投資
2020年05月27日

「誹謗中傷」規制で最も重要なこととは?


■「ブログは句読点のある落書き」という台詞

 先日、ウイルス感染の恐怖を描いた映画『コンテイジョン』を観てみた。現在の新型コロナウイルス問題を先取り(先撮り)しているような映画だったが、その中に以下のような台詞があった。

 「ブログは句読点のある落書きだ

 随分と辛辣な台詞だが、半分は当たっているのかもしれない。

 ネットの中には「正しい情報」と「間違った情報」がある。もっと細分化すれば、書く人が「正しいと思っている(間違った)情報」や「間違いだと思っている(正しい)情報」もある。
 逆の立場で言うと、読み手が「正しいと思っている(間違った)情報」や「間違いだと思っている(正しい)情報」もある。

 こうなると、何が正しくて、何が間違っているのか分からない。
 そんな混沌としたネット社会であるからこそ、お互いの思い込みの相違から誹謗中傷合戦となってしまうことがある。我こそは正しく、相手は間違っているという思い込みが強くなり過ぎることで、相手に対する誹謗中傷が始まる。

 「反アベ」という存在も、我こそが絶対的に正しく、アベは間違っているという思い込みから始まっている。無論、安倍総理にも間違いはいくらでもある。しかし、アベのやること為すこと全てが間違いだと言うのでは単なる誹謗中傷になってしまう。何が正しくて何が間違っているのかを追究する姿勢が端から無いのであれば、それは誹謗中傷にしか成り得ないからだ。

■学者も「正しい情報」を発信しているとは限らない

 「正しい情報」と「間違った情報」を見分けるためには、それなりの知性が必要になる。しかし、知識が豊富な人が「正しい情報」を発信しているとは限らず、知識が乏しい人が「間違った情報」を発信しているとも限らない。
 現在の新型コロナウイルス問題でも、一般人よりも専門知識を多く持っているはずの学者が必ずしも「正しい情報」を発信していると言えないことは、この短期間の間に如実に証明されたと言っても言い過ぎではないと思う。

 特に人類が未だ経験したことのないような新しい問題を扱った情報は、どう疑ってみても真実としか思えないものだけ信じる位がちょうどよいのかもしれない。世の中に出回っている情報の半分位は疑ってかかる位が無難ではある。
 そういう意味で言うなら、ブログに限らず、「間違った情報」が書かれているようなニュースやコラムは、句読点のある落書きだというのは当たっている。

 しかし、宗教や哲学の領域になってくると少し話は違ってくる。世の中には、どれだけ知性や理性を有していてもあまり役に立たない領域というものがある。
 特に観念の世界は、知識偏重に成り過ぎると、逆に全く解らなくなってしまう場合がある。むしろ、無学文盲の人の方が優れている場合もある。
 宗教や哲学などの観念的なものが対象となると、知性や理性よりも、感性や悟性というようなものが発達していなければ解らないという場合がある。それはちょうど、どれだけ知識が有っても、芸術を解しない人がいるのと同じようなものとも言える。

■「正しい情報」と「間違った情報」の精査の重要性

 政府は、ネット社会の誹謗中傷行為における規制を検討していると伝えられているが、これも何が「正しい情報」で、何が「間違った情報」であるかの判断ができなければ、危険な面もある。

 自分自身が理解できないことは全て「間違った情報」扱いになり、規制の対象になるというようなことになると間違った全体主義に陥ってしまう。

 また、少し言葉遣いの悪い正しい批判を「誹謗中傷」だと決め付けるようなことになると、ネット社会がより間違った社会にミスリードされる可能性もあるだろうし、逆に言葉遣いが丁寧な間違った批判でも「誹謗中傷には当たらない」ということで素通りとなれば、ネット社会は、ますますカオスな社会となってしまう危険性もある。

 重要なのは、「正しい情報」と「間違った情報」の精査であり、それができてこその規制である。


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posted by 自由人 at 20:01 | Comment(0) | 社会問題
2020年05月25日

新型コロナウイルスのような「SNS上の蝙蝠ウイルス」


■SNS上の新型コウモリウイルスの猛威

 女子プロレスラーの木村 花氏がSNS上での誹謗中傷が原因で死亡(おそらく自殺)するという事態となり、大きな騒ぎとなっている。

 特に現在は、自宅に巣篭もり、暇を持て余している芸能人が多いせいもあるのか、SNSを利用して政治的な意見を述べるような芸能人も多くなっており、余計に注目が集まっているようだ。

 SNS上で誹謗中傷していた当の本人達は、捜査の対象から逃れるためにアカウント自体を削除するなど火消しに躍起になっているらしい。好き勝手に言うだけ言っておいて、都合が悪くなると逃げる。このての輩はインターネットができるまでは表に出てこなかったが、誰もがネット上で意見を述べれるSNSの隆盛によって爆発的に増殖した。まるで、ネット界の新型コロナウイルスのように。

 暗闇に隠れて、日の当たる場所にいる攻撃相手を執拗に責め苛む。他人の不幸は密の味であるかのように、相手の苦しむ姿を想像して悦に入る。人の生き血を啜るかのような行為によって自らの英気を養うその姿は、まさに蝙蝠(コウモリ)そのものとも言える。

 新型コロナウイルスと同様に、その誹謗中傷者の毒牙にかかった人全員が死亡するわけではないが、ある条件が重なると人を死に追いやることに繋がる。誹謗中傷に対して強い免疫を持たない人がその毒牙に触れると精神が不安定になり、場合によっては死に至ってしまう。

■ネット情報は「玉石混淆」ではなく「玉石毒混淆」

 インターネットの中に出回っている情報は玉石混淆と言われるが、「玉」と「石」だけなら、さほど被害は生まれない。ではなぜ被害が生まれるのかと言うと、玉でも石でもないモノが混ざっているからである。それは、見た人の心に被害を齎すという意味で「」と言っても差し支えない。

 インターネットの中にある情報には、人を輝かせる宝石のような「」、人畜無害の「」、そして、人の精神にダメージを与える有害な「」が混ざっている。そういう意味では「玉石混淆」ではなく「玉石毒混淆」だと言える。
 そしてこの毒は、時にクラスター化し、人々の精神に悪影響を与える。その悪影響を受けた人は自らもゾンビの如く、面白可笑しく悪意の言葉を広げるようになっていく。まるで、いじめの拡散のように。
 その毒は、負の伝染力を持っているという意味で、ウイルスそのものであるとも言える。
 SNS上に飛び交っている毒を持った悪意の言葉の数々は、「蝙蝠ウイルス」と呼ぶに相応しい。

■蝙蝠ウイルスにおける「新たな日常」の必要性

 新型コロナウイルスの蔓延で、「新たな日常」という言葉が頻繁に使用されるようになった。これからは新型コロナウイルスとの共生が必要になるという意味で使用されている言葉でもあるが、この機会に、新型コロナウイルスだけでなく、SNS上の蝙蝠ウイルスに対しても正しい知識を身に付け、なるべく「毒」の部分に触れない新たなネット社会を構築していくべきかもしれない。

 世界はこれまで、ネット上の蝙蝠ウイルスに対しては何の防御策も講じてこなかった。蝙蝠ウイルスによって人の心が傷付こうが、人が死亡しようがお構い無しで放置し続けてきた。

 この機会に、蝙蝠ウイルスに対するワクチンの役割を果たすサービスの構築が望まれる。
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posted by 自由人 at 22:05 | Comment(0) | 社会問題
2020年05月23日

「ベーシックインカム幻想」を味わった会社員達


■半休業状態を続ける企業

 新型コロナウイルスの感染者数が大都市圏(東京・大阪)で1桁となり、日本に限って言えば、梅雨を前にして第1波は終息(収束)しそうな雲行きとなってきた。

 新型コロナウイルスの重篤患者はビタミンDの値が少なかったというような報告も出ているので、ビタミンDを作る日光(紫外線)が強くなってきたことにも少なからず原因があるのかもしれない。新型コロナウイルスは湿度にも弱いと伝えられているので、高温多湿の日本ではその点もプラスに働いたのかもしれない。

 関東の1都3県と北海道を除く42府県では「緊急事態宣言」も解除され、街中にも少しだけ人が戻ったそうだが、未だ自粛中であることには変わりなく、時短措置や休業措置を採っている企業も多い。現状、「雇用調整助成金」の特例措置が6月一杯までは継続されることになっているので、1ヶ月間の労働時間が通常の半分程度になっている企業も多い。6月中にどれだけ仕事量が元に戻るか様子を見ながら、このまま半休業状態を6月一杯まで続けるのだろうと思われる。

■毎日の決まった日常に疑問を抱くに至った人々

 多くの会社員は、この1、2ヶ月の間にこれまでの自らの労働観に疑問を抱かざるを得ない状態に置かれたのではないかと思う。毎日、毎日、決まった時間に起床し、満員電車に揺られて出社し、決まった時間まで働き、場合によっては残業して夜遅くに帰宅する。そういう自分では変えようにも変えることができなかった当然の日常ルーチンが、新型コロナウイルスによってアッサリと変えられてしまった。

 朝起きる時間が遅くなり、出社する時間も変化し、帰宅する時間も早くなった。おまけに休日日数も増えたという人も多い。会社自体が10日間休業とか半月休業となり、休んだ日の給料の8割(5分の4)を国が負担してくれる(大企業の場合は3分の2)。
 5日間休んでも4日間は国が代わりに給料を支払ってくれるという特例措置を利用することで、多くの会社員はこう思ったかもしれない。

 「仕事ってなんだったのだろうか?

 ある意味、夢から覚めたようなもので、毎日の決まった日常に疑問を抱くに至った人は案外多いのではないかと思う。
 この感覚は、ベーシックインカムが一時的に導入された感覚を擬似的に味わったようなものかもしれない。本来、自分自身が働くことによってしか得られなかった収入の一部を国が代わりに支払ってくれているわけだから、まさにベーシックインカムそのものとも言える。

 「AI時代にはベーシックインカムが必要」という声は多いが、この短期間の間に全国の会社員が味わったもの、その不思議な感覚は「ベーシックインカム幻想」だったと言えるのかもしれない。


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posted by 自由人 at 18:11 | Comment(0) | 経済
2020年05月21日

官僚が不祥事を起こせば「内閣が悪い」の欺瞞


■「官僚の不祥事」で「内閣の総辞職」は必要か?

 東京高等検察庁の黒川検事長が緊急事態宣言が出ている最中に新聞記者宅で賭けマージャンを行っていたことが判明し、辞任の意向が伝えられている。

 一見すると人の良いオジサンという感じで憎めないキャラクター風の黒川氏だが、検事長という責任あるポストに就いている人物が「緊急事態宣言中に賭けマージャン」、確かにこの行為自体は批判されても仕方が無いとは言える。

 少し前に「緊急事態宣言中に風俗通い」で党を除籍処分になった政治家もいたが、公人は自ら範を示すためにも「緊急事態宣言中」は大人しくしていなければならない。確かにこれはその通りであり反論する余地がない。
 しかし、この一件で、「内閣は総辞職するべきだ」という意見が出ているのは疑問符が付いてしまう。

 なぜ、お役人の1人が不祥事を起こす度に、内閣全てが悪いという判断になってしまうのだろうか? 不祥事を起こした当の本人、所属する検察組織、または同じく賭けマージャンを行っていた新聞記者が真っ先に批判されるというなら理解もできるが、なぜ、毎度毎度、責任転嫁の如くに、いきなり「内閣の総辞職」となってしまうのだろうか?

 さらに不思議なのは、「政治家と検察はそれぞれ距離を置くべき」と言っておきながら、「検察が起こした不祥事は内閣(政治家)が責任を取るべきだ」と言う。これでは全く支離滅裂だ。距離を置くべき組織なら、責任の所在も距離を置くということにしなければ辻褄が合わないのではないだろうか。

■正義や公正さよりも欲得が支配する社会

 ある企業に所属する1人の従業員が不祥事を起こすと、「その企業自体を解体してしまえ」となるだろうか?
 ある学校の教師がいじめ問題を起こした時に「その学校を解体してしまえ」となっただろうか?
 先の風俗通いをしていた政治家が所属していた政党は「解体してしまえ」となってもよいということだろうか? そういう批判をかわすために除籍処分にしたというのだろうか?

 罪や不祥事を起こした当の本人ではなく、別のものに批判の矛先を持っていこうとする行為には“偽善臭”が感じられる。
 そう感じられるのは結局のところ、それらの行為は、正義や公正さを求めることを目的とした批判ではなく、他者を批判することで自らの立場を優位にしたいという、全く別の目的(自己の欲得)がベースになっているせいなのだろう。
 しかし、世間一般の良識ある人々は、そういう偽善臭を上手に嗅ぎ分ける嗅覚を有している。

 従業員が不祥事を起こせば「会社が悪い!」、教師が不祥事を起こせば「学校が悪い!」、官僚が不祥事を起こせば「内閣が悪い!」、こういう目くらましのような偽善行為に世間一般の人々は「またか…」と閉口しているのではないだろうか。

 検事長が緊急事態宣言中に賭けマージャンを行っていた行為よりも、そういう目くらましのような偽善行為が蔓延る社会にこそ、多くの国民は心底うんざりしているのではないかと思う。
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posted by 自由人 at 20:30 | Comment(0) | 政治
2020年05月16日

第3波としての「検察官の定年延長」問題


■既に忘れ去られたゴーン氏逃亡事件

 2020年の幕開けはカルロス・ゴーン氏の逃亡劇に始まり、珍しく同じ話題のブログ記事を続けて書いたと記憶しているが、1月下旬からは打って変わり、新型コロナウイルス関連の記事が続き、既に関連記事が30記事を超えている。

 2019年末に日本から逃亡したゴーン氏の話題は既に霞んでしまい、もはや、そんな事件は無かったかのような扱いになっている。全世界で数十万人が死亡する(2020.5現在)という戦時中のような状態となり、1人の経営者が海外に逃亡したことなど、大事の前の小事で、どうでもよくなってしまったのかもしれない。

 ゴーン氏が海外へ逃亡して間もなく新型コロナウイルス騒動になってしまったが、あと1ヶ月時期がズレていれば(=中国政府がもう少し早く発表していれば)、ゴーン氏の逃亡計画は未遂に終わり、寿命が尽きるまで刑務所の中で過ごすことになっていたのかもしれない。

 今年の1月には日本の司法問題として「人質司法問題」がクローズアップされていたが、そんな話題もどこかへ飛んで行ってしまった。
 そして、代わりに出てきたのが、「検察官の定年延長」問題だ。
 新型コロナウイルスの第1波が少し落ち着いてきたので、「モリカケ」、「桜」に続く、野党の追及第3波がやってきたという感じだろうか。

 「森友・加計」→「桜を見る会」→「検察官の定年延長

■最も危険な権力の暴走とは?

 批判している人々の意見を見てみると、どうも、与党(自民党)が検察を買収しているというニュアンスが感じられる。まるで、内閣(政治家)が検察官の人事権を握っているのはおかしいというような物言いになっているが、日本では元から、内閣(政治家)が検察官の人事権を握っている。無論、民主党が与党であった時代でも同じだった。

 それがおかしいということは、現行の法律自体が間違っていたということになってしまう。今回の定年延長が問題なのではなく、内閣(政治家)が検察官の人事権を握っていること自体が問題だと言っていることになる。

 基本的に、内閣(政治家)が検察官の人事権を握っているのは、民主主義的に選挙で選ばれた政治家であるからこそであり、検察が絶対権力者に成り下がらないためのストッパーとしての役割を果たしている。それがいけないということなら、一体誰が人事権を持つのが理想なのだろうか? 検察官も選挙で選ぶべきと言うのだろうか?

 検察はその気になれば、時の総理大臣ですら逮捕拘留することのできる権力機関である。だからこそ、内閣にはそれに対抗できる人事権力が与えられている。
 お互いに権力の暴走を監視するという意味で、これは仕方がない。お互いに忖度関係に陥るのは問題だが、それを防ぐ具体的な方法を考えずに、闇雲に批判しても意味が無いと思う。

 むしろ、民主的に最も危険なのは、選挙で選ばれていない野党政治家と検察官が結託してしまうようになる事態だと言える。選挙で選ばれていない者どうしの結託、これこそが食い止めなければならない権力の暴走となる。
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posted by 自由人 at 18:38 | Comment(0) | 政治
2020年05月14日

「テレワーク」という名の自宅待機


■急場しのぎの「テレワーク」は機能しているか?

 当初、5月6日までと予定されていた「緊急事態宣言」は継続されたが、東京や大阪等の大都市圏を除いた地方の39県については、5月14日に一応、解除された。

 東京や大阪の場合、5月一杯は「緊急事態宣言」が継続されることになるので、テレワーク等の業務形態もそのまま継続されることになるのだろうか。

 しかし、急場しのぎの「テレワーク」化が、はたしてどれだけまともに機能しているのかは、甚だ疑問ではある。

 4月の段階での各企業の姿勢を想像するに、「世間ではコロナ、コロナと騒がれているし、ゴールデンウィーク明けまでの出勤日数は限られているので、取り敢えず、連休明けまでは自宅待機してもらって様子を見てみよう。しかし、自宅待機ではイメージが悪くなるので「テレワーク」ということにして、たまに業務連絡をして、自宅でできる簡単な仕事だけやってもらうことにしよう…」

 こんな感じの会社は結構多かったのではないかと思う。実質的には「テレワーク」と言うよりも「電話番」としての「自宅待機」に近かったのではないだろうか。
 企業からすれば、「自宅待機」にして「休業扱い」にすれば、国から雇用調整助成金も支給されるので、一挙両得だろうし、「ウチの会社はちゃんと新型コロナ対策をしていますよ」と世間にアピールすることもできる。

■「テレワーク」する環境が用意できるか?

 実際、今年入社の新入社員でも、未だに自宅待機になったままという人も多いと聞く。新入社員の場合、仕事のノウハウ自体が無いので「テレワーク」というわけにもいかない。
 全く出勤せず(休業扱い)とも給料の何割かは支給されるそうだが、それも国から支給される雇用調整助成金で賄っているのだろう。今のところ、6月一杯までは支給されることになっているが、その先はどうなるか分からない。

 「テレワーク」をする場合、自宅にパソコン環境が有ることが必須条件になると思われるが、会社のパソコンを持って帰るのは一苦労だろうし、自宅に業務用プリンターを置いている家庭などほとんど無いだろう。
 最近では、スマホ用のネット環境(Wi-Fi)はあっても、パソコンが無い家も増えており、仮に有ったとしても、趣味で使用しているパソコンで重要な仕事のデータを扱うのはセキュリティ的にも問題となる場合がある。サブスクアプリが主流となっている現代では、業務用のアプリケーションも自宅に有るとは限らない。

 それに、1日8時間も自宅で仕事するとなると仕事机(パソコンラック)や椅子等も必要になってくる。そういったものを置く場所も無いという人もいるだろうから、「テレワーク」なんて端からできないという人も多いのではないかと思う。



■「テレワーク」とは「電話仕事」のことではない

 「テレワーク」をスムーズに進められる人というのは、コロナ問題が起こる以前から、会社での仕事環境と同じような環境を既に自宅で構築できているような人だけではないかと思う。パソコンやプリンター、アプリ等、普段から会社の仕事を自宅に持って帰ってするくらいの人であるからこそ、スムーズに「テレワーク」化できるのであり、「プライベート空間である自宅で仕事なんてできるか」というような人には「テレワーク」は向かないのではないかと思う。

 能動的に仕事を行う人であれば、自己投資の一環で元から自宅が仕事空間になっているという人は多い。逆に仕事を受動的にしか行わない人は、「仕事は会社でしかしない」という人が多い。
 この両者の違いは大きい。前者の「テレワーク」と後者の「テレワーク」では、同じ「テレワーク」でも意味が違ってくる。

 「テレワーク」の「テレ」は「離れた所」という意味だが、「テレフォン(電話)」のことだと思っている人も多いのではないかと思う。
 テレビ番組で、「テレワーク」「テレワーク」と何度も放送していると、一般の人には、電話やスマホさえあれば仕事ができるというような錯覚を与えてしまう。
 しかし、本来の「テレワーク」とは「遠隔地(自宅)での仕事」のことであり、会社と同じ仕事が自宅でできない限り、それは「テレワーク」であって「テレワーク」ではない。

 「テレワーク」をしているつもりが、実は「自宅待機」だったという人は案外多いのではないだろうか。


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posted by 自由人 at 22:43 | Comment(0) | 社会問題
2020年05月10日

「PCR全頭検査」は必要なのか?


■無理が有り過ぎる「PCR全頭検査」

 世間では、「PCR検査を全国民に適用するべき」という意見が出回っており、そうすることで感染者数を減少させることができるとも謳われている。
 まるで、「BSE全頭検査」のようなイメージが浮かんでしまうが、これについては、賛否が分かれており、軽いタッチの神学論争となっているようだ。

 目下のところ、PCR検査の精度(信頼性)はそれほど高いとは言えず、最高でも70%の精度だと言われている。具体的に言えば、3人検査をすると1人に間違った診断が下されることになる。これでは、お世辞にも信頼のおける検査とは言えない。

 そんな検査を国民全員に課すべきというのは、前回の都知事選で鳥越俊太郎氏が選挙公約として掲げていた「がん検診100%」とどこか似ているような気がする。今年の都知事選でも「PCR検査100%」を掲げるような立候補者が出てくるのだろうか。

 医療費的なことを考えても、国民全員にPCR検査を行うとなると膨大な医療費がかかることになる。この際、医療費の問題は度外視するにしても、現実的に全員にPCR検査をするというのは無理が有り過ぎると思える。

■「老人は病院に近寄らず」が最適解

 同日、同時刻に1億人の検査が同時にできるのであれば、感染者の70%は把握できるが、それでも30%(3000万人)の取りこぼしがあるので、あまり意味があるとは思えない。
 現在の日本全国の感染者数は1万5000人程度なので、仮に隠れ感染者がその10倍いるとすると、15万人程度が感染者ということになる。ということは、(1億人ー15万人=)9985万人が未感染者という計算になる。

 1億人中、9985万人(全体の99.85%)が不必要な検査、そう考えるとトンデモなく無駄な検査とも言えるが、その15万人の感染者を検査しても、5万人程は誤判定となる。
 その誤判定というものは、陽性が陰性なのか、陰性が陽性なのか、これすら判らない。陽性が陰性と診断されて“自分は感染していない”と思い込むことも危険だし、陰性が陽性だと診断されて感染者が大勢いる病院に入院させられるのも危険極まりない。

 これが致死率100%のウイルスということなら、非現実的な全頭検査も有効かもしれないが、今のところ、感染者数も死亡者数もケタ違いに低く抑えられている日本では、それほど効果は期待できそうにない。

 況して、高齢者が病院に行って検査しなければならないということになれば、それこそ、最も危険な3密破りになってしまうので、逆に全国の病院でクラスターが発生して感染者が急増する可能性も否定できない。

 とにかく、今は、何の症状もない高齢者はなるべく自宅にいるべきであり、不要不急の用事で病院に行くべきではない。感染者が病院に行ってPCR検査をすることには問題がないが、非感染者が病院に行ってPCR検査を受けても、それで感染するリスクが下がるわけではなく、逆に感染するリスクが上がるだけだ。

 「君子危うきに近寄らず」と同じように「老人は病院に近寄らず」が、現状、最も有効な感染防止策だと言える。
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posted by 自由人 at 09:17 | Comment(0) | 社会問題
2020年05月09日

アバウトな「体温全体主義」を改めるべき


■「37.5度」と「4日間」という数値の削除

 新型コロナウイルスに感染したかどうかを疑う数値として、「37.5度以上の熱が4日間続いている」という目安が設けられていたが、厚労省はこの目安を取り下げた。

【これまでの目安】
 「風邪の症状や、37.5度以上の発熱が4日以上続く」or
 「強いだるさや息苦しさがある」

【これからの目安】
 「息苦しさ、強いだるさ、高熱などの強い症状のいずれかがある」or
 「高齢者や基礎疾患がある人で、発熱やせきなどの比較的軽い風邪症状がある」or
 「比較的軽い風邪が続く」

 基本的には「37.5度」と「4日間」という2つの数値項目を削除した格好となっているが、これはPCR検査云々とは別にして当然の対処だと言える。

■個人の平熱を考慮しない全体主義的な体温設定

 そもそもの話、人間の体温は個人的にバラツキがあり、中には平熱が37度という人もいるし、平熱が35度という人もいる。平熱が37度の人にとって37.5度は微熱でしかなく、平熱が35度の人にとって37.5度は高熱になってしまう。その違いを全く考慮しない全体主義的な体温設定はどう考えてもおかしい。

 「4日間」というのも、人間の回復力は老若男女関係なく皆一定とする全体主義的な感じがする。その人の年齢や体力や体調によって回復力はそれぞれ違ってくるので、「4日間」と決め付けるのもおかしい。

 あくまでも目安の数値だとはいえ、数値をハッキリと謳ってしまうと、その数値が絶対的な尺度となって、融通が利かない医者も患者も、数値だけに囚われてしまうため、こういった数値はなるべく曖昧にボヤかした方が無難だと言える。

 体温に拘るのであれば、自分自身の平熱を基準として、「平熱よりも2度高い状態が長期間続く場合」という風にするべきだ。

■拘るべきは“体温”ではなく“体調”

 現在、国も企業も「毎朝、起きてすぐに体温を測ってください」と注意喚起しているが、わざわざ体温計で測らなくても熱があれば分かるのではないかと思う。
 私自身の平熱は36度程度なので、37度もあれば、「今日は熱っぽいな」とすぐに分かる。血圧ならいざ知らず、わざわざ体温計で毎朝、体温を測るというのは行き過ぎではないかと思う。毎朝、確認するべきは、“体調”であって“体温”ではないのではないだろうか?

 そういった無意味とも言える全体主義的な指針ができるのも、先に述べたように、個人個人の平熱の違いを考慮していないからだろう。平熱を考慮しないので、どんぶり勘定で最大公約数的な体温(37.5度)が設定されてしまう。何よりも的確さが要求される現在の医療現場が、そういうアバウトな取り決めで運用されることの弊害も考える必要がある。

 世間では、絶対的な数値を決めることが明確な基準(=アバウトではない)だと思われているフシがあるが、相対的な人間の肉体に限って言えば、絶対的な数値を決めることこそが、アバウトな基準になってしまうということも考える必要がある。


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posted by 自由人 at 13:01 | Comment(0) | 社会問題
2020年05月07日

新型コロナウイルスの常識破壊【死生観のパラダイムシフト】


■戦争が起こらなくても多くの死者が出る時代

 「憲法9条があれば戦争は起こらない」というのは、言葉を変えると「戦争が起こらなければ誰も死なない」とイコールの関係にあるのだと思う。
 しかし、新型コロナウイルスとの戦いは「戦争」とも言われており、実際に本物の戦争が起こらずとも多くの死者が出ている。

 この状態は、戦後これまで、まともな死生観を持たずに生きてこれた多くの日本人にとっては非常にショッキングなことでもあり、これまで信じ込んできた常識を根底から覆されるほどの衝撃を受けている状態とも言える。

 左派は戦争が起こらなくても、戦争と同様の結果が生まれる事態に遭遇し、金縛りになり声が出ずにもがいている状態。これは右派にしても同様で、コロナ戦争から逃げようが立ち向かおうが、どちらにしても死者が出るという未だ経験したことのない状態に追い込まれ、右往左往して二進も三進もいかなくなっている状態。左派・右派ともに、これまで、なあなあでやってこれた思考停止状態が否応無く暴露されてしまった格好とも言える。

■「国民総左翼化」が招いた悲劇

 コロナウイルスと戦っても死者が出る、コロナウイルスから逃げても死者が出る。人間が生きていく上で、「死」というものは避け難い代物であることを自らの死が訪れるまで深く考えずに生きてこれた戦後のお気楽ムードの清算を余儀無くされている状態、それが新型コロナウイルスによって我々に突き付けられたリアルな現実ではないだろうか。

 一方で、ある程度の死生観を持って生きてきた欧米の人々は、コロナ問題でも、「死」を受け入れる方向に考えをチェンジしてきている。
 病気によって一部の人々が亡くなることと、経済が崩壊して全ての人々が死に直面することを秤にかけ、被害が少ない方を躊躇なく選択することができる。その柔軟な姿勢こそが死生観を受け入れているという証左でもある。

 しかし、日本の場合は、戦後、「死」という概念から逃げることが許されてきた世界でも稀にみる幸運な国であったので、政府はコロナ問題でも優柔不断な態度が目立ち、ズルズルと先送りする戦法を採っている。
 国民の側も、まともな死生観を持つことを考えてこなかったため、死と隣り合わせの選択はなかなかできないという状態に陥っている。そういう意味では戦後の「国民総左翼化」が招いた悲劇とも言える。

 最も被害が少ないとも言える国が最も判断が有耶無耶で遅れているというような状態。これがもし日本が最も被害が多い国であったとすれば、日本はどんな対応を取っていたのだろうか?と考えると空恐ろしいものがある。

■「コロナの時代の新たな日常」とは?

 しかしながら、この問題からは誰も逃げることが許されない。いくらお金を持っている人でも世界中のどこにも逃げ場がない。それこそ宇宙にでも移住しなければ逃げれないという意味で、我々は「鳥かごの中の小鳥」になってしまった。あるいは、コロナウイルスに生殺与奪の権を握られているという意味で「まな板の上の鯉」になってしまったとも言えるだろうか。

 安倍総理が述べた「コロナの時代の新たな日常」とは、具体的に何を意味しているのかは不明だが、安倍総理の意思に関係なく、これまでとは全く異なる日常を意味しているのだろう。
 中国を中心に回る経済から脱却した日常もその1つかもしれないが、死のリスクが可視化した疑似戦時経済における新たな日常の構築も必要なのかもしれない。

 「戦争」という人と人との殺し合いが起こらなくとも、人間は常に「死」と隣り合わせに生きている存在であること。そういう当たり前の冷厳な事実を受け入れた上での日常を構築しなければならない。

 新型コロナウイルスというものは、これまでの安穏とした常識が全く通用しない時代に突入したことを告げ知らすラッパの役目を果たしているのかもしれない。特に日本人は、日常生活における死生観のパラダイムシフトを突き付けてられている状態だとも言える。
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posted by 自由人 at 22:58 | Comment(0) | 社会問題